第43話 ドーン・キハーノの大冒険


 ドーン・キハーノは素朴で真面目な優秀な代官だった。


 一切の悪辣さを持たず、仕事終わりに一杯のエールを欲する程度の欲しか持たず、人を愛し仕事を愛し、農作物と豊穣と平穏と平和を愛する……そんな代官だった。


 欲らしい欲を持っていなかった為、裕福さからは縁遠く、質素な造りの屋敷で、一人だけの従者と日々を暮らすという慎ましい日々を送っていたが、彼にとってはそんな日々こそが至高の宝だったのだ。


 またドーン・キハーノは敬虔な女神の信徒でもあった。

 暇を見つけては神殿へと足を運び、祈りを捧げ、慎ましい財布から寄付をするという、そういう男であり……そんな彼だからこそ、あの時に女神の声を聞くことができたのかも知れない。



 それは冬のある朝の、ドーン・キハーノが目を覚ました時のことだった。

 目を覚まし、体を起こし、さて今日も仕事だとキハーノが目をこすっていると、言い様のない違和感が辺り一帯を包み込み始めたのだ。


 その違和感を一体どんな言葉で表現したら良いのだろうか。


 どこまでも不快で、おぞましくて、自分の愛している日常が壊されるような、汚染されていくような、とてつもない悪意を含んだ……言葉にできない違和感。


 そんな違和感を全身で浴びたキハーノは、これはただ事ではないぞと震え上がり、すぐさま従者を叩き起こし、慌てて身支度を整えて、自らの管理する農園へと駆けていった。


 そこにはいつも通りの平和な光景が広がっていて……キハーノが予感したような悪い何事かは起きておらず、平穏無事といった様子だった……のだが、それでもどうしても違和感を拭えないキハーノは、女神の知恵と救いを求めて神殿へと足を向けた。


 魔除けの力を持つ、白色石と白鋼で造られた静謐たる神殿の中へと足を踏み入れて、まだ誰もいない早朝の、祈りの場へと足を進める。


 長い髪を持ち、青い衣を身にまとった、白色石の女神像を前にして、膝を床に突き、両手を組み合わせ、静かに祈るキハーノと従者。


 今一体何が起きているのか、この違和感は一体何なのか。


 その答えと救いを求めてキハーノが強く祈ると、女神の神像が柔らかな光を放ち、声を響かせキハーノの祈りに応え始める。


『今、このパストラーの地は魔物の呪いが広がりつつあります』


 静かに、だが確かに響くその声を耳にしたキハーノと従者は、そのまさかの奇跡に驚きながらも静かに祈り続けて……その声に耳を傾ける。


『各地で生まれつつある、魔物の王、その一つがこの地に根を下ろしてしまったのです。

 その王は、この地に魔物が居ないことに目をつけ、静かながらも恐ろしい、己と魔物の存在を隠蔽しながら侵攻するという手段を選んだようです』


 女神の奇跡を前にしたことを喜べば良いのか、魔物の王というとんでもない存在に恐怖したら良いのか。

 落ち着かない心でその声に耳を傾け続けるキハーノ達


『まず呪いを振りまいて人々の目を欺き、欺いた上で魔物達を各地に潜ませ、十分な数を揃えたところで一気に侵攻する―――。

 あなたの感じ取った違和感は、この呪いの広がりを受けてのことなのでしょう。

 かつてこの地で魔物戦った勇士達……その血を引くあなたには呪いを寄せ付けない力が宿っているようですね。

 こうして私を顕現させたのも、その血の力によるものなのでしょう―――』


 まさか自分の身にそんな力が宿っているとは。

 思ってもいなかった事実を知らされたキハーノはどうしようもない震えを……武者震いのような震えを体の奥底から沸き立たせてしまう。


『ドーン・キハーノ……この呪いに触れて、尚正常でいられるのは、どうやらこの地であなただけのようです。

 ……その力をもって、どうかこの地に住まう人々を、魔物の王の驚異から守ってください―――』


 そう言って光と声を失う女神像。


 この一時の奇跡を受けて、敬愛する女神の言葉を受けて、ドーン・キハーノの人生は激変することになる。


 わずかな財産を売払い、粗末な武器防具を買い付けて、魔物の王を討つべく領内を冒険して回るという人生に。


 そうしてキハーノは、魔物の王の力で風車や倉庫、馬小屋や、その中に住まう家畜だといったものに化けた魔物達をその力でもって見破り、従者と共に戦いを挑み、討伐していったのだ。

 キハーノ以外にはそうとは見えない、見るもおぞましい魔物達を……。


 ……そしてそんなキハーノのことを人々は、頭のおかしくなった、どうしようもない老人だと指差し笑うようになってしまった。


 それも当然のこと、人々には魔物ではなくただの風車や、倉庫や、馬小屋にしか見えていなかったのだから。


 それでもそんな人々を救おうと懸命に戦うキハーノ。


 だが人々はキハーノを笑い、オーガを、オークを、ドラゴンを倒しても嘲り笑い……そしてキハーノと共に戦ってくれていた従者が大怪我を負って倒れてしまっても大声で笑い……それでもキハーノは、心折れることなく、人々を恨むことなく戦い続けた。


 人々は悪くない、悪いのは魔物の王……魔王なのだ。

 いずれ人々も理解してくれる、自分が正義のために、人々のために戦っているということを。


 だがいくら月日が流れようとも、いくら魔物を倒そうとも、人々がキハーノへの認識を改めることは無かった。


 ときに理解したふうな態度を見せる者もいたが、それはキハーノを馬鹿にするための、嘲笑するための演技でしかなく……そうしてキハーノが戦いの日々の中で疲れ果て、傷だらけとなり、志半ばで倒れてしまうかと、そう思われたその時。



 キハーノの前に、光り輝く短剣を掲げる、一人の少年が現れたのだった。



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