5 つくも神の品問い


 十月は神無月とも言われている。それは、全国の神々が出雲に集まり神様がいなくなるからだ。つくも神にしても“神”とつく以上、出雲へ行くものもある。とはいえ、日本全国津々浦々の神様が神無月になったからと一斉に向かうというわけではない。流石に守っている土地が無防備になるのはいただけないとして近くの土地の神が交代で行くことが多い。しかし、そもそも出雲へ行くつもりはないと言うものもいたりする。


「この蔵にいるつくも神の三分の一くらいはそうした頑固なタイプ。でも、経験は豊富だから穂坂くんについても何かに気付いてくれるかもしれない」

「ええと、今の話の流れ的に……融通の利かなさそうな頑固なつくも神におれは会わなきゃならないと。なるほど、心の準備がいるなぁ」

「いや、心の準備をして欲しいのはそこじゃない」

「え?」


 来留芽と穂坂は蔵の前に立っていた。今から開けて入ろうというそのときに言われたことに、穂坂の心臓が跳ねる。心の準備のしどころが違うと言われてしまえば心の準備どころではなくなるに決まっているだろう。


「まぁ、たぶん大丈夫。穂坂くん若いし心臓も丈夫だから」

「ちょっと待って保証して欲しいのはそこじゃない」


 忠告をしたその口で大丈夫だと保証の言葉を言われても信じるのには躊躇する。穂坂は慌てて時間的な余裕を求めて止めたのだが、あえなく蔵の扉は開かれてしまった。なぜか、魔物が口を開いたかのような凄味を感じて冷や汗をかく。


「そんなに不安なら手でもつないでおく?」

「や、流石にそれは……やっぱりお願い」


 一旦は遠慮しようとした穂坂だが、口を開けた蔵にヒュォォと吸い込まれるかのような風を感じて意見を翻した。

 まさか冗談で言ったことを本気にされるとは思いもしなかった来留芽は普通に蔵へ入ろうと一歩踏み込んだまま固まり、肩越しに穂坂を振り返る。顔を引きつらせて控えめに手を差し出しているその姿は冗談に見えない。


「……呑まれた? なら、仕方ないか」


 十六の少女にしては驚くほど気恥ずかしがる様子を見せずに来留芽は穂坂の手を取っていた。ちなみに来留芽の誕生日は八月。今は十六歳となっている。

 話を戻して、穂坂は見える人だとはいえ、まだ経験が浅く、こちら側のものについてはまだ知らないことが多い。きっと、つくも神が多くいる蔵を知らなかったのだろう。知らないから、恐れるのだ。

 それにしても……と来留芽は思う。それだけ異常さを感じたというのなら相当勘が良い。ひょっとしたら、穂坂は目が良いどころか磨けば光る能力も持っているのかもしれない。


「蔵の中はあまり光が入らないから」


 そう言って来留芽は入口の内側に置いてあるランプを手に取った。これも骨董に近い、年季の入った物だ。ランプ自体はだいたい明治の辺りで日本に入ってきたらしい。その頃のものであれば相当古いものとなるだろう。ただし、これは蔵の備品。いつ頃から使われているのかは分からないが、おそらくは趣味で備え付けてあるだけのものだ。

 ランプの灯りはゆらゆらと揺れ、その不規則さはどこか心を落ち着かせる魅力を感じる。ただし、不規則故にふとした拍子に揺れる影が人によっては恐ろしく感じてしまうこともあるのだと、今気が付いた。


「何か、動いたよな!?」

「……ただの影」


 蔵の入口の方にあるものは今、つくも神がいない。だから何かが動いたように見えたとしても、それはランプの明かりに揺れた影でしかないはずだ。もし鼠であったら猫を放さなくてはならないだろうが。猫……茄子ならしっかり取ってくれるだろうか。『ただの猫扱いすんじゃねぇ』などと言われそうだ。

 しかし、奥に進むにつれて、ランプに揺れる影もただの影だとは言えなくなっていく。


『おや、お嬢。久しぶりですなぁ』


 茶碗に目と手足をつけたような姿のつくも神が『よっこいしょ』と立ち上がった。見た目はまるで茶碗が幽体離脱したような感じで少しおかしな絵面だ。器物うつわもののあやかしはこうして自らの依り品の形を好むものが多い。一方で絵画や巻物、神具などは人の形を好む。


「っ!?」

『おや、仲良く手まで握って。ぼーいふれんどとやらの紹介ですかぁ?』

「っっ!?」


 茶碗のつくも神にビクッとした穂坂のすぐ後ろに口元に笑みを浮かべた女性が立ち、ふぅっと彼の首筋へ息を送った。さらに飛び上がった穂坂は混乱の極みに上り詰めてしまったのか、ふらっと倒れてしまった。棚や箱にぶつからないように咄嗟に支えて床に寝かせる。


『おや、軟弱な』

「蒔絵。何かした?」

『少しだけ試させてもらっただけですよぉ?』


 この蒔絵のつくも神は着物を着た女性の姿をしている。蒔絵の要素はその着物の柄にあった。黒地に金や銀の秋草が咲き、川が流れている。美しく、優雅な蒔絵は意外に悪戯好きで気難しい。


「試すほどの何かを穂坂くんに見たの?」

『どうでしょうかねぇ。お嬢が選んだにしては、こう、物慣れない感じがしましたけど……』

「それは、当然。穂坂くんは普通の人だから。あやかしが見えて特殊な体質の可能性があったりするけど」

『だから、気になったのですかねぇ』


 そのとき、最初に動いた茶碗が溜め息を吐くような動作をする。挨拶からの流れを蒔絵に取られたものの、長い時を過ごした中で培った寛容さを発揮して見守ることにしたのだろうか。茶碗は呆れたような目になっていた。


『蒔絵、たぶんお主勘違いしておったのだろう』

『おや、やっぱり。それに、ちょっと気を入れただけで目を回してしまうような男をお嬢が選ぶはずありませんものねぇ』

「ちょっと待って。気を入れたって……それより選ぶって何」


 何やら来留芽の与り知らぬところで何かの話があったかのようなやり取りだ。つくも神達の間だけで進みそうな話の流れを切って説明を求めた。


『済まないな、お嬢。さっきのは蒔絵の早とちりだ』

「聞いている限りはそんな気がした。何を考えていたの」


 来留芽はしゃがみ込み、床に倒れたままの穂坂の様子を確認する。特に怪我などはしていないようだ。ただ気を失っているだけだろう。


『お嬢が仲睦まじくやって来たのでよもや婿候補でも連れてきたのかと思ったのよ』

「むこ……」


 そのとんでもない勘違いに来留芽は二の句が継げなくなる。オールドアのつくも神はその多くが来留芽が生まれる前からここにいたり、やはり年長であるので親代わりの気持ちでもあったのだろう。しかし、ありがた迷惑だ。そもそも穂坂とはそのような関係ではないのだから。


『ごめんなさいねぇ。我等もお嬢の見る目は信じているのですけど』

「信じていたら私が連れてきた人を試したりはしないと思う。それより、気を入れた、とは?」

『それはちょっと威圧しただけですよぉ』

「ちょっとって言っても神気でしょ。それは、穂坂くんにはきついはず」

『ということは、特に霊能者ではないのでしょう。蒔絵、彼が起きたら誠心誠意謝りなさい』

御杖ごじょう様。はい、もちろんそうさせていただきますわ』


 まったく気配を悟らせずにすぐ近くに来ていたのは御杖と呼ばれているつくも神だった。穂坂を見下ろして目を細めている。見た目はゆったりとした黄朽葉色の服を着て穏やかな様子の優男だが、同じつくも神達からは一目置かれているようだ。しかし、不思議なことにまとう神気はひどく小さい。つまり、彼は自分の力をしっかり制御して隠している、油断のならない相手であるということだ。


「あなたは?」


 来留芽は緊張に強ばる体を何とか動かし、ゆっくりと立ち上がる。視線は御杖から離せなかった。少しでも油断をすれば喉をかき切られてしまいそうな危険な気配を感じたからだ。


『幼き日の貴女にはお会いしたことがございます。今は御杖、とお呼びください』

「依り品は?」

『どうぞ、貴女自身で導きくださればと』 

「そう。では、御杖」


 つくも神がその依り品を隠すとき――そこには、願いがある。

 主を持ち、道具として生まれた本分を果たしたいという願いが。彼等の在り方を肯定してくれと声なき声を上げているのだ。


「品問いを」


 それは、つくも神を従えるために行うもの。ただし、つくも神からの誘いがなくてはできない。彼等が主を見定める。これはそんな儀式なのだ。ちなみに、これされるとそれまで分かっていたそのつくも神の依り品についてまったく分からなくなってしまう。記憶まで隠されてしまうのだ。

 

『では問いましょう。我が依り品は?』


 そう問われて、来留芽は御杖を観察し始める。茶碗や蒔絵の例でも分かるように、つくも神はその外見でだいたいの方向が決まる。それが器物であれば器物の形に、絵画や巻物、神具などは人の形に。稀にその普通から外れた姿になるものもあるが……。

 彼はどうだろうか。

 ゆったりとした服を着て穏やかな様子。しかし、油断ならない存在だと来留芽の勘が告げている。そう、一枚めくれば鋭い刃が隠されていそうな危なさを感じていた。


「鋭い刃……武器?」


 来留芽は御杖をそっと見上げる。この穏やかな見た目には合わない気もするが、雰囲気だけ見ればそうでもなかった。

 御杖はそんな来留芽を見てスゥッと目を鋭く細めた。同時に、首もとのすれすれに刃が展開されているかのようなゾッとする気配を感じ取る。


『それが貴女の出した答えですか?』

「いや、それだと範囲が広すぎるから、もう少し絞るつもり」


 武器には短刀、脇差、太刀、直刀、薙刀……いくつもある。だから、武器というだけでは答えとして一歩足りない。そう感じた。

 御杖もそれには納得したようで鷹揚に頷いている。もし、あのまま武器を答えとしていたら……おそらく来留芽に命はなかった。彼は見た目に似合わず恐ろしいつくも神だ。

 ふと、彼の服装を考える。ゆったりとした服だが、特に柄はない。それもまた手がかりとなりうるのかもしれない。あの服だからこそ、来留芽はこう思ったのだ。芯の通った鋭い刃を隠していると。


「――隠している? ということは、もしかしたら……」


 確信はなかった。しかし、なぜかそれ以外に思いつかない。いや、思いつけない。

 来留芽は緊張に乾いた唇へ音を乗せる。


「あなたは――仕込み杖」

『それが貴女の出した答えですか?』

「そう」


 来留芽はゆっくりと頷く。御杖はその答えを噛みしめるかのように目を瞑り、立っていた。何も言われないことに小さな焦りが生まれる。周囲の音が一切聞こえず、ゴクリと自分が唾を飲む音が聞こえた。

 そのとき、彼は目を開く。そして深く引き込まれてしまいそうな笑みを浮かべた。


『正しく。私は仕込み杖。我が刀身は貴女のために。私は仕込み杖ではありますが、人よりもあやかし等の退治のために用いられてきました。きっとお役に立つでしょう。主様はどうぞ、魔祓まばらいとお呼びください』


 御杖、いや、魔祓が来留芽の前に跪き頭を垂れた。どうやら、来留芽はこの仕込み杖の主として認められたようだ。


「魔祓、これからよろしく」

『はい』


 何とか急な品問いにも対応できた安堵に来留芽は息を吐いた。そうして気が緩んだのを見計らったかのように、周囲のつくも神達が『わぁぁ!』と歓声を上げる。それに合わせてガタガタ、バサバサ、ガチャガチャと騒がしい。蔵を揺らすかのようなその音の奔流に来留芽は一気に現実に引き戻された。


「あ、そういえば穂坂くんは」


 蒔絵にいじめられて倒れたままだった穂坂のことを思い出し、来留芽は周囲を見回した。そして、近くの棚にもたれかかるようにしてある姿を見つける。品問いの影響を受けないように誰かしらが離れたところへ運んでくれたのだろう。


『あぁ、失礼しました。起こしましょうか』

「……魔祓?」


 まるで穂坂がまだ気を失っているのがまるで魔祓によるものだと言っているようではないか。来留芽のせいで穂坂は気絶させられたままだったかと思うと非常に申し訳ない気持ちになる。つくも神もやはり人とは違った存在であり、時として周囲への影響を軽視して傲慢に行動するのだ。


「どう説明しよう……」


 具体的には、依り品に戻らずそばに控えていようとする魔祓について。気配もどこか威圧的、威嚇的なままで、それを引っ込めるつもりはなさそうだ。穂坂自身はかなりそうした気配に敏い可能性が高いので目を覚ましたとしても気圧されて落ち着けなさそうだ。

 魔祓には大人しくしていて欲しいが、言って聞くかどうか。

 来留芽はちらりと見上げてみる。にっこりと頑固そうな気配を滲ませた笑みが返ってきた。これは意地でも側に控えるつもりだろう。そう悟った来留芽はどのようにして角が立たないように取り持とうかと頭を悩ませるのだった。


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