間引きビト

いある

押し付けられた『正義』

「あああ、ぁああ…」

 殺意。そんな最果ての負の感情を生み出す原因が、愛情だとしたら。

 光のほとんど届かない薄暗い座敷牢。じめじめした畳の臭いがなんともいえない嫌悪感を醸し出していた。格子状に区切られた区域には小さな少女が佇んでいた。何も考えることはできず、何もすることはできず、ただ生きる、まさに生ける屍だった。瞳は虚ろで、口からはただ呪詛にも似た絶望的な声音が漏れるのみ。今日は一段と湿気が強い地下室の壁を見たこともないような気味の悪い虫が這いまわる音と重なって、地獄を彷彿とさせる。三途の川で泣きわめく幼子の方がまだ救いがありそうだ。

 疫病。遥か昔より世界各地で引き起こされてきた地獄の一つだ。天然痘、黒死病ペスト、スペイン風邪…感染の規模や症状は違えど、人々の間に軋轢を生じさせる原因にもなる。そんな疫病が狭い範囲だが、この影沼村に蔓延っていた。症状は類稀なるもので愛情が殺意や憎悪といった感情へ変化してしまう。こうした殺意を向けられるのは親しい友人や恋人、家族などが多く、おいそれと殺すことも難しい。

 人を殺すのはただでさえ神経をすり減らすことだというのに、ましてや仲の良い相手ならばさらに困難になることは想像に難くない。

 そういった者たちは隔離され、病状が回復するまで軟禁状態となるが回復する者はほとんどおらず、病状の悪化に伴い更に凶暴さを増すようになる。

 そうした者たちの人生に終止符を打つための存在が俺のようなという存在だ。村の偉い連中は、俺たちのような階級の低い者たちに対して、階級を引き上げるからそいつらを殺してくれ、と取引を持ち掛けた。村内での待遇が上がるとなれば両親も否定することはできなかったのだろう。その役目は全て俺が果たすことになるのだが。

 そんな風に恨みを口にしても俺の仕事は変わらない。間引くだけだ。

「…ねぇ、殺してもいい?ユキ」

「ダメ…に決まってんだろ」

 座敷牢の中からの声に言葉を返す。生気のない声だった。殺意しか頭にない。そんな風に変わってしまった俺の大切な幼馴染の声だった。誰よりも明るくて幸福そうだった彼女は、病気にかからなければ一流財閥の御曹司と結婚する予定だったらしい。もっとも疫病のせいで破棄となったが。誠に遺憾である。

 少女はやつれた表情で俺を見ていた。花が咲くような笑顔を彼女は持っていたはずなのに、今では亡者のような顔をしている。美しいがひどく儚い印象を見る者に与えるだろう。これではいけない。いつか彼女が病気を治して外に出る日が来たら、困るだろうから。

「でも…もう、いやだよ。いつになったら治るの?私、ユキを殺したくてたまらないよ。殺したらきっと私幸せになれるよ?」

 誰かの幸せはその誰かが決める。それが俺の座右の銘だ。だからあんまり人の選択とか行動にケチを付けたくはないし、別に俺はコイツに殺されたってかまわない。こいつが本当に幸せになるためならば喜んで命を差し出すだろう。でもそれじゃ一時の気休めにしかならない。また新たな殺意が彼女には芽生える。そうしてまた新たな間引きビトが出る。それはきっと悲しいことだ。そんな運命を背負うのは俺だけでいい。

 彼女は絶対に幸せになるし、幸せになってほしい。幸せにするのが俺なんかじゃなくてもだ。

「ばーかいってんじゃねえよ、お前、今いくつだっけ」

「女性に数字の付くものを聞くのは失礼だって教わらなかった?17」

「…答えんのかよ。17ってことはもっと幸せになるチャンスなんていくらでもある。人殺しなんかこのご時世大罪だぞ。人生に一生その罪は付いてまわるんだ。今は我慢しなきゃいけないと思いませんかね?」

「でも私は本当にユキだけを殺したい。世界で一番殺したい。許されなくたっていい。否定されたっていい。それでもユキを殺したい。いつも言ってるじゃない…誰かの幸せを決めるのは誰かなんでしょ?私の幸せをユキが決めるのって変じゃない?」

 胸が痛かった。分かっていることを本人に改めて突きつけられるのはとても。それでも彼女が凶暴化して、彼女自身を見失ったら、俺がとどめを刺さなければならない。そしてせめてその役は俺がやりたい。彼女の間引きビトに選ばれた時、俺が否定しなかったのはそれが理由だ。絶対にほかの人の手で終わらせやしない。そのために必死で痛みを与えない方法を模索した。どうすれば楽に死なせられるかを研究した。そして自分が、彼女を助けられず、殺さなければいけない状況になることを想定しているのが悔しかった。

「はは、言うじゃねえかよ。その調子で元気になれよナナ。お前はもっと幸せになれる。そんな一時の快楽に身を任せるような真似は俺の目が黒いうちはさせねえよ。ほら、あんまり暴れるなよ?殺さなきゃいけなくなるから」

 俺がそう言うと彼女は元気になればいいのか今のままがいいのかどっちかにして、といって顔を背けてしまった。少し可愛らしいと思ってしまったのが悔しいところだが、死んでも彼女には言うまい。調子に乗るから。一度小学生のころ彼女を褒めたことがあったが、未だに彼女はその時の話をしてくる。よっぽど嬉しかったらしい。こちらとしては恥ずかしいから基本的には何も言わないようにしている。






 そうして何日も過ぎたある日。彼女の様子が一変した。

 何もない壁を目を見開いたまま凝視していた。この疫病にかかって、彼女は前ほどおしゃべりではなくなった。けれどそれでも無口というわけでは無かったのだ。だが今の彼女はまるで置物のような様子だった。何もない空間を犬が凝視するかのような行動が不気味ではなかったと言えば嘘になるだろう。

「おーい…ナナ、さん?もしもーし。今日は一段と元気がありませんね。…まぁ仕方ないよな。こんな湿っぽいところに閉じ込められて。俺がいない間なんてくそ暇だもんな。毎日が嫌なことの延長線上、か」

「ユキ」

 力強い、芯のある声音だった。しっかりと自分の意見を主張する時にしか出さない、彼女の本気の言葉の証だった。弾かれたように彼女のほうを見ると、彼女の周りの空気は酷く淀んでいる。陰鬱とした雰囲気が場を支配する。先生に怒られている時のような、何とも言えない胸のざわめきを感じた。

「ねぇ、もういいよね。殺してもいいよね。だめだよ逃げちゃ、私のユキなんだから逃がさないよ。殺さなきゃ。勝手に死なれたらいやだもの。絶対に私が殺すの」

 ぶつぶつと、呪詛を吐くように紡がれる言葉。それは酷く恐ろしいものでありながら、同時に彼女の心からの言葉だった。何をすればいいのかわからず、感情に振り回され、すべてを持っていかれようとしている。これが連中の言ういわゆるというやつらしい。ついにこの日が来てしまった、そういうことらしい。

 血走った瞳が俺を見据えている。爛々と光りだしそうなほどに開かれた瞳孔が俺を射抜く。蛇に睨まれた蛙とは正に俺のような人間のことを言うのだろう。

「出して。私をここから早く。どうして出してくれない?出さないと殺せないよ。どうして、どうして私があなたを殺すのを止めるの。だめなの?どうしてだめなの。わからない、全然わからないし分かりたくもない、ユキを殺したいよ。ねぇ」

 鬼気迫る様子で格子にしがみつきながら言葉をまくしたてている。彼女はその綺麗な爪に血が滲むほどの強さで格子を握っている。声は大きく、余裕が無い。まるで飢えた獣のようだ、そう思った。最愛の幼馴染を前にして獣という比喩が出てくる自分が何とも残念なのだが、実際にそう思ってしまったのだから仕方がない。

 思わず背筋が凍る。全身の筋肉が強張る。肺が締め付けられたような錯覚に陥って、どうにもうまく呼吸ができない。彼女の手は俺のもとには届かない。それなのにこの気迫だけで気圧されている。

「お、おい。落ち着きなよナナ。何があったんだ、言ってみろよ。俺は相談に乗るぞ。なんたってお前の幼馴染なんだから――」

「そればっかり!!!」

 一際大きな叫び声に思わず腰が引ける。尻もちこそつかなかったものの、未だかつて聞いたことのない彼女の大きな声に思わず動揺してしまう。

 彼女が声を荒げるのと同時に拳を強く叩きつけた箇所の格子はみしりと嫌な音を立て、僅かに歪んでいるように思われた。

「ユキはいっつもそればっかり!!!!幼馴染だから幼馴染だからって!私が幼馴染じゃなかったら見向きもしないの!?助けてくれようとしないの!?」

「ちがっ、」

「知ってる!どんな時だってユキは私を助けてくれる!それは私だから!私が私だから!そんなことは分かってるよ!

 …だからこそ嫌なの。そうやって自分はただの幼馴染だから、それ以上踏み出そうとしない。ユキのそんなところが大嫌い。私のこと好きなくせに!!」

 ハンマーで脳を直接殴られたような衝撃が俺を襲った。何も自分は分かっていなかった。分かったつもりになっていた。大好きな人間の事を何も知らないでいた。何も知ろうとしないでいた。幸せにする役目は自分ではない。自分は彼女のストーリーの背景にでもなれたら、そう思っていた。

 けれど彼女の望みはそんなものではなかった。自分が誰よりも彼女に求められて、望まれていたのだと。そんなことにも気づかず、彼女の望まない結婚にまで拍手してしまったりして。彼女は泣いていた。とめどなく溢れる涙が畳に染みを作るたびに、自分の心臓が張り裂けていくような気がする。もうぐちゃぐちゃになった胸中をさらにミキサーにかけられているような最悪の気分。死んでしまいたい。死んでしまえたらどれだけ楽なのだろうか。こんなに惨めな気持ちを味わっているのは世界中探しても俺しかいない本気で心からそう思った。でもそんな風に彼女を泣かせてしまったのは俺自身で。誰よりも最低な人間は他ならぬ俺自身だったのだと。情けなくて腹が立った。

 だから俺は――。

「ねぇ、ユキ。私はどうしたらいいのかな。もう、何もわかんないよ…、え…?ゆ、ゆき?どうして鍵を開けてるの?殺して、いいの?でも痛いよ、?あの」

 殺されるとか殺されないとか、この際そんなものはどうでもよかった。少なくともこの瞬間俺がすべきことはここで突っ立って唇をかみしめることなんかじゃない。そう気が付いたから。

「…今までごめん。俺、何にもわかってなかったんだ。ナナ」

 強く抱きしめた。華奢な彼女の体を手折ってしまいそうになるほどの強さで、精いっぱい。殺されたってかまわなかった。もし自分が殺されるなら、自業自得だ。それはそれで構わないし、俺を殺すことで彼女が一瞬でも幸せになってくれるなら、それで本望だ。けれど、もし神様がチャンスをくれるなら。運命というものが仮にあるのだとしたら、俺が彼女を幸せにする。絶対に。今決めた。

 俺の腕の中で彼女は少し震えて迷うようなそぶりをしていた。彼女の中に芽生えている殺意との葛藤があったのだろうか。その数瞬後に彼女はおずおずと俺の背中に手を回してきた。か細い彼女の腕に少しづつ力入ってくるのが分かる。それは決して殺意から来る暴力的なものではなく、慈愛に満ちた、愛情故の抱擁だった。




















「…ずるいよ」

「そう言われても。殺さなくていいの?」

「殺すつもりは最初からありませんでした」

 彼女は舌を出して笑った。俺は怒った。




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間引きビト いある @iaku0000

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