6 穂坂の体質
もともと、この蔵にやって来たのは穂坂の体質を確認するためだった。とにもかくにも、彼が意識不明である状態は困るのだ。
「穂坂くん、大丈夫?」
来留芽は穂坂の肩をそっと揺らす。すると、すぐに彼は瞼を震わせて意識を取り戻していた。どうやら本当に意識が戻るぎりぎりで留め置かれていたようだ。容疑者の魔祓は反省したような様子もなく飄々としている。今の時点でもこの仕込み杖に振り回されそうな予感。もう少し手綱を握る方向で努力しなくてはならなさそうだ。
「うぅ……んん、何がどうなって……うわっ!? っ、痛ぇ」
目を開けた穂坂は自分達を囲むつくも神達を見たのだろう。驚いて飛び上がった拍子に背後の棚に思い切り後頭部をぶつけていた。
「もう分かったかもしれないけど、ここにいるのは皆つくも神」
「だよな。明らかに何か違うもんな」
「やっぱり分かる、と。それで、これ、御杖がどうやら穂坂くんが気を失うように誘導したみたい。ごめんなさい」
魔祓は来留芽にのみ許された呼び名なので外向けには御杖で通す。もちろん、魔祓と呼んでしまっても御杖と聞こえるはずなので大して気にする必要はないが。彼の紹介がてら経緯を説明し、穂坂に謝った。魔祓については睨んでもどこ吹く風。溜め息を吐くと来留芽は彼に反省を促すのを諦めた。
「うーん、分かった。でも、そっち側ってやっぱり結構危険だよね。大丈夫?」
『小僧、ろくに力を使えぬ分際でお嬢を案ずるか』
『御杖様が仕えるに値すると判断されたのよ。力扱えぬ者に心配される謂れはないわ』
「うわっ!」
「こら! あなた達は瞬間湯沸し器でもないはずだけど? 何を熱くなっているの」
さすがに見過ごせなくて口々に怒りを表し出したつくも神を叱ると、彼等は途端に勢いをなくしてしょんぼりしてしまう。
「何か、素直でかわいい感じだな」
『なっ、そ、そんなこと言ったって絆されはしないわ!』
『茶碗にかわいいと言われてものぅ、蒔絵なら良いだろうが』
思わずといった体で零れた穂坂の本音につくも神達はそれぞれ反応する。相当な年を経ている彼等であるが、妙に幼い性質も持っている。こうして蔵に押し込められ普通の人と同じ空間にいることがない彼等はその普通枠の穂坂の言葉には思わず反応してしまうのかもしれない。その一方でやはり経た年の分か、鋭い部分が見えることもあるのだ。
ちぐはぐさを感じることはあるが、そんな彼等が善き隣人として普通に受け入れられる世界はきっと毎日が愉快なのではないかと思う。今は叶わないことだが。
「それより、本題。そもそも私達は穂坂くんの体質について何か分かることないか聞きたいと思ってここに来たのだけど。何か気付くことは?」
『ふむ』
『ほむ』
『ムムッ』
つくも神達が代わる代わるやって来ては穂坂の目の前へ顔をずずっと出して戻っていく。来留芽は彼等の邪魔にならないようにと立ち上がり、下がる。ただ、じろじろと見られ続けた穂坂は終始固まっていた。状況に頭が追いついていないのだろう。
『
『じいちゃ、分かったのー?』
『ムムッ……まぁ、お嬢には及ばずといったところかの』
『『そりゃーそうだよ。とーしろさんだよー?』』
瓢箪型の花瓶の左右に簪の双子がまとわりついている。どちらも人の形を好んで取っているつくも神だ。おじいちゃんとその孫というような相性の良さがあるのか、よく一緒にいる。そのため、三つがそろっていないとへそを曲げるという問題があるためこの蔵に収められていた。
『見るという一点だけであれば主様のような霊能者と遜色ないようですね』
「魔祓?」
『お詫びに、というわけでもありませんが私なりに見て差し上げますよ』
瓢の花瓶を脇に避け、簪の双子の頭を撫でて穂坂に近付いた魔祓は腰を屈めてしっかりと目を合わせた。穂坂はそのつくも神の黒い瞳の奥に鋼の煌めきを見る。
「刀……?」
『おや、これは』
魔祓は驚いたように目を開くと姿勢を戻し、来留芽を振り返った。彼は何かが分かった様子だ。ただ、それを言うのに迷いがあるのか、なかなか次の言葉を話さない。
「分かったことがあれば何でも良いから教えて」
例え穂坂の体質が面倒なものだったとしても何とかする。それを受け入れるだけの度量が来留芽にないとでも思っているのだろうか。それは主を見くびっている。
仄かな怒りが漏れてしまったのか、たじろいだようになる魔祓。
『失礼しました。私が分かった限りの話にはなりますが、彼はどうやら――本質を見通す目を持っているようです』
「本質を見通す目?」
『例えばつくも神であればその依り品が何となく分かるという感じでしょう。実用的な水準ではなさそうですが、危ういですね。見ることは、見られること。なので幽霊などは特に惹かれてしまう。自分の未練を晴らせる可能性があるから。例え呪符を使っていたとしても何となく気付いてしまうでしょう』
「それは、厄介な」
魔祓が言うのを躊躇った理由が分かった。穂坂の体質はそのままにしておくのはとても危険。さりとて、極めてしまうには時間がかかるのであまり良い手とも言えない。どちらにせよ、来留芽もしくはオールドアと本人に負担がかかるのは間違いなかった。
『主様、彼の体質だと早々にこちら側に引き込んだ方がよろしいかと。このままでは無用な混乱を招くでしょう』
「それはだめ」
魔祓の進言を来留芽はすげなく退けた。これに関しては、一つ決めていたのだ。彼等を裏側に引き込まないと。華々しく活躍する未来があるSTINAの誰をも、裏側を理由にして欠けさせないと決めたのだ。
「あの、古戸さん」
穂坂が困ったような顔をしてそっと手を上げた。
「悪いけど、素人にも分かるように説明を頼むよ」
「あ、そうだ。こちらだけで進める話じゃなかった。ごめん、今から説明する」
来留芽は穂坂の体質について分かったことと問題点をそれぞれ説明した。そうしながら、解決策も考える。もはやこのまま何もしないという選択肢はなくなっていた。
とりあえず状況を理解したらしい穂坂は困った顔で頬を掻く。
「と、いうことは……おれ、普通に生活できないんじゃ?」
「穂坂くんが力をコントロールできるようになれば問題ない。けど、短期間にできるものでもないから……そこはよく考えて何とか方法を見つけないと」
「うわぁ……めっちゃ大変そうだ」
二人して頭を抱える。しかし、そう良いアイデアなど浮かばないものだ。
『あの、少しよろしいですかぁ?』
「蒔絵? 別に良いけど」
『まずは、謝らせてくださいな。最初にちょっと威圧してしまいましたぁ。ごめんなさい』
「あ、そうだったんだ。うん、まぁ、幸い怪我もないし良いよ」
『あぁ、とても良い子じゃないですかぁ。その、お詫びがてらなんですがぁ、一つ解決策になりそうなものでも提案させていただいてもよろしいでしょうか?』
「何か思い付いたならどんどん言って」
蒔絵はちらちらと魔祓と来留芽に目を向ける。願ってもないことなので教えてくれるように促した。
『私の前の持ち主がやっていたことなのですがぁ……』
蒔絵はどこか悲しげにそう話し出す。
彼女の前の主は裏側を知りつつも表側の人間であったという。ただし、その家族は裏側を知らなかった。だから、うっかり遭遇してしまったとき、その対処法が分からなくて怪我を負ってしまったのだ。
『奥様は霊障によって意識が戻らず、ほどなく亡くなってしまいました。しかし、お子は適応しようとしたところ、見えすぎてしまうようになったのですぅ』
そのことを知って、主は知り合いの神主に相談した。そして提案されたのは七日間神社の内で過ごし、霊的な力を馴染ませ抵抗力をつけるというものだったという。
「つまり、あえて霊的なものを近くに置くことで慣れさせると」
『そうですわぁ。今の浮世では難しいかもしれませんが、参考にはなるのではないかと思いますぅ』
おそらく、その神社で祀られていたのは目に関する神様だったのだろう。そして、どの時代かは分からないが今よりも信心深く神様も力があったからこそ成せたことだ。
「じゃあ、おれも神社に篭るの?」
「いや、今の時代ではそれは効果が薄い。だから、蒔絵の話を参考にすると、普段から持っているようなものに霊的なものを使えば良いと思う」
例えば呪符は紙でできている。その紙を使ってノートを作っても良い。他にも、霊木や霊水だってある。何かしら作ることはできるだろう。
「普段から持っているものか……何だろう。筆箱? でも、歌うときはさすがに持ってないし」
「できればいつでも携帯できるような小さいものが良いと思う。あと、世知辛いけど霊的な物も安くはできないから。それも考えて」
「そう、その問題がね!」
実のところを言えば霊水なら所有の山に行けば湧いているし、霊木なら樹が気軽に持ってくる。だから、まったく手に入らないというわけではないのだ。しかし、いろいろなことを考えて安売りはできない。
「うーん、何かないかな……普段持っていても違和感のないもの……」
『そういえば、先程歌と言っていましたね。楽器なども得意なのでしょうか』
魔祓がふとそう声をかける。穂坂は若干警戒しながらも頷いた。
「得意というほどじゃないけど、ギターは弾くよ」
『で、あれば最近入ってきたあれはどうでしょうか。簪、鼈甲の涙があったでしょう。連れてきなさい』
『『はーい』』
何を思い出したのか、魔祓が指示を出す。その慣れた様子に来留芽は何とも言えない気持ちを抱くが、黙っていた。とんでもないつくも神を従えることになったのかもしれない。
不思議な指示を受けて迷わず蔵の入口の方へ向かった簪の双子はほどなくして戻ってくると手の中にある小さな何かを来留芽に見せてきた。薄暗い蔵の中ではそれが何なのか良く分からない。
『鼈甲だよ!』
『呪物化しているの!』
双子の言葉に来留芽は出した手を引っ込めた。何てものを引っ張り出してきたのだ、この双子は。そう思って額に手を当てて深く息を吐く。
というか、またも元凶は魔祓だ。双子は彼の指示で動いたのだから。
「呪物化している物は厳重に保管されていたと記憶しているけど」
呪物とは、持ち主を呪う品のことだ。呪物にされてしまったのか、呪物になったのか、どちらかの流れを経ているわけだが、どちらにせよ危険性は変わらない。とはいえ、そうしたものも需要がまったくないというわけでもないのでオールドアにも一定数保管されている。持ち主になってしまうと呪われてしまうので厳重に封じられてのことだが……問題は、双子が持っている鼈甲の何かはその封じが解かれていることだ。
『解くのはかんたーん』
『それに、亀さん悪さしないもん』
「でも、呪物……」
つくも神に悪さをしないとしても、普通の人間は分からないだろう。
『主様、この鼈甲ばかりは大丈夫ですよ』
「なぜ?」
『これが呪物化したのはもともとの品がばらばらにされてしまったことが理由です。だから、次こそは持ち主が死ぬまで離れないという呪いを宿した。手放す、つまりは売る予定がないならば何の問題もないのですよ。むしろ、落としたとしても自力で戻って来てくれるのでありがたいほどでは?』
「ものは考えようだけど……」
『そして、ですね。これは霊能者の封印を易々すり抜けるほど繊細な力の扱いに優れているのです。実は、ここだけの話ですが自己修復もしているようで、長持ちすること間違いなし。将来、我々の仲間入りを果たすことでしょう。本体も小さいですし、おすすめですよ』
魔祓のセールストークを聞いているとなかなか悪くない品のように思えてくる。簪の手よりも小さいのだから持ち運びも楽だろう。
思わず頷きかけて来留芽は頭を振る。決めるのは穂坂なのだ。そして、小さい鼈甲の品とは一体何なのか知っておく必要がある。
来留芽は近くの棚に置いておいたランプを持つと簪の手を照らし出した。
「これは……エンブレムにありそうな形。何かの飾りの作りかけ?」
「違うよ、古戸さん。たぶん違う」
否定の言葉は思わぬ方向から来た。穂坂は灯りにつるりと光るそれをきらきらとした瞳で見つめていた。
「これ、たぶんピックだ。ギターのピック。トライアングルっていう形」
「ピック? 何でそんなものが鼈甲で?」
「意外と良い音が出るらしいよ。いつか使ってみたいと思っていたんだ。ただ、最近はどこも品薄で値段も跳ね上がっていたりしてなかなかね」
穂坂が言うには、鼈甲の原料となる亀が減少して絶滅危惧種となったため、新しく作られるものはほぼなくなってしまっているという。
『お目にかなったようですね。これにしてしまえばどうでしょうか?』
「……だけど、呪われるんだっけ。あ、手放さないから別に良いのか」
どうやら穂坂はかなり心揺れている様子だ。確かに言われたことが本当ならばまさに今の状況に合った品であると言えるだろう。
しかし、来留芽は妙にこの鼈甲ピックを勧める仕込み杖に疑問を抱く。まだ悩んでいる彼の思考の邪魔にならないように声を潜めて尋ねた。
「なぜそこまでしてそれを穂坂くんの所有にしたい?」
『――必要だからこそ、です』
魔祓は鋼の刃が見え隠れする瞳で来留芽を見据えた。その強い光に圧倒されて息を飲む。
『主様。我等つくも神は人を愛して生まれてくるのです。逆に言えば、人を愛せなければ生まれない。私は、つくも神になり得るこの鼈甲が人を愛する経験をし、いつか我等の新たな仲間となることを願っているのです』
「穂坂くんなら
『……ええ、その通りです』
来留芽は「うーん」と呟きながら悩んでいる穂坂を見る。確かに、いつかと望んでいた鼈甲ピックなのできっと彼は大切に使うだろう。摩耗する、しないに関わらず。そして、それだけ大切に使われた鼈甲はきっと彼を大切に思うだろう。
確かに、双方が幸せになる道が見えている。
しかし、それを選ぶかどうかは穂坂次第。
来留芽は穂坂にまとわりついて鼈甲を触らせようとする双子の襟首をむんずと掴み、引き離しつつ彼が心を決めるのを待った。
「――よし、決めた!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます