体育祭小編
生まれ変わりも悪くない
『……これで、貴方を自由にしてあげられます』
『私はずっと貴方を解放することを願っていました。それを今、叶えるのです』
『――静希。優しい人……ありがとう』
はっとして私は目を覚ましました。時計を見れば、午前二時を指しています。どうやらまた夢を見ていたみたいです。今回はとても大切だった人と別れる夢。愛しさを突き放すのに胸が苦しくて、でも使命を果たしたかのような満足感もあって……やっぱり悲しくて。仰向けになって瞑った私の目の端からは絶えず涙が零れていました。
夢の中で私は無色忍葉と名乗っていました。記憶の始まりは忍葉が三歳くらいのときだったと思います。毎日の夢の中で飛び飛びに忍葉の成長を追っていました。そして、一月ほど前にそれは忍葉の死を以て終わったはずでした。けれど、数日前から続きが始まったのです。
何を言っているのか、ですか? 私自身も正直に言うとわけが分からないという思いでいっぱいです。
新たな始まりは、これもまたどこかのお屋敷の離れのような場所からでした。ただ、時折現代の影がちらついていて不思議な感じを受けます。忍葉はおそらく、かなり時代を遡ったところで生きていた人だと思っていましたから。いえ、そのはずなのです。
「でも、もしかしたら――本当に現代だったりするのかもしれませんね」
私はこういったことについて詳しい一人の友人の姿を思い浮かべます。きっと、彼女に相談すれば何らかの答えを得られることでしょう。けれど、この時はどうしてか自分で探したいと思いました。――私(忍葉)が静希と呼んだ男性を。
「静希さん……苗字は分かりませんでしたね。でも、容姿は分かっています」
青みがかかった瞳に黒いフレームの四角眼鏡。男の人にしてはシュッと細い顎に神経質そうに歪んだ口元。好んで着ていたのは個性を隠してしまうようなスーツでした。
夢の中でしか見ていないけれどそれは強く覚えています。忍葉は私で、私が忍葉だったから。彼女の思ったことは私の心にも響いてしまうのです。
「あら、おはよう。早いのね」
「もう寝られそうにないので。あ、お母さん、今日は少し出掛けてきます」
「分かったわ。気を付けてね」
私は人混みの中をぼんやりと歩きます。ふと、視界の隅になぜか惹かれる人が映りました。ハッとして振り返りますが、誰がそうだったのかさっぱり分かりません。何となく追いかけるような気持ちでその人がいた方へとふらふらと進みます。見慣れぬ路地を抜け、そして……
「あれ? 青波じゃん。傷心の旅は切り上げたの?」
「傷心の旅言うな。というか、ここで会ったということはどこかから見ていたな? 樹」
「ふっふっふ。どうやって見たと思う~?」
「……もしかして、あの屋敷の仕掛け、パクったか?でも、ここは外だしな……」
「さて、どうだろね~」
物陰からその会話を聞いて、私は彼が青波という名字であると知りました。
「ま、先に入ってて~。どうせ長くなる話だよね」
「お、おい、別にここでも」
「僕の邪魔をするつもりかな~?」
「はぁ、何を考えているのかは知らないが。分かった、言う通りにしよう」
あの人は言い負けた様子で額に手を当てた後、建物の中に入ってしまいました。私はどうしたものかと思って視線をさ迷わせます。
「やぁ、こんにちは。君は確か、来留芽の友人だったよね~?」
「っ! は、はい」
気付かない内に彼と話していた相手が近くに来ていました。気になったのは来留芽さんの名前が出てきたことです。
「あの、来留芽さんとはどのような関係なのでしょうか」
「う~ん、簡単に言ってしまえば同僚かな~。でも、兄妹みたいな関係だよ」
「そう、でしたか」
ということは、彼が入っていった建物が来留芽さんの職場なのでしょう。彼自身もここで働いているのでしょうか。
「うん。それで、君に話しかけたのはちょっと気になったからだよ」
「あ、私、ナンパとかそういうものはお断りしているので」
「いや、違う違う。そっちじゃなくてね~。君、青波を気にしていたよね? それが気になったんだよ。何だったら橋渡ししてあげようか~? あいつ、意固地になっていて見えていないみたいだし~。ね、忍葉サマ?」
最後につけ足された言葉に私は息を飲みます。私が彼女でもあるのだといったいどこで気付かれたのでしょうか。そう思って、私は初めて目の前の方に意識を向けました。
「なぜ……でしょうか?」
「気付いた理由かな~? それは、僕の目に映る君の魂が同じだからだよ。前から不思議な魂をしているなと思っていたんだよね。でもね、確証が欲しいんだ~。あいつをぬか喜びさせたくないし。……で、君は無色忍葉サマで間違いないかな~?」
「その方であったというような記憶は持っています」
そう答えてから、私は妙に覚悟が決まったような気持ちになります。
「あの、彼を誘う術を教えてください」
「わぉ、大胆だね~……」
「あ、そうですよね。でも、せっかく会えたのに、気付いて、欲しくて……」
じわりと滲む視界に何も言えなくなってしまいます。難しいとは分かっていたことなのです。何せ、無色忍葉と今の私は年齢はおろか、容姿も違うのですから。しかし、その後にほんの少しだけ笑いを含めながら言われたことに思考が停止しました。
「泣かなくて良いよ~。もう大丈夫だからさ」
「え……?」
「一先ず、オールドアにおいで~」
ある予感が胸をよぎり、私はそう誘ってきた手を取ります。そして、建物へ入ってすぐの場所に物思いにふけるかのような彼の姿を見つけました。
「青波、ここが君の旅の終着点だよ~」
「樹? どういうことだ……っ!?」
私と彼の視線が交錯します。彼の瞳には次第に理解の色が灯っていきました。鮮やかに心の動きが現れる瞳。もう誰も彼のことを人形に堕ちたのだと揶揄することはないでしょう。
「……しの、は?」
――ああ、私がいると気付いてもらえた
嬉しさに胸が一杯になって先程とは別の意味で視界が潤み出します。まさか、と語る彼の瞳を真っ直ぐに見て私はゆっくりと頷きました。
「はい。忍葉は私の前世です」
「……今の名は?」
「千代。竹内千代と申します」
「改めて、私は青波静希だ。君を千代、と呼んでも?」
「はい。私の方も静希さんと呼んでも良いでしょうか?」
「ああ。呼び捨てでも、良い」
出会い直した私と彼の最初はぎこちないものでした。
「それは特別なときにしますね」
「特別なとき? 私にとっては今がそうだな」
「ええ。私もです。ですから……静希、愛しています。忍葉としても、千代としても」
――この声はまだ貴方に届くでしょうか
「……ああ、私だって愛してる」
――今度は、生まれる時代を間違えはしなかった
私と彼との距離は近くなり……互いの鼓動が感じられるほど強く抱きしめられました。
「忍葉……いや、千代。ここに、いるんだな」
「千代となった私はもう貴方を置いて消えるという選択肢を持ちません。好きなだけ共にいられます」
「ふっ……永遠に、と願ってしまうぞ」
「望むところです」
彼は感極まったように私の肩口に顔を埋めてきます。首元にチュッと柔らかいものが触れる感触がありました。再会の幸せに、私も隠したくなるくらい口元が緩んでいる自覚があります。
「はい、そこまで~。青波、僕は君の理性を信じているからね~?」
「……樹……」
ハッと現実に引き戻されてしまいました。けれど、抑えきれないこの胸の高鳴りはどうしたら良いのでしょう。
ドキドキと大きな鼓動への対処に悩んでいる横では樹と言うらしいオールドアの方と彼が話していました。
「君は三十路、この子は十五。二倍の年齢だよ? 君がしっかりしないと」
「そう、だな」
「ま、年齢程度の障害ならこの手でぶっ壊すくらい言っても良いかもしれないけどね~」
「親は怒り狂いそうな言葉だな」
「でも、静希さん。私の両親は滅多に怒りませんよ?」
「それとこれとは違うんだ」
それでも、お付き合いする意思は固いのです。竹内千代としてここまで品行方正に生きてきましたが、一度くらい“ブラックお千代”を降臨させても良いかもしれませんね。
Fin.
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