第2話 その日少年に友達が出来た。


 母の形見を飲み込み、手と足を生やし、瞳のような作り出した泥の塊を見て、驚き叫んでしまった少年が次に取った行動は拳を前に突き出し、構えることだった。


 目の前のそれはどう見ても魔物の類であり、それとの戦いを覚悟して……あるいはそれを威嚇する目的でもって少年は拳を構えたのだ。


 すると泥の塊はそんな少年の拳を、腰の引けた構えで突き出される震える拳をじっと見つめて……そうして小首を傾げるかのように、その身体全体をこくりと傾げる。


 そうすることで少年の意図がまるで分からないと、そんなことを伝えたいのか、パチクリパチクリとその目のようなものでまばたきまでしてくる始末。


 しばらくの間そうしていた泥の塊は、少年が言葉を発さずに、一歩も動かずに居るのを見て……ドチャリドチャリと泥の足を動かし、その体全体を左右に揺らすようにして歩き、泥の中を進んで少年の足元までやって来てしまう。


 少年の足元で泥の塊は、少年のことをじっと見上げてきて、その両手を広げながら少年の方へと差し出して……そのまま、手を差し出したまま一歩も動かなくなる。


 そんな泥の塊の様子を見て少年は思う。


(この泥の塊は、一体ボクにどうして欲しいんだろう……?

 何かが欲しくてこうしているのかな?

 それともまさか……握手をして欲しいとか? いやいや、それはいくらなんでも……。

 ……まさかまさか、抱っこをして欲しいとかじゃないよね?)


 と、そんなことを少年が考えていると、泥の塊は手を上げ続けていることに疲れてしまったのか、微妙に左右に揺れ動いたり、その手をプルプルと震わせたりとし始めて……それでも少年に何かをして欲しいのか、そうすることで何かを訴えかけているのか、じぃっと少年のことを見つめたまま、震えるその手を尚も差し出し続けてくる。


 そんな泥の塊の様子を見た少年は、いくらなんでもこんなに小さくて弱々しくて、そして無防備な魔物も存在しないだろうと考えて、警戒を解き……そしてどうにかして形見の宝石を取り返せないものかと、泥の塊の方へとそっと手を差し伸ばす。


 すると泥の塊は、伸びて来た少年の手をその両手でヌチャリと掴み……そう出来たことが嬉しかったのか何なのか、その身体を右へ揺らして、左へ揺らして、その短い足でもってドチャリドチャリとステップまで踏み始めてしまう。


 そのなんとも楽しげな、あるいは滑稽な泥の塊の様子に、少年は思わず頬を緩めてしまうが、いやいや、母の形見を取り返さなければと表情を引き締め直し、更にその手を、泥の塊の方へと、泥の中へと、泥の塊の中にある母の形見の方へと伸ばそうとする。


 すると泥の塊は少年が何をしようとしているのか、何を狙っているのかに気付いたようで、途端にその目を欠けた月のような、あるいは眉尻を下げたかのような悲しげな形に変えて、イヤイヤとその体を横に振り、少年に止めて欲しいと、それを奪わないで欲しいと必死に訴えかけてくる。



 少年がそれを察して手を引くと、泥の塊は喜び、再び少年の手を楽しげに握る。

 少年がまた形見を取り返そうとすると、泥の塊は悲しみ、その目と全身でもってその感情を表現してくる。



 そんなことを何度か繰り返した少年は、どうにもこの泥の塊を憎むことが出来ず、嫌うことが出来ず、母の形見を飲み込んでしまったおかしな存在であるにも関わらず、泥の塊に対して愛おしさのような友情のような、なんとも言えない感情を抱いてしまう。


 そうして少年が表情を柔らかくすると、すぐに泥の塊は少年の表情の変化に気付いて、そのことを嬉しそうに、本当に嬉しそうにして踊りまでして喜んでくれて……そんな泥の塊の態度に少年は脱力してしまい……脱力のあまりに立っていられなくなり、その場に尻もちをついてしまう。


「もー……君は一体何なんだよー。

 泥のくせに感情があるみたいだしさー、宝石は返してくれないしさー……そんな顔をされちゃったら、もう無理には取り返せないじゃないかー」


 そんなボヤくような少年の言葉に反応したのか、それとも少年が尻もちをついてそうしやすくなったからなのか、少年のお腹の上にドチャリと乗っかってくる泥の塊。


「あーあー……元々雨で汚れてはいたけど、そんなことされたら服が泥だらけになっちゃうじゃないか」


 そう言って少年はいつの間にか氷雨が止んでいる、という事に気付く。

 それだけでなく強風までもがすっかりと止んでしまっていて……あれ程荒れ狂っていたというのに一体いつの間に止んだというのだろうか。


 あんなにひどい雨風だったのになぁ……と、そんなことを考えながら少年が暗くなり始めた空を見上げていると、泥の塊がドチャリと少年の頬をその手で撫でてくる。


 ……泥の塊は一体何を思って、そんなことをしようと思ったのだろうか。


 呆然とする少年に構うことなく、泥の塊は何度も何度もしつこいくらいに少年の頬を撫でてくる。


 泥の塊に撫でられれば撫でられる程、少年の顔は泥に塗れてしまって、泥に汚れてしまって……少年はそんな泥の塊の行いに対し、本来であれば怒る所なのだが……今更そんなことを気にしてもしょうがないかと笑い、大声で笑い……そんな少年を見て泥の塊は、少年が笑ってくれたと、その喜びを全身の動きでもって表現する。


「……あはは、本当に君は何なんだろうなぁ……。

 泥なのは分かるんだけど……泥がどうして宝石を食べちゃって、それだけじゃなくてこんな風にして動くんだろう……。

 ……君、名前は?」


 そう少年に問われて、泥の塊はフルフルと身体を横に振る。


「……名前、無いの?

 そっか……。君は名前が無いんだ。

 ……んー……じゃぁ、そうだなー……。

 うん、君の名前はドルロにしよう。見た目があんまりにも弱々しいから、名前は強そうな方が良いでしょ?

 だから君はドルロ!」


 そんな少年の言葉に、ドルロと呼ばれた泥の塊は今日一番の喜びを表現する為に少年の腹の上でドチャンドチャンと踊り始める。


「あははは。気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。

 ……あ、ボクの名前はシンだよ。よろしくね」


 シンと名乗った少年のその言葉に、ドルロは一層激しく喜び、激しく踊り……そうして突然、ドチャッと少年の腹の上からはね飛んで地面に立ち、スッとその手を上げて……街道から外れた、遠くの方に見える木々の立ち並ぶ森の中を指し示す。


「……うん?

 あっちに行こうって、そう言ってるの?」


 と、シンが尋ねるとドルロはそうだとばかりに頷くように身体を上下に振り、何度も振り……シンの手を両手で握り、シンを森の中へと誘導しようとし始める。


 そんなドルロのことをじっと見つめたシンは……他に行く所も無いし、もう暗くなり始めてしまったし、隣町まであとどのくらいあるかも分からないのだから……ここはドルロの、友達の言う通りにするのも悪くないかと、そんなことを考えてしまう。


 

 そうしてシンは立ち上がり、先導するかのように歩くドルロと共に街道を離れて……その先の森の奥、暗闇の支配する深い森の奥へと入っていってしまうのだった。

 


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