7 仏壇の方の
『Sの坊よ、そやつはもう滅して構わんぞ』
それは、細が呪符で縛ったおじいさんと同じ声だった。あまりにも予想外だったので驚き、思わず動きを止めてしまう。
声は聞き間違いでなければ目の前に浮いている、のど仏もない……というか人ですらない仏壇からしていた。
「な……」
そう言ったきり絶句してしまったのだが、仏壇の横で樹が半笑いで頷いているのが視界に入ったので細の体は術で捕らえていたモノを滅しにかかっていた。
考えるのを後回しにしたのだ。体を動かした方がまだ平静になれる気がしていた。
『何をっ!』
消されてなるものかとソレは暴れる。しかし、細の術を破れはしないようだった。そして突然動きを止めたかと思うと仏壇に向けて憎悪に彩られた目を向け、叫ぶ。
『お前ぇっ……大人しく封じられたかと思えば……!!』
『ふん……危うかったがな。お前がわしをそう簡単に封じられるものか』
仏壇はそう鼻の先でせせら笑って見せた。もちろん、仏壇に鼻などあるはずがないのだから、雰囲気的にそのような感じであっただけである。
『おのれっ! 生家を裏切るかっ』
それが最後の言葉になった。碓井翔の形をしたモノは消え去った。それをよく確認してから細は仏壇に向き合うと微笑んで言う。
「説明はして頂きますよ?」
『あ、ああ……喜んで説明しよう』
仏壇は細の笑みに気圧されたように少し下がった。こうしてみるとその行動は一々人っぽい。人が取り憑いていると言われても納得がいくだろう。
「では、どうぞ?」
『……はぁ、初めから話そうか』
――あれのせいでもう分かってしまっただろうが、わしの生まれは籠上に縁のある家だった。籠上の一派として両親共々裏警察に籍を置いていたのだ。
表向きは籠上もそう悪い家ではなかった。あの血筋の者に現れる能力……空間干渉能力は裏警察の仕事においてはかなり活躍するものだったからだ。
しかし、籠上も……特に本家の者ほど性格が歪んでいてなぁ……。わしの両親はその罪を突き止めてしまったんだ。
「……あなた、どうしましょう。紫波でも鬼道でもないのにあんなことを……。人道にもとる行為だわ」
「しかし、彼女を捕らえてしまったのは私達だ。今更抗議したとしても……消されてお終いだろう。それは君だって分かっているはずだ」
正確には、両親はそれに関わってしまっていた。そして、本人達によれば、身の危険を感じて逃げ出したんだ。あえて左遷されたのだ。
わしはまだ幼かったから両親に連れられて訳も分からず僻地での生活を受け入れていた。
その途中でわしに空間干渉系の力が備わっていることが分かり、両親はそれまで以上に厳しく力の管理についてわしを指導した。その時にわしの力を気取られてはならぬとして力だけを切り離し隠す術を身につけたのだ。
……わしの偽物が生まれた原因、そして空間干渉能力を使えた理由はそれだろうな。
その後は比較的穏やかな日々が続いた。わしは力を隠して裏警察で仕事をして生活し、そのうちに嫁……おたきをもらった。
おたきは本当に良い子だった。一応霊能者の家系ではあったんだが、珍しく力の無い子に生まれてしまってな。あの子の両親はそれはもう酷い扱いをしていた。だから「要らないのなら私がもらおう」と言ってさらって嫁に来て貰ったのさ。
「お嬢さん、名は?」
「たき……です」
閉じ込められていたその部屋の扉を開け放ちこちらを見上げる少女に向けて手を差し出した。
「では、おたき。こんな薄暗い場所ではなく、もっと明るいところへ行かないか? 具体的には私の嫁として我が家へ来ないか?」
「行く……!」
彼女はあっさりと手を取り、檻から飛び出した。
「ふははっ! こんな扱いをしているなら私が嫁にもらったって文句はあるまい」
その後、おたきはわしのもとで生活する内に力に目覚めていった。だが、利用価値を認められては困るから二人で相談してその力を封じることにしたのは……確か、ちょうど環が生まれて間もない頃だったか。それと知られないようにするために、梅に封じたんだ。
おたきの能力は詳しく調べたわけではないが、家系から見て恐らく精神干渉系の力だ。偽物は空間干渉を行った際にこれ幸いにと取り込んだのだろうな……。
わしが仏壇になっているのは死んだときにおたきが心配で魂を留めておったからよ。力を切り離すのと同じようにやって成功してしまった。ずっと
『お前はっ!!』
『ワシはお前の力だ。碓井翔。これからはワシがお前の代わりにもっと力を手に入れて、返り咲く。籠上家のためになっ!』
『ふざけるなっ! 籠上などどうでもいい。あんな奴等の誘いをお前は受けるのか!?』
『空間干渉能力の神髄を知っているだろう? 碓井翔という男は生き続けるべき逸材なのだ!』
目覚めたあれはまずこの家の空間を支配下に置いてわしを封じた。力の扱いはあちらの方が上だったから警告も残せなかった。それでも仏間の様子だけはわしも見ていることができた。そして、先程あれを封じてくれたからわしも動けるようになったのだ。
これが、ここまでの簡単な経緯だ。
そう言って仏壇は大人しくなった。どうやら細が捕らえたあれは碓井翔という男の力が自我を持ったものであるらしい。単なる能力が自我を持つというのはどういう意味なのかと聞きたいところだが……言葉通りなのだろう。恐ろしいことのように思えるが、細達は似たような例を知っている。だからそこまで動揺することはなかった。
「翔さん。あの偽物を滅ぼしてしまったということはもう力を振るえないのでしょうか」
『ああ。わしはもうかつての力を使うことは出来ないだろう。今のわしはまさに気力だけで現世に留まっていることになる。……どうせ、近く消えてしまうだろう。今のうちに聞きたいことがあれば尋ねてくれ』
「じゃあ僕から一つ尋ねさせてもらうよ……翔さんは悪霊化していないよね~?」
『そのはずだ。わし自身は悪霊化している意識はない。しかし、わしの認識が正しいかどうかは分からない。……お前達にわしはどう見える?』
「仏壇ですね」「仏壇だよね~」
細と樹の返答を聞いた仏壇からゴトゴトゴトンという音が聞こえた。
『わしの見た目を聞いているのではないっ! ……はぁ、今の時代はこんなに
呆れたような声音だった。もっとも、細・樹としてもどう言えばいいのか分からなかったのだ。まさか仏壇が碓井祖父の意識を持っているとは思わなかったのである。何か霊力を感じるということもない。
『……あんた、今日は賑やかだねぇ』
ちょうど時計の針が正子を刻んだ時、仏間に声がしたのだ。消えそうなほど小さい声だったが、確かに聞こえた。
「誰だっ!」
細は咄嗟に身構えていた。もう大丈夫だろうと判断して拘束を外しておいた薫も警戒して鬼の腕に変化させている。
『ひえっ……あ、あんた、この人達は……?』
『おたき、おたきなんだな!』
最初に声の主が誰なのか気が付いたのは仏壇こと碓井祖父だった。しかし、肝心の彼女の姿はなかった。そのせいか、声に焦りが表れている。
「おたきさん……? あ、本当だ。いるね……ちょっと待って。う~ん……」
樹が唸り始めてから一、二分経った頃、仏壇の前に一人の女性の姿が浮かび上がってきた。年の頃は三十ほどに見える。おたきという女性は碓井祖父の妻だという。病院で巴と来留芽が話を聞いたのがおたきだ。てっきり生霊として現れるときもおばあさんの姿で現れるものと思っていたので、思いもよらず若い姿で驚いてしまった。
『ああ、おたき。お前の所へ霊能者が行かなかったのかね』
『いいえ。若い子が来ましたよ。あんたの言った通り、ちゃんと全て話しましたとも』
『それならどうして……来てしまったんだい』
『私が来てはいけなかったんだね』
おたきはうつむいてそう言った。ポタリ、ポタリと雫が落ちる。彼女の正面にいる仏壇はおろおろとしていた。
『それは……まぁ、そう、なんだが……』
『分かっていたんだよ。今日来た子達は私にゆっくり休むようにと言っていた。安眠の護符まで貰ったんだ。だから、分かっていたんだ。もう、あんたに会ってはいけないのだということは……ね』
涙が伝う顔を上げておたきは仏壇を見た。長年、見慣れた仏壇だ。しかし、彼女には亡き夫の姿がそれに重なって見えていた。
『どうして、来てしまったんだ』
おたきを責めるかのようなその言い方に、彼女の内にカッと怒りがわき上がった。その拍子に浮かんだ鬼の如き表情に……男達はつい彼女から一歩下がってしまう。
『あんな別れ方で私が納得するとでも思ったのかい!? 訳の分からない指示だけを残して……あんた、消えてしまうつもりだったろう! 冗談じゃないよ。私を連れて逝くか、私に殴られてから逝くか。どちらか選ばせてあげるよ。さぁ、どっちがいい!』
すごいな、この人は。
仏壇に向けてそう啖呵を切ったおたきを見て細・樹・薫はそう思った。選択しようのない選択肢も酷い。これは大人しく殴られに行くしかないだろう。
『な、殴られてから逝く』
『……言ったね?』
男達はおたきの背後に“覚 悟 は い い な”という文字と、燃え上がる炎を見た。そして力の限り振るわれる拳は仏壇へと叩きつけられる。
『私に何も言わずに闘って勝手に死んで! せっかく会えたと思ったら一人で消えようとして! 最後の挨拶くらい……させておくれよ、この、馬鹿ぁ……』
仏壇は殴られるごとに丸みを帯びていき、ついには人の形になった。そして、本物の碓井祖父の幽霊が縋り付いてきたおたきの肩を抱きしめて一緒に座り込んでいた。
『すまなかったな、本当に……』
そんな二人を見て細達は仏間からそっと出ていった。
「樹。六条美沙について、どうしてあそこまでまともになっていたのか分かるか」
仏間から出た細達はとりあえず台所に来ていた。今のうちにこの家で疑問に思ったことを解決してしまいところだと考えて細は今空間を掌握している樹に目を向ける。
「う~んと、どうやら悪霊化を緩和する術を空間に付けていたっぽい? だから安定していたんだろうね~」
悪霊の浄化は神職系の十八番だ。もちろん、あまりにも重度であればそれは難しいのだが。
「その術はちゃんと引き継いでいるのか?」
「大丈夫大丈夫~。丸っと流用出来たから」
細が懸念しているのは樹が空間を掌握した際に術の付与が消え、六条美沙が再び悪霊となってしまうというものであった。しかし、幸いそのようなことは起こっていないらしく、樹は平常通りにこにこ笑っていた。
「あー、わけ分かんねぇ。一体何だったんだ?」
薫が椅子に座って後ろに体重をかけながらそう言った。未だ状況を正しく把握できていないようだ。
「見ていたよね~? 薫」
「そりゃあもちろん、見ていたけどな」
「聞いてもいただろう、薫」
「そりゃあもちろん、聞いていたっす」
「「それなら何で分からないんだよ」」
***
薫をからかっているうちに夕食を食べていないことに気が付いた細と樹は手際よく夕食を作った。家の物を食べるわけにもいかないので買い込んでおいたカップ麺で済ますことにした。
「ああ、薫も一応六条美沙さんに会っておく方が良いだろう。出来るまでに顔くらいは見せてこい」
「了解っす」
ちょうど薫に六条美沙の様子を見に行かせたとき、台所におたきがやって来た。扉という扉を開けおいたのですんなりとやって来ることが出来たようだ。
生霊は不安定だ。
そして、なまじ生きているからこそ力に溢れている。精神の揺らぎが力となってしまう。そんな存在に対しては可能な限り普通に生きている人と同じような扱いをし、物に触れるという行動を避けさせることが肝心なのである。
普段触れている物や霊力などの力が込められているものは普通に触れるのだが……万が一の可能性があった。
『あの……皆さん』
「ああ、おたきさん、でしたね。どうしましたか?」
『あの人が……もう、最後だからと』
彼にとっては恐らく本当に最後の時間になる。だから術を越えてやって来た奥さんと過ごしてもらいたいと思って三人は素直にその場を辞したのだ。
しかし、どうやら何か言い残すことがあるようだ。
「今向かいます」
カップ麺に目もくれずに立ち上がった細はおたきを促して廊下の暗がりへと踏み出した。遺言、それに近い言葉を受け取ることになる。細と樹の引き結んだ口が緊張をよく表していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます