想交之章
1 仕事は絶えず、やることも積み上がる
八月の下旬。旅行を終えて普段活動している蓮華原市に戻ってきた来留芽達はとりあえず反省会を開き、各自の苦手分野・今回の動きにおける無駄な部分を洗い出した。各々の不足している部分は後々改善していけば良いだろう。
オールドアは確かに山の手の依頼が多く、海や水中での行動が考えられるような仕事を受けることはほとんどなかった。今までは。しかし、今後はスティーナのような人魚、海坊主など水生のあやかしからも依頼が来ると考えられる。問題は今回の件をきっかけにこの先交流することが確定した彼等についてどのように対応していくか、というものだった。
「オールドアは街の真ん中にあるわけで~……水の要素が本当にないことが課題なんだよね~」
オールドアの面々中で狭間へ自由に出入りできるのは樹だけだった。その彼が課題だと明確に言った“水の要素がないこと”。これは、逆に考えると水の要素がある何かを用意すれば狭間を開ける……もしくはつなげられるということだ。
「中庭に池でも作れば何とかなりそうだな」
「出来るの?」
技術的にも、金銭的にも可能なのかどうかという疑問が浮かび、来留芽は社長を見る。社長は考え込むように顎に手を当てて少しの間黙っていたが、顔を上げると頷いた。
「まぁ、業者に頼まなくても作ろうと思えば作れるからな。樹、それでどうだ?」
「たぶん、それで良いと思うよ~」
今後は海に限らず水生のあやかしもオールドアへ依頼に来るのだろう。つながりができるということは、そういうことだ。
「それじゃあ、水生のあやかしについてはそれでいいな。もう一つの問題については……来留芽に任せても大丈夫か?」
それ以外に効果的な手はないだろうに社長は逃げ道を残してくれる。ありがたくももどかしい。そう思いながらも来留芽は頷いて引き受けると示す。
「もちろん。一人はクラスメイトだし、私が一番接触できる時間が多いから。まぁ、クラスメイトというなら恵美里もそうだけど、まだ指導できる水準じゃない」
「はい……ごめんなさい」
「謝らなくて良いよ。たかが数ヶ月で完璧になられては私の立つ瀬がないし」
日高親子は来留芽達の界隈に引き込まれてからまだ三ヶ月ほどしか経っていない。霊能者としての訓練は早くから行ってきたが未だ知らないあやかし等への対応は上手く出来ない状態にある。他人に教える立場になるにはまだ早いと来留芽達は判断していた。
「実は今日も会うことになってる」
「そうなのか」
「うん。二時から四時くらいまでになる予定」
来留芽はそう言いながら席を立った。そして、傍らに置いておいた鞄を取る。
「気を付けて行ってこい。それと夜は学園へ向かってもらうから、それも忘れないようにな」
「分かってる」
見送りの言葉を背にし、来留芽はオールドアを出て歩き出した。目的地は穂坂ルイ達STINAが所属している事務所だ。
「失礼します」
「あれっ? え~と、お名前とご用件をお伺いします。ちょっとそこにサインしていってね」
ちょうど慌ただしく階段から降りて来た男性が入ってきた来留芽に気付く。そして、彼はその腕に積み上げられた箱を床に置くとそう言ってきた。
「オールドアの古戸来留芽です。穂坂ルイさんと約束があるのですが……」
「あ、ルイくん達のか。思い出した思い出した。確か、第三小会議室を取ってあるはず。場所は分かるかい?」
第三小会議室。そう聞いて来留芽はサッと場所を思い浮かべることが出来た。ほんの三ヶ月前に一週間ほどだが通った部屋だ。予想外の仕事だったこともあってまだ記憶に新しい。
だから、来留芽は頷いてみせた。
「はい」
「鍵は開いていると思うから行ってみて。ルイくん達ももういるんじゃないかな。もし開いていなかったら手間をかけさせちゃうけど下の事務室へ取りに行ってもらえるかな」
「分かりました。お忙しい中ありがとうございます」
「いやいや、気にしなくて良いよ」
彼は来留芽に背を向けつつ手をヒラヒラさせてみせると箱の山を抱え上げ、バタバタと慌ただしくその場を去って行った。本当に忙しい中で対応してくれたのだろう。来留芽はその後ろ姿にもう一度軽く頭を下げてから会議室へ足を向けた。
第三小会議室の前へやって来た来留芽は扉の前で足を止める。どうも部屋の向こうがざわざわと騒がしい。眉をひそめてそっとドアノブに手を伸ばし、ゆっくり力を入れる。カチャリと音を立てて小さく扉が開き、向こう側を確認すると勢いよく押し開けた。
「わぁっ! 誰っ!?」
「……こんにちは。古戸です」
つかつかと部屋の中央にいる四人のそばに近寄ると来留芽は呪符を取り出して彼等の目の前にある机にペシリと叩きつけた。
「たった数日でどうしてここまで憑かれるのか、本当に理解に苦しむ」
「うっ……ごめん、古戸さん。いや、助かったよ。ありがとう」
ざわざわと騒がしかったのはこの会議室に人以外のモノがいたからだった。騒がしくしていたのはSTINAのメンバーに取り憑いていた幽霊達だったのだ。来留芽が取り出して使用したのは結界の呪符で、今は幽霊達は部屋の隅へ追いやられている。しかし囲まれているということは変わらず、良い気分ではない。
「渡した呪符は?」
部屋の周囲を睨み付けつつ来留芽はそう尋ねる。STINAのメンバーに見鬼の能力が芽生えてしまったという頭の痛い事実が発覚してから、とりあえず幽霊等を寄せ付けないための呪符を束で持たせていた。
「それがさ、あっという間に黒ずんで使えなくなっちゃうんだよ」
「そうそう。特にルイが酷かったよね。十歩歩けば幽霊に当たるみたいな」
束で渡してもあっという間に消費されてしまったらしい。百万円の札束のように、見ただけで「これだけあれば何とかなるだろう」と思う程度には渡したというのに。しかし、それにしてもシュウの言う「十歩歩けば~」にはさらに頭の痛い思いが加速する。穂坂は悪霊を引き寄せやすいのだろうか。あまりにも異常なペースだった。
「というか、幽霊はそんなにぽこぽこ湧くようなものでもないはず」
道を歩いているだけで幽霊を引っ掛けるような世界であれば、来留芽達の仕事は日の目を見ずに終わることなど出来なかっただろう。考えてみれば、穂坂達の行動範囲はまず間違いなくオールドアが守っている場所であり幽霊の発生についてはともかく、悪霊化については抑えられているはずだった。
――どう考えても、穂坂達の現状はおかしい
来留芽は改めて部屋の隅で壁に張り付くような状態になってしまっている幽霊達を睨めつけた。そして一歩一歩近寄っていく。
「古戸さん?」
「幽霊がこんなにも取り憑くなんてあり得ない。この周辺は私達が、そうでなくても人の生活圏は基本的に霊能者達が守っているのだから」
穂坂から言葉にされずに向けられた問いかけには振り返らずに答える。順番に、一人ずつ幽霊を確認しながら歩き、部屋を一周したところで結論を出した。
「あなた達の半数は幽霊じゃない」
来留芽がそう言うと幽霊達の半数はぽんっとその姿を変えた。
『よくお気づきで』
『いや、あの子は霊能者なのだから分からないはずがあるまい』
狐の姿になった彼等は結界を超えて来留芽の前にやって来ると頭を下げた。
「なぜ幽霊の振りをして穂坂くん達について行ったの」
『最初はほんの遊び心だったんですよぉ。何か、楽しそうな気配がしましてぇ……見たところ浮世の一般人なのに見えているじゃないですかぁ。これはからかってやろうと思いますよねぇ?』
のんびりとした口調の狐が動機を語る。いかにも悪戯好きの妖狐らしいと思うが、来留芽が呆れた表情になってしまうのは仕方が無いだろう。穂坂達の方は狐が喋った! と驚きを隠せずにいた。
『だが、ほんのちっとは心配する気持ちもあったのだぞ。確かに半数は我等妖狐であったが、半数は本物の幽霊なのだ。特に霊能者というわけでもない若造には荷が重かろう? ――例え、呪符を有しているとしてもな』
渋い声の狐がそう言うといきなりググッと頭が天井につくほど体を大きくした。そして顔を穂坂達の方に向け、牙をむき出しにして笑う。ぎらりと良く研がれた光が牙を凶器のように思わせる。……実際に敵に対しては凶器となるのだが、それを間近で見てしまった穂坂達四人は小さく悲鳴を上げていた。
しかし、来留芽自身は狐狸の類いがそうした悪戯を好むことを知っており、肩をすくめただけで特に止めもせずに遊ばせる。それよりも考えたいことがあったのだ。
「確かに、半数であってもこの数だと危険かも。呪符だけじゃあまり持たないか……」
見えることを自覚してもらうことは出来ても、見える弊害をどうにかするのは難しかった。
「とりあえず引き剥がそうか? 浄霊は後でしておくから」
それには四人とも頷いていたので来留芽はヒトガタの符を取り出し、幽霊達を強制移動させる。
「あ……何か軽くなった! 体が!」
幽霊を離した効果はすぐに現れたようだ。特に前後で変化が激しかったのは坂井悠里だ。取り憑かれていた間は大人しかったというのに、離した途端に非常に元気になっていた。他の三人も肩を回したり首を回したりして確認していたあたり、何らかの不調があったのは間違いない。
「おれも結構楽になった気がする。やっぱり幽霊って取り憑かれて良いものじゃないな。光久さんのときは体が重く感じることはなかったんだけど」
視線を向けられて、来留芽は少し考えた。
「たぶん、静谷さんのときはあれでも抑えていたのだと思う。無意識に。まぁ、その分が“歌えない”という不調につながっていたのかもしれないけど……今回は多数の幽霊だったし、負担が大きかったはずだから分かりやすく体調不良という形で現れていたんじゃない」
「へぇ。取り憑かれまくったら寝込むことになりそうですね」
「なりそう、じゃなくて間違いなく“なる”。最悪は彼等と同じ道」
つまり、幽霊となってしまう。はっきり言ってしまえば死亡ということだ。
意味が分かった四人は顔を青ざめさせていた。
「――そうならないために、私がここに来ているから。あまり怖がらなくて良いよ。大丈夫だと判断出来るまでは守るから」
「うー……ちょっと情けない気もするんだけど、本当に、お願いしますっ」
本気で拝まれて苦笑する。
『ああ、良い友情ですわぁ』
『我等、完全に蚊帳の外に置かれているがな』
『妖狐くらいどうにでもなるとか思われていそうですねぇ。……幽霊の何人かはイタズラでくっつけたんですけどねぇ』
泣き真似をしながらチラリチラリと見てくる丁寧語の狐に、体を元の大きさに戻した渋声の狐がいる。
来留芽は口元にだけ笑みを浮かべて物言いたげにしている二匹に向き直った。
「いや、あなた達の存在も忘れてはいないから」
問い詰める対象として。イタズラでくっつけたとか、聞き逃せる話ではない。
「とりあえず今から二時間ほど付き合ってもらって、その後はオールドアへ来てもらおうか?」
二匹以外の狐にも目を向けつつ、来留芽はそう決定を下したのだった。この時間のうちにある程度の事情を聞き出しておかなければ。特にイタズラの部分を。
そして二時間近くみっちりと穂坂達には“見えることを悟らせない”工夫を教え込んだ。今回は本物のあやかしもちょうど良くいたので利用させてもらい、普通に行うより実のあるものとした。
「今日はここまでにしよう。上手く行かなかったら渡した呪符を使えば良い。次の相談日までに足りなくなったら連絡してくれれば届けるから」
「分かった。本当にありがとう」
来留芽は気にしないでと手を振りかけたが、頷くに止めた。
彼等については来留芽達が巻き込んでしまったせいであるような気もしないではないのだが、お礼は受けておくことにしたのだ。
「それじゃあ、また。やせ我慢はしないで」
「もちろん、今日のことで懲りたからね。あ、送って行くよ。何かあったら申し訳ないし」
「別に良い。この後学園に行かなくてはならないから」
「学園に? でも、今日は完全に閉まっているって……あっ! もしかして」
次の予定をつい言ってしまったら穂坂は疑問を浮かべるが、すぐに何かに思い当たったように声を上げた。
「秘密にしていて」
「分かった。でも古戸さん、気を付けて」
事務所を出た来留芽は少し後ろをついてきている狐をチラリと見る。そして、手頃な路地裏に入った。
「……今のうちに一応聞いておく。現世へ来た用件は?」
『狭間の問題になりますわぁ。私どもは、実はオールドアには依頼に来たのですわぁ』
影になっている中で、人影がむくりと立ち上がった。
「見上げるのは首が辛いのでぇ、人化させてもらいますねぇ」
「我の方も、人化させてもらおう」
現れたのは泣きぼくろが艶めかしい美女と壮年の紳士だった。完全変化を行ったのか、声の響きまで人と変わらない。
「結構高位のあやかし?」
驚いたようにそう言った来留芽に二人はにやりと笑った。
「そこいらの鬼にも負けない程度の力はあると自負していますわぁ。あぁ、だからといって敬語はなしでお願いしますねぇ。面倒なのでぇ」
「分かった。しかし、相当なことが起こっているみたいね。……歩きながら話してもらっても良い?」
「無論。この姿であれば道を歩くことが出来るからな」
厄介事の気配がにじんでいるが、依頼ならば話を聞かないわけにはいかない。来留芽は深く息を吐くと路地裏から出て歩き始めた。
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