第10話 アヴィアナとアーブス
シンにアヴィアナの名を告げられて、呆けた表情で涙を流していたアーブスは、シンの困惑した表情と態度を見るなり、その表情を険しく刺々しいものへと変えていって……そうして、
「てめぇ!! 騙りじゃねぇだろうな!
本当にアヴィアナの弟子だってなら、証拠を見せやがれ!」
と、まるで咆哮を上げるかのように叫び、席から跳び上がるかのように立ち上がってシンの両肩をがっしと掴んでくる。
枯れ木のような細い指だというのに、そこから伝わってくる力強さは凄まじく……その形相と声の凄まじさもあってすっかりと怯んでしまったシンは、そんなアーブスに対し何も言えなくなってしまう。
シンのそんな様子にアーブスはますますその表情を、態度を険しくしていって……そうやって周囲の空気が悪くなっていく中、シンの腕の中に居たドルロは、シンの懐の中へともぞりと潜り込んで……そしてシンがアヴィアナから貰った手縫いの財布袋を懐の中から取り出し、アーブスに見せつけるようにしてそれを掲げる。
するとアーブスはその財布を見るなり、その財布に刺繍された独特の花柄模様を見るなりクワリとその両目を見開いて……慌てた様子でシンから手を離し、そして自らの懐から薄汚れたボロボロになった古い布袋を引っ張り出す。
その袋にはシンの財布袋と同じ柄の刺繍がされていて……シンの財布袋と、自らの布袋を何度も、何度も何度も何度も見比べたアーブスは、がくりと膝から崩れ落ち……そうして古びたその袋を自らの顔に押し当てながら、おいおいと声を上げて号泣し始める。
そんなアーブスの様子に、一体どうしたら良いのやらとシンがまたも困惑していると、先程の給仕の女性がそっと近付いて来て、近くの椅子に座るようにと促してくる。
促され素直にシンが椅子に座ると、女性はシンの前のテーブルにミルク入りのカップを置いて「これを飲んで落ち着いて」と一言。
そうしてシンがカップに口をつけるのを待ってから事情を……アーブスの事情を語り始める。
「アーブスさんの想い人『アヴィアナ』の話は、この辺りでは誰もが知ってる有名な話なんですよ。
アーブスさんが若い頃に出会ったという絶世の美女、アーブスさんと想い合ったという稀代の美女……アヴィアナ。
アーブスさんが言うには二人はとても仲睦まじくて、とても深く愛し合っていたそうなんですけど……ある日突然、理由も言わずにアヴィアナは姿を消してしまったんだそうです。
……それでもアーブスさんはアヴィアナを想って、想い続けて……結婚もせずに、女遊びもせずにアヴィアナと再会する日を待ち続けていたんです。
そのアヴィアナが生きていて、しかもアーブスさんのことを覚えていてくれた……。
アーブスさんの涙の理由はそういう訳なんです」
そしてそれはもう何十年も前の出来事であり……アーブスの周囲の、今のアーブスしか知らない人々は、アーブスの語るアヴィアナが本当に居るのか、実在したのか半信半疑だったんだそうで……アヴィアナが実在するのかしないのかを、賭けの対象にするような有様だった、とのこと。
先程酒場の客達がアヴィアナの名を聞くなり声を上げた理由は、その賭けに由来するものだったのだろう。
そしてそんな話を聞かされたシンと、テーブルにちょこんと腰かけたドルロは、お互いの顔を見合い、目を見合い、そんな風にそれぞれに驚きながら、
「はー……」
「ミー……」
と、なんとも言えない声を上げる。
二人にとって優しく厳しく良い先生だったアヴィアナは、あの姿であるからこそのアヴィアナであり……そんなアヴィアナに絶世の美女と呼ばれる時代があったとか、誰かと想い合うことがあったとか、そんな話を聞かされた所で全く想像が付かないのだ。
そうしてミルクを飲みながら、少しずつ飲みながら落ち着き、女性から聞いた話を飲み込んでいたシンの前に……テーブルを挟んで向かい合う形になる椅子に、散々に泣きはらし真っ赤になった目をぐしぐしと袖で拭ったアーブスがどかんと腰を下ろす。
そして腰を下ろすなりテーブルの上にぐいと身を乗り出して、口を開くアーブス。
「……坊主。
さっきは悪かったな。……お前がアヴィアナの弟子だって話はもう疑わねぇよ。
この布袋はアヴィアナから貰って以来、誰にも見せずに大事にしてきたからな……騙り野郎なんかが知るはずねぇ柄なんだ。
……それによくよく見てみりゃぁ、その格好にその杖にその目、若い頃のアヴィアナそっくりだ。
オマケにゴーレムまで連れてるってぇのに……ああ、全くなんだって俺ぁすぐに気付かなかったんだかなぁ……。
……ああ、いやいや、そんなことよりも、だ。アヴィアナは元気にしてるのか? 今何処でどうしてるんだ?」
先程の剣幕と勢いをいくらか残したままそう言ってくるアーブスに、シンは少しだけ、ほんの少しだけ怯みながら言葉を返す。
「先生はお元気にしてますよ。
毎日自分で薬草を煎じて飲んでますし、自分で作った水薬も飲んでますし……一緒に暮らした二年の間、全くの病気知らずでした。
今は森の奥で静かに……一人で暮らしていると思います」
「そうか、元気か……そいつぁ良かった。
それで……だ、一緒に暮らしてたっつー弟子のお前に聞きてぇことがあるんだがー……。
アヴィアナはー……その、なんだ……今、独り身なのか? 子供は? 孫は居るのか?」
テーブルの上に身を乗り出しながら、もぞもぞともじもじと身を捩りながらそう言うアーブス。
シンはそんなアーブスを見て、怯むのを止めて……小さな親しみを覚えながら、問いの答えを返していく。
「えぇーっと……。
結婚しているかどうかは聞いたことがないので分かりません。
お子さんもお孫さんも……居るって感じはしなかったですけど、確かめたことはないです。
二年間誰も訪ねてこなかったので……居ないんじゃないかなーとは思いますけど……」
「……そうか。
二年も誰もこねぇってんなら……独り身っつっても問題ねぇだろうな。
……そうか、そうか……。
あー……で、アヴィアナはなんだって? 俺のことをなんつってたんだって?」
「えっと、さっきも言ったように腕の良い信頼出来る手配師だって言ってました。
旅に出たらまずアーブスさんに会って仕事を紹介して貰ったら良いだろうとも……」
「そ、そうか!
アヴィアナがそう言っていたか!
育てた弟子を俺に預けて良いと……今もアヴィアナはそう想ってくれてるんだな……。
……よぅし、話は分かった。後のことは全部俺に任せておけ!
そう言って自らの胸をどんと叩いたアーブスは、
「仕事も寝床も、情報も何もかもこの俺が揃えてやらぁ。
なぁに、俺に任せておけばこの街で困ることはねぇよ!!
あー……それで、お前はー、なんつー名前だったかな……?」
胸を叩きながらそんなことを言って、片眉を上げて片眉を下げてのなんとも言えない表情をしてくる。
「あ……はい、ボクの名前はシンと言います。
こっちのゴーレムはドルロです。
ボクはドルロにあげる為のゴーレム核を探していて……」
そんな風にシンが自己紹介をしていると……アーブスは荒くふんっと鼻息を吐き、それでもってシンの言葉を途中で遮って、その手をぶんぶんと振りながら大きく声を上げる。
「あーあーあー名前だけで良い! そーいう細かい話は後だ、後!
まずはそうだな……飯だ、飯を食うぞ!
どうせアヴィアナのことだ、木の実だとか果物だとかそんなもんばっかりを食わせてたんだろう?
背丈はちぃせぇし、首も腕も細っけぇし……それにその青っ白い顔色! どう見ても肉が足りてねぇ!
うぉーーい、店主! 良い肉をこいつに食わせてやってくれ!」
そんなアーブスの大声を受けての、
「顔色は陽の光の当たらない森の奥に居たせいだと思いますけど……」
「ミーミミー……」
とのシン達の呟きに構うことなく、アーブスはあれもこれもと注文し始めてしまって……そうしてシンは、なんとも賑やかで、豪勢で、豪快で、大盛りな食事をすることになってしまうのだった。
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