3 碓井家


 一方で、樹と薫は碓井家へと向かっていた。


「泊まり、なぁ……」


 げんなりした様子でそう呟く薫の足取りは重い。視線が少し前を歩く小柄な人物に向かっているところから、その心労の原因は樹にあることが分かる。


「泊まりみたいだね~」


 薫からのじっとりした視線を意に介さずに軽やかに歩いている樹はその背中に大量の機材を背負っていた。小柄で童顔の彼がそんなものを背負っていると大変目立つ。こんな少年に大荷物を持たせて連れは何をしているんだと視線をずらしてみて、隣を歩く薫の金髪ピアスというヤンキールックが目に入って通りすがりの人は色々な意味でギョッとするだろう。

 幸い、ちょうど今二人が歩いている辺りは人がやって来ない時間らしく、人影は見えなかったが。


「そんな機械をどうすんだよ?」

「機械というか機材ね」


 オールドアの男衆は碓井家に泊まって怪異を確認することになっている。細は教師としての仕事があるらしく、合流は日が落ちてからになるが、その前に樹と薫は家を確認しておくことになったのだ。とりあえず薫は換えの服などを入れたリュックを背負い、来留芽と巴が作ってくれたおにぎりが入った保冷バッグを手に提げている。

 それだけの準備をしてオールドアの外へ出て、樹を目にして仰天した。いくら何でも多すぎる、と言いたくなるような荷物だったのに、それを楽々背負って暢気に手を振っていたからだ。

 驚きの冷めやらぬ内にさっさと歩き出されてしまったので詰問するタイミングを逃していた。だが、閑静な住宅地にやって来てようやく聞くことが出来た。というのも人目があるうちは聞かれるとまずい返答をする可能性があったからだ。

 正直に言うと樹は犯罪者予備軍である。罪状は……盗撮盗聴だろうか。来留芽や巴が訴えたら勝てるだろう。だが、それをしないのは騒がれてオールドアの裏の仕事のことがばれては困るからである。裏に関わっている企業・組織は内部で犯罪があったとしても黙っている傾向がある。ただ、まれにそれが最悪の方向へ展開する事もあるので裏警察という組織が作られている。

 ……もっとも、腐り落ちていてまともに機能しているとは言えない部署が存在するという残念な現実もあるにはあるのだが。


「ん~、ちょっとやりたいことがあってさ~」

「やりたいこと?」


 薫の問いに答えるためか樹はくるりと振り向き、小首を傾げた。


「……男がその動作をしても全く和まねぇぜ。……特に本性を知っていると」


 薫には、樹の背後に黒いオーラが見えた気がした。だからそっと視線を逸らす。


「ん? ……なんだって~?」

「いや、なんでもねぇよ」

「……ま、いっか。今日持ってきているのはいつもの盗撮セットじゃなくてサーモグラフィーカメラなんだよね~。生霊と普通の幽霊……怨霊の違いが映るかな~と思って」

「盗撮……なぁ樹、ほどほどにした方がいいぜ、マジで。最近巴が本部で筋トレしているんだが、あのパンチ力はヤバい」


 仕事で本部へ行ったときに薫は見ていた。ムキムキの烏天狗が稽古を付けてもらいに巴の元へやって来る光景を。そして巴がちょうどいいサンドバッグがやって来たと言わんばかりにニヤァと邪悪に笑って、唸る右ストレートで烏天狗を一発ノックダウンした衝撃の光景を目撃してしまった。

 あれは、やばい。本能的にそう思った。

 身体的には普通の女性であるはずの巴がムキムキの……それこそ鬼とタメを張るような烏天狗をぶっ飛ばしていたことは薫から巴に反抗する気力を奪った。

 着々と格闘能力が上達している。巴の渾名が【姉御】になる日もそう遠くないのかもしれない。


「……と、今日のはそれじゃねぇのか。サーモグラフィー? 幽霊が映るのか?」

「映る映る。……たぶん。まぁ、僕らは自分の目で見れるから役に立つか分からないけど、記録しておいて損はないだろうし~」


 ただ単にカメラを使いたいだけなのではないのかと思ったが、それを言ってしまうと何故かカメラのうんちくを飽きるほど語られるので大人しく口をつぐむ。

 そのまま静かな道を歩いたら問題の碓井家に辿り着いた。二階建ての、割と大きい家だ。その塀の内側には一本立派な木が生えていた。二人はまず庭にお邪魔してそれを見上げる。


「立派な梅の木だね~。適度に手入れをされているっぽい」

「っぽい?」

「だって僕、農家じゃないし」

「それもそうだ」


 とりとめもない会話をしつつ、薫は後ろを振り向いて家を見上げた。ごく普通の家だ。人が住んでいたから荒れてもいない。そして、幸いと言って良いのか分からないが、今のところは怪異の気配を感じられない。


「夜限定かもね~。薫、鍵持ってたよね。開けて~」

「へいへい」

「あ、あんた達っ! 碓井さんのお友達なのかい? 泥棒じゃないんだろうねっ!?」


 隣と敷地を分けている塀の向こうから覗く目が、そう話しかけてきた。実は、碓井家についてから二人ともずっとその女性には気が付いていた。本人は隠れていたのかもしれないが、目から上を出してじっと見られたら嫌でも気付いてしまう。梅の木を見て逃避していたが、内心では苦笑いしていた。


「泥棒じゃありませんよ~」

「本当なんだろうね!? この辺りじゃ見ない顔じゃないか」


 眉をひそめて手に持った箒を振り上げながらそう叫んでくる。疑い深いことだと思い、樹は苦笑を表に出す。


「本当ですって~。実は、住むにあたって少し不便なところがあるらしくて、僕らはその調査に派遣されてきたんですよ」

「ああ……なるほどねぇ」


 樹が隣に住むおばさんの誤解を解くために必死に口を回している間、ガラが悪く、ついでに見た目や態度も万人受けしない薫はずっと樹による剣呑な拘束を受けていた。ばれない程度にグリグリと足を踏まれていたのだ。彼が内心で「野郎ここで口開いたらただじゃおかねぇぞ直立不動で立っていろよ」と脅迫する言葉を呟いていたのは間違いない。


「ああ、そういえば話は変わるんですが~、この家に関することで何か知りませんか~? たまに不思議なこと、起こるそうですね~?」

「あら! そうそう、あんた達は知っているか分からないけどねぇ、碓井さん家、たまに妙な人影が見えるのよ。ここらじゃ有名よぉ。最近この辺りでよく見かける子どもも話しているわよ。それを聞いてピンときたのね。うちはほら、隣に住んでいるからね……結構見るのよ」


 おばさんは少し笑ってまくしたて、最後だけは真剣な顔で声を潜めてそう言った。しかし、言った後わずかに得意げな顔になっていることから、この話は別にここで初めて言ったわけでもなさそうだ。有名だとは言うが、このおばさんが広めたことなのかもしれない。

 薫は幾分か冷めた目をおばさんに向けていた。こういった好奇心の強い人は余計な騒ぎを起こしやすい、面倒くさい人種だからだ。

 そんな薫の様子を察したのか、樹が影で薫をムギュウッとつねってきた。痛みによって思い切り顔が引き攣ったが、幸いなことにおばさんは気付いていないようだ。

 薫の様子を横目で見てフッと小さく笑った樹はさらなる情報を得ようと会話を続けることにした。


「見るって……人影を、ですか~?」

「そうなのよ。そこに見える縁側っていうのかね。夜に変な影が動いていることがあるのね。でも……碓井さんのところはおじい様が大分前になくなられているでしょう? あの家に住んでいるのはお祖母様一人だけのはず。あの人、あそこには滅多に来ないのよ。だからおかしいわね~って話していたのよね」

「そんな不思議なことがあったんですか~。夜は気を付けないといけませんね」

「本当にねぇ。頑張ってね」


 おばさんは話し終えて満足したのか、樹と薫に手を振ると自分の家の中へ戻っていった。それを見送って二人とも今度こそ碓井家へと入る。他人の家だからか、どこか異質な空気を感じた。

 そして、玄関扉に背を預けて薫がぼそりと呟いた。


「やけにあっさり解放してくれたような……。樹、何かやったのか?」

「……ま、ちょっとね~」


 樹のこの曖昧な笑みは何かを誤魔化したいときに浮かべるものだ。深く聞くのは危険だと判断し、薫はそれ以上深くは尋ねなかった。


「んで、客間にでも泊まれば良いのか?」

「何言っているの、薫。僕らは当然仏間でしょ~」

「……まぁ、そうだよな」


 そう呟くと薫は靴を脱ぐ間に床に置いておいた保冷バッグを持ち上げ、家に上がり込んだ。

 そして、早速仏間を覗きに行けば、しっかりと水を供えられている仏壇がでんと構えていた。やはり、一目見て分かるような異常はない。


「朝のうちに水を変えに来たのかな~? 薫、においはどう?」

「においって……」


 どういう意味だ、と問い詰めようとしたところ、鼻先に水の入ったコップを突き出されて言葉を封じられた。仕方なくにおいを嗅いでみるが、これといった特徴はない。


「……水だろ。普通の水。何にもにおいはしねぇよ。あえて言うなら水のにおいか?」


 薫がそう言うと樹は期待を外され、失望した様子を見せた。


「え~、もっと何かさぁ、ないの? ここの奥さんのにおいがするっ! とか。『鬼の嗅覚が鳴るぜっ☆』てやってよ」

「樹、お前なぁ……俺を警察犬と間違えてねぇか? 鬼の嗅覚は人と変わらねぇよ! それに何だ、『鬼の嗅覚が鳴るぜっ☆』って……」


 呆れたように頭を振る。その途中でひょっとしたら鬼の血を継いでいる一部は嗅覚が強いかもしれないと思い、つい脳裏に思い浮かべてしまった。『鬼の嗅覚が鳴るぜっ☆』と高らかに叫び、次の瞬間鼻を押さえて悶絶するというイメージだ。

 慌てて激しく頭を振ることでそのイメージを脳内から追い出そうとする。あり得そうで怖い。実際に鬼は……鬼の血を引いている人間は……


「変身の呪文を唱えなきゃ力を使えないんだよね~? 多種多様だから、嗅覚もあり得るんじゃないの~?」

「変身の呪文言うな……気合いを入れれば何も言わずに出来る」


 樹が薫の頭の中を覗いたかのように懸念を口にした。

 残念ながら、薫にはそれを否定する材料がなかった。


「ま、それはともかく、この家の部屋を全部確認しておこうか。許可は得ているからさ~」


 ちらりと仏間を見回してから樹は薫と視線を合わせた。

 普通に考えれば許可を得ているからと言っても人様の家を遠慮無く確認できる人はそういないだろう。空き巣狙いの悪党ならあり得るかもしれないが、一般には遠慮してしまうことが多いと思う。しかし、樹も薫も普通とはズレている。いや、少し語弊があるかもしれない。幽霊・あやかしが確かに存在していると知る二人はこういう場合に遠慮はしない方が良いということを知っているのだ。


「僕は二階へカメラを設置しながら見てくるから、薫は一階の部屋を頼むよ~」

「へいへい」


 そうして樹は機材の半分ほどを背負って二階へと上がっていった。それを見送ると薫も一階の部屋を見て回る。和室、玄関、リビング、トイレ、洗面所、風呂場……。

 どこも、異常はなかった。

 ただし、台所を見に行ったところ、テーブルの上に一枚のメモが置かれていた。


「何だ?

『業者様へ

 翔から話は聞きました。貴重品などは持ち出してあるので家の調査をよろしくお願いします。特に、母が倒れた階段を重点的に見ていただけると助かります 碓井環』……?」


 薫達は隣に住むおばさんにも話したように、家の不都合を調査するという名目でやって来ている。このメモを書いたのであろう碓井環という人物はおそらく依頼人の碓井翔の母親だろう。この文面からすると……


「本当の依頼については何も話していないってこった」


 碓井母が調査中にこの家へやって来ないように手を打ったのだろうが、幽霊に関した話は流石に出来なかったのだと分かる。


「ちょっと辻褄合わせが必要になるか……?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る