3 風の唸り声
「ごめんなさいぃ」
「ごめんなさいぃぃ」
塔の木戸が、二人の泣き声に共鳴してわずかに揺れたかに見えた。実際はその時吹き抜けた風のせいだったが、そう思わせるほどに二人の泣き声は大きく賑やかなものだった。
あの後駆け上ってきた兵士達に抱えられ階段から下ろされたユッテとカミルは、塔の外に並んで立たされていた。周囲を兵士達が遠巻きに取り囲み、その目の前には直立不動で上から二人を見下ろしているホルガーの姿があった。
「どれだけ探したとお思いか! 子どもだけで勝手なことしてはいけませぬと、何度言わせるおつもりです!」
雷のごとき声量でホルガーが叱りつけると、幼子達はまたびくっと身体を震わせて、目からは大粒の涙をボロボロと落とす。だが、二人ともに拗ねて俯いたりはせず、真っ直ぐにホルガーの顔を見上げて泣いている姿は、端から見れば子供らしい可愛らしさにあふれていて、見つめる周囲の兵士達は、だんだんと顔をほころばせた。
ただ一人、あきれ顔で佇むハインツを除いて。
そんな双子達の姿に負けたわけではないだろうが、ふう、とホルガーは一息つくと、腰をかがめて視線を二人のそれと同じ高さに合わせた。
「いったいこんな所で、何をなさるおつもりでしたか」
やや声を抑えて問うが、嗚咽としゃっくりに忙しい二人がわめく声はホルガーに解せる言葉にはならなかった。二人とも小さな手の甲で涙と鼻水を拭っているので、ホルガーはしょうがなくズボンのポケットから手布を取り出すと、カミル、そして次にユッテの顔を拭いてやった。
「おそと……」
手布の下で、ユッテの口元がもごもごと動く。
「お外?」
「おそと見たかったの……」
外――城砦の外、ということだろうか。
「お母上と姉君のお帰りが、待ちきれず?」
王都からの街道をこの城砦に向かう、母と姉を乗せた馬車を見つけたかった、そういうことだろうか。
だが、そう言うやいなや、とたんユッテとカミルの顔が喜色に満ちた。
「かあさま? あっ!」
「かあさまとねえさま、もう帰ってきた? まだ?」
まるでいま母と姉の存在を思い出したかのように破顔した二人に、ホルガーは小首を傾げた。
母達のことは関係ないのか。それとも当初はそれが目的でも、塔を上ることに夢中になって忘れてしまったのか。どちらかといえば後者の方がありえそうな気がしたが、ホルガーはよく分からぬ、という風に首を横に振って、気を取り直したように腰を上げた。
「まあ、よろしい。しかし今日のことはお父上とお母上にもきつく叱っていただきますぞ!」
「ええ!」
「やだー」
「やだ、ではござらん。さあ、もう帰りましょう。城館の方で皆様のお帰りを待ちますぞ」
再び顔をしかめていやいやをする双子の腕を、ホルガーは強引に引いた。
だがユッテは身体を揺するようにして暴れホルガーの腕を振り払い、「こらっ!」という叱責に背をどこぞへ走り出そうとする。が、飛び出した瞬間にその身体が前方の障害物に勢いよくぶつかった。たまたまその方向に立っていた、ハインツの脚に、である。
「いたぁい!」
「ユッテ様、痛いのは僕です」
素っ気なく言い捨て、ハインツは脚にしがみついたままのユッテを引き剥がそうとする。だがホルガーが背後で睨んでいるのに気づき、ユッテはハインツの後ろに回り込んだ。すると新しい遊びと思ったのか、カミルまでが走り寄ってもう一本の脚にしがみついた。
「……ねえ、何なんですか。お二人とも」
自分の身体を木か何かとでも思っているのか、しがみついたりよじのぼろうとする双子からなんとかハインツは逃れようとするが、周囲の兵士達はついには声を上げて笑いはじめる。
「ハインツはほんとうにお二人に懐かれてるなあ」
「生まれたときからお側にいたからね」
「ユッテ様は人見知りされる方なのに、ハインツだけは別なんだよ」
そんな様子にホルガーさえも、あきれ顔でこう言う始末である。
「しょうがない。ハインツ、そのままお二人を城館までお連れせよ」
「ええ?」
さらにはホルガーの説教がようやく終了したことにほっとした双子達が、揃って両手を挙げていた。
「ハインツ、だっこ!」
「ぼくも!」
「嫌ですよ! もう重いんですよ二人とも!」
そんなハインツの声は、大人達のさざめき合う笑い声にかき消されてしまっていた。
結局、右手をユッテ、左手をカミルに取られることでしぶしぶ了承したハインツは、二人を連れて、というよりは二人に連れられて、城砦のほぼ中央に位置する城主一家の城館へ向けて歩きはじめた。
ぐいぐいとハインツの手を引く双子達は真っ直ぐ真面目に歩いているとは言いがたく、右に寄ったり左に寄ったり思いもかけぬ方向に駆け出しそうになったりと、危なっかしいことこの上ない。その上兵士達はお役目終了とばかりに本来の持ち場に戻ってしまったし、後ろからついてくるホルガーも、ユッテとカミルのお好きなように、と、ハインツを助けてくれる気配はなかった。
ハインツは両手を反対方向に引っ張られたかと思えば、同じ方向に二倍の力で引きずられそうになったりと。そのたびに叱責を試みたりもするが、双子達はきゃっきゃと笑いながら楽しげで、ハインツの声など耳にも入らない。
ハインツにしても、慣れているのか諦めているのか、手を振り解くわけでもなく、子供の遠慮のない力に腕を振り回されながら、ゆっくりと歩調を合わせていた。
――ほんとうに、僕は子守じゃないんだけどね。
日常的にユッテとカミルにふりまわされるハインツの口癖だが、では何者か、と問われればハインツ本人も周囲も正確には答えられない。
ハインツ自身は五年前、森の中からふらりと現れ、そのまま城主ジェラルドに拾われた浮浪児だった。
垢じみたボロ布を巻き付けただけの小汚い姿と対照的に、白金の髪はつややかで肌も透けるように白かった。今よりさらに体つきは細く、背も低かった。
当初は言葉にも不自由していた。何を話しかけても奇妙な声を発するばかりで、知能が足りずにそれゆえ親から森に捨てられたのかと思われていたのだが、ジェラルドが「ハインツ」と名付けそれを自分の名前と理解したことをきっかけに、耳に入る人々の言葉を片っ端から記憶していき、砂地が勢いよく水を吸収するかのように、流暢な言葉を話すようになった。今では会話に不便がないどころか、嫌みや皮肉も朝飯前である。
年と共に身体も成長し、現在の正確な年齢は不明ながら、おそらく十五、六というところだろう。
ジェラルドはハインツに一応剣や乗馬も教えようとしたがこちらは本人の意志も技量もおぼつかず、反対に妻のアマリエが読み書きを教えてみるとめきめきと理解を示したので、今はアマリエ付きの従僕、あるいは執事見習いのような立場である――のだが、その実は。
「……カミル様、ちゃんと歩いてください。そんなに脚にまとわりつかれたら僕が転びます。ねえ、なんで僕の足の甲を踏んでるんですか?」
「いまぼく、ハインツの足からおりないれんしゅうしてるの!」
「何を言って……わっ! ユッテ様、いきなり走り出さないで! 肩が外れるでしょ」
「はずれる? 肩が、はずれるの? へん、へんなの!」
四歳の双子達、そしてこの場にいない十一歳の長女姫の格好の遊び相手として、すっかり重宝される存在となっていたのだった。その姿は本人がいかに否定しようとも、誰がどう見ても「子守」以外にはあり得なかった。
「……まったく」
自分の腰から下で大騒ぎしている二人の子どもから目を逸らして、ふと、ハインツは長く連なる外壁の内側に視線をやった。
高い外壁に遮られ、外の森はその枝葉の先ですら見ることはできない。ただ、ザアア……と時折激しく吹く風と、それにあおられるさざめきだけが耳を打つ。
それはまるで、命を宿した森が放つ咆哮。うなり声。内包する獣たちの意志のようだ。
ハインツは引き込まれるように耳をすました。
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