第91話 もう一つの邂逅


 暖かな日差しの下、借りた干し籠を屋敷の庭の、日当たりの良い場所へとそっと置いて、その上に自らの手で摘んできた薬草を並べていくシン。


 そうやって太陽の光と風に当ててやって、腐ることなく、その魔力を失うことなく乾燥できる環境を整えてやって……籠いっぱいに薬草を並べたなら、次の籠を置いてそこにまた薬草を並べていく。


 そんなシンの後を追いかけているドルロは、強風が吹いても良いように、強風に籠がひっくり返されないようにと、そっと籠の下……地面に接している部分へとその手を伸ばし、ちょいと泥を切り離し、切り離した泥を魔力でもって操作し、泥を籠と地面を繋ぐ形に整えてから乾燥させることでしっかりと固定していく。


 更に妖精達がその後を追いかけ、薬草の上をきらきらと光を放ちながら舞い飛び、まるで蝶が鱗粉をそうするかのように光をばらまき、薬草にシンでも理解できない何かを付与していく。


 一体それが何なのか、何をしているのか、何の為の行いなのか……まだまだ未熟なシンでは理解することができなかったが、それでも妖精達のすることならば悪意を持ってのことではないだろうと好きにさせて……シンはシンの、自らのすべきことを進めていく。


 ……と、その時、何処からかスサリスサリと庭の草を踏む足音が聞こえてくる。

 人数は二人、使用人さんかな? と、そんな事を考えながらシンが作業を進めていると、その足音の主が、シンの背後から元気な声をかけてくる。


「シン君! 久しぶりだね!」


 使用人達の声ではない、嗄れた男性の声を受けてシンが振り返ると……そこには一人の老紳士と、老紳士に使える従者の姿があった。


 ぴっちりと整えられた白い髪、これまた整えられた白い髭。

 真っ白なシャツに、上等な仕立てのベストに、シワひとつない良い黒染めのズボン。


 銀細工がされたステッキを手に、なんとも優雅な仕草を見せるその老紳士の顔を見て、少しだけ首を傾げたシンだったが……その後ろに控える従者の顔を見て、再度老紳士の顔を見て、シンは「ああ!」と、それが誰であるのかを思い出し声をかける。


「キハーノさん! お久しぶりです!」


 ドーン・キハーノ。

 パストラー領の代官にして、女神の宣託を受けて魔王を討伐すべく立ち上がった呪いを受け付けぬ血を持つ勇者。


 以前会った時はいかにも勇者らしい戦場に挑まんとする格好、表情をしていたキハーノは、いかにも代官というか貴族というか、紳士的な格好、表情をしていて……まるで別人といって良い程の変化を遂げていた。


 シンが気づけないのも当然のこと、その自覚があったキハーノはうんうんと髭を撫でながら頷いて……シンの側へとやってきて、ぴしりと腰を曲げて干し籠の中を覗き込みながら言葉を返してくる。


「なるほど、これが例の水薬の材料だね。

 ……なるほどなるほど、手間がかかっているのだね。

 綺麗に摘みとって綺麗に並べて、キラキラと綺麗な光をまぶして……これはあれかね、例の聖剣クラウソラスによる光かね?」


 突然の来訪者に驚き、姿を隠してしまった妖精達。

 まさかそれが妖精達の仕業とは思いもしないキハーノがそう尋ねると、シンはふるふると首を振ってから言葉を返す。


「いえいえ、クラウソラスにそこまでの力はないです。

 最近じゃぁもっぱら灯り代わりに使っているばかりです。

 それにこのお屋敷で帯剣する訳にもいきませんし、アレは荷物の中にしまってあります。

 ……この光は妖精達がしてくれたもので……正直、僕にはこの光が何なのか、どういう効果があるのか、分かりもしないんです」


「ふーむ! なるほど!

 かの妖精達は今も君と共にあるのだね!

 あの妖精達には世話になったからね……今でもあの黒き森には感謝の供え物をしているのだが……そうかそうか、君と一緒にいるのなら、あの供え物も無駄だったかな?」


「いえいえ、妖精達はそれこそ数え切れない程いる訳ですし、きっと他の妖精達が……あの子達の仲間が喜んで受け取ってくれているはずですよ」


「そうかそうか。

 妖精達の存在は我々大人にとっては救いとも言える存在だからね……彼らの余生を華やかなものと出来るように、今後も供え物をしてあげるとしよう」


 と、キハーノがそう言った所で会話が途切れて、ちょっとした間が訪れる。

 風の音や、鳥の声、虫の声が聞こえるだけで……誰も喋らず、喋ろうともしない、苦痛ではない間。


 シンは黙々と薬草を並べて、腰を曲げたままのキハーノはニコニコとしながらその様子を見守り……そうして少しの時が過ぎてから、シンが「そういえば……」と声を上げる。


「キハーノさんは今日は何をしに……と言いますか、ウィル様にご用事ですか?

 ウィル様なら屋敷の中にいらっしゃいますけど」


 それに対しキハーノは、うんうんと頷いてから言葉を返す。


「何をしにと問われれば、その答えは君に会いに来た、になるかな。

 命の恩人である君には深く感謝しているからね、機会があれば顔を見に来るとも。

 それと……噂で獣人殿がこのお屋敷にやってきたとも聞いてね、ぜひ一度お会いしてみたいと思ってやってきたのだよ」


 そう言われて、照れくさいやら何やら、頭を掻きながらシンが顔を上げると……今ちょうど話題にあがった獣人殿が屋敷の扉を開け放ち、庭をぐるりと見回し……シンを見つけるなりこちらへと足を進めてくる。


「……ほほう、彼が噂の獣人殿か。

 悪意ある噂では、獣人とはとても野蛮で、礼節を知らず、人とは相容れないなどと言われていたが、中々どうして、彼も一端の紳士ではないか」


 整えられた毛並み。

 ぱりっと仕上がった真っ白なシャツ、首元を引き締める黒のネクタイに、刺繍をあしらった毛皮のベスト。

 それと毛皮のズボンと黒革靴をはいて……洗練された、折り目正しいきっちりとした所作で歩いてくるロビン。


 その姿は以前のそれとは全く違う……森の中で出会った頃のロビンとは全くの別人と言って良いものとなっていて……そんな所作でずんずんと歩くロビンは、シンの側にやってくるなり、何があったのか声を荒げてくる。


「聞いてくれよ、シン!

 あいつら……あの使用人達! 今の季節に毛皮は厚いだろうからって、俺の毛を切るなんて言いやだしやがったぞ!

 放っておけば生え変わるってのに、なんでそんな、情けないことをしなけりゃぁならないんだ!」


 獣人にとって毛を切る行為は、情けないものなのか……と、小さな驚きを懐きながらシンが言葉を返そうとすると、それよりも早く、ずんと足を踏み出したキハーノが、ロビンにすっとその右手を差し出す。


「お目にかかることが出来て光栄だ! 獣人殿!

 我が名はドーン・キハーノ! 栄えあるパストラー領の元代官にして、巡行騎士団の名誉団員である!」


 握手をして欲しいと右手を差し出しながら、切れの良い、大きな声を返したキハーノの挨拶を受けてロビンは、ある種の反射行動……癖となっているのだろう。


 きっちりとした所作で、礼儀正しく、思わずと言った様子で挨拶を返し、しっかりと握手に応える。


 それを受けてキハーノは、毛深いその手の感触をじっくりと堪能し……よほどにそれが嬉しかったのだろう、にっこりとした笑顔を浮かべるのだった。

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