7 依頼は増えて


 狭間の先から助けを求められたことでこれは急ぎの案件だと判断したのだが、些か早計であったかもしれない。

 水底にいるかのような重さを感じながら細はそう思っていた。今回の狭間は海続きのようで、随分と長い間泳いでいる。一応どの方向に入口もしくは出口があるのかは分かっているのだが、景色が変わらないからかちっとも近付けている気がしない。しかも、ここに飛び込む前に聞こえた声も今は全く聞こえなくなっていた。


 ――罠だったか……?

 そんな考えもちらりと浮かんでしまう。問題となるのは潜水の呪符を一枚しか持っていなかったことだろう。その一枚は今使ってしまっている。それの持続時間は六時間ほど。もし効果が切れたら溺死の未来だ。ただ、狭間であるならば桃爺のいる陸地がどこかにあるはずだった。あの爺様がいる場所だけはほぼ毎回空気がある。目指すべきは彼の所だろう。それか、さっさと妖界へ向かってしまうかだが、出た先が陸地である保証はない。


 ――さて、どうするか

 後先考えずに飛び込んだことを少し反省しつつ考え込んだ。そのとき、右手側に唐突にどこかへ続く入口が現れたことを察知する。細は泳ぐのを止めて少し考えた後、そちらへと向かった。


(洞窟か? 本当に狭間は良く分からないな)


 新たに現れたそれは洞窟のようだった。黒く口のように開いている。恐らく奥の方に妖界か現世のどちらかに続く入口があるのだろう。

 細はその壁に手を触れてぐるりと見回した。質感も本物のようだ。見た限りでは崩壊するような不安定さはない。


『――けて……』

(――聞こえた)


 ハッとして洞窟の奥へ視線を向ける。きっかけの呼び声は確かに奥の方から聞こえてきた。細は目を眇めると洞窟の壁を蹴って勢いをつけ、奥へと泳ぎ出す。


 それからどのくらい時間が経ったものか。

 突然周りの水が軽くなったような感覚があった。おそらく狭間を抜けたのだろうと思う。見える景色は相変わらず洞窟だが、心なしか初めに飛び込んだときよりも明るく見える。


『何者だ』


 その声に、細は機敏な動きで身構えた。聞こえてきた声には助けを求めていたものとは全く違う意思が籠もっていたからだ。剣を突き付けるかのような鋭さがあったのだ。まかり間違っても友好的な相手ではないと考えられる。聞こえる感じからして誰何すいかしたのはあやかしかそれに類する存在だろう。


「――そちらこそ。姿を現せ」


 水中では声を出せないので霊力に意思を乗せて広げる。呪を使えるように準備しつつ周囲を窺った。洞窟の中だからか、それともあやかしの声だからか。音が変に反響している気がする。そのため、声で相手の位置を掴むという技術を披露することは出来なさそうだった。


『……ただの迷い人ではなさそうだな』

(迷い人?)


 聞き覚えのない言葉を口の中で呟く。何らかの奇跡が起きて狭間を通り抜けて妖界へ行ってしまった普通の人のことを言っているように思える。ただ、そういった人は本当に珍しく、たいていは狭間を抜けられない。そもそも普通の人が狭間に気付けるかどうか。

 妖界側の存在から迷い人という言葉が出て来たことに不思議な感覚を受ける。だがそれを言葉に出す前に戦闘の気配が場を満たした。


『こちらの話だ。見たところ、霊能者のようだが……もしそうであればこの先に行かせるわけにはいかない。――排除させてもらおうか』


 本当に親切に忠告するつもりであれば排除などという物騒な言葉は使わないだろう。こうした考察をするまでもなく今この場に潜んでいる相手は敵対的な存在だ。


『死 ね』


 岩影から一匹の小さめなタコがゆっくりと姿を現した。だが、あれはこのような場所にいて言葉を話す以上、あやかしであることは疑うべくもなく、普通のタコではあり得ない挙動をするに違いない。

 そのくらいは分かっていたことだった。

 だが、いざ対峙すると無駄なく動くことは難しいというものだ。

 タコは突然洞窟を塞ぐほど大きくなるとゴォォオ……と音が聞こえてきそうなほど勢いよく水を吸い込み出した。


(ちっ……タコはタコでも、衣蛸ころもだこか!)


 それの口へと続く水流が作られ、水中での行動に慣れていない細は踏ん張ることも出来ず体が持っていかれてしまう。


(くそっ)


 細はこの緊迫した一瞬に自らの手札を考える。今持っている呪符は水流操作、いかづち、人払い、式神一つである。あまりにも少ない。

 だが、泣き言を言っている場合ではなかった。


『何をしようが無駄だ!』


 ――こんなところで死ぬわけにはいかない


 たった四つの手札から選択したのは水流操作と雷の二つだった。細は迫る大蛸の口に向かう水流に雷の呪符を乗せ、それを操作して自分よりも早くに飲み込まれるように誘導する。

 そして、にやりと不適に笑う。


「――爆ぜろ」


 そう呟いた次の瞬間、細の意識はブラックアウトした。だが、体内から雷撃を受けた蛸も無事では済まなかったはずだ。



『――……の、……?……――』


 ふ……と意識が浮上して目を開くと何もかもがぼやけていた。だが、何かが細の顔を覗き込んでいることは分かった。本能の命じるまま瞬きをして視界をはっきりさせる。それと同時に聞き取れなかった声も耳に入り理解出来るようになった。


『……あの、大丈夫……?』

「あ、ああ……」


 未だ状況を理解していない頭を軽く振ってから細は体を起こした。覗き込むようにしていた者はさっと離れる。細を警戒したのか、距離は二メートルとそれなりに取っていた。


「ここはどこなんだ……?」


 自分が警戒されたことには頓着せずに細は現状の把握を最優先にする。見回せばそこはまだ洞窟のようだった。ただ、水の中ではなく空気があり、衣蛸と戦った場所とは随分と違うところにいると分かる。


『牢獄……のようなものよ』


 細は綺麗な音が呟いた物騒な単語に眉をひそめた。周囲に向けていた視線を戻すと、声の主が視線を下に向けてパチャン……と苛立たしげに水面を叩いていた。


「牢獄……いくつか質問をしても良いでしょうか?」

『ええ。答えられるものなら答えましょう。力になれるかどうかは分からないけれど。……それと、言葉は普通にしてもらって構わないわ』


 みぎわに腰を掛けている人魚は頷いた。

 二人が今いる場所が牢獄だというならば一体何を目的として作られているのか。何故人魚は牢獄にいるのか。そもそもどうして細はこの場所に来ることが出来たのか。そして、ここから出ることは叶わないのか。

 そのような質問を思い浮かぶままに尋ねた。彼女は細から視線を外して水面を見つめながら話し出す。


『……そうね、まずここは私のお姉さま達が作った私のための世界だった場所よ。私はあやかしの中でも特に不安定な、概念に左右されやすい性質を持って生まれてきたから心配させてしまったのね』


 パチャンと尾が水面を打ち、水が跳ねる。彼女は顔を上げて上を見上げた。


『けれど私はこんな窮屈な世界にはいたくなかった。だから、力を駆使して浮世へ逃げ出したの。……それが、もう十年近く前のことよ』


 ――でもきっとそれは正解の行動ではなかったのでしょう

 そう呟くと彼女は下唇を噛んでうつむく。


『怒ったお姉さま達は私が帰ってくる前に海の大妖怪に頼んで隔離された世界に造り替えてしまった。そして私はあえなく囚われてしまったのよ。……私の大切なものもその時に取り上げられてしまったわ』


 よく見ればその瞳には怒りと悲しみの感情があった。しかし、細はそれには触れずに先を促す。


「大切なもの、とは?」

『真珠の髪飾りよ。逃げ出したときに出会った子との約束を果たすために必要なの。――その約束の時はもう明日に迫っている! 何となく、分かるの……。けれど、どれだけ力を使っても私はここから出ることが出来ないでいる!』


 人魚の瞳から一筋の涙が頬を伝って落ちた。同時に彼女の激情に反応してか水面が渦巻き始める。

 恐ろしいほどの妖力を感じた。


『助けてと叫んだわ。あなたがここに来たのは……来ることが出来たのは私が呼んだからよ。きっと。この場所と近い場所にあなたがいたから私の力でここまで繋げられたのね。でも、それならば同じく私の力によって出ることが出来るかもしれないわ』

「どうやって……」


 細は自分の左上腕をちらりと見た。そこにはもう何の模様もない。もし水の中を移動する必要があったら距離によっては詰みだろう。


『私ね、小さくだけれど狭間への入口を開くことが出来るのよ。この空間の一番高いところにね。一日に一度だけの機会。それがあと少しでやって来るわ』

「……そうか。それなら――」


 そこで細は急いで残りの手札二つを切った。小さい入口を抜けられる式神に自分の意識を乗せて可能な限り早くオールドアのメンバーに助けを求めに向かったのだ。



 ***



『――それが、今俺がこうして鴉になっている理由だ。皆にはあの牢獄から俺の体と彼女を救い出すこと、彼女の約束相手……確かシュウと言っていたな……その人物を探し出すことの手伝いを頼みたい』


 細の話にオールドアの面々はそれぞれ考え込んでいた。細が取引をしてきた以上、オールドアへの依頼として処理し、他のメンバーが助力することは可能だ。ただ、直接会ったのが細だけであり、聞いた限りではその人魚は大妖怪と言っても良いほどの力を有しているという。人魚が約束を果たしに向かうのはまず間違いなく現世だろう。そこまで勝手なことはしないと思いたいが、力あるあやかしを野放しにしていいものかとも悩む。


「とりあえず、私と薫が話を聞いてきた依頼については解決の目処が立ったと言えるな」

「そうっすね」


 考え込んでいた顔を上げてそう言った二人に視線が集中する。二人が受けてきたという依頼についてはまだ詳しい話を聞いていなかった。


「どうして?」

「私達が聞いてきた依頼は“旅館の海方面から毎夜どこからかすすり泣くような声が聞こえてくる”というものだった。その発生源を調べてみるとその正体は複数の人魚だと分かったのだ。まぁ、つまりは彼等が細の会った人魚の姉達なのだろう」

「軽く状況の説明をしてもらったんすが、今の話とも一致してたんでほぼ間違いないと思うっす。泣いていたのは妹を助けたいのに助けられないからだと言っていたっすね」


 それを聞いて昼間ビーチに残っていた面々は首を傾げた。


「う~ん、と……細の人魚とその姉達は敵対しているわけじゃないのかな~?」

「今はな。頭が冷えて妹を迎えに行こうとしたところ、場所が分からなくなっていて困っていたそうだ。現世まで捜索したのに見つからないと言って解決を頼まれた。今回は持ち帰って、明日の朝に受けるか受けないか言い渡すことになっている」


 姉人魚の依頼などは細の話がなければ解決が難しい案件だったろう。だから“受けた”とは言わずに“聞いてきた”わけだ。社長が持ち帰ってきただけある。


「そっか。細の本体と人魚を助けてしまえば自動的に人魚の姉達の依頼も達成できる」

「旅館からの依頼も」


 来留芽は巴の言葉にそう付け足した。

 オールドアの前にある依頼は全部で四つある。まず巴と薫が本部から取ってきた『海辺の影』の依頼だ。これについてはまだ何も分かっていないといえる。細が調査に向かった狭間が少し怪しく思えるが、確定ではない。次に社長と薫が聞いてきた『海方面からのすすり泣きの解決依頼』および『とある人魚の姉達からの依頼』。そして細が引き受けた『牢獄脱出および探し物・探し人』の依頼だ。ただ、探し人については詳しい話を聞いていなかった……聞く余裕がなかったので救出後に動くことになりそうだった。


「今受けている依頼の内、優先順位として高いのは細のだな。時間的猶予もなさそうだし、救出組と捜索組に別れるか」


 救出組は細の本体と妹人魚を牢獄から脱出させること、捜索組は妹人魚の探し人を見つけることと真珠の髪飾りを探すことだろうか。


「ん~……妖界にいるみたいだし、僕は救出組だよね~」

『俺は言わずもがな、救出組で。むしろ情けないことに助けてもらう側だな』


 あはは~と諦めたように笑う樹と鴉姿で器用に溜め息を吐いてみせる細がまず自分の組み分け先を決めた。それに続いて恵美里と翡翠がおずおずと小さく手を上げる。


「わ……わたしは……出来れば捜索組が良いです……」

「私も娘と同じく捜索組が良いですね。水中での行動はやはり慣れないので」


 得意不得意がはっきりしていればどちらで動くか決めるのも早い。しかし、それが難しい場合もある。


「あたしはどうしよっかな。どっちでも行ける」

「巴、悩むようなら救出組に入ってくれ。一人くらい巫女がいた方が良いかもしれない」

「了解」


 これで救出組が二人と一匹――まぁ、一匹枠は早々に戦力にはならなさそうだが――、そして捜索組が二人となった。来留芽はどちらに加わるか、と少し考える。しかし、すぐに戦力的に不安な方に付こうと決めた。


「じゃあ私は捜索組にする」

「お嬢は捜索組か……一応俺もそっちで行動すっか。旅館と姉さん人魚の両方を見なきゃならねぇんだし」

「それが良さそうだな。私は戦闘も予想される救出組に混ざろう。では、動くのは明日の朝からだ。それまでは各自休息を取っておくように」


 その言葉が解散の合図となり、巴や来留芽達は立ち上がって自分達の部屋へ戻った。

 明日は忙しくなりそうだ。


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