9 救出組始動


 救出組

 救出チームは社長に細、巴、樹の三人一匹となる。水中行動が可能かどうかと戦闘力を優先したような人選だ。実際、戦闘を前提に選んだ人員だったりする。

 社長と細、樹が車で待っており、後から巴がやって来た。


「社長、コーヒー。ブラックにしちゃったけど。樹は大丈夫?」

「別に構わない。ありがとう、巴」

「……まぁ、飲めるし」


 平気な顔で受け取ったのは社長だ。樹は少し苦い顔をして手を差し出して受け取ろうとしていた。それを見て巴の顔に悪戯めいた笑みが広がる。


「あはは。冗談だって。ブラックは薫の所に行くようにしたから。樹はこっち。いつもの」

「ありがと~」

『俺の分はないのか……』


 悲しそうに呟かれたその言葉に対して巴はわざとらしく首を傾げる。


「鴉にコーヒーって大丈夫なんだ?」

『……いや、そこは水とか。まぁ、良いけどな』


 巴の顔をチラリと見ると鴉はふいと顔を逸らして無意味に羽をばたつかせた。勝手な行動をしたことを責められているように感じたのだ。実際、勝手に一人突っ走る形で狭間に飛び込んでしまい、さらに脱出できない妖界に体が取り残される羽目になった。それは完全に細の手落ちだったので、仮に指を指されて笑われたとしても何も言えない。


「まぁ、ねちねち細を責めてもどうにもならないし~」


 その樹の言葉を合図にしたように車が動き出した。細の話によれば目的地は徒歩で行くには少々遠い場所のようで、社長は残っている霊力の跡を確認しつつ運転していた。


「一応これからの流れを確認しておこうか。巴」


 ハンドルを握りつつ社長が言ったことに対して助手席で巴は頷き、話し出す。


「ああ、うん。あたし達が最終的に目標とするのは細の本体の回収に妹人魚の救出。注意すべきはその途中で戦闘があるかもしれないことだね。海の大妖怪によって隔離された空間という話だったから、敵として現れるとしたらその大妖怪かその眷属かな」

「行ってみなきゃ分からないことだけどね~」

「まぁ、そうなんだけどさ。ああ、それぞれちゃんと準備はしてきているよね?」

「もちろん」

『呪符も補充済みだ』


 戦闘を前提に考えられた人選だけあって各々が済ませた準備は当然、物騒な系統だろう。


「使うことの無い方が良いんだけどねぇ。というか今日中に救出できるかも怪しいけど」


 それから三十分ほど、社長を見てギョッとした対向車の運転手に人当たりのいい笑顔と軽い会釈を振りまく作業を続けた後、ようやく霊力の終点、細が『ここだ』と示す岬に辿り着いた。


「いや~、黒塗りスモークガラスのベンツじゃなくても結構ビビられるんだね~……」


 樹の言葉には社長以外が乾いた笑いを浮かべた(細は雰囲気で)。社長は先に件の場所を見分しており、社員の反応は黙殺している。いくら車を可愛らしいものにしようが顔を見られたら怯えられる。それについてはもう諦めていたりする。


「細、確かにここに脱出口があったんだな?」

『俺が出てすぐに閉じてしまいましたが、確かにここでした』


 鴉の言葉に巴と樹も顔を引き締めて社長が指さしている場所を覗き込んだ。当然、今の時点で何かがあるわけでもなく、見えるのはただの地面だけである。


「樹」


 社長が短く言ったのは名前だけだが、それだけで通じたのか樹はしゃがんで地面に掌を当てた。そこから霊力が波のように広がっていく。


「う~ん……妖力の残滓は少しあるかな~。こじ開けるのは可能だと思うけど、人が通れる大きさになるかは分からないよ」

「それでも妖界に通じる鍵穴があると言えるな。この周辺で洞窟の様な場所を探そう。環境が似ていた方が目的の場所に繋げやすくなる」

「社長~……それ、僕の台詞~……」


 がっくりと項垂れた樹の背を巴はポンと叩いた。細もその頭にとまって羽をばたつかせる。慰めているにしてはそこはかとなく苛つく挙動だ。たぶん、慰めるつもりはないのだろう。人で言う“指差して笑う”というものだ。

 巴はそんな樹と鴉を見て苦笑すると海の方へ歩いて行く。


「この辺りに洞窟ってあったっけ?」

「普段は誰も立ち寄らない場所にならあるはずだ。干潮で現れるとか、な」


 巴の呟きに答えたのは社長だった。彼は巴よりも堂々と崖下を覗き込んでいた。怖いものなしだなと思いつつ巴ももう少し体を乗り出してみる。彼女も恐怖の気持ちは持っていないようだ。

 岬はせり出した場所であり、見ただけでは分からなかったが海面からの高さは結構あった。下の方がどうなっているのかはぱっと見では判断しがたい。


「巴、それ以上は危険だろうから下がれ」


 即座にそう言われるとひょいと片眉を上げて不服の意を示したが、巴は特に反論せずに身体を引いた。


「ポイントは私が見つけたから心配はいらない。あとは細に確認してもらおう」


 社長は肩越しに樹とその頭にとまっている鴉を見る。それと同時にごくりと唾を飲む音が響いた。彼等側からは社長の目がぎらりと物騒な光を放ったように見えたのだ。


「細?」

『あ、わ、分かった。行ってく……きます』


 バサバサと慌てたように樹の頭から飛び立った鴉は海水面すれすれまで行くと指示を求めるかのようにホバリングする。


「そこからもう少し右手側だ……ないか?」


 社長の言葉に従うように鴉は旋回して右側を確認する。そして見つけた。黒く口を開けているその場所を。詳しく確認するのは後に回すことにする。とりあえずそれらしきものがあったという報告をしなければと舞い上がり、ひらりと社長の輝く頭にとまった。


『社長』

「あったか」

『洞窟の入口みたいなもので、奥まで確認は出来ませんでしたが』

「確認するか。……巴、樹……お前達、いつまで笑っているつもりだ」

「だって、細が……そんなとこにとまるから……っ」


 社長が崖の近くで腕を組み仁王立ちしている後ろで、巴と樹は息も絶え絶えに腹を抱えて笑いながら崩れ落ちていた。極道系社長の頭に鴉がとまったことがツボに入ってしまったのだろう。


「こほん、ごめんなさい」

「はぁ~、あ~笑った笑った。息整ったから行けるよ~」


 体を起こして立ち上がった二人は社長に並んで崖の縁に立つ。


「細、目印として入り口がある辺りで飛んでいてくれ」

『了解』


 三人は鴉が飛んでいる位置を確認すると互いに視線を交わす。社長は冷静な顔を崩していないが、巴と樹は不適な笑みを浮かべていた。


「落ちないようにだけ気を付けろ」


 それがゴーサインだったかのように、巴と樹はますます笑みを深くすると恐怖など見せることなく、むしろ楽しげに崖を降り始めた。

 危なげなく降りて行く二人を見て肩をすくめると社長もまたするすると崖を降りる。恐怖心は生存本能的に必要なものだろうに、こういった場所でそれが一切見られないというのはどうなのだろうか。度胸があるのは結構だが、ありすぎるのも問題かもしれない。

 自分のことを棚に上げて社長はそんな風に考えていた。


「ここか~」

「意外と大きかったね。ちょうど……上からじゃ見えない位置だ」


 洞窟の入口は猫の瞳のように縦に細長くあった。それでも横幅は大人二人が両腕を広げたくらいで、縦幅は三メートル近くある。


「社長、中まで確認する?」


 巴が肩越しにそう尋ねる。社長は少し離れた所にあった岩を足場にして洞窟の入口を見上げていたが、巴と樹、そして鴉を順繰りに見ると頷いた。


「確認した方が良いだろうな。樹はどう思う? こじ開けるのは任せるつもりだから一番重要な意見はお前のものになる」

「う~ん……中から繋げた方が良いと思う。構造が同じだったら確実に繋げられるし、大きさもそれなりに自由があるからね~」

「では、洞窟探索か」


 探索とは言ったが洞窟はそこまで深いものでは無く、細い空間を歩いて十メートルも行かない場所から急に広くなっており、そこが最奥の空間となっていた。巴が持つ携帯のライトや樹の懐中電灯が辺りを照らし出す。少し歩いたところで下を見れば水が打ち寄せていた。床面は半分ほどが地底湖のようになっているようだ。


『あそこと同じだ……!』


 鴉は興奮したように羽を忙しく動かす。


「当たり、か~。予想外に救出までこぎ着けそうだね~。……じゃあ、この辺からならちゃんと繋がるかな~……」


 樹は何かを探るかのように手を泳がせた。そして、ある場所でまるでそこに壁があるかのようにペタペタと触れる動作をするとスッと背筋を伸ばして振り向いた。


「この辺、たぶんつながるけど~、どうする?」

「『もちろん、つなげて(くれ)』」


 巴と鴉はそう言って急かす。社長は腕を組み、二人を見た後に樹へ視線を向けると頷いた。全員の視線を背中に受けながら樹の腕が伸びて掌が空間に押し付けられる。その途端、人が一人通れる大きさの黒々とした穴が現れた。


「まだ、狭間だな」

「うん。でも、すぐ着くよ~。……僕が繋げるんだから」


 最初に踏み込んだのは樹だった。その後を鴉、巴、社長の順で進む。全員が狭間に踏み込んだところで入り口は消えてしまう。その途端に襲い来るのは上下左右とも先を見通せぬ闇。足を踏み出しても進んでいるのか、ただ足踏みをしているだけなのかも分からない。長時間いれば発狂しそうな視界だが、樹がすぐにそこに穴を開けた。出口を作りだしたのだ。まるでその先は希望に満ちた世界だとでも言うかのように光を漏らす出口だが……。


「ここが、そうなの? 細」

『ああ。彼女が閉じ込められている……牢獄みたいな場所だ。間違いない』


 目的地は牢獄などという物騒な言葉で表される場所だった。どれだけ明るかろうともそこには望まぬ囚われ人がいるのだ。

 その場所は現世で探索した洞窟の最奥と同じ形だった。違うのは明るさと出入り口となる場所がない点、そして……細の身体がピクリともせずに横たわっていることだろう。

 社長がそれを見て早足に近付き、様子を確認していた。鴉もそれを追いかけ、片膝をついてしゃがんだ社長の頭にとまる。


『俺の身体!』

「……大丈夫そうだ。細、すぐに戻れるか?」


 鴉は返事の代わりに横たわっている細の額に飛び移った。そしてそのすぐ後に細の指先が動きを見せる。


「う……」


 小さくうなり、起き上がった細は気怠けだるげに前髪をき上げた。鴉は何も言わずに飛び立ち、また社長の頭にとまった。案外その場所が気に入ったのかもしれない。


「――ふぅ、助かった」

「体調はどうだ?」

「社長。怠さはありますが、動けないほどではありません。ただ……空腹が、その……」


 お腹に手を当てて苦笑する細。ぐ~ぎゅるるるると情けない悲鳴を上げていた。社長は立ち上がると振り返って巴に視線を向ける。


「無理もない。巴、軽食は持ってきていたか?」

「もちろん、おにぎり二つだけど足りるかな?」

「あるだけでも助かる」


 巴が差し出したおにぎりを細は美味しそうに食べた。長時間放置されていた身体に力が満ち始める。意外とギリギリだったのかもしれないと力の素を噛みしめながら思っていた。

 そうして細がおにぎり二つをぺろりと平らげたとき、チャプ……と小さい水音が聞こえてきた。全員の視線がその音の元に向けられる。


『だ、誰……?』


 聞こえてきた声と目に入ったその姿に細が真っ先に警戒を解いていた。


「ここにいるのは俺の仲間だ。心配しなくていい」

『ああ……! それじゃあ……』

「ここから脱出するぞ」


 細は畔までやって来た人魚に向けて手を差し出した。水からほっそりした手が伸ばされ、それを掴むと細はひょいと軽く引き上げる。そして彼女はみぎわに腰掛けた。

 その人魚の姿に巴はすっかり目を奪われた。ウェーブのかかった長い髪は黒く艶やかで瞳は朝焼けのよう、そして尾は角度によって青から緑の間の色を遷移する幻想的な色合いだった。


『あの……』


 居心地悪そうに身体を小さく揺らして人魚は巴を見上げてくる。それにハッとして巴は慌てて何でも無いと言うように小さく手を振った。


「あ、ごめんなさい。近くで人魚を見ることは滅多に無いから、つい」

『そう。私達はその……不死の妙薬だとか言われて狙われないように人目を避けていたもの。だから、珍しいのでしょう? 例え霊能者であったとしても直接こうして話すことはしなかったわ。それはとても覚悟の要ることだったの』

「だが、俺達があなたを害することはない。それは、約束しよう」

『ええ……その言葉を信じるわ』


 細が跪いて人魚と視線を合わせながらそう言うと、彼女は頷いた。


「ところで、君は変化へんげすることが出来るか? 出来ないのなら抱えていくが」


 社長は樹が維持している穴をちらりと見てそう言った。穴の位置は陸の上になっている。狭間も水中仕様ではなかった。足が必要なのだ。


『もちろん。かなり妖力を持っていかれるけど……ほら』


 するりと手で撫でたところから鱗が消え、人の足になっていく。そして、彼女は二つの足できちんと立ち上がっていた。見た目に違和感はない。余裕を見せるかのように、静かな微笑みがその口元を覆っていた。


「大丈夫そうだね。それじゃあ、樹を先頭に細、人魚さん、あたし、社長の順かな?」

「そうだな」


 そして、その場にいる全員が樹の作りだした狭間へと消えていった。


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