第12話 シンのお仕事
シンがパン屋と聞いて思い浮かべるのは、古びてボロボロとなった小店舗を構えた、かつての故郷にあったパン屋になる。
各家にパン焼き窯があるのが当たり前とされていたあの街において、パン屋という商売はパン焼き窯を家に置けない人か、病気などの事情で自力でパンを焼くことの出来ない人の為のものであり……そもそも繁盛するような商売では無かったのだ。
そうした記憶から、パン屋へのイメージから、シンはこの街の……バルトのパン屋もそういうものなのだろうと思い込んでいたのだが、そんなシンの思い込みはアーブスが案内してくれたパン屋の立派な店構えによって覆されることになる。
立派なレンガ作りの二階建ての店舗。
花々に彩られた華やかな入り口。
店舗の中は数えきれない程の人々で溢れかえっていて、そこから漂ってくるパンの香りはなんとも芳しく、心地良い。
シンが知るパン屋とは全く逆の、想像もしていなかったそんな姿に、シンが唖然としてしまっていると、そんなシンの肩をアーブスがドンと叩き、そうしてからパン屋の横にある脇道をその指で指し示す。
「働き手は裏口から入るのが常識だからな、間違っても表の、客用の入り口から入ろうとするんじゃねぇぞ」
恐らくはその脇道の先に店の裏口があるのだろう。そんなアーブスの言葉に頷いたシンは、アーブスに促されるまま脇道へと足を向ける。
脇道を通り、小麦粉袋やたくさん木箱が山積みにされた倉庫の脇を通り、いくつもの器が投げ置かれた井戸の側を通り……そうしてシンとアーブスが開け放たれたドアを構える裏口へと近付いていくと……その向こうから、パン屋の中から凄まじい熱気が吹き出してくる。
そのあまりの熱気に一体何がこの先にあるのかという恐れを抱きながらも、ドルロを抱きしめることでなんとか勇気を出したシンが、裏口の先へと足を踏み入れると……そこにはとてもパン屋の光景とは思えない凄まじい光景が広がっていた。
熱気に支配され、白く霞んでしまう程に小麦粉が舞い飛ぶその空間には、何人もの筋骨隆々のエプロン姿の男達がいて……その男達が忙しそうに、汗を滝のように流しながら縦横無尽に駆け回っていたのだ。
その太い両腕にはいくつものパン種や、いくつもの焼き上がったパンや、いくつもの魔石が抱えられていて……男達はパン種をパン窯に、焼き上がったパンを店先の棚に、魔石をパン窯の燃料口に投げ入れながら怒号のような声まで張り上げている。
「お客様が次のパンをお待ちだぞぉぉぉぉ!!」
「おおおい、パン種がしっかり捏ねられてねぇぞ!! 手を抜いてるんじゃねぇぇ!!」
「竈の温度が上がらねぇぇよぉぉぉぉ、誰かなんとかしてくれぇぇぇぇ!!」
ただただ凄まじいとしか言えないそんな光景に、シンが唖然としてしまっていると、そんなシンの背中をドンと叩きながらアーブスが笑いを含んだ大声を張り上げる。
「だっはっはー! 相変わらずここは良い活気に満ちているなぁ!
どうだ? すげぇだろ、ここがバルトのパン屋だ。
バルトでは火事の危険性を考慮して、燃料の節約を考慮して、小麦粉の効率的な管理を考慮して、個人の家にパン窯を置くことが許されてねぇんだ。
許されているのは小さな料理窯まで……っつー訳でパン屋は周囲の住民全員分のパンを焼くっつー重責を担っているって訳だぁ!」
そんなアーブスの言葉にシンは、なるほどと頷き……頷くと同時にこんな凄いパン屋で、一体自分にどんな仕事が出来るのだろうかと思い至ってその表情を暗くしてしまう。
するとアーブスはそんなシン表情を見るなり、シンの背中をドンと叩き、そうしてから竈の中をよく見ろと言わんばかりにその指で竈の燃料口の奥を指し示す。
そう言えば先程からパン屋の男達はどういう訳か、燃料口に魔石を……魔力を大量に含む石炭に似た鉱石を投げ入れていた。
わざわざ魔石を燃料にしなくとも薪なりを燃料にしたら良いだろうに……と、そんな事を思いながらシンがその燃料口へと視線をやると……シンの視線に応えるかのようなタイミングで、燃料口から真っ赤に燃える何かがその顔をひょっこりと突き出す。
『ぐけっ、ぐけーけけけ』
そうしてそんな声で鳴く真っ赤な何か。
まん丸い大きな目に、横に広がった大きな口、口から伸びる長い舌。
炎がトカゲと化したというべきか、トカゲが炎と化したというべきか、そんな姿をしたそれは……、
「サラマンダー!」
と、そう呼ばれる炎を司る精霊の一種だった。
燃料口から顔を突き出したサラマンダーは、シンの呼び声に応えるかのように舌をびろんと伸ばし、
『ぐけけけけけ、ぐけーーーけっけ』
と、元気に鳴いて……そうしてからシンに向けて何か訴えかけるような視線を向けてくる。
そんなサラマンダーの様子を見て、問題なさそうだと頷いたアーブスは、周囲に響き渡るパン屋の男達の声に負けないようにと大きな声を張り上げる。
「このパン屋はサラマンダーに住み着いて貰うことで、その熱を竈の火力としているんだが……最近になってサラマンダーが魔石の味に飽きちまったとかで機嫌ナナメでな!
そのせいで竈の温度が不安定になっちまって困っているそうなんだよ!
そこでサラマンダーを飽きさせることの無い腕の良い魔法使いを探していたんだが……かといって一流の魔法使いを雇えるような金の余裕も無いと来た!
そんな状況でさて、どうしたもんかと思っていた所にシン、お前が現れたって訳だ!
一流の魔法使いに払うような給金は出ねぇが、飯は好きなだけ食わせてくれるし、宿代わりの部屋も用意してくれる。
その上、まぁーそこそこの給金は出る、どうだ? 悪くねぇだろ!」
そう言ってアーブスは、両手の指を折り曲げての指文字にてシンに払われるであろう給金の数を示してくる。
その右手の指の形は銀貨を示していて、左手の指は一日二枚と示していて……そこそこどころか、予想以上のかなりの好条件に、シンは一も二もなく頷いて、何度も頷いて肯定の意を示す。
そんなシンの様子を見たアーブスは、ニカッと歯をむき出しにしての笑顔を見せて、そうしてから言葉を続けてくる。
「よぅし! 交渉成立だ!
それじゃぁ早速サラマンダーに旨い飯を食わせてやってくれ!
どうあれまずはあのサラマンダーに認めて貰わないことには始まらねぇからな!」
アーブスの言葉にしっかりと頷いてみせてから、瞑目し杖を構えるシン。
サラマンダーを始めとする精霊達は世界に舞い漂う魔力を主食としていて、呼吸することで……あるいはその舌を、エラを、口を、尾羽根を使うことで魔力を食しているそうなのだが……その効率はあまり良いとは言えないそうだ。
アヴィアナ曰く『広い池の中に散乱した小麦を一粒一粒、摘んで食べるようなもの』なのだそうで……そこで精霊達は人の側に住み着くことで、その力を人に貸し与えることで、人の手で集めた魔石なり、魔力なりを分けて貰おうとするのだとか。
その食事がどんなものであるのか、そこにどんな苦労があるのか、シンには想像することしか出来なかったが……だからこそシンは、美味しいものを食べて欲しいと、お腹いっぱいになって欲しいと、そう強く願って……そんな想いを込めながら集めた魔力を練り上げていく。
そうして練り上げた魔力を、魔法として放つのでは無く、出来るだけ自然に近いそのままの形で、そっとサラマンダーの方へと送ってやると、我慢出来ないとばかりに燃料口からその身体を乗り出したサラマンダーが、べろんと舌を伸ばしてその魔力を引っ張り込み、頬張り、そしてゴクンと飲み込む。
直後、むわっとパン屋の中の温度が上がり、竈が凄まじい熱気を放ち始める。
『ぐっけーーーー! ぐけけけけ!』
恐らくは笑顔なのだろう、喜んでいるのだろう。
そんな声を上げて、凄い表情となって、竈の中で暴れるようにして踊るサラマンダー。
そんなサラマンダーの様子に、熱気を放つ竈の様子に、何か異変が起きていると察したパン屋で働く男達は、竈を見て、サラマンダーを見て……そしてアーブスにようやく気付いて、シンがそこに居ることにもようやく気付いて……そうして、歓喜の表情を浮かべてから、
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!! サラマンダーの餌係がようやく来てくれたぞぉぉぉぉ!』
と、口を揃えての歓喜の雄叫びを上げるのだった。
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