2 白金色の少年
「ユッテ様! カミル様!」
城砦のほぼ中央に建てられた城館の北側、主に倉庫や厩舎などが建ち並ぶ雑然とした一角に、しわがれた、しかし低いながらも良く通る声で双子の名を呼び続けている男の姿があった。
「お二人とも、どちらでございますか!」
男は白髪に、皺深い顔立ちで、年齢はといえば六十は超えているだろう。だが長身の背筋はしゃんと伸び、足取りも身のこなしもまだ老人のそれではない。
男の名はホルガーといい、かつてはウルムヴァルド騎士団で武名を馳せた騎士であった。
しかし今は剣も槍もその手にはなく、甲冑も着込んではいない。数年前に老齢を理由に騎士を引退してからは、かつては戦場で敵を威嚇し味方を鼓舞したその声量で、彼が仕える城主一家のじいやとして、主に末の双子達の後を追い、その名を叫んで探し回る毎日を送っているのだった。
この日も日課のように、城砦内の城館からこつぜんと姿を消したユッテとカミルの捜索網が、ホルガー指揮のもと広げられていた。
「見つかったか?」
「いえ」
「そちらはどうだ?」
「いません!」
幾人かの若い兵士を巻き込んで右往左往と走り回る。みな一様に真剣で、交わす言葉も余裕がない。
だがそのうちの一人の少年は、彼らの後をしぶしぶといった態でついていくだけである。
背は高いが、細い体つきからして兵士ではない。くたびれてはいるが清潔な白いシャツに飾り気のないズボン。肌の色も白く、やや伸びた白金の髪を後ろで無造作に束ねていた。ホルガーや兵士達の手前、ちらちらと周囲に視線こそやっているが、声を上げる振りして口元に当てた手で噛み殺した欠伸を隠している。
そんな姿を見とがめられたわけでもあるまいが、突如ホルガーの大声に名を呼ばれ、少年は思わず欠伸をごくりと飲み込んだ。
「ハインツ! 姫様達はいたか?」
ハインツは肩をすくめて首を横に振った。
やや距離があったが、やる気のないハインツの表情が見えたのだろうか。ホルガーはさらなる大声で「真面目に探さんか!」と怒鳴りつけると、また双子の名前を呼びながら別の建物の影に入っていった。その背を見送りつつハインツは呟いた。
「真面目にと言われても、僕は別に、あの二人の子守でもなんでもないんだけど……」
だがそんな独白は、双子の捜索に慌てふためくホルガーの声にむなしくかき消えていく。
ホルガーと兵士達は辺りを見渡しつつ、各建物の中、積まれた荷の後ろなどを一つ一つ確認していた。しかし目当ての二人が見つからないことに眉根をしかめ、こめかみに指を当て溜息とともに小さく声を漏らした。
「姫様も若君様も……まったく」
ホルガーは繰り言すらも大声で、兵士達もそれが独り言なのか返答を求められているのか迷いながらも、みな聞き流している。
「しかし、わしもなにゆえいつもどおりに外で遊ばせてしまったのか。それも、どうして一瞬たりとはいえ目を離してしまったのか。朝からユッテ様もカミル様も常ならずはしゃいでおられたのに、のう。今日は、王都から奥様とローザ様が帰ってくると。いつ帰るのか、いつ帰るのかと何度もおっしゃられて……」
言いながら、ホルガーは一度盛大な溜息をついた。
王都から城主の妻であるアマリエと長女ローザを乗せた馬車が、この城砦に向けて出発したとの報がもたらされたのは今朝のことだった。
双子のユッテとカミルよりもやや年長、十一歳になる城主の長女ローザは、王都に招かれた高名な学者の講義を特別に受講することを許され、三日ほど前から母のアマリエの付き添いで王都へ遊学に出ていたのである。
母親へはもちろんのこと、姉にもたいそう懐いているユッテ達は二人の不在をひどくさみしがり、思い出しては「かあさまは?」「ねえさまはまだ?」と周囲に尋ねていた。そして今日ようやく帰ってくることを知って、待ちきれずに二人だけで出迎えに行ったのだろう――一家のじいやであるホルガーは、遊ばせていた城館の前庭から二人が忽然と姿を消したと気付いた時、まずそう思ったのだ。
だが王都から帰還する馬車が必ず通る城砦東の門までの道に二人の姿は無く、門兵も見ていないという。引き返してみても、城主一家の住まいである城館の中、その庭、よく遊び場にしている裏庭の薬草園にも姿がない。
焦ったホルガーは、あとはこの北側の一角だろうと見当をつけ踏み込んだのだが、見つからないままに、そろそろ一時間ほど経過しようとしていた。もともとあまり人気の無い付近でもあり、この場の兵士や人足達に問いただしても、二人の姿を見たという話は中々得られなかった。
雲がかかった陽の光が、やや西に傾きはじめている。
右往左往するホルガーに、兵士たちは見かねて声をかけた。
「ともかく、もう少しお探しましょう。どこかの倉庫か小屋に入り込んでらっしゃるかもしれません」
「屋根の上も、足場さえあれば簡単に上ってしまえます。下ばかりでなく上も見なければ」
「なにぶんまだ幼くていらっしゃいますから、穴などを見つけたら潜りたくなるでしょう。子どもなら入れそうな隙間もくまなく」
兵士達の慰めにも似た声に、うむ、うむとホルガーは頷き、もう一度声を張り上げて双子達の名を呼び始めた。
その様子を少し離れた後方から無言で眺めていたハインツは、皆が見過ごしているように思える方向に足を向けた。
たった今、ホルガーが横切った何の変哲もない目立たぬ小道を、ハインツは奥へ奥へと進んでいく
小道の突き当たりは北側の外壁になっていた。その外壁の向こうはうっそうと茂る針葉樹林の森である。ハインツはその手前で立ち止まり、しばらくの間、石を積み上げた外壁を見上げて佇んでいた。
ザワザワザワザワ……。目を閉じると、風が起こす森の枝葉のざわめきが、何かの声のようにも聞こえてくる。
やがてハインツはゆっくりと視線を横にやった。外壁に沿う形で建てられた北西の物見塔と、その木戸が見える。
ハインツは塔に近寄り、そっと木戸を押し開いた。中は暗く、壁際の蝋燭の灯りと遥か上のちいさな窓から注ぐ日差しの光は、とても頼りなかった。一見したところ、壁際に積まれた木箱や樽が認められる。もしやその影に、と近寄ってみても二人の姿は無かった。
――が。
この塔の内壁に沿って、上の物見窓までらせん階段が続いていることはハインツも知っていた。らせん階段の内側には柵が無い。訓練された兵士達が駆け上るのに、柵など無くても落ちる者などいないのだから。
だが、そのらせん階段の遥か上、建物の階数で言えばゆうに三階部分くらいであろう段を、よちよちと上っていく幼子の姿を、ハインツは見つけてしまった。
一人は壁に両手をつけ、横歩きのように段を一段一段上っている。その少し後ろを、四つん這いになったもう一人は這うようによじ上っていた。
「……いた」
たいして感慨もなく呟いたその時、ハインツの後を追ってきたのかそれとも自分でこの塔の木戸を見つけたのか、背後からホルガー配下の兵士が塔の内部に入ってきた。とたん、見つけた双子の姿に思わず声を上げかける。
シッと、ハインツは反射的に手をかざして兵士の声を止めた。
柵も何もない階段である。大声で驚かせれば、集中を切らせてそのまま落ちてしまうかもしれない。
黙らせた兵士をそのままに、ハインツは即座に行動に出た。とんっと一度跳ねるように駆け出すと、らせん階段を上りはじめる。ひたひたと最小限の足音で、幼子二人に気づかれないように背後から忍び寄る。見上げる兵士はハインツの疾風のような身のこなしに驚かずにはいられなかった。
ハインツはまずカミルの身体を抱き取った。
「……あ!」
そしてその二段上、壁に貼り付くようにして横歩きしていたユッテの背を、手を伸ばしてそのまま壁に押しつける。
「……ひやあ!」
突然のハインツの登場に、何が起こったのか二人は理解していないようだった。それで良かった。腕の中で暴れられては三人もろとも、柵のない段から下に落ちてしまうかもしれない。
二人の幼子はまだ驚きが解けないのか、ハインツの腕に押さえ込まれて身を固くさせている。
下がざわついていた。聞きつけ駆けつけた兵士達が木戸の辺りからこちらを見上げていた。
「ハインツ?」
「あ、ハインツだ」
自分を抱えている腕の主が誰なのか、双子達はいまさらに気づいたらしい。間延びした声で名を呼ばれてようやくハインツはふうと小さく息を吐いた。
「本当に、なにをやっているんですか二人とも」
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