8 捜索組始動


 捜索組

 捜索チームは薫に来留芽、翡翠、恵美里の四人である。傍目には薫がハーレムのように見えるだろうが、男手が必要な状況になったときに一気に負担が増える構図でもあったりする。それが理由かどうかは分からないが、合流場所と決めていた旅館の入口ではやけにテンションが低い様子で薫が座っていた。


「薫兄。おはよう」

「あー、お嬢……はよぅ……ふぁ~あ、おはよう」


 いや、ただ眠いだけなのかもしれない。あくび混じりにそう返してきた薫に来留芽はコーヒーを渡す。


「はい。そんなに眠そうにされるとこっちまで眠くなるから、これあげる。巴姉からのだけど」

「おー、サンキュ」


 軽く目を擦りながら受け取った缶コーヒーを開けてグイッと勢いよく飲む薫だが……


「ぶふっ。何だコレ!」


 次の瞬間には思いっきり吹いていた。


「わわっ」

「薫兄……」


 女性陣はすぐさま距離を取る。視線が冷たくなっていたが、薫にそれを気にする余裕は無かった。


「げほっ……来留芽ぇ! これブラックじゃねぇか!」

「薫兄、ブラックだめだっけ」


 くるりと半回転して薫に向き直ると来留芽は首を傾げた。その手に持つのはもちろん無糖……紅茶だ。

 薫は来留芽の手の中にあるものを見てついでに翡翠や恵美里も同じものを持っていることに気付いてがくりと首を落とした。


「……いや、飲める。けど、朝のブラックだけはダメだ。俺の胃的に」

「へぇ……そうなんだ」

「巴に嵌められた。絶対あいつ知っててお嬢に渡したろ」


 ――まぁ、もったいないから飲むけどな

 少し胃の辺りを摩りながらそう呟くと薫はゆっくりと缶を傾けていた。


「……よし、行くか」


 喉を潤してから捜索チームはまず依頼をしてきた旅館に受諾の連絡を入れる。そして契約書などの取りまとめのために薫と翡翠が旅館の責任者のところへ話しに向かった。未成年二人……つまり来留芽と恵美里はそちらには付いていかずに駐車場から海を眺めながら待つことになった。


「やっぱり……信頼とかの関係……かな?」

「何が?」

「わたしも来留芽ちゃんも……やっぱり若さがいろいろ邪魔をするのかなって……思って……。特にわたしはまだ雛とか言われているし……」


 いざ旅館にやって来ると外で待たされることになって、恵美里はどうやら劣等感を抱いているようだった。

 ただ、来留芽と恵美里の二人が外に残っているのは高校生ということで向こうからの信頼が低くなってしまうからなどという理由ではなかった。


「恵美里に問題はないと思う。念のために言っておくけど、私達は話をするのに邪魔だからここに残された訳じゃない」

「え……そうなの?」


 首を傾げた恵美里を見て、これは話を聞いていなかったな、と額を押さえた。もう一度説明するべきか。彼女は一体何に気を取られて聞いていなかったのだろうか。


「まったく……恵美里。今日の行動予定は覚えてる?」


 そう聞かれて恵美里は指折り順番を整理しつつ予定を思い出していく。来留芽はその様子を横目に見ていた。


「ええと……まず……旅館の依頼を受けにいくこと……次にお姉さん人魚達の依頼を受けてついでに警告もする……予定で……」

「うん、今は一応そこまででいい。ええと、旅館の依頼についてはもともと受けるという連絡をするだけ。人数は必要ない。それより、姉人魚達の方が問題」

「え……?」

「彼女達は普段生活しているのが妖界だって話。けれどこの近くに狭間が続いていて毎回来ることが出来ている。問題は、“この近く”であって“特定の地点”ではないこと」


 来留芽の視線は海に向かっていた。恵美里はその横顔に目を向ける。一体何を言いたいのか良く分かっていないようだった。


「よく考えて、恵美里。昨日現れた狭間はたぶん普通の人にも見えるようなものだった。姉人魚達もそういった狭間を通ってくるかもしれない。……今それを見られては困るのは分かると思うけど?」

「あ……そっか。じゃあ、わたし達がここに残されたのは……」

「姉人魚対策。もっと正確に言えば彼女達が通ってくる狭間に対応するため」


 そのために来留芽達は旅館には入らずに海の見える駐車場にいるのだ。そのくらいはこうして改めて話題にするまでもなく恵美里自身で導き出してもらいたかった。いや、来留芽達ももっと言葉に出すべきだったのだろうか。


「まぁ、とにかく、私達がここに居るのは仕事だから。集中していて」


 来留芽と恵美里が改めて海を見つめる作業に戻ったとき、ちょうど海面に不思議な渦が出来るところだった。突然ぽっかりと穴が空いたかのように海水が落ちていく。

 二人は一瞬唖然として顔を見合わせた後、慌ててそれぞれ術を掛けるのに必要な物を取り出した。


「あっ……ええと……『鏡映し』!」


 恵美里が取り出した鏡が妖しく光ると見た目には何も変わらない海へと戻った。しかしそれは普通の人にとってであり、二人の目には未だ渦が映っている。


「念のため補強・人払いして、と」


 来留芽は呪符を二つ取り出すと霊力を込めた。その二つの呪符の紋柄が一瞬だけ光ると大気中に消える。これで少しの間は鏡映しの効果がより広くなり、人が近寄ることはなくなった。霊能者は別だろうが。

 そうして普通の人の目撃者が出ないうちに渦を隠しきった二人は手すりに手を掛けて安堵の溜め息を重ねた。


「あんな……急に現れるんだね……」

「そういうこともある」


 そうしている内に渦の中心から人魚が泳いで来るのが見えた。彼女達は来留芽と恵美里が見ているのに気が付くと少し慌てたように海へ潜ってしまった。

 人に見られてはならないことを彼女達はしっかり理解しているようだ。見た目も美しい彼女達はきっと普通の人に知られたらどこまでも追いかけられてしまうだろう。それは現代においてはどのようなあやかしも同じであり、注意しなくてはならないことだった。


「薫兄、早く戻ってこないかな」


 人魚達は人に見られたかもしれないと警戒しているはずだ。来留芽達と会う前に妖界へ逃げてしまわないかという不安がなる。


「あ……来留芽ちゃん……お母さん達が……」


 恵美里が海から視線を逸らしてそう声を上げた。来留芽もつられてちらりと旅館のある方を見る。確かに薫と翡翠が歩いてきていた。


「薫兄、翡翠」


 来留芽は柵に右手をついたまま背を軽く逸らし、左手を二人に向けて振った。

 彼等は霊能者だから人払いの呪符の効果をくぐり抜けることが出来る。来留芽と恵美里が駐車場で待っていることも、海側に何らかの術を使っていることも気付いたはずだ。


「お嬢、恵美里、待たせたか。てか、何かあったのか」

「姉人魚達が着いたみたい。私達を見て焦っていたから勘違いされているかも。それで、あそこの狭間……」


 来留芽は渦が出来ている場所を指さした。姉人魚達があの場所から現れたのだ、流石にあれをそのままにして離れるわけにはいかないと示そうとしたのだが、目を向けたと同時にするすると消えてしまった。


「――は、もう大丈夫みたいだけど」


 現れるのが唐突ならば消えるのも唐突らしい。狭間とはそういうものだと知りつつもいざ目にしてみると不思議なものだと思わされる。ただ、消えるのがまるで思考を読んだかのようなタイミングだったことについてはおちょくられているようで納得がいかないところがあった。

 はぁ、と息を吐いて来留芽は横に立った薫を見上げる。


「あれが大丈夫なら全員で行くとすっか。人払いはもうしてあるんだよな」

「一応」


 来留芽が頷くと薫は目の前の柵に足を掛けた。その先は遥か下から広陵な海が広がっているだけである。嫌な予感がした来留芽は慌てて左腕を掴み、引き留めた。


「ちょっと待って。どこへ、どんな風に行くつもり?」

「そりゃ、お嬢……」


 薫が足元へ向けた視線でだいたい分かってしまった。どうかその先を言ってくれるなと思ったが、それは無理な願いだった。


「――この崖下へ、ボルダリングの要領で降りていくに決まってんだろ」

「正気?」


 聞かなかったことにしたいと、心底思った。例え普通の人とは少し違う霊能者といえども身体能力的には人間の範疇から出ることはないのだ(ほとんどは)。薫は鬼の力で生命力も身体能力も強化されているから良いのかもしれないが、身体的には普通の女子高生である来留芽、身体的には普通より一歩劣る女子高生である恵美里、そしてか弱い女性の翡翠が挑戦するには些か厳しくはないか。

 見れば二人も顔を青ざめさせている。それは来留芽も同様だろう。


「いや、無理だって」


 口ではそう言いつつ、来留芽は目の前の崖を降りる方法を考えていた。薫にならって柵を越え、崖下を覗いてみる。

 高所恐怖症ならば即座にギブアップ宣言をするだろう光景だった。

 下を見てまず思うのは予想以上に高いということだ。ただ、結構飛び出たところが見られるので全く足がかりがないというわけではない……のだろう。ただ、一番下は岩場で水が打ち寄せている。落ちたら絶対に助からない。


「く……来留芽ちゃん……どう?」

「薫兄くらいの身体能力があれば十分行けると思う。でも私達は厳しい。……見る?」

「い、いいよ! 遠慮する……!」


 場所を譲ろうとしたら全力で拒否された。


「……でも、困りましたね。私も運動が得意というわけではありませんし」

「運動が得意であろうと無かろうと練習なしの実践ボルダリングは無理というもの。あ、薫兄、一人くらいなら背負って降りられる?」

「んー、まぁ、一人くらいならな」

「じゃあ、慣れている私が薫兄に運んでもらうとして……」


 残り二人についてはどうしようか、と女三人で相談する。行かない、という選択肢はなかった。


「でも、全く手がないというわけじゃない」


 来留芽は懐から一枚の呪符を取り出した。それを見る目はどことなく冷気が漂っている。翡翠と恵美里は顔を見合わせて同じように首を傾げていた。何か良くないものなのだろうか、と。


「ええと……それは、呪符……?」

「違う、式神。正直に言うとこの式神の運用は苦手なんだけど……まぁ、使えるから。もとが猫又だったから大きくなってもらって、その背中に二人が乗る形にしたらどうかと思って。ただ、少し……だいぶ? 性格に難のある式神だけど……」


 式神には二通りあり、一つは細が結構普段使いしている無生物系のものだ。作成者のデザイン通りに動いてくれるが思考能力がないのでごく簡単なことしか任せられない。もう一つはあやかしを下したものだ。使役者との関係によっては良い仕事をしてくれる。危機的状況下で臨機応変に対応してくれるので複雑な動きを求められる場合に活躍する。式となったあやかしは基本的には妖界で過ごしている。呪符は彼等を呼び出すための窓となるのだ。


「そうなんだ……でも、もう……行くにはそれしかないよね……?」


 積極的に使いたくはないと来留芽の顔に書いてあったが、恵美里が呪符を持つ手を上から握ると笑みを浮かべて頷いたので、渋々と霊力を流した。


「……分かった、とりあえず呼び出すだけしてみる。……来い、【茄子なす】」

『呼ばれて飛び出て……おぉー! 海だ!』


 ぽんっと現れた黒猫の興味はあっという間に海に持っていかれていた。そのマイペースな様に来留芽は額に手を当てて溜め息を吐く。


「茄子、働ける?」

『ん? お嬢はどのような仕事を期待しているんだ?』


 にやにやとまるであの有名な夢オチの童話に出てくる猫のように性格の悪そうな笑いを浮かべている茄子に苦笑しながら来留芽はその頭を撫でた。この猫は来留芽自身が式にしたわけではないので結構自由な態度を取る。しかし侮られているわけではない……はずだ。


「そこの崖を降りたい。大きくなって人間二人乗せて行ける?」

『無論のこと。だがお嬢、たまには褒美の一つでもねぇの?』

「生意気……」

『肌色多目の写真集でヨロシク。さて、誰を乗せようか? ……あ、男は勘弁な』

「ハッ、頼まれてもエロ猫なんかには乗らねぇよ」


 薫と視線が合った茄子はぶわっと毛を逆立て威嚇していた。対する薫は鼻で笑って見下ろしており、一目見ただけで相性の悪さが分かる。幸い薫を乗せるように頼む予定はないので問題は起こらないはずだ。


「冗談言っていないで早く行こう。茄子、大きくなって」


 来留芽がそう言って視線を流すと茄子は腰の辺りまでの大きさになった。それを見て一歩引いたのは翡翠と薫、目を輝かせて距離を詰めたのが恵美里。


「おっきい……猫! かわいい!」

『何だ、嬢ちゃんは猫好きなのか。こちらとしては格好いいと言ってもらった方が嬉しいなぁ?』

「かっこいい!」

『よーし、張り切って運んじゃる。俺様にかかればこれくらいどうってことないんだぜ』

「はいはい。恵美里は大丈夫そう。翡翠、は……」


 来留芽は一歩下がった場所にいる翡翠に視線を向けた。


「少し驚いただけです。たぶん、大丈夫……」


 その言葉を信じて翡翠と恵美里を茄子に乗せ、来留芽は薫に背負ってもらう。


「じゃあ、よろしく、薫兄」

「任せとけ」


 ――いざ、崖下へ

 決して下は見ない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る