この身は呪いに浸されて


 十年前

 私は平和を享受していた。世界には表の顔と裏の顔、そして分かたれた界があることなど知りもせず。今思えばあの時が最も幸せだった。それが零れ落ちてから気付くと、自分は何て愚かだったのだろうと後悔の気持ちが沸き上がる。取り戻すまで、私は幸せを感じることはないだろう。

 十年前。あの、最悪の事件。私は目の前で幸せや平和というものを失った。

 きっかけは家に妙な宅配物が届いたことだ。身に覚えのない荷物を母は父に相談すると言ってしばらく置いていた。そして夜、幼い私を寝かしつけて父が帰ってきた頃に開けようと思ったのだろう。実は、そのとき私は寝てはいなかった。


「まま……」

「あら、美穂。起きちゃったの?」

「ん、ぱぱー」

「おっ、もしかして僕を待っていたのかい? 可愛いねぇ、僕の美穂は」


 父に抱き上げられた私はテーブルの上に置かれた箱に目を止めた。


「これなぁに?」

「何だろうねぇ。今から開けてみようと思ったんだよ。危ないものだと困るから美穂は離れていようね」

「や」

「えぇ、でもねぇ……」

「美穂、わがまま言わないの。パパのことが好きなら言うことを聞きなさい」

「や!」

「困ったねぇ……」


 私はきっと何かの予感を覚えていたのだ。どうしても父や母と離れがたかった。けれど、やっぱりわがままは突き通せなくて私は離れたソファから両親が箱を開けるのを見ていることになった。


「さて、正直嫌な予感しかないけどねぇ……さっさと返しちゃおう」


 今なら分かる。父はあれが良くないものであると気付いていたのだ。だからこそ、捨て置くという選択肢を選べなかった。何も知らない一般人が犠牲になることを嫌ったからだろう。

 けれど、あの箱は開けてはならないものだった。父が箱の封を切ってすぐに、私は両親が首や胸元を押さえて崩れ落ちる様を見た。


「ぐぁ……っ」

「だ……め……」

「ぱぱ、まま!」


 何が起こったのか分からず、私は二人に駆け寄った。そして、その体に触れたときのことだ。


 痛い苦しい悲しい悔しい

 痛い苦しい悲しい悔しい

 痛い苦しい悲しい悔しい

 痛い苦しい悲しい悔しい

 痛い苦しい悲しい悔しい


 私のものじゃない。けれど、まるで私がそれを受けているかのような苦痛や悲痛が襲いかかった。わけが分からぬままそれに翻弄され泣きわめいたそのとき、声がした。


『望むならば縋りつくが良い』

「ぱぱ、まま、助けて」

『それが望みか?』

「ぱぱと、ままを、助けて!」

『――それが望みか? 良かろう。対価は余の望みを叶えるため、尽力せよ。まずは、力をためることだな』


 あれは、ただのガス漏れだったとメディアは報じた。私は唯一生き残った奇跡の子どもだとされた。

 けれど、真実は違う。



 ***



「はぁ……はぁ、今回は失敗ねぇ」


 私は拠点へと敗走する。オールドアは予想以上に抵抗してきた。こちらが弱かったのだとは思わない。けれど、負けは負けだ。


「ごめんなさい、ぱぱ、まま……」


 あのときから変わらぬままに両親は眠っている。死は回避したが、契約により両親の意識を奪われたのだ。あの時に声をかけてきたモノが満足すれば報酬として返してくれる。


『有力な力を逃したようだな、ミホよ』

「……見通しが甘かっただけだもん」

『だが、お主の存在が知られてしまった。流石の協会も腰を上げるだろう』

「別に、やり返せば良いだけだしー」

『数だけは多い協会だ。いつかは隙を突かれるぞ。自殺行為だ』

「……死にたいわけじゃない。それに、私には目的があるんだから大丈夫だって」


 異端が異端じゃなくなる世界にする。そうすれば私達が無駄にリスクを負う必要はなくなる。契約は履行され、父と母が目を覚ます。そうしたら、また幸せに生きていける。きっと。……きっと。





『……くくっ。余の望みを叶えることを条件にした意味をまだ分かっていないらしい。余が望むのは三笠の滅びよ。なぁ、ミホ。それがどういう意味なのか分かったときが見物だなぁ?』


 善なるものは、果たしてこの世にあるのか。ミホはわざとかけ違えられたボタンに気付くことはなかった。



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