3 終わりの先の終わり方


 ピシリ……と結界が嫌な感触を伝えてくる。見た目には全く問題ないのだが――そもそも結界自体が無色透明なので見た目で判断など出来ないのだ――、術者である来留芽はその危険な状況を感じ取っていた。

 叩きつけられている力は弱まる気配を見せない。この勢いで続いたら来留芽の霊力はすぐに底をついてしまうだろう。そうして襲い来るだろうあの腕に上手く対処できるとは思えなかった。


「まずい……押し負ける」

「だね。これは強烈だ」


 結界の補助をしている巴も危機的状況を察していた。もちろん、樹や薫もそれは分かっており警戒を続けている。しかし、自分の身を守るのが精一杯だろうと判断を下していた。それだけ相手の力は生者に対する影響が強かったのだ。


「ちょっとやり過ぎたかな~?」

「さぁ、どうだろうね。たぶん、たまたまあたし達が力を使いやすくなる空間が彼女にとっても適していたというだけだろう。こればかりは運だし、仕方がないね」


 今、鳥居越学園という空間は樹の力によって“境目”を曖昧にされている。この空間は来留芽達にとって力を振るいやすいものなのだ。しかし、稀にそういった空間でこそ力を十全以上に使えるように適応してしまうあやかしもいる。彼女もその手の存在だったのだろう。


「本当、ごめんね~。この空間、しばらくは解除できないから~……」

「知ってる。樹兄、今は目の前のことに集中させて」


 謝ってくる樹に来留芽はぶっきらぼうに返す。冗談抜きで柔らかい表現を考える余裕が無かった。結界は今もミシミシと軋んでいる。霊力も仮にメーターで見ることが出来ればきっと物凄い速さで減少していく様子が見られただろう。それほど、ギリギリの限界が見え始めていた。

 来留芽の額からツゥッと汗が流れる。巴も歯を食いしばって結界を支え、樹は珍しく苦々しい表情のまま空間を確認し、薫はどうにも手を出せないながらも警戒を怠らずに構えていた。

 そんな霊能者達の様子を見て、松山は呆然とした状態からハッと我に返ると背筋を伸ばした。そして、目の前に広がる闇に向けて声を上げる。


『柊! もう止めるんだ! このままでは君自身も破滅してしまう』

『黙レッ! 誰ノ指図モ私ハ聞カナイ!』


 言葉は、通じている。しかし、想いは通じていないようだった。純粋に案じる気持ちが届かない。


「柊……本当にあの柊文珠なの」

『ああ。……ずっと見てきましたから。間違いなく彼女は柊文珠です』


 数は多くなかっただろうし、公に彼女が原因とされているものはないだろう。しかし、彼女は学園の怪異を起こして人を死に追いやったこともある――悪霊だ。彼女自身にも理由はあったのだろうが、野放しにできる存在ではないということは間違いない。

 きっと、彼女への対応としての正解は問答無用でその存在を消し去ることだ。しかし、今の状況でそれを行うのは厳しい。

 ――このままでは、何も解決しない

 そう判断した松山……松山まつやま普賢ふげんは覚悟を決めると来留芽達に願い出た。


『一か八かになりますが、私……いや、を結界の外側へ行かせてくれ』

「危険すぎる」


 来留芽は考える間もなく反射的にそう返していた。結界越しとはいえ攻撃を受けて、その危険性をよく分かっているからだ。


「ここを出るっつうことはあの重苦しい闇を身一つで受けるってことだ。あんた、死ぬぜ」

『ふ……俺にはもう“死”というものはないんだ。だから、思い切ったこともできる』


 薫の警告に松山は悲しげに小さく笑った。彼は用務員としての生前の姿を取ってこの学園を彷徨う幽霊だ。生きているわけではない。


「でも、“死”はないとしても消滅はあり得る」

『確かに、そうだ。だけど……俺がそうならば、あいつだってそうなんだ』


 消滅は本当に救いがないものだ。場合によっては輪廻転生が不可能になってしまう。松山は来留芽の指摘を否定せずに頷くが、彼にとっての優先順位は明確だった。


『――行かせてくれ。俺はあいつの消滅だけは阻止したいんだ。今の今までずっと持ち続けたあいつ自身の想いを無かったことにはしたくない』


 ずっと探してきたのだと松山は言う。

 終わりの先の終わり方を、柊文珠への贖罪を考え続けながら。

 彼女がこの学園で悪霊として囚われたままであると知ってからはどうにかして救われて欲しいと願うようになった。


『たとえ俺が消えてしまったとしても、少しはあいつの力を弱めることが出来るはずだ。そうしたら――君達が、あいつを救ってくれるだろう?』


 何の気負いもなく松山はそう言い切った。揺るぐことなく向けられる信頼に来留芽達はくすぐったさを感じ、視線を逸らしてしまう。その拍子にドンと結界が揺れた。


「っ!」


 結界にまたピシリとヒビが入る。もうそろそろ限界だ。


『俺が文珠を想う気持ちに、どうか賭けてもらえないか』


 その真っ直ぐな言葉に気持ちが揺り動かされ、とうとう来留芽は首を縦に振った。


「分かった。けど、私達からの援護は期待しないで」

『もちろん。無理を言っていることはきちんと理解している。俺のことは見捨てるつもりでいてもらって構わない。それを恨むつもりもないからな』


 彼を結界の外に送るということは、結界を一度解除することになる。そのときに来留芽達は防戦一方で自分以外を気にする余裕など持てないだろう。

 彼はそれを分かった上で柊文珠の作り出した闇へ向かうのだ。


「――私達だって、ハッピーエンドを望んでる。それは、あなたと彼女がともに冥府へと行くこと。消滅は、望んでいないから」

『……肝に銘じておくさ』


 誰も松山が無事で済むとは思っていなかった。それでも来留芽が声を掛けたのは彼に消えて欲しくなかったからだ。消滅という終わり方は彼自身が抱えてきた想いも無に帰してしまう。

 それはとても悲しいことだろうと思うのだ。


「……準備は良い? 巴姉、樹兄、薫兄も」


 結界を解くのだから、闇の腕の脅威にさらされるのは松山だけではない。そのことは当然分かっていたようで、三人とも来留芽の問いかけに頷くなどしていた。そんなやりとりの中で、松山は四人の盾になるかのような位置……つまりは結界に触れるぎりぎりの所に立った。


「スリーカウントでいく。……三、二、一!」


 一のカウントを言ってすぐに来留芽は結界を解除した。そして、すぐさま自分の周囲に張り直す。その一瞬のうちに松山の姿は闇に呑まれて見えなくなってしまった。悔しさを噛みしめながら来留芽は見ているしかない。彼のために今できるのは祈ることくらいだった。



 ***



 闇が、体を捕える。まるで松山の体が生身のものであるかのように、いつものように通り抜けることなく闇の手はこの体を包み込んできた。その感覚は久しぶりに受けたもので、幽霊同士ならば体に触れることが可能になるのか、と新たな驚きをもたらした。


『……文殊。いるんだろう?』


 松山はそう言って踏み出した。いや、踏み込んだと言った方が良いだろうか。恐れを見せず一歩ずつもう既に見えてはいない足を前に出す。彼がそんなに大胆な行動をすることが出来たのは闇が彼にまとわりつくだけだったからだ。問答無用で存在を奪いに来ると覚悟していたのが外れて確信を持った。

 ――彼女は誰を捕えているのか気付いている


『ずっと探していた。生きているときも、死んでからも』


 松山の言葉は闇の中にむなしく響くだけのようだった。文珠からの応えはない。だが、彼は言葉を紡ぐことを止めなかった。それは彼女が彼の言葉を聞いているのだと信じているからだ。


『君は何一つ心を残さずに居なくなってしまったから』


 松山は柊文珠の死を卒業式の当日に知った。何の前触れもなく、ただ“死んだ”との連絡だけが学校に届いたのだという。松山は卒業式のために学校に向かい、そこで聞いたのだった。

 卒業式を終えても、話を聞いてしまった松山達、柊文珠と同じクラスだった者達は卒業の喜びはなく、ただただ動揺していた。彼等には後ろめたいことがあったのだ。警察に知られたら間違いなく問題とされるだろうこと――すなわち、いじめの事実が。


『俺はずっと……文珠が何を思っていたのか知りたかった。それに、謝りたいと思っていた』


 柊文珠は不思議な少女だった。いつもどこかぼんやりしており、たまに何もないように見える場所へ話しかけていたりした。松山は彼女の幼馴染みとしてその不思議な様子を近くで見てきたのでいくつも思い出すことができる。

 しかし、思春期の子どもは普通とされるものと異なる行動をする者に対して酷く手厳しい態度を取ることがある。柊文珠の不思議な行動は見事にその対象となってしまった。

 柊文殊はいじめられていた。

 彼女はスクールカーストの底辺に置かれ、あらゆるものを否定されて生きることを余儀なくされてしまったのだ。クラスの者達はそれを知っていても助けることはなかった。松山も同じく、助けることはせずに……むしろ、厳しいことを言う側になっていた。いじめる側に回っていたのだ。当然、彼女の気持ちなど分かるはずがない。


『何ヲ……何ヲ今サラッ!!』


 バシンッと強く叩かれたかのような衝撃が襲って松山はたたらを踏んだ。


 今さら……ああ、その通りだと苦く思う。文殊が亡くなってからもうどれだけ経っただろうか。何十年も後になって……とうに手遅れになってから謝られても何もならないかもしれないという気持ちは松山にもあった。彼女の怒りはもっともだと思う。


『これもまた文珠にとっては俺の勝手な行動ということになるんだろう。けれど……本当に、謝らせて欲しい。本当に、済まなかった。俺は、君にはどうか救われて欲しい……救いたいと思っている』

『私ニ救イ何テナイ!』


 止まった時間が異なるからか、それとも絶望の深さが異なるからか。松山普賢と柊文珠は双方とも肝心な部分が届いていないような、ボタンを掛け違えているような……そんなズレを感じていた。互いに姿が見えないまま話しているからかもしれない。そう思ってしまうと文殊とはしっかり目を合わせて話したくなる。

 松山はまた一歩闇の中を進む。文殊を探して。


『来ナイデ!』

『ぐっ』


 今度は鳩尾にまともに入った。霊体になって以降、久しく感じたことのない痛みに思わず息を詰まらせる。そして息を吸うなどという人間的な行動、最近は意識もしていなかったのにと自嘲する。幽霊相手では人であるときの身体能力に戻るということだろうか。

 ――だがそれは、好都合かもしれない

 痛む……実際にはそんな気がしているだけかもしれないが、胸をさすりながらそう思った。松山がそうであるならば、柊もそうであるということになるからだ。

 つまり、捕まえようと思えば出来る。


『俺は諦めないからな……! 無理矢理消滅させられて終わるなんて認めたくないから』


 何度この体に衝撃を受けただろうか。強さも場所もばらばらで全身のうち攻撃を受けていない場所が無いくらいだった。だが、甘んじて受けることにしていた。少しでも進んで文珠を見つけたかったからだ。それでも近付いているようで近付けていないようなもどかしさが胸の内に広がり出したとき、横合いに暗闇以外の色を見た。


『文殊……? いや、違うな』


 それは鳥居越学園の制服を着た少女のようだった。松山の知る柊文珠と雰囲気を同じくしていたが、幼馴染みではないとはっきりと言えたのは何だかんだ言っても彼女のことを気にかけていたからかもしれない。


『君は誰だ?』


 松山の問いに少女はこう答えた。

 ――譲羽芙美子です と。


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