6 会いたいと願われたから
細からの頼みに六条はこくんと頷くと口を開く。だいぶ聞き取りにくくなっているが、細と樹の二人の耳はしっかりと彼女の言葉を拾った。
『ドコ……カラ、話セバ良イノカ分カラナイノデス……覚エテイルコトモ、モウ少ナイノダケレド……』
予想は出来ていたことだった。幽霊となってから長い時間が経ってしまうと悪霊化が進行し記憶があやふやになっていってしまうのだ。
まれにそうはならないケースも見られるが、六条美沙の場合は通常とそこまで変わらないようだった。
「では、質問に答える形に変えましょうか。まず、どうして今あなたが碓井家にいるのか……碓井さんに取り憑いたのか分かりますか?」
『ソレハ……ハイ。トテモ強イ力ヲ感ジテ……コノ力ノ持チ主ナラバ、私ヲ何トカシテクレルノデハナイカト思ッタノデス』
強い力とは、碓井祖父の護りのことだろうか。霊を呼び寄せてしまうなら護りの意味もない。だが、きちんと護りとなっているものを作れる人物がそんな欠陥を許すものだろうか?
細と樹は情報を整理しつつそう思う。彼等の内心では碓井祖父の姿がグレーに塗られていた。
「そうですか。ちなみにその力の持ち主は下にいたおじいさんのことでしょうか?」
『イイエ。アレハ、違イマス。私デハ敵ワナイ存在ダトイウコトハ同ジデスガ……』
ここに来て彼の正体が分からなくなっているが、実はこれについて細は当たりを付けてあった。樹や薫は騙されていたのだろう。何らかの術の影響もあるかもしれない。
「うーん……まぁ、それはいいでしょう。それでは、次の質問をします。あなたは生前にどのような暮らしをしていたか覚えていますか」
『エエ、少シダケ覚エテイマス。会社員デ……中々仕事ヲ覚エラレズニイテ……毎日怒ラレル日々デシタ。……デモ、宗佑サントRISEデ話セタカラ……頑張ッテ、イマシタ』
宗佑、と名前を呼んだ時の彼女は少しだけ雰囲気が柔らかくなっていた。彼女の見た目が見た目なので比較的と注釈が付くのだが、様子を見ていれば分かる。おそらく彼女にとって井谷宗佑は今も大切な人なのだろう。死んでも愛している人なのだろう。
『……デモ、疲レテシマッタノダト……思イマス。頑張ッテヤッタ仕事ヲ……無駄ニサレルノハ……モウタクサンダト思ッテ……ソレニ、私トイウ全テヲ否定サレテ、生キル気力ナンテモウ……。ダカラ……ダカラ……』
自殺した、と言いたいのだろう。細は「分かっている」と言うように頷いてみせる。六条もホッとしたように僅かに力を抜いていた。
「しかし……宗佑さんはあなたを引き留める理由にならなかったのですか」
問い掛けられた六条はびくりと肩を揺らすとうつむいてしまった。
少し無責任な質問だったかもしれない。このような問題の根幹に関わる質問は感情の暴走を招くことがあるため、普通は避ける。だが、井谷宗佑が明日やって来るならばこの質問に対する答えを確かめておかねばならなかった。
『……考エナカッタワケデハ……アリマセン。最後ニ逢イタイト……願ッタノハ、彼デシタカラ。本当ニ消エテシマウ前ニ……彼ニ逢エレバ……ト……思ッテ……』
「それがあなたの未練ですか」
『ハイ。未練……デスネ。デモ……コンナ私ヲ見ラレルノハ……』
六条は自分の体……死亡時の様子を残している、損傷の激しい体を抱きしめるように自分の腕を回す。
細には彼女が躊躇う気持ちは良く分かった。その損傷は覚悟を決めていないと直視も出来ない程なのだ。
しかし、躊躇っていては何も解決しないのもまた事実であった。
「一つ知らせたいことがあります」
『ハイ』
「後出しのようで気が引けるのですが……あなたに逢うことについて井谷宗佑さんには既に了承を得ています。あなたの状態についても簡単に説明して、それでも逢いたいという返事をもらっています」
『え……?』
こぼれそうなほど目を大きく開くと、六条はゆっくりと口元に手を当てた。彼女が感じているのは果たして喜びか期待か恐怖か絶望か。
「急で申し訳ありません」
細は頭を下げた。そうしながら考えるのは今回の役割分担についてだった。依頼人の話から危険なのは碓井家の方だと社長は判断したのだろう。細達も同じ考えだった。だが、ふたを開けてみれば不穏な状況ではあれども、悪霊化している六条美沙は正気を保っていた。結果論だが、この家へ回るメンバーに巴を入れておくべきだったのだ。しかし、それも後の祭りであろう。今は六条美沙が暴走しないように気を付けておかなくてはならない。
『ア……逢エル、ノ……? デモ、ヤッパリコンナ私ヲ……見ラレル……ノハ……』
六条は口元に当てていた手を胸元へと下ろし、握りしめた。ふと、視線がコップに向かう。水面に彼女が映ることはない。体の損傷具合からして顔も相当に酷いことは想像に難くないのだから、映ったら映ったで余計に混乱に拍車をかけることになっただろうが……どうしても、自分の容姿が気になってしまのだろう。
逢いたいと願った相手と会うことが出来ると言われても、素直に喜ぶことは出来ないようだった。それはきっと今の彼女の姿が彼に見せたいものではないという意識があるからだ。
『デモ……』
先程までの動揺が嘘のように思えるほど静かになって六条は呟いた。顔に影が落ち、表情は窺えないが何かを決意したように口を引き結ぶ。
「六条美沙さん……?」
『会イタイ』
それは、六条美沙の様々な気持ちがこもっている言葉だった。
『私ハ、コノママ堕チテ行クモノダト……思ッテイタノデスガ……アナタ方ガイルナラバ……何モ問題無イノデショウ?』
六条は自分が悪霊化していくことに気が付いていたのだろう。
『タトエ私ガ私デハナクナッテシマッタトシテモ、私ガ宗佑サンヲ傷付ケテシマウ前ニ終ワラセテクレルノデショウ?』
きっと、自分一人ではどうしようもないという絶望とともに。
『オ願イシマス。私ヲ……宗佑サンニ……会ワセテ……!!』
「もちろん」
細は口元に柔らかく笑みを浮かべてそう言った。そして視線を樹の方へと流す。樹もまた笑みを見せていた。
「うん。僕も君達の再会のために動くよ」
笑ってはいたのだが、その目には剣呑な光を湛えていた。樹はどうやら自分が何らかの術に嵌まっていたことについて内心で腸が煮えくりかえっていたようだった。
「井谷さんがこちらへ来ることが出来るのは明日の夜らしいです。それまでにこちらもいろいろと動かなくてはならないので念のため、六条さんは一階には行かないようにしてもらえますか」
細が警戒し、樹が報復を狙っているのは碓井祖父、その人である。樹・薫が不覚を取るくらいの力を持っているとすると、少し厳しい闘いになるだろう。そんな中で六条が不安定になってしまうといろいろと困ったことになるため、出来る限り隔離するのだ。
『分カリマシタ。ヨロシク、オ願イシマス』
***
六条を二階の部屋に残して二人は仏間に戻ることにした。廊下に出て、六条に聞かれる危険性がなくなったところでこれからの動きについて相談する。
「そういえば、い……I、携帯電話は切ってあるのか? 来留芽に電話したときどちらにも繋がらなかったと言っていたが」
「え、嘘っ」
普段より大きく驚くと樹はポケットから携帯電話を取りだして確認する。しかし、電源ボタンを押しても沈黙したままだった。画面は黒い鏡面を見せるだけである。
「充電切れているみたいだね~……使った記憶ないんだけど」
「薫も同じだろうな。この空間に付与されている効果によるものかもしれない。ただ、すぐに抜き取られるわけではないようだけれど」
細が使うことができたのはこの家に着いてすぐだったからだろう。
「もしかして、電力を力に変換しているとか、あるかな?」
ふと、嫌な可能性を思いついて樹が顔をしかめた。その可能性は無きにしも非ずだった。少し考えて細と樹はカメラを起動させることを諦めた。ひょっとしたらカメラの充電も切れているかもしれないからだ。
「やっぱりここって微妙に異空間入っているよね~?」
冷笑交じりにそう呟いた樹は未だ自己嫌悪に陥ったままであるようだった。空間の違いは細も何となく気が付いていた。樹は細よりもそういったものの探知は得意だったので余計に悔しいのだろう。
「俺は専門じゃないから分からないが……彼は生前に空間干渉系の術を使っていたと話していただろう。空間干渉系と言えば籠上だ。あそこの禁術はそちらの方が知っているはずだが?」
「まぁね~。でも、籠上の禁術か……主導権をぶん取っちゃえば何も問題は無いけど、そう簡単にはいかないだろうからね~……どうしてやろうかな~」
なかなか物騒な言葉を呟いている。闘志満々で良い感じだ。これだけ戦闘意欲に満ちていれば流石にもう敵の術に嵌まることはないだろう。
「さて、準備はいいか?」
「もっちろん~」
きっと細達が何かを企んでいることはおじいさんに知られているだろう。しかし、例え待ち構えられていたとしてもそれ以上の術で対応すれば良いだけのことなのだ。
それに、樹も正気に戻ったことで不安要素は薫一人だけになった。薫の身体能力は警戒すべきだが、樹も細も彼を拘束することが出来るため、おおよそ問題は無いはずだ。
「ただいま戻りました」
「お、お疲れ様っす!」
『おお、ご苦労だった。それで、彼女は無事に成仏したのか?』
薫が細に取る態度は変わっていなかった。おじいさんの態度も何も変わらない。
いっそ見事なほどの狸ぶりだ。こちらに悟らせもしない。
彼が黒幕だという前提で見ていれば何か分かるものがあるのではないかと思っていたが、細が気付けるレベルではなかったようだった。そう判断するとスパッと気持ちを切り替え、粗探しは樹に任せることにして自身は彼と話すことに専念する。
「いえ。彼女の未練を晴らすために人を呼んでいるので、成仏するとしたら明日になりますね。今は落ち着いてもらっているところです」
『ふむ、そうであったか。……なるほどな、用心深いことだ』
おじいさんが考えこんで視線が外れた隙に樹が細の肩に手を置いた。そちらの方向をチラッと見るとニヤリとした笑みを湛えた頷きが返ってきた。準備が整ったという合図だ。
「……成仏したことを感知出来なくて疑問に思ったのですか? 流石は空間干渉系の術師だっただけありますね。バックに付いているのは籠上ですか?」
『何のことかね……?』
「余裕でいられるのも今のうちですよ」
細はそう言うとパチンッと指を鳴らした。それを合図に空間が塗り変わる。視覚的には何が変わったのか分からない。しかし、体感的にはその違いが明らかであった。どこか重苦しさを感じる様子がきれいさっぱり消え去っている。ようやく地面に足を着けることが出来たような、安定感のある空間になったのだ。恐らく、細も少なからず影響を受けていたのだろう。
細と樹はニヤリと笑って見せた。
――さぁ、反撃の時間だ
『くそっ! あいつを狙え!』
「おうっ! ……って、やべえっ!?」
空間の主導権を奪い返せないことに焦ったのかおじいさんは薫に指示を出した。薫はその指示に即座に従ったのだが、その顔は恐怖に彩られている。それも当然かもしれない。向かう先に待ち構えていた樹が封じ用の数珠を持っていたからだ。これが鬼の血を引く薫にはよく効くのである。
「ちょ~っと大人しくしておこうか?」
怒りマークが透けて見えるかのような笑みを浮かべた樹は慣れた様子で薫を捕らえた。あっさり無力化された薫はその場で呆然としていたが、細に邪魔だと言われて退かされる。
『くそが……空間を……空間を取り戻さねば……』
「無駄だ。……縛っ!」
薫を一番に樹に向けてけしかけたところからも分かるが、碓井家の空間に干渉していたのはこのおじいさんだったようだ。だが、その主導権は今樹にある。そのためだろうか。無防備な様子になったのでこれ幸いにと呪符でガチガチに縛った。
「あっはっは~! 得意としている分野で負けた気分はどうかな? あっはっはっはっは!」
笑いが止まらないといった様子の樹を見て細は溜息を吐いた。一体どれだけ腹に据えかねていたのだろうか。細達の方が悪者に見えてしまう。
ふ……と息を戻し、細は視線を険しくさせた。
「逃げようとしても無駄だ」
視線の先ではおじいさんがあがいていた。何とかして逃れようとしたのだろう。だが、細もそれを許すような甘い術にはしていない。
「何が目的でここの空間に干渉した? 何故それほどの力を振るえる?」
『ははは……ワシが話すとでも思うたか? 小童よ』
「まぁ、そう簡単にはいかないか……」
おじいさんの目的も、その力の理由も聞き出すことは難しいと分かっていた。さりとて、何も情報を得ずに始末するわけにもいかない。幽霊でありながら霊能者としての力を振るえるとなると危険度が跳ね上がるからだ。方法を聞き出して未然に防ぐように動く必要がある。
『Sの坊よ、そやつはもう滅して構わんぞ』
細がどうにもこうにも動けないことに苛立ちを感じ始めたとき、背後から声がした。そして振り向いた先にあったのは……
紛れもない、仏壇だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます