第42話 ドーン・キハーノ


 何日かが過ぎて、ギヨームが一端の騎士にも劣らない体捌きを身につけた頃、シンとドルロは、ウィルの仕事の一つである領内行脚に同行していた。


 領内各地を巡り、問題が無いかを自らの目で見て確認し、領民の声に耳を傾けて、今後の領内経営の参考にするというウィルの領内行脚は、毎月毎月欠かすこと無く行われてきた、ウィルにとってとても大事な、最重要と言っても過言ではない仕事なんだそうだ。


 いつもの行脚では護衛として何人かの騎士を連れていたのだが、今回は優秀な護衛役であるギヨームと、魔法使いとして名高いシンとドルロが側にいる為、一人の騎士も連れずのシンとウィル、ドルロとギヨームという二人と二つだけでの行脚となる。


 四頭の馬を借りその背に乗って、町を巡り畑を巡り、目で見て耳で聞いて……そうやって行脚を進めて、昼が過ぎた頃。


 馬を駆って街道を行くシン達の前に、おかしな格好でおかしなことをしている一人の男が姿を現す。


 錆び果てたボロボロの鉄鎧を身に纏い、くたくたの白髪と白ひげを揺らし、どういう訳だかボロボロになった風車の羽根をその手でがっしりと握り……ずるずると引きずり歩く一人の男。


 その姿を見た瞬間、どういう訳だか馬達は怯えだし、ドルロとギヨームは警戒感を顕にし……そしてウィルは呆れ果てたと言わんばかりの表情となって大声を張り上げる。


「またお前か! ドーン・キハーノ!

 よりにもよって風車に手を出すとは……一体何処の風車を壊してくれたのだ!!」


 そんなウィルの声を耳にしたキハーノと呼ばれた老人は、ウィルを見るなり満面の笑みを浮かべて言葉を返してくる。


「おお、これは領主様、お久しゅうございます。今日もお元気そうで何よりですな。

 ……そちらは領主様のご友人ですかな? お初にお目にかかります、パストラー領代官、ドーン・キハーノと申します」


 ウィルに挨拶を返し、シンに自己紹介をし、そうして再度の満面の笑みを浮かべたキハーノはシンの返礼を待つことなく、風車の羽根をずるずると引きずったまま、何処かへと歩き去ろうとし始める。


「……あれはある町を任せていた優秀な代官だったのだが……何があったのかある日突然狂ってしまってな。

 ああやって鎧を着込み、突撃槍を振り回しては、領内の施設を壊して回ったり、罪なき動物達に襲いかかったりするようになってしまったのだ。

 それまでの功績を鑑みて拘束まではしなかったのだが……風車を壊してしまったとなると、放ってはおけんな」


 シンの側へと馬を寄せて、苦い顔をしながらの小声でそう話しかけてくるウィル。


 その言葉を聞きながらじっとキハーノのことを見つめていたシンは、キハーノというか、キハーノが手にしている風車の羽根のことが妙に気になってしまって、その羽根をよく見ようと目を細める。


 それはどう見ても風車の羽根であり、生物、魔道具の類では無いはずなのだが、どういう訳だか魔力の鳴動が感じられて……その上よく見ようとすればする程、霞んでしまうというか、変にボヤけてしまって、はっきりとそれが何であるかを判別することが出来ない。


 いや、そうするまでもなくあれは間違いなく風車の羽根なのだ。


 どう見ても、どう考えても風車の羽根のはず、なのだが……霞んでしまってボヤケてしまって、一体何がそうさせるのか、どうしてそうなってしまうのか『見る』というただそれだけのことがどうにも難しく、そのあまりの難しさに「うーん」と唸り声を上げたシンは、よりはっきりと羽根を見られるようにと、懐にしまい込んでいたアーサーから譲り受けた短剣クラウソラスを取り出し、その光りを放つ刃を鞘から抜き放つ。


 そうしてクラウソラスから放たれた太陽の光にも勝る暖かな光が、キハーノが引きずる風車の羽根を包み込んだ―――その瞬間、ウィルから驚愕の大声が上がる。


「う、うぉぉぉぉ!?

 な、なんだアレは!? 黒い鱗に赤い棘……まるで魔物の尻尾ではないか!?」


 ウィルの言葉の通り、それは紛うことなき魔物の尻尾であり……馬達が怯えていた理由と、ゴーレム達が警戒していた理由をそこでようやく理解したシンは、馬の背から飛び降りて、魔物の尻尾の側へと駆け寄り、クラウソラスを左手で掲げながら、右手でもってそっとそれに触れる。


「……あれ?

 何かの魔法で正体を偽っていたのかと思ったけど……この尻尾には何の魔法もかけられていない?

 ……それなら一体どうして風車の羽根に見えてしまったんだろう?」


 そんなシンの呟きを聞いていたのか、いなかったのか。

 その足を止めてシンの方へと驚愕の表情を向けたキハーノが喉を震わせながら大きな声を張り上げる。


「おお……おお! 少年よ!

 魔王の呪いに打ち克ったのか!!

 この私以外の全ての人々が魔王の呪いに汚染され、正しきを見失ってしまってから、一体どれ程の月日が過ぎたか!

 そんな日々の中で呪いに打ち克って見せたのは少年! 君一人だけだ!

 名を、その名を聞かせてくれないか! 少年!」


 喉を震わせながら声を振り絞り、涙を流しながらその身を震わせて、そう言ってくるキハーノに、シンは目礼をしてから名乗りを上げる。


「僕はシン……シン・リューベックと言います。

 魔法使いで、ウィル様の友人で、今日はウィル様の領内行脚に同行してこちらへと足を運びました。

 あの……キハーノさん、一体あなたの身に何が起こっているのですか……?」


 その声を耳にしたキハーノは「女神様! この出会いに感謝いたします!」とそう言って、そのままその場に泣き崩れてしまうのだった。


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