6 追う者達
城砦から飛び出した二騎は、互いに会話もないまま森の奥深く、北へ、北へと馬首をむけて駆けていた。
ウルムヴァルドと北方諸国との国境に当たる峻峰ランゲ。天を貫くかに見える峻厳な頂は夏でも積雪に覆われていて、そこから吹き下ろされる風はどんな季節でも鋭く肌を掠めていく。辺境へと続く街道は徐々に細く、敷き詰められた石畳も整備の手が及ばぬまま、進むほどに朽ち果てていく。
馬の蹄が、やがて土と枯れ草に覆われた地面を駆けるようになったとき、たまりかねてジェラルドは馬を止め、傍らを走るアマリエに手で合図を送った。
その手に気づいたものの、アマリエが手綱を引いて栗毛の馬の脚を止めたのはジェラルドより少し前に出てからだ。何? と聞くだけにしては鋭い視線に、ジェラルドは首を横に振った。
「朝から駆け通しだ。馬を休ませるぞ」
アマリエは、しかしジェラルドから視線をそらせて道の先を見やった。そして無言のまま馬の尻を蹴って脚を進めようとする。が、ジェラルドの一喝がその動きを止めた。
「単騎で行こうとするな!」
びくりとアマリエの肩が震える。馬は進むのか、止まればいいのか迷ったように何度か足踏みし、首を上下に振った。並足で、ジェラルドが騎乗のままアマリエの側に寄る。
じっと睨みつける妻の視線を受け止めて、ジェラルドはもう一度、重い息を吐いた。
「――お前が俺に対して怒っているのは分かる。俺のうかつさが、ユッテとカミルをこんな目に遭わせたことを」
その声には苦渋が滲み出ている。アマリエは、ふっと視線を外した。
「……だったら、早く」
「だが、この先をこんな調子で進むのは危険だ。そろそろ陽も暮れる、夜が来る。この先は道もない。いがみ合いながら互いを無視し続けて――痛い目にあうのは俺達自身だ」
何か言い返そうとしたアマリエを、ジェラルドは言葉で畳みかけた。
「俺達に何かあれば、ユッテとカミルを連れて帰れる者はいなくなるぞ」
その一言が、アマリエに冷静さを取り戻させた。
西の空が赤く眩しいほどに輝くのとは対照に、東の空には濃紺の夜空が広がりつつあった。ジェラルドとアマリエはそのまま緩やかに馬を走らせ、少し進んだ先の草地で馬を下りた。辺りに茂る森の木々とむき出しになった岩肌が、夜の闇に溶けようとしていた。今夜はここまで、とジェラルドが決めたのだ。
荷を下ろし、二人は手分けして野営の準備を始めた。薪を拾い手際よく火を熾すジェラルドの傍らで、アマリエは茂みに隠れた小さな池で、馬たちに水を飲ませた。と同時に自分も城砦から持参した水筒の水を口に含み、額の汗を拭う。アマリエは黙っていたが、その歩き方はぎこちなく、時折鈍い痛みをこらえるように口元を歪めている。
「アマリエ」
呼べば、視線だけはこちらに向けるが。
「少し、休め。久しぶりの乗馬で、飛ばしすぎだ」
ジェラルドが熾した火の前で手招きすると、ようやく、アマリエは火を挟んだ対面に腰を下ろした。
ぱちぱちと乱雑にはぜる小さな火を、アマリエはじっと見ていた。手渡された腸詰めの燻製を一口ずつかじる間も、心ここに有らずといったうつろな表情を浮かべている。
「……泣いていないかしら」
ユッテとカミルの顔が、その炎に照らし出されているのだろう。ジェラルドは無言で眉根をしかめ、炙った干し肉を噛みちぎった。
「必ず連れ戻す」
言い切るその台詞に、アマリエはジェラルドに視線を合わせ――ぐっと何かを堪えるように、そのまま黙ってうつむいた。
「なんだ?」
「……何でもないわ」
頭上を、冷たい風が吹き抜けていく。見上げた夜空はやや靄がかかったように、月も星もぼやけた光でつつまれていた。流れの速い厚い雲が徐々に夜空を覆いつつあるようだ。
「……魔女の居所は、こっちの方向であってるんでしょうね?」
火に薪をくべつつ、アマリエの問いにジェラルドは顔を上げた。
懐から出したのは、羊皮紙に描かれた地図である。ジェラルドは王国騎士団の団長として、国土の大部分、しかも山々の深淵、深い森の奥まで詳細に記載された地図を持っている。ジェラルドは地面にその地図を広げると、アマリエと共に覗き込んだ。
双子達を拉致したハインツを追うのに、魔女の小屋を目指すとジェラルドは言った。
ハインツの言葉が嘘でなければ、双子達を欲したのは魔女グリータだ。必ず、彼女の元に双子達は連れて行かれるはずである。正直なところそれ以外に手がかりがない。
ジェラルドは記号で記された城砦に指を当て、そこから街道を示す曲線を指で辿った。やがて線が途切れた辺りで「いまはここ」とジェラルドは言い、指先はそのまま北に山脈の裾を辿り、峻峰ランゲにかなり近い点を指し示した。
「ここだ。この小さな窪地に魔女の小屋がある」
「小屋……」
「確かだ。この道には見覚えもある。八年前も、ここを通った」
八年前――病に倒れたアマリエを救うため、ジェラルドは単身森に入り、「おとぎ話」の魔女の薬を求めたのだ。その見返りとして、かけがえのないものを失うと分かっていて。
アマリエは、もう一度炎越しにジェラルドを見つめた。火に視線を落とす夫の表情は、陽炎のように揺らいでいる。アマリエは一つ息をつき、肩を落とした。
しばらく火のはぜる音だけを聞いていたが、アマリエはやがて外套を地面に敷き、包まって横になった。
「途中で火の番を代わるわ」
夜半に起きる、と言い残して、アマリエは火に背を向けて目を閉じた。眠れぬとは分かっていたが、身体を休める必要性は十分に理解していた。
……しんと静まった森の夜は、静寂がそのまま天から降りてきて彼らを押しつぶしそうだ。
瞼を閉じていても、意識は夢とうつつの狭間を行き戻りする。それでも数時間は眠りの世界にとどまっていたアマリエだったが、
「……アマリエ!」
ジェラルドの鋭い叫びに、瞬時に覚醒し跳ね起きた。
「馬を!」
指示と同時にジェラルドは地面の砂を蹴ってたき火の火を消した。とたん漆黒に包まれた周囲に、肌に伝わるほどの濃厚な、生臭い気配が広がっていた。
二頭の馬を繋いだ木に駆け出しながらも、アマリエは周囲に光る無数の赤い点を見渡した。十、二十、……数えきれぬ。闇夜に光る赤い――それは瞳だった。昨日森の街道で囲まれた際に聞いた遠吠えが、この時も耳を打った。
……ウォオオオオオオ……ォン……!
その声を合図に、ざっと闇が周囲から攻め込んできた。放した馬にアマリエは飛び乗ると、鞍に吊していた弓を手に取り、瞬時に矢をつがえた。闇の中で赤い瞳をめがけ、放つ。ドスッと肉を穿つ鋭い響き、狼の口から漏れた絶命の吐息。アマリエは二本目、三本目とそのままためらわず矢を放った。
が、狼の群れは近すぎた。四本目の矢をつがえたアマリエの頭上に二つの赤い光が襲いかかる。目の前には生臭い吐息と牙の鋭さ。
と、ギャン! という叫びにその情景が地面に叩きつけられた。闇の中で光が円を描いた。ジェラルドが炎を移したたいまつを振りかざして、アマリエに襲いかかる狼の群れをなぎ払った。
「行け!」
その声に、一瞬アマリエは戸惑った。が、馬は一声いなないて前脚を上げた。ジェラルドが腰の剣を抜いて、鞘でアマリエの馬の尻を叩いたのだ。栗毛の馬は前脚を下ろすと同時に地面を蹴り、一瞬闇の中を舞い上がる。猛り狂って駆け出す馬の手綱をようよう取ったアマリエは、背後からかけられた夫の声を聞いた。
「先に行け、この道を北だ! 俺もすぐに追う!」
振り返ることは出来なかった。狼に怯えた馬はアマリエの制止を聞き入れず、道の続く北方へと我を忘れて駆けていく。アマリエはその馬の背に伏せるようにして、振り落とされないようにするのが精一杯だった。
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