第一章
1 緑眼の双生児
深き森に包まれたウルムヴァルド王国。
その中央に築かれた王都より、北へ延びた街道近くのやや小高い丘の上。そこに石造りの城砦がそびえたっている。針葉樹林の深い緑の森の中、周囲をぐるりと巡る厚い石塀に囲まれたこの城砦は、ウルムヴァルド騎士団の長年の拠点であった。
街道に面した東の大門を潜ると、城砦内には武器庫、練兵場、兵舎、厩舎、大規模な籠城にも耐えうる食料庫など幾つもの建物が並び、騎兵や歩兵達、馬車や荷台に載せられた武器糧食などの積み荷が、日々行き交い、騒々しく土煙を立てている。
そんな雑然とした空気の中を、二つの気配がひそやかに、あちらの物陰こちらの裏道に身を隠しながら、ちょこちょこと移動していた。
その動きはけして俊敏とは言えず、おそらく本人達の想像以上に隠密さには長けていなかった。
槍を背負い歩く兵士が小動物のような気配を感じて振り返ると、馬番が積んでおいた藁の山の後ろにさっと飛び込む影が見えた気がしたし、荷車を引く人足が小道の隅から声が聞こえ横を向くと、大雨の時以外は乾いた側溝の中にひょいと飛び降りる影がいたような気がした。
だが彼らは己の職務に忙しく、見えたような気がした何かにそれ以上気をとられることなくその場を去って行く。それに安堵し、気配はさらに城砦内を、てとてとという可愛らしい足音を立てながら小走りに駆け抜けていくのであった。
それは、大人の腰程までも足りぬ背丈の、二人の幼児の影であった。
二人はやがて城砦の外壁の内側までたどり着いた。
走り寄った勢いを殺すことが出来ず、小さな葉っぱのような両手をぱんと開いて、壁に手を付いてようやく止まる。一人はそうやって止まったが、もう一人のちいさいほう――その差はほんの僅かであったが――は、手を出す時を計り損ねて、身体ごとぶつかりその反動でころんと後ろに尻餅をついた。
体重が軽いため額を赤くすりむいた程度だったが、ぶつけた痛みと衝撃に驚いたのか、みずみずしい果実のような頬と口元をふにっとゆがませて、ひーんと小さな声を立てる。
そうして泣き始めた弟を、姉は声をひそめながらも叱咤した。
「こけたくらいで、泣かないの」
ぷうっと口を膨らませながらも、姉は弟の手を引いて立たせようとする。しかしまだ小さな姉にも弟の身体は支えきれず、反動で二人はそのまま地面にごろりと転がった。
姉のユッテは、もう、もう、と言いながら立ち上がって、小さな身体ぴったりにあつらえた足首まであるスカートの裾を払い、ついた枯れ草を落とした。
「いくよ」
「まって、まって、ユッテ」
外壁に沿って再び走り始めた姉を、弟のカミルは慌てて追いかけた。
二人は双子だった。
姉のユッテと弟のカミルは共に四歳。
本来ならば人馬が行き交う騎士団の駐屯地たる城砦に、彼らのような幼子の姿などあるわけがない。しかし二人は大柄な騎士たち、馬のいななき、武器の触れあう金属音に恐れを感じる様子もなく、勝手知ったるとばかりに城壁にそって走っている。
ただ、大人の側を離れ二人だけでいるところが見つかると怒られ連れ戻されているのが分かっているのか、人目につきそうな場所は避け、人の気配を察知するとさっと身を隠す所作にも慣れているようだ。
走りつつ、時折身を隠しつつ、小動物的な駆け足で走り続けていた二人は、やがて目的の場所にたどり着いた。
姉のユッテが立ち止まると、姉に遅れまいと歯を食いしばって駆けていたカミルがその背にぶつかる。一生懸命に走る内いつしか目をぎゅっと閉じていたのだ。甲高い声を上げながら二人はその場でまたごろごろと転げると、下敷きになったユッテが遠慮無くカミルの顔と頭を両手のひらでパチパチと叩いた。
「なんでぶつかるの!」
「だってユッテがとまるから」
ふにゅっと顔を歪めて、カミルはまた半泣きになりつつそう反論する。
「ついたのよ、ここ。ここ」
ユッテはすくっと立ち上がると上を見上げ、勢いよくぴょんぴょんと何度か跳ねながら人差し指で天を指した。つられ、カミルも起きあがるとほぼ垂直に顎をあげて上を見た。
「あれ?」
「そう、あそこ。あそこからお外がみえるの」
ユッテが指した先は、城壁の八方に建てられた物見のための塔である。
ここは城砦の北西に位置し、兵士達から「北西の物見塔」と呼ばれていた。城壁と同じ石を円柱状に積み上げ、先端の高さは城壁をやや越える。内部は空洞になっており、一番高いところには城砦の外に向けて、物見のための窓のような穴が開いていた。
金の紋章が燦めくウルムヴァルトの国旗が、尖った屋根の上にはためいている。
ユッテは辺りに人がいないことを、大げさに首を振って確かめてから、塔の内部につづく両開きの木戸を押し開けた。かんぬきが下りていなくて幸いだ。錠前は無く城壁の内側からは誰でも開けられるようになっていたが、重い鉄製のかんぬきはとてもユッテとカミルの力で上げられるものではない。
中は広く、がらんとしていた。壁から吊された燭台の小さな光が、隅に積まれている木箱や樽をぼんやりと浮かび上がらせている。その傍らに、塔の内壁に沿って上に伸びるらせん階段があった。
木戸を開け放したまま、ユッテとカミルは一番下の段に取りついた。
最初の数段は大人の足でも大股に踏み込まねば上れぬような高い段になっていた。ちょうど立ったユッテの、肩ほどまでの高さである。ユッテは両手を上段に投げ出して、うんしょと声を上げてよじ登りはじめた。腕に力を込めて上半身を引き上げる。腹を乗せられれば、あとは這うようにして身体を持ち上げ、足を伸ばして段の端に足の指先を引っかけた。そうやって一段上るだけで、子供の遊び着ではあったが裾の長いきちんとしたドレスが土埃に汚れた。
カミルも後に従った。だがわずかではあったがユッテよりも背の低いカミルは、腕の力を使って飛び上がっても、上半身を上段に預けることができない。何度かぴょんぴょんと跳ねてもその努力は無駄になり、やがてさらに上段によじ登りはじめている姉の名を、涙混じりの声で呼んだ。
「ユッテ、できない……」
振り返ったユッテはしかめっ面だ。
「がんばって」
「のぼれない」
ひっひと声に嗚咽が混じり出すと、ユッテはしぶしぶカミルの腕を取り、渾身の力で引っ張り上げた。
んーんーと、二人の力む声が重なり、時にぶれながら、カミルは必死に足を段にかけようとする。二人とも顔を真っ赤にしてようやくカミルの足先が段の上に姿を現すと、腹ばいになったカミルは横に転げるようにして、ユッテにぶつかりながらもなんとか段の上に身体を乗せることが出来た。
カミルの絹のシャツに裾のしぼんだズボン、飾り紐のついたベストももう埃だらけだ。しかしカミルは嬉しげに高い声を出した。
「のれた!」
「ほら、つぎ行って、はやく」
今度はカミルを先に行かせようと、ユッテはカミルの背を押して次の段に取りつかせる。後ろから押し上げてやると、今度はそれほど苦も無くカミルは上段に上ることができた。むしろその後でユッテの方が二、三度足を滑らせて失敗してから、ようやく上れたほどだ。
数段そうやって二人で協力しながら上ると、後は段差が狭まりユッテ達の足でも一段一段歩いて上れるようになった。だがカミルにはまだ高さを感じられるのだろう、両手を前について四つん這いになりながら上っていく。
はるか高くに開いている物見窓。そこから差し込む陽の光を目指して、内壁に沿ってぐるぐると上へ続くらせん階段を、二人はそうしてゆっくりと上っていった。
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