第4話 少年と泥と老女


 シンが老女の言葉に逆らったのは深い考えがあってのことではなかった。


 ただドルロには強い力なんて似合わないとそう思っただけのことで……力よりも何よりも、ドルロには親友になって欲しいとそう思っただけのことで……そこに深い考えだとか、思慮と言えるようなものは一切関与していなかった。


 そんなことをしてしまえば当然老女に、正体の分からない恐ろしい老女に怒られてしまうのだろうが……それでもシンは折角出会えた友達に、ドルロに親友になって欲しかったのだ。


 シンのそうした想いと、二つ目の宝石を飲み込んだドルロは、その体から青い光を放ちながら……シンの想いに応えるべくその体に変化を起こす。


 外見的には一切の変化が無いのだが、その内部では様々な変化が起きていて……そうして変化を終えたドルロは光るのを止めて、その丸い瞳でじっとシンのことを見上げる。


 ドルロの丸い視線を受けたシンが、ドルロはちゃんと良い友達になってくれたかな、と胸を高鳴らせていると……ドルロがその口を大きくガパリと開く。


「ミー! ミッミッミー!」


 シンを見上げながら両手を振りながら、口からそんな高い声を上げるドルロ。


 どうやらドルロは先程の宝石とシンの願いを受けて、シン会話する為の『声』を手に入れたようだ。


「ミッミッミー! ミミー!」


 言葉を喋ることは出来ないようだが、それでも声があると、それだけでドルロの感情が、考えていることがシンに今までよりも強く、確かに伝わってくる。


 ドルロは声を得たことを、こうしてシンと会話出来ることを心から喜んでいるということがひしひしと伝わってくる。


「凄いよ、ドルロ!

 声を手に入れたんだね!」


 ドルロと友達と、想いを交わし合えることが嬉しくて、思っていた以上に嬉しくて、そう言うなりドルロを両手で抱え上げるシン。


 良い友達になってくれと願って、どうして声が出るようになったのか。

 その因果関係についてはよく分からなかったが……こうして小さな友達が声を発するようになったことは素直に嬉しくて喜ばしいことで、シンの顔に笑みが溢れる。

 

 するとそんなシンを見てドルロは、先程よりも一段と嬉しそうに元気に「ミーミー!」と声を上げて……そうしてシンはドルロのことをぎゅっと抱きしめるのだった。



 ―――と、そんな風にシン達がはしゃいでいる間、老女はシン達のやり取りを静かに、何も言わずに眺め続けていた。


 老女はドルロの変化からシンが何をしたのか、言いつけを破ったことを理解していたのだが……それでもただ静かにシンとドルロの様子を眺め続けていたのだ。


 その目は優しいようであり、好奇の色に染まっているようでもあり……一体何を考えているのだろうか……そうして老女はシンに向けて静かな声を上げる。


「……中に入りな、中で詳しい話を聞こうじゃないか」


 そう言って手にした樫の杖を一振りした老女は、シンの返事を待つことなく家の中へと入っていってしまうのだった―――。



 老婆の声を耳にしたシンは、そこでようやく老女の言いつけを破ってしまったということに、あの不思議な宝石を身勝手な用途に使ってしまったということに思い至り、今更ながらの申し訳なさと、老女に怒られてしまうという恐怖で背筋を凍らせる。


 幸いというかなんというか、老女の声に怒りの色は全く含まれていなかったが……とは言え、シンが身勝手な、ひどいことをしてしまったのは確かであり、そのことを老女に詫びなければならない。


 シンの小さな心の中には正体と目的の分からない老女の家へと入ることに対しての大きな抵抗感と、大きな恐怖があったのだが……それらよりも何よりも一言謝るべきだ、身勝手を許して貰うべきだとの想いの方が大きくて……そうしてシンは老女の家の中へと足を踏み入れる決意を固める。


 勇気を振り絞り、身震いをし背筋を震わせて、恐怖に凍りついてしまって固くなってしまっていた身体をどうにか動かし……「ミーミー!」と『大丈夫だよ! 怖くないよ!』と励ましてくるドルロのことをぎゅうっと抱きしめながら、家の中にその足を踏み入れようとして……そこでようやくシンは自らが雨に濡れてしまっていたこと、泥に塗れてしまっていたことを思い出す。


 こんな格好で家に入ってしまっては迷惑をかけるのでは、より老婆を怒らせる結果になるのでは……と、が自らのシャツに、ズボンに視線を落とすシン。


 ……するとまさかの光景がシンの視界に飛び込んでくる。


 シンのシャツが、ズボンが、革靴が、全く汚れていなかったのだ。


 いつかの食事の際に付けてしまったシャツの油汚れすらもすっかりと消えてしまっていて……その上、シャツもズボンも当然靴も、サラリと乾いていて……先程まで雨で濡れていたのが、泥に塗れていたのが嘘のようだった。


 一体何が起きているんだろう? あの泥は何処へいってしまったんだろう? とシンが首を傾げていると、


「早くお入り! グズグズしてるんじゃないよ!」


 と、老女の大声が家の中から響いてくる。


 その大声を驚いてしまいながらも、どうにか受け止めることに成功したシンは、今ここであれこれ思い悩んでもいても仕方ないと頷いて、まずはしっかりと謝ろうと心を決めて、ドルロをしっかりと抱えながら老女の家へと足を踏み入れたのだった。



 老女の家は外見からは想像も出来ない程に綺麗な、掃除の行き届いた住心地の良さそうな家だった。


 薄く綺麗なガラスの窓があり、上等な布で作られたカーテンがあり、床には分厚い絨毯が敷かれていて、家の各所には上等な造りの家具達の姿がある。


 竈も暖炉もかなりの手間がかけられた造りとなっていて、近付いてよく見てみると暖炉や竈に使われているレンガには草木や花の模様が刻まれており……その模様を見たシンはまるで絵画のように綺麗だと目を奪われてしまう。


 そうしたレンガの模様の次に少年の目を、興味を引いたのは、壁際に置かれた背の高い木棚だった。

 

 ハシバミの木の枝や大きなカボチャ、ガラス製、黄金色、銀色の靴達。

 木製のティアラに、豪華な貝飾りのついた宝石箱に、白磁の化粧箱。

 むき出しの刃が青く輝く銀のナイフに、ナイフと同じ色に輝く銀の渦巻く鎖。

 風も無いのにはためく羊皮紙に、ガラスの器の中で回り続ける一本の縫い針……などなど。


 棚に置くには相応しくないだろう物や、一体何に使うのか全く想像もつかない物達が並ぶその棚には、シンの知る常識ではありえない、全く未知の世界が広がっていて……そんないくつもの不思議が満ちている家の最奥に揺り椅子に腰掛ける老女の姿がある。


 棚を見て、テーブルを見て、竈を見てと、視線をあちこちに動かしながらのシンが、老女の前まで歩いていくと、老女が「まずは座りな」と声をかけてくる。


(え? 座る? 何処に? この辺りにはあなたの座っているその椅子しか無かったような……?)


 と、そんなことを考えながらシンが周囲に視界を巡らせると……一体いつからそこにあったのか、シンの背後にシンの背丈と体格に丁度合う木製の椅子が立っている。


 更にその椅子の肘掛けにはドルロが納まるに丁度良い木籠がぶらさがっていて……シンは、首を傾げながら、傾げ倒しながら……ドルロを木籠に納めて、椅子に腰をかける。


 そんなシンを見て満足そうに頷いた老女は、口元の皺を大きくしながら静かな言葉を吐き出すのだった。

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