知人(友人)

 朝食が済んで周りの聞き耳にも開放された頃、俺は部屋に鞄を取りに戻っていた。

 ネクタイを締め、細長い鏡で身なりを確認する。

 狭いワンルームの部屋の二メートル程の廊下を数歩、玄関から外へ出ると、靴を履いている俺の目の前には純太の姿があった。


「あれ、どうしたの?」

「昨日姉貴に変な事されなかったか?」

「変な事って卑猥な事か?」

「ばっ、違うっつーの!」


 純太は恥ずかしそうに空を払った。いつもの純太の態度とギャップがあって、これはこれで新鮮な感じがした。


「お前って、そんなヤツだったんだな?」

「変なヤツだろ?」

「変だが……許容範囲内だっ」

「そこ、威張って言うところじゃないだろう。ところで変な事って……純太のお姉さんそんな事するような人なの?」


 部屋の鍵を閉めながら俺は言った。


「どうなのかね~? この二年まともに会話してないから、知らない間に壁でも出来た感じがしてな? 同じ学校に入学して、家にいた頃の姉貴とは別人に見えちまって、気になってる。まぁそんな感じだ」

「へぇ、元々はもっと違う性格だったって事か」

「もっと明るくてハキハキしてたな。あんなに怖い感じはしなかった」

「純太って、もしかして……シスコン?」


 その時、俺の後頭部に鈍痛が襲った。


「いっつぅうう~。何すんだよっ!」

「見てわかんねーか? 鞄で………………殴ったんだっ」

「そこ溜めなくていいだろっ、それに後頭部じゃ見えないっつーの!」


 俺達はそんな漫才のような会話をしながら学校へ向かった。純太との会話は楽しく、と言うより、久しぶりのまともな会話が楽しく、それでいて嬉しかった。


 学校に着くと昇降口前の掲示板に人だかりを発見した。

 おそらく先程雫が言っていた選考会の発表が掲示されているのだろう。

 人だかりの中には二、三年生の姿も見受けられたが、やはり一番多かったのは一年生の騒ぎ立てる姿だった。


「おいおい、ありゃ何の集まりだ?」

「統一杯の一年生メンバーの選考会発表だよ、今年は推薦形式じゃなくて、実戦で募集するらしいよ?」

「……なるほどな、それで風土が昨日呼ばれたのか」

「そういう事~」


 人だかりを横目に俺達は昇降口へ入った。


「選考会は……七月二十五日だな」

「え、日程見えたのかよっ?」

「まぁな、目はいい方なんだ」


 掲示板の紙の文字を横目で追うとかどんな動体視力だよ……。


「えーと、今日が金曜日だから……二十五日は……」

「木曜日だな、一学期の終業式が金曜日だからそれまでに終わらせたいんだろうぜ。来週末までに参加表明しに行かなくちゃいけないらしいから今日の帰り行っちまうか?」

「おいおい……それまさか全部見えたのかよ?」

「言ったろ、目は良い方だって?」


 なるほどね、友人兼とんだライバルの出現だな。

 動体視力がいいって事は相当な武器になる。まして召喚士同士の戦いなら尚更だ。そう言われてみれば純太が実技テストで負けた事は見た事が無かった気がする。

 いつも派手に勝つ丸中とは違って、純太は目立ってなかったからな。勿論それはテストの中でだけであって、普段は不良っぽい印象がある為、地味に目立ってたりする。

 下駄箱から上履きを出し、履き終えると、まだ上履きを履いている純太の後ろで、金髪の女がニヤニヤしながら立っていた。

 その女が右手を振りかぶった瞬間、俺は女が何をするのかがわかった。わかりはしたが――


「ぐぉっ……おぉおおっ!?」


 止められる訳もなく、女の手の平は純太の背中からいい感じの破裂音を放った。


「ハロー、ジュンタ~、どうよアタシの愛がこもった《紅葉》は~?」

「痛てぇなジェシー! 何しやがる!」


 背中に素晴らしい紅葉が咲いてるであろう純太はクネクネと体を捻りながらジェシーを睨みつける。

 彼女は《ジェシー・コリンズ》。

 交換留学という訳ではなく、親の仕事の都合上、この学校へ通っている白人女性だ。ナイア程ではないが色が白く、高校一年生とは思えない程の肉感的な体の持ち主だ。

 隠れて人気がある事にはあるが、慎ましい日本人故か、皆あまり声を掛けられないようだ。

 この苦しそうな純太を除いてな。


「アハハハハ、ジュンタ面白い格好だよー」


 括弧が閉じられたような反りを見せる純太に、俺も噴き出しそうになった。

 そうそう、「 ) 」こんな感じだ。


「てめ、ぜってーぶっ飛ばすっ」


 ジェシーは笑いながら鞄に手を入れ、中からスマートフォンを取り出した。なるほど、これは俺も便乗すべきだろう。俺もジェシーに倣ってスラックスのポケットからスマートフォンを取り出す。


「「はい、チーズッ!」」


 見事にハモってみせる事が出来たのは、現代人の性だろうか?


「てめぇ等……にゃろぉっ!」

「オー、アタシの健脚を見せる時が来たねー!」


 ジェシーはスカートから見える素晴らしい大腿部をパンと叩き、暴徒純太様の前から颯爽と去って行った。


「そして暴徒純太様はジェシーを追って――」

「おい風土ぉ、そんな冗談が通じると思ってんのかぁ?」

「おいおいおい、主犯はジェシーだろっ?」

「何言ってやがるっ、まずは共犯者からだろうがっ!」

「こ、この俺の健脚を見せる時が――」


 その時、俺の背中から先程純太の背中から発した破裂音と同じ音が鳴り響いた。ってそんな場合じゃねぇっ!


「ぐぅっ……ってぇええっ!?」

「よし、次はジェシーだ……あの野郎、覚えてやがれ……」


 そ、そして暴徒純太様はジェシーを追って去って行った……まじ痛い。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 学校での一日が終わり、昨晩のナイアの説明から、放課後、本屋へ向かう事にした。

 八王子駅の近くにある百貨店、その中にある本屋へ着き、士族関係の魔法書のコーナーに向かう。召喚士の事に関しては父親や母親から色々教わっているからほとんど教わる事はない。

 しかし、魔法や魔法士の事となると通説や初歩的な事しか知らない。

 そもそも、自分以外の士族の事を調べるのは、暗黙の了解で御法度とまで言われているのだ。

 勿論これは本当に法に触れる訳ではない。だからこそ、奇特な人間が複数の士族の学問を修める事はなくはない。

 特等クラスの士族になると、召喚士、魔法士は、剣士の超人的な能力を身に着けている事も間々ある。

 それでも特等の剣士となれば、その能力に広大な程の差があるのは明白だ。

 単純な戦闘力であれば、特等の剣士に敵う者はいない。だからこそ、召喚技術や魔法技術、戦略が重要になってきたりする。

 パワーファイターの剣士、テクニックの魔法士、トリックスターの召喚士ってところだろう。

 で、潜在能力的には魔法士型と言われた俺が習得するのであれば、やはりそれは魔法という事になるだろう。

 さて、どんな本が良いだろうか……。


『ゼロから始める魔法訓練』


 そもそも俺はゼロ地点にいるのだろうか?


『サウザンド・マジック・ディクショナリー』


 無駄に英語をちらつかせている本は要注意だ。


『「バカ」だっていいじゃない。十五歳から始める魔法講座(幼稚園篇)』


 最初と最後の文字に悪意を感じるな。


『基礎から学ぶ! 簡単魔法(基礎篇)』


 何で基礎を二回出したんだ?


『特等魔法士監修、上等魔法士の手引』


 うーん、こんなところか。

 俺は本棚に手を伸ばし、本の花ぎれ(上角)部分に指を添えた。


「あっ……」


 勿論、漫画みたいな指が触れ合うような事はなかった。

 なかったが、俺が本を手に取った時、左側から女の子の声が聞こえた。


「え?」

「あ、すみません」


 咄嗟に出た俺の声に、女の子が反応する。俺が声の主の方を向くと、その女の子の声は激変した。


「あぁーっ! 風土じゃないっ?」


 本屋という一般人であれば大きな声を出さない場所で、これだけのボリュームを出す女を、俺は一人しか知らなかった。


「あぁ、楓か……」


 コイツは《朝桐あさぎり かえで》。

 立川市立高崎中学校で同級生だったヤツだ。

 確かコイツは――


「『楓か……』じゃないわよっ。クラスのグループラインは勝手に抜けちゃうし、急に音沙汰なくなっちゃうし……もう、心配したのよ~?」

 活発、という文字が似合うであろう、健康的な肉体を持つ楓は、こんな感じで世話焼きな部分がある。

 それ故か、クラスの男子から告白される回数が多く、その都度俺に相談を持ち掛けてきた……まぁ、腐れ縁みたいな関係の知人(友人)だ。

 容姿はどっからどうみても普通だが、これに明るさやら笑顔が加わると、ワンランク、ツーランク上の魅力が出るんだろうな。

 時折見せる笑顔が反則的に可愛いという評判である。


「すまんな、交友関係を切ろうとしたんじゃなく、召喚士方面の学業に集中したかっただけなんだ」

「ホント~? 別の中学校出身の子達から風土の情報が色々出回ってたわよ?」

「ふっ、人気者は辛いぜ」

「悪い噂よ悪い噂! 本当に変わらないわねっ」

「数か月で変わってたまるか。噂じゃなく事実だったから安心しろ」


 楓の肩に手を乗せ、爽やかスマイルを送ってやる。


「……きもっ」

「ひっでぇな、おい」

「キャラじゃないわよキャラじゃ。あの……それより召喚出来ないっての本当なの?」


 楓が歯切れが悪そうに聞いてくる。


「聞いてなかったか? 『事実だった』って言ったろう? 過去の事だよ過去の」

「そ、それならいいけど……あ、ところでアンタ、何でこんな所にいるのよ? ここは魔法士関連の本が置いてあるコーナーよ。それにその本だって……」


 そう言いかけて止める。楓がハッと何か気付いたように俺に詰め寄って来た。


「え、なにっ? もしかして魔法士学校に転入するのっ?」


 若干嬉しそうに話す楓に、俺は首を横に振る。

 しかし何故嬉しそうなんだコイツは……。


「いーや、ただの趣味みたいなもんだよ」

「あ、なーんだ。そっかぁ……風土は前から少し変だったもんね」


 相変わらず失礼なヤツだな。

 女の子じゃなかったら逆水平チョップでもかましてやるところだ。


「にしてもお前、俺が首を振った時、少し寂しそうだったな? そんなに俺が恋しかったか?」


 ニヤニヤしながら楓をからかう。

 うーん、この感じ、久しぶりだなぁ。


「な、違うわよっ。アンタの眼おかしいんじゃないっ? あー、それより趣味って何よ趣味って? アンタこの大事な時期に魔法なんか勉強して何するつもりよ? 召喚が出来るようになったのなら、召喚の勉強した方がいいでしょうよ?」

「ったく、質問の多いヤツだな。……あぁ楓、そういやお前、魔法士養成学校に通ってたな?」

「チッチッチ、風土ぉ、私は一年で生徒会入りを果たした才女様よ? そのおぼろげな記憶、さっさとこの新情報で上書きしなさい」


 声に合わせて指を振り、腕を組んで自慢する楓が癪にさわる。


「ソウカ、ヨカッタネ」

「何よぉ、いいじゃない頑張ったんだから、少しくらい位褒めてくれたって」


 ん、褒めて欲しかったのだろうか?

 確かに相当な努力がないと一年生で生徒会に入る事は難しいだろう。


「おう、頑張ったな」

「あ、ありがと……」


 なるほど、照れた表情がグッとくるな。

 さっきのあのテンションからのこのギャップ……素晴らしいと思います。


「でー、その才女様は今更この本が欲しいのか?」

「え、それ今学校で人気なのよ。特等魔法士が監修に携わってる本なんて中々ないからね。在庫も少ないらしくてここが三軒目なのよ。ようやく見つけたと思ったら先にとられて、そのとった相手が召喚士学校に通うアンタ、火水風土君だった訳」

「へぇ、ならこれはお前に譲ろう」


 瞬時に楓の瞳が輝く。

 建物内にあるはずがない太陽光が乱反射したかのようだ。


「ほんとー!? めっちゃ嬉しいっ!」

「その代わりだ」

「な、何よ……?」

「俺に魔法を教えてくれ」


 この時の楓の顔は秀逸だった。開いた口が塞がらないってのはこういう事を言うんだな。

 光ったまんまの眼だったから尚更だ。俺の人生の中でMVPを獲れる程の珍面相だった。

 召喚士が魔法士に魔法を教わる。確かに世界レベルで見ても稀な行為と言えるだろう。それ程、各士族間の間は決定的に分かれてる。なんたって俺の友人(だと思っていた)の中で魔法士学校や、剣士学校に行った奴等は、入学が決まった途端俺との連絡をシャットアウトしたんだぜ?

 勿論、本当に仲が良かったやつら同士はそんな事はしなかったそうだが、俺の場合は全滅だった。クラスのグループラインは別だったけどな。

 で、残ったのが、知人(友人)の――


「な、何見てるのよ?」

「楓ちゃん、考えてくれたかい?」

「きもいってその呼び方……」

「つーか、お前の部屋なんだから楓以外見るもんがないだろう? あまり周りを見るのも失礼だろうし……」


 現在、八王子にある楓の家にお邪魔している。2か3LDK程のマンションタイプの家だ。

 楓の部屋は、簡素だったが、ベッドのシーツ等は青く、枕元に子豚のぬいぐるみがあったり、勉強机の上にあるピンクや花柄の小物なんかに女の子らしさが見てとれた。

 友人達と何回か来た事があるが、二人きりというのは初めてだ。


「へぇ、パソコン買ったんだ?」


 勉強机の反対側に、背の低い机があり、その上に薄いノートパソコンが置いてあった。その正面には座椅子も置いてあった。最後に訪れた時には無かったものだった。

 楓はベッドに座りクッションを抱き、俺は楓の勉強机の椅子に座っている。


「あぁ、魔法学校に受かったら買ってくれるって約束だったのよ。それよりさっきの話って……本気なの? 流石にグレーな話過ぎて家まで連れて来ちゃったけど……」

「本気と書いて《マジ》と読む、それくらい本気だぜ?」

「ったく、言い方が適当なの……よっ」


 楓が抱きかかえていたクッションを投げてくる。

 避ける事も出来たが、あえて避けずに顔で受けた。勿論、面倒臭かったからだ。

 一時的に顔にへばりついたクッションから、楓の体温とこの部屋の匂いを感じる。


「そうか、俺は今、女の子の家にいるのかっ!」

「そうよー、光栄に思いなさい」

「光栄です、魔法教えて下さい!」


 首だけ折って頼んでみる。

 楓はやれやれという様子で立ち上がり、俺の前に落ちたクッションを拾って、またベッドに座り込んだ。


「……理由くらい教えてくれるんでしょうね?」

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