9 結構危ない感じ


 中庭からオールドアのラウンジへ続く扉をそっと開けて来留芽達は中に入った。しかし、この場所はあまり客を通さない。そのため、薄暗いままだった。とりあえず、とその部屋の電気を点ける。


「お客様もいるということなら、相談室か会議室かどちらかだと思う」


 そう言いながら、来留芽はオールドアの各部屋の使用状況を確認できるホワイトボードの前に立つ。使用中の文字があるのは会議室だった。ついでに社員の状況が書かれている方を見れば、オールドアに戻って来ているのは間違いなく樹のようだ。


「外でちょうど会ったのかも。……遭遇したのがあの祟りものじゃなければ良いけど」

「怖いこと言わないでよ、古戸さん。この時間にオールドアの客って言ったらノブや悠里だろ。大怪我なんてされたら困る」


 そういえばSTINAの他のメンバーもオールドアに来る予定だったのだと思い出す。彼等があの祟りものと遭遇してしまったらきっと大怪我では済まないだろう。とはいえ、それを口に出して無駄に怖がらせる必要もない。


「とりあえず、会議室に向かおう」


 会議室という名前にしている部屋は二つある。一つは一般のお客様をよく通す第一会議室だ。相談者の人数が多い場合はこちらになることが多い。もう一つは基本的に身内で行う会議に使う第二会議室だ。ただ、本当に裏事件が関係しているのであればこちらに通すことがある。霊能者がやって来た場合もそうだ。この部屋はそういった面でオールドアの面々に有利になるように調整されている。

 もっとも、冷暖房設備の動作具合によっては応接室へそのままということもあったりするが。


「ラウンジからすぐの会議室みたい。穂坂くんは初めて入るところだと思う」


 今回は第二会議室の方に通したらしい。STINAのメンバーも知らない相手ではないし、別に問題はないのだが、少しだけ疑問が湧いた。彼等は身内というには遠く、部外者とするには近いといった相手だ。第一会議室が空いている今、あえて第二に通すような何かがあったのだろうか。

 ――まぁ、それも入ってみれば分かること

 来留芽は微かに光が漏れている第二会議室の扉を叩いた。すぐにくぐもってはいたが間違いなく樹の声で返事が来たので穂坂に頷くと扉を開ける。


「失礼します――」


 その部屋には五人が座っていた。樹に三井和信、坂田悠里、和泉秀は分かるが、問題はもう一人……知らない男性がいることだ。四十代くらいで少し疲れたような影がある。ひょっとして彼が理由だったのかもしれない。


「やぁ、来たね、来留芽~」

「「お邪魔しています」」


 STINAのメンバーには頭を下げて挨拶をし、その隣に座る男性に目を向けた。


「初めまして、俺は天生目東高校の教師をしている出雲路余一だ」

「出雲路? まさか、出雲の縁類……」

「やっぱり通じるよな。あぁ、その通り、一応出雲路家は出雲の分家だな。ただ、俺自身はもう縁を切っているから干渉はしてこないはずだ。ただ、今の所属が本部だから、そちらの方から何か言われるかもしれない」

「まぁ、本部の方はオールドアの担当が何とか躱すから大丈夫。それより、天生目東高校の教師ということは……」


 来留芽は今回の依頼者となる二人をちらりと見た。確か、彼等が通っているところがその高校だったと記憶している。


「ああ、この二人……三井と坂田と一緒だな。今回の異変についても情報がある。それを提供するから、どうか協力して生徒達を助けてもらえないかと頼みに来たんだ」


 全員が座ってから、出雲路はそう言うとテーブルに両手をつけて頭を下げてくる。そこまでしなくても、と来留芽は思ったが、彼の正面に座る樹は無言で偉そうに腕を組んだままだった。しかし、すぐに溜め息を吐く。


「とはいえ、ただじゃ引き受けないよ~」

「そこは分かっている。そちらの通常の依頼料に加えて口止め料を兼ねた上乗せ……そうだな、上質な紙の融通でどうだ? 出雲も使っている紙だ」

「まぁまぁの提案だね~」

「これ以上はさすがに出せねぇぞ」

「仕方ないか~」


 出雲路の言った“上質な紙”とは、呪符などに使う霊紙のことをいう。霊山や霊水を保有していてもそれを加工して活用するにはまた技術がいる。オールドアに足りない部分だ。今までは極僅かな物資で何とかしていたが、霊紙だけでも手に入りやすくなるのはありがたい。十分オールドアに利がある提案だったのだが、どうやら樹はそれ以上を狙っていたようで、にっこり笑顔が黒眩しい。


「でも、本部所属の霊能者がいるってことは、天生目東高校の異変はそちらも当然知っているのでは? オールドアに協力を取り付ける理由が分からない」


 本部の霊能者が所属しているというのなら、その場所は本部の管轄下にあるはずなのだ。最初に対応に乗り出すべきなのは本部であり、そこと仲良くはしていないオールドアが頼られるということには疑問を持たずにいられない。

 裏のことはよく知らない穂坂達は首を傾げているが、何やら重要なことを話していると判断したのか、黙っていてくれている。それに甘えさせてもらうことにして、来留芽は出雲路の言葉を待つ。


「あ~……何て言うかな、今はちっと面倒な時期なんだよ。裏警察に動いてもらうにはなぁ……」

「裏警察~? あ、ってことは三笠の協力者だったり?」

「あん? 何でお前が知っているんだ」


 そう言って怪訝な目を樹の方に向けてから、出雲路はしまったというような顔になる。その問い返しこそが真実を物語っていた。おそらく、彼は三笠などが水面下で進めている協会の改革に協力者として関わっている。


「ま、三笠のことは知らない相手じゃないし~。というか、うちの巴の兄達とかガッツリ関わっていたよね~?」

「そんな感じのことを言っていた記憶はある」


 協会幹部の刷新という、他に聞かれてはならない大それたことを言っていた。それが実際に叶うかどうかは分からないが、やはり静かに動いてはいたようだ。来留芽のところにまでその話が来ないのは社長が自分の判断で止めているのか、それともあえてオールドアなど組織的な外部には話さずにいるのか。


「マジか……三笠、お前はいったいどこまで話を持っていっているんだ? 収拾がつかなくなっても手伝わんぞ、俺は」


 出雲路は天井を仰いでぶつぶつと呟く。来留芽達が彼等の動きについて一端でも知っていたのが意外だったらしい。

 出雲路は第一印象では鷹揚に構えている感じであったのに、時間が経つにつれて苦労人の部分が見えてきた気がする。


「っと、そっちのことは今はどうでも良いんだった。本題を差し置いて個人的な話にしてしまって悪いな、三井、坂田」

「いえ、どのみち必要な説明だったと思いますし」

「僕達じゃ説明しきれない部分だもんね」


 それぞれそう言ってから三井と坂田の二人は互いにちらりと視線を向け合う。その無言のやり取りの中で説明役を押し付け合っていた。


「……はぁ、では、俺から」


 競り負けたらしい三井が追加で調べたものについて話し出す。


「実は、情報が欲しいと言われていた蜘蛛の生育状況については出雲路先生に止められたのでないんです。まずはそれを謝っておきます」

「いや、本職の霊能者がそう言ったのならそれに従って正解だったと思う」

「私としても、無理はして欲しくなかったから。責めるつもりはない」

「そう、か。では、もう一つの方……無気力になる生徒の校内での記憶についてなんですが……」


 サンプルは一人。とはいえ、校内での記憶は山岳部の教室でのことのみ曖昧になっていると分かったのは大きい。


「う~ん、結構危ない感じだね~」

「樹兄の話し方だとそれが薄れて感じるけど」

「これはもう癖だからね~」


 しかし本気になったとき、それがなくなることを来留芽は知っている。


「それはともかく、人の記憶まで干渉できるとなると対処も大変かもしれない」


 記憶が曖昧だと危機感も薄まるのだ。だから、行ってはならない場所にまた行ってしまったりする。

 樹と来留芽は深刻な顔をして視線を交わした。


「だね~。結構な影響を及ぼしているみたいだし、蜘蛛はやっぱりあやかしだろうね~」

「話を聞く限り、天生目東高校は蜘蛛の餌場にされているのかもしれない」

「えさ……? 最悪じゃん」


 STINAのメンバーが顔を青くする。特に三井や坂田はそれが顕著だった。自分達が餌箱の中で生活していたと分かればそうなるだろう。

 それに追い打ちをかけるようで申し訳ない気もしたが、来留芽は本当に危ない状況なのだと頷いた。


「そう。早く対処しないとどんどん蜘蛛は力をつけてしまう」


 おそらく、生徒達が無気力なのは精気を吸われているからだ。精気は生きる力でもある。人間であれば毎日の生活の中で自然と回復するものなのだが、吸われ続けてしまうといつかはなくなるだろう。その先に待つのは“死”のみ。


「ついでに言うと、守る方については定評がある出雲式の術でも完全に守りきれたのは五十に満たない。あれは相当力を持っているぞ」

「ということは、生徒達を守りながらっていうのは難しい。例えオールドアから人を出したとしても」

「生徒達に少しでも耐性がつけば楽だけどね~。危機感の欠片でもあれば避けてくれるし」


 出雲路は難しい顔になって腕を組み、来留芽も同じようにして考え込み、樹は頭の後ろで手を組みながら笑ってそう言っていた。しかし、樹が言うように耐性がついた場合、確かに危機感を覚えて問題の部屋を理由は分からずとも避けるように動く人が増えるかもしれない。少なくとも遠隔で精気を吸われることはなくなりそうだ。ただし、蜘蛛の糸が見えてしまったり、異常に気が付いて大騒動に発展してしまう可能性が高い。容易に取ることは出来ない選択肢だろう。


「耐性? って、古戸さん、あのピックみたいなのがあればおれみたいな体質じゃなくてもつくの?」


 耐性という言葉を少し前に聞いたばかりだった穂坂が反応する。しかし、言っていることは同じだが、やろうとしている規模が違うのだ。

 それよりも、まだ報告もしていなかったことについて樹に気付かれたかもしれない。知られたらおそらく叱られる。思わず顔を向けてみれば、訝しげな視線が刺さった。


「ピック? 来留芽~……もしかして、蔵から何か持ち出した~?」

「……二つだけ」


 わりと本気で怒りが覗く樹の瞳を見て、来留芽はすぐに降参してしまう。そして、穂坂のピックと自分の仕込み杖のことを話した。もちろん、出雲路など他の人もいるので話せる範囲でぼかしつつではあったが。


「なるほどね~。まぁ、縁があったということだろうし、それ自体は喜べるけどさ~。もうちょっと考えて行動しようね、来留芽。幸い、何もなかったみたいだけど相性が悪いものだって当然あるんだから。それと君、少し鼈甲を見せてもらえる~?」

「は、はい」


 冷静に怒っている樹に腰が引けた様子で穂坂は鼈甲を見せる。やはり勝手をしたと思っているのだろうか。蔵から持ち出す許可を出したのは来留芽なので責はこちらにあるのだ。あまり気にしないでもらいたかった。


「う~ん、ちゃんと選んでいるね。そして、君は選ばれている。これは誰にも引き離すことができないだろうね~」

「そうですか、良かった……」

「うん。売買契約を結んだら名実ともに君のものになるよ~」

「まぁそうですよね」


 あくまでも、売り物として扱う。鼈甲もそこは承知している様子で、大人しくしていた。


「あのさ、一つ聞いても良いかな?」

「良いよ~。何を聞きたいのかな~?」

「耐性云々の方に持っていくなら、ボク達のサプライズライブを利用できるんじゃない? 例えばさ、ボク達からのメッセージをカードにして渡すそのカードをほら、呪符とかにすれば生徒さんをまともにすること、できない?」


 ここまで静かに話の流れを眺めていた和泉が手を上げて一つ提案する。しかし、来留芽達は一様に難しい顔を崩せなかった。


「……ちょっと難しいね~。何しろ時間がないから生徒に渡る分の霊紙が用意できそうにないんだよ」

「情けないけど、オールドアは不得意な分野」

「そっか。良いアイデアじゃないかと思ったんだけどな」


 さほど残念そうな様子を見せずにそう言うと和泉は肩をすくめて下がった。


「でも、考えてみれば穂坂くん達は歌うことになるわけだ。……儀式的な意味を持たせられるかも」

「神楽って? でもね~、来留芽。今は神無月で殊更そういった願いが届きにくい時期だよ~? この近くはちょうど皆出払っているじゃん」

「つくも神がいる。その鼈甲でも良いはず。もしかしたら、この魔祓でも良いかもしれない」


 神楽は神様に奉じるもの。対価を求めるものではないが、人々はそこに様々な願いを込める。込められた願いは神様に届く。神様に届いた願いはそのまま力になるのだ。そして、その力が溢れて小さな奇跡が起きたりする。

 神楽が成立すれば、願いを受け取った神様……今回の場合はつくも神が力を増やし、ものに宿る力を増幅させることになるのだろう。そして、力ある存在を近くに感じた人はその手のものに敏くなる。耐性がつくのだ。


「できなくはないね~。でも、確実に行き渡る工夫が必要だよ~。それこそ、さっき彼が言ったように霊紙を配るとかね」

「俺達のネームバリューを考えれば手に取ってくれる人は多いと思いますけれど。ってかすぐに捨てられたらショックだって」

「やっぱりできない……?」

「三井、坂田、霊験あるものを作るのは大変なんだよ。数が要るとなれば余計にな……いや、だが、そういえばうちだったら何とかなるのか……?」


 出雲路は前半だけ説明するようにそう言うと、顎に手を当てて考え込んだ。そして、少ししたあと、バシリと膝を叩いて顔を上げる。


「……なるな。少しばかり籠上のところに納める分が減るけどまぁ大丈夫だろ」


 ――突破口が見つかったぞ

 幾分か明るい表情になった彼を見て、来留芽達も聞く姿勢を見せる。

 そうして決まったのは、STINAのサプライズライブを神楽に見立てて行い、問題の紙は出雲路が調達するというものだった。その皺寄せは籠上にいくというが、たいして仲の良くない家……むしろ敵対している家が苦労すると聞いたところでなんとも思わない。


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