第7話 魔女の森を抜けて


 アヴィアナはこれまでの日々の中でシンとドルロに様々なことを教えてくれていた。


 魔法に関することは勿論のこと……読み書き計算に、生活の中で必要となる細々とした知恵に、森の中で生きていく為に欠かせない知恵に、この国の歴史に、周辺の地理や地形に、周囲の街々の話……などなど。


 そうした話をシン達に語り聞かせる際アヴィアナは、特にこれといった感情を込めずに淡々と静かに語ることが常だったのだが……一つだけ、あることに関しての話をする時だけは例外で、この森の西にあるという商業街、その街に関する話をする時にだけ、その口角を僅かに上げて、その声を小さく弾ませていた。


 その話をする時のアヴィアナは本当に楽しそうに見えて、とても嬉しそうに見えて……余程にその街のことが好きなんだろうなぁと感じていたシンは、いつからか自分もその街に行ってみたいなぁと、そう考えるようになっていたのだった。


 

 アヴィアナの下から巣立ち、アヴィアナの家を後にして……少しだけ、ほんの少しの間だけ泣いていたシンは、泣くのを止めて涙を拭って……そして悩むまでも無くその商業街へ行こうと決めて、西へと向かって歩き始める。


 シンの腕の中のドルロもシンと同意見なのだろう。


「ミー! ミー!」


 と、楽しそうな声を上げながら西の方を指さしていて……そうしてシンはドルロと共に西へ西へと向かって森の中を歩いて行く。

 

 アヴィアナが暮らすこの森は、アヴィアナが魔法でそう仕向けたが為に、木々が鬱蒼と生え、太陽も月も星の姿も見ることが出来ず、今が朝なのか夜なのかすら知ることの出来ない世界となっている。


 そんな世界の中でシンは、アヴィアナから教わった知識のおかげで、迷うこと無く間違うこと無く、方角を見極めることに成功していた。


 木の枝ぶりはどうなっているか、葉が大きく成長しているか否か、木や岩に生える苔がどういう生え方をしているのか、倒れた木の年輪の幅はどうなっているのか……などなど。


 そういった情報達を森の隅々からかき集めることで正確な方角を導き出していたシンは、二年前のこの森に初めてやって来た時の自分とは大違いだなと、そんなことを考えて小さな笑いをこぼす。


 そうやって笑顔を取り戻したシンは、ふとある疑問に思い当たって……その疑問をそのまま言葉にする。


「……そう言えば、あの時のドルロはどうしてボクをアヴィアナの家に案内してくれたの?

 どうしてここにアヴィアナが住んで居ると、アヴィアナの家があると知っていたの?」


「ミー……?」


 質問の意味が分からないのか、それとも何も考えていなかったよと、そう言いたいのか、体を傾げながらそんな声を出すドルロ。


 そんなドルロを見てシンは……まぁ、ゴーレム核を手に入れてドルロが言葉を得た時にまた聞けば良いかと考えて、それ以上は深く追求せずに森歩きの方に意識を集中させていく。



 日光が無くとも月光が無くとも明るく、遠くまで見通せるのは、木々に生えた光を放つ魔力苔のおかげ。

 地面が平坦でとても歩きやすいのは、アヴィアナが魔法で定期的に均しているおかげ。

 この森に虫も鳥も魔物も居ないのは、アヴィアナが多数の精霊を森の中に放っているおかげ。


 そうした二年前には謎のままで終わらせていたことを、知識の力で解きほぐしながら森の中を歩いていくシン。


 すると知識がそうさせるのか、余裕がそうさせるのか、二年前には見えていなかった様々な物達がシンの視界に飛び込んでくる。


「あ、薬草だ。こっちには森イチゴ!

 確かこの薬草は水薬の材料になるんだっけ……。

 あれ? この石は……まさか精霊の落とし物?」


「ミー!

 ミー!

 ミーー!」


 薬草を摘み、森イチゴを食べ、精霊の落とし物をポケットへと押し込むシン。


「ミ~~、ミ~~……」


「え? もしかしてドルロも森イチゴを食べたいの?

 だ、駄目だよ、体の中が汚れちゃうだけだし、味もしないだろうし……魔力変換機構みたいのは作れるかもだけど、それにしてもたくさんのゴーレム核が必要になるだろうし……」


「……ミ~~……」


「……うーん、そうだね。

 森イチゴを食べられるのは当分先のことになりそうだね」


 シンとドルロはそんな会話をしながら森の中を西へ西へと進んでいって……そうして段々と魔力の気配が弱まり、森の木々の数が減っていって……アヴィアナの支配下に無い、普通の本来の姿を森が見せてくるようになる。


 木々の枝の隙間から木漏れ日が降り注いでくると、シンは、


「わぁ……久しぶりのお日様の光だ」


 なんてことを思わず呟いてしまう。


 それからそう時間のかからないうちに木々がまばらとなっていって、森が森で無くなっていって……そうしてシンは街道が南北に貫く広い草原へと、太陽の光の下へと足を踏み入れる。


 するとまず目が太陽の光が眩しいと訴えて来て、次に鼻が爽やかな風の匂いがすると訴えてくる。

 

 そして耳が鳥の鳴き声を虫の鳴き声が聞こえると訴えて来て……シンはそこでようやく自分の旅が始まったんだと自覚して……そしてその嬉しさのあまりに駆け出してしまう。


 森を抜けさえすれば、件の街はもうすぐそこ。

 あのアヴィアナが、あんなに嬉しそうに話をする街とは一体どんな所なのか、どんな人々が住んでいるのか。


 それを話では無く自分の目で確かめることが出来るのだと、それが嬉しくて嬉しくてたまらないシンは息を枯らしながらその街へと向かってひたすらに駆けていく。


 そうしてどのくらいの時間を駆けていたのだろうか。


 だんだんと街道が広くなり、土の街道から石畳の街道へと変わっていって……その街道をちらほらと人々や馬車が行き交うようになって……そしてついに街を覆い囲う大きな防壁の姿がシンの視界へと飛び込んでくる。


 人間三人分、四人分の体躯を持つというオーガの侵入すらも阻むという石造りのその防壁のそこかしこには、様々な武器の姿や、鎧を着込んだ兵士の姿があり……そして商人達と旅人達を次々に飲み込んでいく大きな鉄門の姿があり……それらを見上げたシンは思わず駆けるのを止めて立ち止まり、


「うわぁ……!!」


 という感嘆の声を漏らしてしまう。


「ミー! ミー!」


 と、ドルロがその後に続いて……そうしてシンとドルロは、この辺り一帯の商業の中心地、商業街バルトへと到着したのだった。

 

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