6 黒き襲撃者たち

 ――病は次々に人の命を奪っていった。

 人々は薬を求め、乙女の薬草園へ押しかけた。この病はほとんどの薬が効かなかったが、不思議と乙女の調合する薬湯だけは効果があったのである。


 乙女は懸命に薬を作り続けた。しかしその薬は調合のために必要な薬草の種類も多く、しかも生育にも時間がかかった。とても人々が求めるだけの薬を作ることができない。それに怒った人々は、乙女の薬草園に火をつけたのだった。




「……ねえ、なんでそんなことするのかしら。乙女は何も悪くないのに」

 ローザは決まって、このくだりでそう文句を言う。何度聞いても納得できぬらしい。アマリエはローザの頭を撫でて「そうね」と呟いた。

「人々は伝染病のせいで恐慌状態になっていたの。そういう時は、こんな理不尽なことが良く起こるの。覚えておきなさい」

 ともすれば、この話はその手の教訓を伝えるためのおとぎ話なのだろうか。アマリエはそうも考えている。


 ローザが話の続きを急かし、アマリエも続けた。

「……乙女は人々の間に引きずり出されました。薬を出せ、と脅す人々に乙女は首を横に振ることしか出来ません」

「出せって、今自分たちが燃やしちゃったんじゃないの!」

 声をあげるローザに、アマリエが宥めるようにもう一度その頭を撫でた。

「燃えさかる薬草園の炎にあおられて、乙女は涙を流します。その時でした。人々達の耳に、闇を引き裂く低い遠吠えが――」




 ――そこでアマリエはとっさに声を飲み込んだ。


 ガタッと、馬車が大きく横揺れした。地面のおうとつにでも乗り上げたのか――いや違う。曳き馬のいななきが耳に飛び込む。何かに驚いたか、怯えたような甲高い声。もう一度馬車が大きく揺れ、馬車は突然速度を上げて乱暴に走り始めた。


「きゃあ!」

「ローザ!」


 何事か、と考える余裕もなく、アマリエはローザを抱きかかえ座席に伏せた。御者の「ハイッ、ハイッ!」という馬たちを制御しようとする慌てた怒声に、護衛兵たちが追いかけてくる気配。声。軋む車輪の音。


 そんな中、空気を切り裂く鋭い叫びが耳を打った。


 ウォオオオオオオ……ォン……!


 明らかに風の音とは異質な、生命の温もりを内包したかのような――そう、それは獣の遠吠えであった。


 かん高く、しかし重く厚みのあるその遠吠えに周囲はみな動きを止めた。

 犬のそれとも、森にしばしば現れる山犬のそれとも違う獣の声。

 今一度、風がうなりを上げる。再び、その声が風の芯となって響き渡った。


 ウォオオオオオオ……ォン……!

 ウォオオ、オオオオ……ォン!

 ウォオォォ……! ウォオォォ……オオォン!


 獣の咆哮に囲まれた瞬間、馬車がもう一度大きく前方に揺れた。アマリエは娘を抱きかかえたまま馬車の床に倒れ込んだ。瞬間、馬車の戸が開いて護衛兵が飛び込んできた。

「外へ!」

 兵はローザごとアマリエを抱きかかえ、文字通り馬車から飛び降りた。次いで御者もとうとう制御を諦めて自ら飛び降りる。よろけつつもなんとか地面に降りたアマリエとローザは、そのまま護衛兵に手を引かれて近くの大木の影に隠された。


 馬車の前には二本の槍が地面に突き刺さっていた。馬車を止めようと護衛兵達が投げたのだろう。その前で、悲痛な声を上げながら馬車の馬たちは暴れいななき、そのまま馬車ごと横転する。ずしん、という大きな音にアマリエ達が目を伏せると、その顔を照らしていた日差しに、ふと影が差した。


 ヒッと、アマリエの腕の中でローザが小さな悲鳴を上げた。


 周囲は街道とはいえ他に通行する人馬の姿は無く、天を突くような巨大な針葉樹林に囲まれている。暗く陰った枝葉の間から、グルル……と熱っぽいうめき声が響いていた。

 一度気づいてしまうと、それは次々に目についた。

 木々の枝、根元、鋭く尖った茂る葉のあちらこちらに、黒い影が赤い双眸を光らせてこちらを睨みつけている。その数、五、十、十数――いや、アマリエは途中で数えるのを止めた。

 数十どころか百近い黒い獣の影がアマリエと護衛兵達を取り囲んでいたのである。


「お……、狼?」


 ローザを抱きしめるアマリエの手が震える。御者が這うようにして彼女の側に寄ってきて、さらに護衛兵達が盾となるように周囲を囲む。だが明らかに多勢に無勢。あの狼たちが一斉に襲いかかってきたら抵抗などできようはずもないだろう。


 一段と鋭く、一匹の狼が吠えた。

 ウォオオオオオオ……ォン……!


 抱きしめたローザの身体が震えている。が、その口は僅かに開いて、訥々と小さな声をその唇に乗せていた。耳をすますと、それは先ほどのおとぎ話の続きだった。


「……闇を引き裂く低い遠吠えが響きました。満ちた月の光をさえぎる影。それは、巨大な一頭の狼でした。かつて乙女が病から救った、あの白金色の大狼です。……そして大狼は、人々から乙女を救いだしたのです……」


 そう、アマリエも無意識に思った。『狼と魔女』の伝説の狼は輝く白金色の毛皮に包まれている。しかし今自分たちを取り囲んでいるのは、森の影に溶け込むような漆黒の狼たちばかりだ。

 先ほどローザに聞かせていたおとぎ話の大狼が姿をなして現れたのなら恐れはすまい。だが、あきらかに話と違う、本物の狼たちは、自分たちをいとも簡単に引き裂くだろう。


 アマリエは周囲を見渡した。自分たちの盾となってくれている護衛兵達の背を見ながら、何か自分も、武器になる物を、と探し始める。

 ざわっと、空気が動いた。狼たちが一斉に行動を起こすべく呼吸を合わせたのだろうか。護衛兵達に緊張が走る。


 その時であった。

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