7 騎士団長ジェラルド

 ヒュウウ! と鋭い音が狼との間に飛び込んだ。


 次いで大地をとどろかすような蹄の音。

 街道の北の方向から十数騎の騎兵が疾走してくる影が見えた。彼らはつぎつぎに矢をつがえ、森の狼たちに放っていく。幾人かの騎士は口元に笛を当て甲高い音を響かせながら駆けまわった。その音に驚いた幾匹かの狼が森の奥へと消えていく。


 それでも、半数ほどの狼はその場に佇み、騎士たちを赤い目で睨みつけていた。街道の境を挟んで騎士たち狼たちが対峙する。


「追いはらえ!」


 後ろから指揮官の声が響いた。その声を合図に再度矢が放たれる。射られた数匹の狼たちがどさりと木から地面に落ちる中、枝を蹴って狼たちも騎士に飛びかかった。

 騒然とする中、一番大きな狼に狙われた指揮官が迎え撃つために槍を構えた。空中で牙を剥いた狼に、指揮官は顔色一つ変えず、槍をくるりと回転させて長い柄でその腹を横殴りにした。


 ドン、と激しく地面に叩きつけられた狼は、きゅうと一度鳴いた後に飛び跳ねるように森の奥へ帰っていく。それを合図に、他の狼たちも一斉に木々の合間に隠れ逃げた。

 騎士たちは深追いはしなかった。

 やがて狼たちの気配が完全に消えると、指揮官は護衛兵に囲まれたアマリエとローザの元に馬首を向けた。


「お父様!」

 鞍を降り、冑を脱いだ指揮官――騎士団長ジェラルドに、ローザが駆け寄った。金属の胸当てをしていることを気にして、抱きつかれる直前に娘の身体を抱え上げたジェラルドは、そのままローザとともにまだ大木の根元に座り込んだアマリエに歩み寄った。


「怪我は?」

「ジェラルド……あなた、来てくれたの」

「幾つかの隊商が獣の群れに襲われたとの通報があってな。間に合って良かった」

 アマリエは差し出されたジェラルドの手をとり、ようやく立ち上がることができた。

「……狼のあんな大群、はじめて見たわ」

「少々数が多すぎる」


 実際のところ、このウルムヴァルドの森に狼の姿は珍しくない。もともと群れをなす動物ではあるが、その数は多くても十匹程度。また人間に対しては一定の距離を置いており、人間の方が姿を見せれば逃げていく群れがほとんどである。それが、百匹近い大群で、しかも通りがかりの人間にあそこまで敵意を向けるとは。


 不安な面持ちでいると、ジェラルドはローザを腕から下ろして二人を誘った。

 横転した馬車と馬は引き起こされ、馬は負傷が著しく騎士たちの手に預けられた。馬車は幸い車軸が生きていたのでそのまま馬を変えれば乗ることはできそうだが、横転した際に放り出された荷物があちこちに散乱している。


「あっ、ユッテとカミルへのお土産……」

 ローザが泥に汚れた荷物の中から、菓子の箱を拾い上げた。泥を被り、騒動の最中人馬に踏まれたらしく外箱すら原型を留めていない。

「絶対喜ぶと思ってたのに。美味しいのに、これ!」

 残念がるローザの、言葉とは対象に怪我も怯えもない様子に、ジェラルドはふっと笑みをこぼす。

「確かに大騒ぎはしそうだ。――まあしょうがない。また次の機会に買ってやれ。さあ、帰るぞ。二人が待ってる。無事な顔を見せてやってくれ」

 ジェラルドは大きな手で、ローザの頭を一度撫でた。




 馬車が城館の表玄関に姿を現したとき、ハインツは共に出迎えに出ていたユッテとカミルの手を、あらかじめ力を込めて握りしめていた。おかげで、御者はふいな双子達の飛び出しにはらはらせずに玄関前に馬車を停めることが出来た。


 出迎えの使用人たちははじめ、その馬車の傷み具合を目にして青ざめた。狼の群れに襲われたとは聞かされていたが、客車の外壁は泥に汚れ、扉は傾き、窓の木戸は外れて無くなっている。それでも中からアマリエとローザが無事な様子で降りてくると、皆一様にほっと息をつき安堵の表情を浮かべた。


「ただいま、皆」

「お帰りなさいませ。奥様、ローザ様。ご無事で、まことによろしゅうございました」

 使用人たちを代表してホルガーが一歩進み出ると同時に、ハインツがもういいかと手を離したのだろう、ユッテとカミルは競い合うように母の元に駆け寄った。


「かあさま、おか……おかえりなさいませ!」

「おかえりなさいませ! かあさま、カミル、いい子にしてたよ!」

「ユッテも! ユッテもよ!」

「ただいま、ユッテ、カミル。そう、いい子にしてたのね。偉いわ」

 アマリエは腰をかがめ、興奮気味の双子達の肩を二人まとめて抱きしめた。その後ろからローザが二人の顔を見下ろす。

「姉様には『おかえり』はないの?」

「! ……ねえさま、おかえりなさい!」

「おかえりなさい!」

 満面の笑みで見上げるユッテ達の表情にローザは微笑むと、母のように抱きしめる代わりに、二人のふっくらしたほっぺたを順に両手で軽く摘まんだ。「いたい」「いたい」と二人は言うもののその口元は綻んでいる。これが姉と双子達の間にかわされる愛情表現の一環なのは、周囲の誰もが知っていた。


 馬車から降ろされた、これも泥にまみれた荷物の数々に使用人たちが驚いている最中、ハインツもアマリエとローザに歩み寄る。


「アマリエ様、お帰りなさいませ。ローザ様もご無事で何よりです」

「ただいま、ハインツ。留守の間、双子達が面倒をかけたわ。いつもありがとう」

「いえ……。あの、帰路で狼に襲われたと聞きましたが」


 すると間に立っていた双子達がピンッと耳を立てて騒ぎ出す。

「おおかみ! おおかみいたの? いっぱいいた?」

「黒い? おおかみ黒かった?」

 いたわよ、と自然に答えかけて、アマリエはふと首を傾げた。狼に襲われたのは事実だが、「いっぱい」なのも「黒い」狼だったのも、どうしてユッテとカミルは知っているのだろう。


 だがその答えは、ローザと双子達、そしてハインツを連れて城館の居間に向かう途中、双子達の口から知らされた。

「あのね、ユッテ達も見にいったの」

「お外にいるの、いっぱいいて鳴いてたの。だから見にいったのよ」

「見に? どこに?」

 ローザが不思議そうに問いかける。

「お外! でもね、見にいったらだめって、ハインツが階段のぼったらだめって……」

「じいにも怒られた……」

「うん? もう、分かるように言ってよ」

 焦れたようにローザは言う。そこでハインツが間に入り、少し前に双子達が外の森を見たいと城館を抜け出して北の城壁の塔に上ろうとしたこと告げると、アマリエは双子達の「おいた」にあらと小さく声を上げたが、話自体は通じたらしい。


「お外に、狼がいっぱいいるのが分かったの? 黒い狼っていうのはどうして?」

 だが、ややアマリエの問い方は双子達を戸惑わせたようだ。ホルガーに怒られたことを思い出し、母にも同じように叱られると思ったのか、二人ともとたんに口をつぐんで目を逸らしはじめた。こうなると、母であるアマリエにも二人の話は訳が分からない。

 だが二人の四歳という年齢を考えれば、さらなる追求は意味がないことのように思えた。もじもじと黙り込んだ二人に、アマリエは安心させようと笑いかけ、「まあいいわ」と話を切り替えた。


 ちょうどその時、ついてきていた使用人が夕食の時間を尋ねてきた。

「私、おなか空いた!」

 ローザが子どもらしく声を上げる。その下から「ごはん! ごはん!」とユッテとカミルも大合唱だ。

 アマリエが窓の外を見ると、すでに西の空を夕焼けが赤く染め上げている。

「じゃあ、今日は早めに頂きましょうか。ジェラルドはいろいろ残務に時間がかかると言っていたから、子ども達だけ先にね」

「そういえば、旦那様は? ご一緒に戻られたのではなかったのですか?」

 ハインツの問いに、アマリエは「門までは」と答えた。騎士団長であるジェラルドはそのまま執務室のある、城館と隣り合わせた主館へ入ってしまったらしい。


 食堂に殺到する三人の子達の背中を見ながら、アマリエはハインツも一緒にと夕食に誘った。

「王都の宮廷図書館から本も借りてきたのよ。何重にも布に巻いて荷物の奥に入れていたから、これは汚れずにすんだみたい。後で写すのを手伝ってね。もちろん、いつでも好きに読んでもらって構わないから」

「……ありがとうございます」

「今回は王室からの招きだったから私とローザだけだけど、次に機会があったら貴方も連れて行くわ。なかなか面白い話が聞けたのよ。きっと貴方にとってもためになるわ」

 剣や馬術よりも書物とその研究を好むハインツを、学者肌のアマリエは気に入っている。邪念の無いアマリエの言葉に、再度ハインツは頭を下げた。




 その晩、ハインツは城主ジェラルドに呼ばれ彼の自室の扉をノックした。

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