2 用務員さん(幽霊)の見回り道中
狐達から聞いたのは最近になって彼等の里に狭間の入口が出来ることが増えてきたという話だった。意図的に開く狭間ではなく、浮世つまりは現世側から開かれていることは分かっているそうだ。オールドアへの依頼はその調査……現世側からの調査だった。
「期間は? いつまでには結論が欲しいとか」
「そうですねぇ……可能であれば秋が終わるまでには、何らかの改善が欲しいところですわぁ」
ということは、一ヶ月……最大で一ヶ月半は時間を掛けられそうだ。調査依頼は時間が掛かることが前提となるのだが、それでも早めに終わらせたい。しかし、今回持ち込まれた依頼については調査対象が狭間ということもあっておそらくすぐにはこれといった成果が出ないだろう。
「細かい条件は後日でも?」
「そうですねぇ。構いませんよぉ。もともと私どももとりあえず守殿に依頼書を提出するだけの予定でしたしぃ」
それを聞いて来留芽は思わず足を止めてしまった。
「社長の名前を知っているの? ……もしかして、あなた達ってオールドアに出入りしている妖狐?」
「クックック。その通りだ。気付くのが遅かろう、お嬢よ」
「そうですねぇ。お嬢にはもう少しあやかしを見る目を養って頂かないと」
何のことはない。来留芽もまたからかわれていたというだけのことだ。
「……はぁ、社長に言っておけば良いということね」
「ええ、よろしくお願いしますわぁ」
「確かに預かった」
「それじゃあ、お嬢、我等はこの辺りで帰らせてもらう。用事はそれだけだったからな。それに、お嬢の学校には迂闊に向かえぬ」
「そうなんだ。分かった、お疲れ様」
そして、狐達はあやかしの姿に戻るとどこかへ走り去っていった。からかって、からかって、結局依頼状を渡しただけだ。悪戯好きであるあれらの性質を考えると仕方が無い、と来留芽は溜め息を吐く。
「さて……」
気を取り直して、来留芽は学園の方へ足を向ける。今日のメインはむしろ学園の方だった。もちろん穂坂達の問題も重要なのだが、あちらは腰を据えてのんびりゆっくりと行う計画を立てている。しかし、学園は時間によって遭遇できる怪異が異なるため、合間合間に行っておかないと三年のうちに終わらない可能性さえあったりする。こちらをメインに据えているのはそういった理由によるものだった。
「あ、おーい、お嬢!」
学園の前、門の横に立っていたのは薫だった。イヤホンをつけて耳をふさぎ、スマホの画面に落としていた視線を不意に上げると来留芽を見て大きく手を振る。かなり早くに気付かれたのでイヤホンとスマホには大して意識を向けずにいたのだろう。薫はおそらく来留芽を待つために門のところにいたのだ。
「薫兄だけがここで待っていたということは樹兄や巴姉はもう学園の中にいるの?」
「おう。あの二人はあまりこの学園に来られていないからな」
「うちの学園は観光地でもないけど」
「いや、俺等的には十分見応えのある場所だぜ。お嬢も分かるだろ?」
そう言われて来留芽は学園の校舎を振り返り見た。鳥居越学園は十数年前に校舎を新しくしたそうだ。今いる門から見えるのはその新校舎になる。今日は人も見えず、静かに佇んでいるのだが……確かに、来留芽のような霊能者からすれば注目すべき場所だった。
「この学園はもやがうるさい。たまに形を取りそうなのもある。……それはつまり、かなりの力がこの場所にあるということ」
「ああ。修行場としては上々の場所だぜ。あの二人が仕事に関係なく興味を持つのも頷けるだろ」
薫の言葉に来留芽は唇を歪める。納得は出来るが、素直にそう片付けられるものでもない――そんな感情がそこにあった。
「日常生活を送るには不便極まりない。特に私にとっては」
「お嬢はなぁ……感覚が良すぎるんだよなぁ」
来留芽は薫と話しつつ、呪符を取り出すと門のところに貼り付ける。薫はそれをちらりと見ると無造作にイヤホンやスマホをしまっていた。
「人払いか。確か今日はどこの部活・同好会も休みで学園は開かないのだと生徒も言われている日だろ。必要か?」
「まぁ、そうだけど。念のため」
そして、二人は閉まっている門を飛び越えて学園に侵入した。そして向かうのは職員室だ。そこで樹、巴と合流する予定だという。ちなみに学園の鍵はあらかじめ細から預かっていたので問題は無い。
「お嬢、今日の目標って何だっけ」
「薫兄……昨日の会議は寝ていたの? 今日は手分けして一日で現れる怪異を探る日。少なくとも一つは解決すると言っていた。まぁ、回るところは人任せだけど。しかも、私は後からの合流ということで参加するのは最後の締めくらい?」
「あー、そういえば細さんがそう言っていた気もするな――まぁ、本人はいないけどな」
「実家の関係で急遽呼び出しがあったんじゃ仕方ないと思うけど」
本当なら細も含めたオールドア全体で学園関係の仕事を済ませる予定だった。しかし、社長は急な依頼に備えて会社に待機していることになり、細も先程来留芽が言ったように実家の関係で街を離れている。他の面々も都合が付かないと言っていた。
だから今学園に来ているのは樹、巴、薫、来留芽の四人だけだった。
「――ええと、昼間については樹兄と巴姉が回っていたはず。案内人もいるし効率的に回れたんじゃない」
「ああ、『松山さん』だったっけか。理性ある地縛霊? ――ハッ、俄には信じがたい話だぜ」
「でも実在しているから。この学園だからこその存在かもしれない」
鳥居越学園にはかなりの力がある。それこそ、本来ならば理性を失って悪影響を振りまくような悪霊を正気に返らせるくらいには力が溢れているのだろう。『用務員の松山さん』はそうしたものが理由で理性を保ったまま幽霊をしていると来留芽と細は考えていた。
そんな彼はよく学園の見回りをしており、いくつかの怪異を知っている。来留芽が来る前の空き時間には樹と巴を松山さんが知っている場所へ連れて回っていたはずだ。
「あ~! 来留芽、と薫、やっと来たね~」
「俺はおまけか」
ついでのように言われた薫はそうぼやくが、割といつものことなので気にしていなかった。来留芽は顔を明るくさせた樹、巴の隣にもう一人の姿を見つけて一礼する。
「こんばんは、松山さん。今日はよろしくお願いします」
『ああ、こんばんは。こちらこそ、よろしく頼みますよ。――狙い目の怪異は今日がおそらく山場ですからね』
茶目っ気混じりに似合わぬウィンクをしてくる松山に来留芽は苦笑する。
「本当にいいのなら、こちらも全力を尽くすけど」
『ええ、構いません。……もう、解放されるべきなんです』
そう言った松山は憂いを帯びた顔を見せる。しかし、その中に何らかの決意もあった。彼もずいぶんと長くこの学園にいるという。その中できっと様々なことを思ったのだろう。既に死んだ身で今を眩しく生きる生徒達を目にし続けて何も思わなかったとは考えられない。
『――さて、皆さん。そろそろ行きますか?』
そんな松山の一声で来留芽達は歩き出した。夏の夕方とはいえ八月も後半なので意外と薄暗い。ましてや今いる場所は日の光が入りにくい建物内だ。薄暗さに拍車を掛けている。とはいえ、来留芽達とて活動時間として多いのは夜だ。夜目は利く方だったりする。四人は迷い無く歩いて行く用務員姿の幽霊の後ろをついていった。
『ここが……問題の場所です。あいつはもうすぐ現れると思うので』
「うん、任せておいて~」
丁寧に頭を下げた松山に来留芽達はそれぞれ反応を返す。そして、少しだけ周りを見回した。彼の言う“あいつ”とは誰なのか、彼は何をしようとしているのか。それはこの後に分かる。
その場所は文芸部の部室だった。夏休みだが、多少は活動しているのか机の上には誰かの忘れ物らしきノートやペンが置かれている。来留芽がここにやってくるのは部活動見学に来て以来だった。
――夕日の差すころ、あの木の側から見てごらんなさい。恨みの表情を浮かべた女生徒が襲いかかりながら叫んでくるでしょう
『……お前も一緒に連れていってやる!!』
と、来留芽が所属している心霊研の会長が語っていたことを思い出す。
文芸部の怪談には『ヒロイン』というものがあった。語り手の違いによるものなのか、流れが違う話が存在していたのか、それとも複数の怪異が混同されてしまったのか。
来留芽が知っている怪談には微妙な食い違いがあった。その理由が今日、明らかになる……かもしれない。
「――来るよ、気を付けて」
巴のはっきりとした警告に部屋を見ていた樹や薫が録画の一時停止のように固まる。そして、視線を一点に向けた。来留芽もまた同じ方向を向き、警戒を強める。
全員の視線が集まった窓のちょうど向こうにある樹に夕日がかかっていた。ここからはもう何が起こるか分からない黄昏だ。あやかしも幽霊も力が強まる時間帯なので何が起こっても対応できるようにしておいた方が良いだろう。
『――よろしく、お願いします』
そう言って松山が一歩前に出た。その両隣にハの字を描くように来留芽達がそれぞれ構える。
そして、本当に瞬きの一瞬で窓の外に人影が現れた。学園の制服を着ている少女のようだ。うつむいているためその表情は見ることが出来ない。しかし溢れるばかりの禍々しい力に、少なくとも穏やかな顔はしていないのだろうと思った。
『……オ前モ、死ネバイイ』
ぽつりと呟かれる言葉があった。ガラス越しだが、少しだけ聞こえてくる。その言葉に合せるかのように彼女から禍々しい妖力の腕が来留芽達の方へ伸ばされた。しかし、それは最も前に立つ松山に触れる手前で止まる。来留芽の結界が作用しているのだ。
『……オ前モ……オ前モ一緒ニ連レテイッテヤル! アアアァアアアア!』
悲鳴かと思うような声を上げた彼女は気が付けば部屋の内にいた。まるで瞬間移動だ。物理的な境界を無視出来るということはかなり強い幽霊だと考えられる。禍々しい腕は一本、二本と増やされ、結界を揺する。
「くっ……何て力っ! 凶悪化しているっ!?」
実は、結界の呪符は立ち上げるのにはそう霊力を消費しない。しかし、攻撃されたときに維持するのが大変なのだ。大きく揺らいだら消えてしまうし、相応の力を持っていかれてしまう。
「補助するよ」
巴が柏手を一つ打って場を安定させた。そのおかげでなおも打ち付けられる幽霊の腕に、もう結界が大きく歪むことはない。少しだけ余裕が出来た来留芽は小さく息を吐くと幽霊の観察を始める。闇色の妖気が彼女の周囲を囲んでいる。少しだけ見えた顔は眼窩が落ちくぼんでいるように暗く、まるで絶望を体現しているかのようだった。
『もう止めるんだ』
苦しげで、悲しげな表情を浮かべて松山はそう声を掛ける。
しかし――
『知ラナイ――ミンナ、死ネバイイッ!!』
彼女は血の涙を流してそう叫んだ。怒り、苦しみ、悔しさ、悲しさ……様々な感情が混ざっている。現世に長く留まってしまうような幽霊の中にはそういったマイナスの感情を抱えている者もいる。いや、そうした場合の方が多いかもしれない。世界の理不尽を恨み、そうした感情が続く限りそれが力となって姿を見せたり、呪いや祟りなど霊的な力の源泉となったりするのだ。
彼女が抱えてきた想いは酷く強かったようで――暴力的なまでの力が結界に叩きつけられた。
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