第92話 来訪
水薬は寝かせれば寝かせるほど、月光に当てれば当てるほど、薬効が落ち着き、良い水薬となる。
が、時間をかけたならかけただけ腐敗の可能性もある訳で……すぐに使わない場合は、腐敗除けのハーブを混ぜる必要がある。
腐敗除けというと特にタイムハーブが良いとされているが……タイムは使いすぎるとお腹を下してしまう程に薬効が強いハーブでもあり……シンは水薬に入れる薬草の量と、タイムを始めとしたハーブの量を慎重に見極めながら……用意した瓶の大きさと数に合わせた適量を目指して、それらの分量を整えていく。
いっそのこと酒精の強いお酒を混ぜたなら腐敗除けとしては一番楽なのだが、それではお酒になってしまう、まだまだ大人とは言い難いウィルに飲ませるには不適切な一本となってしまう。
慎重に……妖精達の力も借りながら慎重に量を見極めていって……そうして煮込む為の準備を整えていく。
「子供ってもな、あのくらいの身体ならもう飲んでも問題ないだろうよ」
「領主様としては大人の付き合いもありますゆえ、もう飲まれていてもおかしくはないですな」
屋敷の庭で……薬草を干していた一帯でそうした作業をしていたシンの背後に立つ、ロビンとキハーノがそんな無責任な声を上げてくる。
それに対し眉をピクリと反応させたシンは……色々言い返したいという思いはあったものの、いや、今は目の前の薬草達に集中しなければと、何も言わず反応を示さず、作業を進めていく。
「これだけハーブと薬草を使って、更に蜜とかで味を調えるんだろう?
ならきっと、美味い酒になるはずだし、酒にしちまおうぜ、酒に」
「ハーブ酒か……。
更に蜜ともなればご婦人方にも好まれる、良い酒になりそうですな」
そんな二人の言葉にシンは更にピクピクと眉を反応させる。
美味しいお酒を作ってどうするのさ。
これはウィル様と騎士団の皆さんのための水薬だって、薬だって言ってるじゃないか。
お酒として飲んじゃったらダメじゃないか。
そんな言葉を言いたくなるシンだったが、今はそれよりもこっちだと、作業に意識を向ける。
こういった時、側にドルロがいたならシンが何を言わなくてもドルロが二人に抗議してくれたのだろうが……ドルロは今、彼にとって同族の親友ギヨームと共に鍛錬に励んでいる。
ウィルの為に作られたゴーレム、ギヨームはシン達が屋敷を離れている間に、騎士団との鍛錬と、鍛冶師による改良を受けて驚く程にしなやかに動ける、力強い騎士へと成長していた。
そんなギヨームに負けてられないと気合を入れて、鍛錬に励み新たな成長をと頑張っているドルロに負けない為にもと、シンは作業の手を進めていく。
「これと一緒に食べるんだったら何だろうなぁ。
やっぱりイノシシかな、あれは癖が強いが旨味も強いからな」
「ほほう、それならば塩漬け肉もいいでしょうな。
一度塩漬けにし、塩抜きをしてから乾かし、乾いた肉を焼いて様々な料理に混ぜると……凝縮された肉の旨味と、良い具合になった塩味が最高の酒の友となってくれるのです」
「へぇ……それはそれは。
そこにハーブ酒ががつんときたら……くぅー、たまらないだろうな」
もうすっかりと、シンの水薬を酒にすることを前提にしてしまっているロビンとキハーノ。
そんな二人の言葉に呆れるやら何やら、なんとも言えない気分となったシンが小さなため息を吐き出していると……そこにもう一人の、高く響く女性の声が混ざってくる。
「あら、とっても美味しそうで、楽しそうなお話ですね」
その声にシンは反応しないし、振り返らない。
それはとても美しく響く、屋敷の中でも、町の中でも聞き覚えのない声だったが、今振り返ってしまっては……作業の手をここで止めてしまっては、全てが無駄になってしまうからだ。
「……誰だ、いや、何だお前……」
「……おお、これはなんとも麗しいご婦人ですな」
そんな声に対して、ロビンは警戒心を顕にし、声を尖らせながら唸るようにして声を返し、キハーノは手を打ってなんとも楽しそうに声を弾ませる。
「キハーノ、警戒しろ。
こいつ……匂いが変だ。
女が女だが、若くねぇはずの……ババアの匂い……。
それとこの匂いは……ハーブと魔力が混ざってるっていうか……シンによく似た、魔法使いの匂いだ」
声を弾ませたキハーノに対し、ロビンはそんな声を上げる。
それを受けてキハーノは一瞬訝しがるも……目の前の友人が、ロビンという男が自分を謀るはずがないと考えてすぐに緩んだ態度を改めて、腰に下げた剣に手をやりながら警戒心を顕にする。
「……何者か。
ここはパストラー領、領主様のお屋敷……怪しげな魔法でもって混乱を振りまくというのであれば、それはこの領全体に対する敵対行為とみなしますぞ」
警戒心で声を尖らせたキハーノがそんな言葉を口にし……いくらなんでも無視出来る状況ではないと、その作業をどうにか一段落させたシンが、慌てて立ち上がりながら声の主の方へと振り返ると……キハーノの言葉を受け止め、シンの表情を見やった黒いローブ姿の、金髪の緑色の瞳をした女性が、その口元をなんとも邪悪な形に歪め「はんっ」と、そんな声を上げる。
それを受けてロビンは、ぐいとその爪を構えて、キハーノは鞘から剣を抜き放つ。
まず間違いなく味方ではない、我々を害するためにやってきた、邪悪なる何かに違いない。
そんな確信でもって二人が全身に緊張をみなぎらせていく中……シンは笑顔となり、その瞳をキラキラと輝かせながらまさかの一言をその口から発する。
「先生!! どうしてここに!?」
その声を受けてロビンとキハーノは驚愕しながらも、動揺はせず努めて冷静に女性のことを見やる。
ロビンもキハーノも、シンが老女から魔法を学んだ、魔法使いの見習いであることは聞き知っていた。
そのシンが先生と言ったからには、目の前の女性は老女であるはずなのだが……老女どころか、まだ成人してすらしていないのではないかと思われる、若さを保っていた。
いや、ロビンの鼻は目の前のそれが老女であるはずだと見抜いていたのだが……そうだとしてもその見た目が、あまりのも若々しすぎてロビンもキハーノもシンの言葉を素直に受け止める事ができない。
「先生……?
シン、こいつは本当にお前の先生なのか?
……お前の先生というよりこいつは、髪の質と言い瞳の色と言い、どちらかというとお前の母親か姉って感じがして―――」
と、そんなロビンの言葉の途中で、女性の身体がぼふんと白煙に包まれる。
火を炊いた時に巻き起こるそれとは違う、濃密で真っ白な、空の上の雲のような白煙が、ゆっくりと晴れていくと……そこにあったのは老女の、アヴィアナの姿であった。
その姿を久しぶりに……本当に久しぶりに見たシンは、思わずその目元に大粒の涙を浮かべてしまうのだった。
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