転校生は人気者⑥
翌日も一番乗りで登校した蒼は、そわそわと落ち着かなかった。
河川敷で瑚白と別れたあとから、その一日のことが何度も頭の中をループしていたし、放課後にまた二人で会えるという事実が蒼の心を躍らせていた。
次のバスが到着したのか、廊下に人の気配が増え、クラスメイト達も登校してくる。ほどなくして教室へやってきた瑚白を見つけ、蒼は引き寄せられるように立ち上がった。
「み、湊さん、おはよう」
瑚白の席まで接近した蒼は、ただ挨拶をするだけなのに、言葉がつっかえる。
「おはよう」
瑚白はどこまでも無表情だった。
「今日も放課後、あそこへ行ったらいいのかな?」
未だに現実を百パーセント信じきれていない蒼は、確かな言葉が欲しくて瑚白に聞く。瑚白は少しだけ首を傾げて答えた。
「それは、決まっていること」
「そう、だよね!」
蒼は、心の中でガッツポーズをした。昨日あてもなく河川敷に向かった自分を褒めてあげたい。珍しく友達を家に呼んでいて、自分を追い出した遥にお小遣いでもあげたい。そんなことを思った。
「ところでさ――」
「あら、蒼ちゃん~。おはよ」
もう少し、と瑚白に更に話しかけようとした蒼を、ずかずかとやってきた樹が妨害する。樹の大きな右手が蒼の頬を両側から挟みこむため、蒼の口は、ひよこのように縮まり、うまく話せなくなる。
「にゃにしゅんだよう」
「なに喋ってんの? 蒼ちゃん。朝から頑張ってるじゃん」
玩具のように蒼の頬を弄ぶ樹の手を、両手で掴んで下ろす。そして、樹の耳元で声を潜めて言った。
「頑張っているのがわかるなら、どうして邪魔するんだよ」
にやりとした樹が軽やかに身を翻したと思えば、いつの間にか右腕で蒼を抱くようにしている。手のひらが蒼の首元から後頭部に触れ、目と目の距離はわずか数センチ。樹の前髪が蒼の鼻のあたりをくすぐる。不敵な笑みを浮かべていることすらその整った顔立ちを引き立たせていて、蒼の心臓がどくりと鳴った。不本意だ。
「な、なんだよ」蒼は、絞り出すように抗議する。蒼の逃げ腰は樹の左手がホールドしていて動けない。
ふっとこぼれた樹の息はレモンミントの香り。そのまま樹の顔が近づいてくるのに、蒼の体は硬直していて動けない。咄嗟にぎゅっと目をつむった。
「こんな面白いこと、俺が邪魔しないはずないだろ?」
ほとんど唇が耳に触れる位置で囁く樹の声に、蒼は固まる。この無駄な色気はなんだよ! 樹の色が流れ込んでくる。紫とピンクを混ぜたような色が体をめぐって、ぞくりとした。こうやってフェロモンスイッチをいれて、いつも女の子を口説いているのだろうか、蒼には天変地異が起こっても真似できそうにない。
そのまま抱えこまれ、蒼は自分の席へ連行される。樹の力にはまったく歯が立たず、されるがままだ。瑚白の席が遠ざかる、
せっかく仲良くなれそうなのに、まかり間違って、男が好きだなんて勘違いされたらどうしてくれるんだよ!
心の中で悲痛な叫びをあげていた蒼だったが、瑚白を見ればこちらのことなんて全く興味がないように、登校してきた双子と話していた。
「で、いつの間に距離つめてんの。蒼のくせに」
「別にいいだろ」
せっかくのチャンスを邪魔された蒼は、頬をぷくっと膨らませて機嫌を損ねている。
蒼が機嫌を損ねたところで痛くもかゆくもない樹は、ニヤニヤとして完全に面白がっている様子だ。
「なんでも協力するのになあ。俺は蒼ちゃんの親友だから」
「……邪魔してきたくせに」
鼻歌を歌い始めた樹に、蒼は溜め息を吐く。
「なんか今日はやけに機嫌がよくない?」
「ん? そりゃまあ。昨日は、よかったんだよ」
昨日のことを思い出したのか一瞬押し黙った樹は、次の瞬間には口の端をあげていた。
「蒼ちゃんにも教えてあげたいなあ。手とり足とり」
「……またそういうことを」
机の上でわずかにリズムをとって動く樹の指さえ、いかがわしいものに思えてくる。
「それで? あの転校生となにを喋っていたかを聞いてるんだけど、俺。話しそらさせないよ?」
「おはようって言っただけだよ。昨日は皆に囲まれていて話せなかったから、今日は挨拶くらい、と思って」
「ふうん?」
樹は疑うようにこちらに視線をやっていたけど、蒼は昨日瑚白と会ったことも、今日また会えることも、誰にも言うつもりはなかった。樹に話せば、おちょくられるに決まっているし、河川敷についてくると言い出す可能性も大いにあった。
このチャンス、誰にも邪魔はさせない。秘密という大げさなものではないが、瑚白と自分だけが共有している話を、蒼は大切にしたかった。
始業のチャイムが鳴ったため、それ以上、樹に深く追求されることはなかった。
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