2 夢も現


「集まれ!」


 社長の言葉に別室で仕事していた面々が集まる。このメンバーはひそひそ話すらどうやってか聞き取る地獄耳の持ち主だ……というのは冗談としても、これだけ早くやって来たということは樹あたりが盗聴していたに違いない。


「皆大体は分かっているだろうが、一応今回の依頼について説明しておく。

 依頼者は碓井翔。今は町ホテルで過ごしているそうだ。内容は彼の祖母の家に現れる女の霊の調査及び可能であれば除霊すること。依頼者から聞いた話だけでの判断は早計かもしれないが、どうも女の霊は悪霊化している可能性が高い。今回は二つのチームに別れてもらう。とりあえず来留芽とともえとで祖母の方から調べてくれ。ささめいつきかおるは手が空きしだい可能なら二人以上で家の方の調査だ。くれぐれも単独での行動は控えるように。やることがなければここへ来てくれればいくらでも仕事を振り分けてやる。質問、疑問は?」


 社長モードが入った叔父、まもるは即断即決で仕事を割り振ってくれる。巴に言わせれば、この人の元だとやはり仕事がしやすいそうだ。


「社長。私も他に仕事があるのですが? 不在の場合、来留芽ちゃん一人じゃきついのでは?」


 来留芽のペアを指示された巴が疑問を挟んだ。確かに巴は他の仕事も受け持っている。この会社の社員では仕事の掛け持ちをしていないのは来留芽くらいだ。しかしそれも社長の計らいである。以前に、まだ学生である来留芽に過剰な仕事を割り振りたくないと言っていたので間違いないだろう。


「大丈夫だろう。お前たち二人は依頼者のおばあさんから話を聞くことが中心なんだ。件の家に近づかない限り安全のはず」

「分かりました。私からの質問はありません」

「社長。今回の依頼の期限はどうなっていますか?」


 その質問をしたのは細で、プライベートで来留芽は彼のことを細兄ささめにいと呼んでいる。この“裏”の仕事のエースであると共に来留芽が通う鳥居越学園の教師でもある。


「特に期限を切られてはいないが、とりあえず一週間以内に何らかの結果が欲しい」

「分かりました」


 それ以外に質問は挙がらなかった。そして、来留芽達は調査に動き始めた。



 ***



 来留芽と巴はまず、碓井さんのおばあさんが入院している病院に向かった。


「あの、碓井翔様でしょうか?」


 待ち合わせ場所で立っていたスーツ姿の男性に声をかけた。別の方向を向いていて顔が分からなかったからだ。


「ああ、はい。碓井は俺ですが。おや、貴女は確か古戸来留芽さん。では、そちらの方も……」

「はじめまして。オールドアの社員で、一色と申します。電話口でも話しましたが、私達はおばあさまの方から調査を進めさせていただきます」


 今日の巴はスーツを着ている。話を聞き終えたら本部へ出向くからだが、来留芽もそれに合せてスーツ姿を選んだ。話を聞きに行くだけなので多少動きにくい服でも問題ないはずだと判断したからだ。


「はい。ただ、祖母も体調が思わしくないので、まれに面会謝絶になっていることもありますが、そこは御理解ください」

「はい、もちろんです」

「まぁ、心配は要らないと思いますよ。先程聞いたところ、今日は安定しているそうです」

「それは良かったです」


 流石に見ず知らずの人が見舞うというのもおかしいし、こちらが聞きたいことは幽霊やら怨霊など、一般に信じられていないことなのでそう簡単に口に出せない。しかし、身内からの話であれば考えてくれる可能性が高い。そこで、依頼者の碓井に間を取り持ってもらうことになったのだ。もうすでにあの家で怪奇現象が起こったことを伝えてもらっているので話はスムーズに進むはずだった。


「ここです。あの、俺も同席していいですか?」

「ええ。むしろ、こちらからお願いしたいですね。やはり当事者からの話の方が説得力もありますし」

「ありがとうございます。……ばあちゃん、入るよ」


 病室のベッドからこちらを見るのは穏やかな笑みを浮かべたおばあさんだった。


「おや、翔。そちらが昨日話してくれた方々? 世の中の不思議な現象を解明しているのだとか。おもしろいお仕事をなさっているんだねぇ」


 一体どういう説明をしたのだろうか。少なくとも分かるのは直接的な表現ではなかっただろうということだ。そして、恐らく“裏”のことを信じていない。

 しかし、別に問題は無かったりする。わざわざ裏のことを広めることはないのだから。


「初めまして。オールドアの一色と申します。こちらは同じくオールドアで働く古戸です。今日は碓井様の依頼を解決するために少々お聞きしたいことがあり、訪問させていただきました」


 巴と来留芽は自分の名刺を取り出しておばあさんに見せていた。こういう物があると意外と受け入れて貰いやすい。


「あらあら。丁寧にありがとうねぇ。さぁ、座って。翔、何しているんだい。早く椅子を持ってきなさいな」

「あはは……人使いが荒いなぁ、まったく」


 そんな風に文句を言いながらもその顔には笑みが浮かんでいた。良い関係なのだろう。互いに信頼があって良い意味で遠慮が無い。来留芽は碓井が祖母を心配しているその想いに納得できた。


「それじゃあ、何を話せば良いのかね」


 彼女は思った以上に協力的だった。こういう人はありがたい。


「では、こちらに入院するようになってから見た夢を覚えていますか?」


 生霊はたいてい自覚がない。しかし、夢として覚えている人もいないわけではない。ただ、夢と名のつくとおり、はっきりと記憶しておらず少し時間が経って忘れてしまったというケースもあり得るのだ。

 だから、最初の質問は夢を覚えているかどうかというものになった。


「夢? そうだねぇ……あまりはっきりとは覚えていないけど……」


 少しだけ瞳が揺れた気がする。はっきりとは覚えていないとはいえ、見ていないわけではないのだろう。ただ、夢は見たような見ていないような気分になるものだ。確信が持てないから話して良いか迷っているに違いなかった。


「何でもいいのです。ご実家に舞い戻っているような夢でも、お孫さんと一緒にいる夢でも」

「ええと……はっきり覚えているのはここに入院してすぐのものになるねぇ」



 ――私はねぇ、倒れるまでずっと長い時間をあの家で過ごしてきたんだよ。あの家に私の心があるのさ。だからなんだろうかね……。


 そういう出だしから始まった話は、来留芽達がある程度予想していた通りだった。


 ――入院してから私は家のことがやけに気になるようになったんだ。仏壇の掃除、水替え、庭の梅の手入れ……いつものことが出来ないのがとても嫌だった。けれど、孫が……そこのしょうがね、私の変わりに家のことをやってくれると言ってね。ありがたいと思ったんだ。

 その夜のことさ。気付いたら私は真っ暗闇の中にいた。右を見ても左を見てもなぁんにも見えない。本当の真っ暗闇だった。初め、私は寝ているうちに死んじまったんじゃないかと怖かったんだ。『死んだら天国でも地獄でもなく、ただの暗闇へ行くのか。おじいさんとは会えそうにないね』と少し悲しかった。

 けれど、私がおじいさんのことを考えたからだろうかね。唐突に仏壇が現れたんだ。翔は知っているね。私の家にある仏壇だよ。暗闇の中、あの仏壇だけがぼうっと光っていた。あの人が迎えに来てくれたのかね、と思いながら見つめていたら声がしたんだ。


『おたき、おたき』


 ああ、夢のようだと思った。本当に懐かしい声だったんだ。あの人の優しい声だった。


かけるさん……どこに、いるんだい?」

『おたき、目の前だ。お前の目の前にいるよ』

「目の前って、翔さん……仏壇になっちまったのかい!?」


 私の目の前にあるのは家の仏壇だったからね。夢の中だと頭が働かなくて……おじいさんが仏壇になって化けて出てきたのだと思ったんだ。


『はっはっは! おたきにはわしが仏壇に見えているのか!』

「仏壇にしか見えませんよ」

『わしも死んでから長いようだからなぁ。どうだ、環は元気にしているか。孫は大きくなったか?』


 おじいさんが亡くなったのは翔が生まれてすぐの頃だった。だから、孫の名前がしょうだと……自分の名前が使われているのだと知らないままだったみたいだね。


かけるさん、ねぇ、あんた。あんたの名前をもらった孫、私達の孫……しょうは立派に育ったよ。あんたにそっくりの社交的な性格で……私は誇らしいよ。他にもたくさん話したいことがあるんだ。楽しみにしていておくれな。私もじき、そちらに向かうからね」


 おじいさんの問い掛けに答えようとしたら仏壇がだんだん遠くなっていたんだ。ああこれは夢が覚めちまうね、と思って随分と早口で言った気がするね。


『そうか、そうか……』


 その日は、そこで目が覚めちまった。けれど、次の日も、そのまた次の日も私の夢におじいさんが現れてくれたんだ。


『おたき、おたき』

「あれ、どうしたんだい」

『おたき。身体の具合はどうなんだね。立てるかい? 歩けるかい?』

「もちろん、立つことも歩くこともできるよ。どうしたんだい、急にそんなことを聞いて……」


 相変わらず仏壇の姿でおじいさんの声が心配そうに響いたんだ。何かあったのかね、と思いながら、尋ねたんだ。


『おたき、わしはあまりおたきを怖がらせたくないんだが……』

「大丈夫だよ。私も随分と長く生きているからね。多少怖い話でも平気さ。何が気がかりなんだい」

『話す前に一つ聞かせておくれ。おたきがいない家は誰が管理しているんだい』

「孫の翔だよ。仕事場に近いからって私がいない間庭の水やりとか仏壇のお供えとかをやってくれると言ってね」


 私がそう言うとおじいさんは考え込むように少し黙っていたね。そして、小さい声でぶつぶつと何かを呟いていた。


『……ならば、孫が連れ込んだのか……? しかし、わしの護りはもう少し続くものと思っていたのだがなぁ』


 おじいさんの癖だね。考えをまとめていたんだ。こういうときのあの人は何やら不思議な雰囲気をまとっていたんだよ。それは、仏壇の状態でも変わらなかった。むしろ、もっと神々しいというか……拝んでしまいそうな感じだったと言って分かるかね。まぁ、ホトケさんだからね。


「あんた、そろそろ時間みたいだよ。また今度話しておくれ」


 いつもの別れの時のようにおじいさん(仏壇)が遠くなっていたんだ。


『あ、ああ……そうだな。……おたき!』


 目が覚める時間だね、と少し寂しく思いながら見ていると、おじいさんが私の名前を呼んだ。


『もし、不思議な出来事について聞きに来た人がいたら、わしのことも含めてきちんと言うんだ! わしは……もう……』


 そして、そんなことを最後に叫んできたんだ。これが、昨晩のことだよ。



 ***



「夢の中の翔さんもボケてしまったのかと思っていたけど……予言者にでもなったのかね。こう見えて私も驚いているんだよ」


 来留芽と巴は顔を見合わせた。おばあさんの夢に現れたというおじいさんは、作り出されたものではなく、本当に幽霊か何かとして存在しているように思えたからだ。例えその外見が仏壇だとしても。話し振りからして相当前に亡くなっているようだが、よくもまぁ、堕ちずにいられたものだと内心で驚いていた。ひょっとして守護霊となったのだろうか。本当は滅多にないことなのだが……。


「こちらとしても、予想外の話で驚きました。そのおじいさんはかなり霊力を持った方なのでしょう」


 可能ならそのおじいさんに会いたいものだが、姿を現してくれるかどうかは分からない。

 来留芽と巴は内緒話をするように顔を近づけて相談する。


「……樹に頼んでみよっか?」

「あー、樹兄なら確かに夢に入れるけど、家の方を調べに行っているから……疲れているはず。大丈夫かな」


 取り越し苦労ならいいのだが、力を使わなくてはならない何かが起こっていた場合、さらに夢渡りを行ってくれと言われたら……来留芽ならキレる。


「よほど疲れているようならあたしも無理は言わないさ。けれど、そこそこの疲労だったらやらせる。それに、向こうでの進捗次第では手間を省けるかもしれないし」


 そう言った巴は屈めていた体を伸ばしておばあさんの方に向き直った。「やらせる」と言った一瞬に樹に対して鬱憤が溜まっているのだろうな、と思わせる据わった目をしていたことに気付いてしまい、来留芽はそれに一歩遅れてしまった。足がすくんでしまったとも言う。


 ――あの目は向けられたくない

 無言の来留芽が強く思っていたのはそんなことだった。


「お話は終わったみたいだね。私の話はあれで全部だったんだけど……これから何かした方が良いとかあれば教えてくれるとありがたいね」

「そうですね……ご自宅の方を同僚が確認しに向かっているので、その結果次第になりますが、もしかしたら今晩辺り夢の方へお邪魔させていただくかもしれません」

「夢?」


 おばあさんは思いがけないことを聞いたというようにぽかんと口を開けてオウム返しにそう呟いた。


「私の同僚に山無樹という人がいるのですが、彼は他人の夢の中に入ることが出来るのです。あちらで現れなかった場合は、夢から接触するという」

「ああ! それなら、私は夢の中であの人を紹介すればいいんだね」

「いえ、今日はゆっくりおやすみください」


 これもまた予想外の言葉であったのか、おばあさんはきょとんとして巴を見た。


「夢というものは見ようと思って見られる訳ではありません。しかし、心が穏やかであれば普段の夢というものを見やすいのです。それに、おじいさまは私達のことを予見していたようですし、普通に現れてくださるでしょう」

「おや、そうなのかい。それなら……出来るだけいつものように過ごそうかね」

「はい。安眠のための護符があるので、これを枕の下に置いてから寝るようにしてくださいね」


 そして、来留芽と巴は病室を後にした。おばあさんとはそう長い時間話していたわけではないのだが疲れが見えていたからだ。無理はさせたくなかった。



 背後で扉を閉めてから来留芽達は近くにあった椅子に座った。碓井は少し戸惑っていたが、合わせて座る。何を言われるのかと緊張してか両手を固く組んでいた。


「碓井さん。おばあさんの方は話を聞く限り、家の異変に気付いたおじいさんが呼び寄せたことが原因で幽体離脱したのだと思います」

「幽体離脱ですか。聞いたことはありますね」

「生霊という状態で仏壇の前にいたのでしょう。周りが暗かったとおっしゃっていたので、恐らくおじいさんが彼女を守っていたはずです。幸いなことに、もう一人の幽霊とは遭遇していないようですね」


 ピクリと碓井の身体が跳ねた。

 そう、もう一人いると考えられる幽霊……黒髪ロングの女性の幽霊について、おばあさんは関係していない。


「もし、遭遇していたら何かマズいことでもあるのですか?」

「そのまま亡くなる可能性はありました」


 巴の言葉に碓井はギョッとして腰を浮かした。叫びかけて、場所を思い出したのか言葉をグッと飲み込む。


「大丈夫。生霊なら対処も簡単です」

「そうなのですか?」

「生霊は話が通じますから、古戸の言うとおり対処は簡単です。しかし、簡単ではないのが悪霊です。碓井様の家に現れたということは、その家が霊の通り道であったり、自殺者がいたりということが無い限りは人に取り憑いてやって来たと考えられます」


 巴はそこで言葉を切って一つ深呼吸する。原因究明のためには、ここからが肝心だからだ。


「最近、曰く付きの場所や自殺スポットなどへ行ったりしたことはありませんか? もしくは、身近な人でそのような場所へ行った人がいませんか」


 その言葉に、碓井は表情を無くして固まった。


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