8 お酒は二十歳から


※この小説は未成年の飲酒など反社会的行為を推奨するものではありません。


 ☆★☆★



 来留芽と大天狗はかなりのペースで妖酒を空けていく。それにつられて飲むペースが早くなっていた他のあやかし達はすでに潰れていた。


『ップハーッ、なかなか続くのぅ、娘よ』

「そりゃ、大天狗様を潰さなくてはならないときに本気になるのは当然」

『ハッハッハ。愉快じゃ、愉快じゃ。このまま心行くまで呑み明かそうぞ!』

「それは勘弁願いたい」


 それにしても、潰れてくれない。この大天狗様ワクだな、とげんなりする。


「そういえば、どうして『天狗殺し』を飲んでいるの」


 酔ったような頭でここまで気になっていたことを尋ねる。酒飲みのあやかしに対してどうして飲んでいるのかと尋ねるのは場合によっては気分を損ねることだったりする。幸い、目の前の大天狗はそのあたりのことを気にしない質のようで、機嫌を悪くせずに呵呵と大笑した。


『そりゃ、儂は大天狗になってからこれでしか酔えないからよ』


 この『天狗殺し』は天狗が酔いやすい妖酒だが、その効力は本当に強い。一口飲んだだけでひっくり返ってしまうという。それなのに、大天狗は平気で飲んでいるので気になっていたのだ。しかし、その理由が酔えないからだとは思いもしなかった。


「それで、酔ってるの?」

『無論。いい気分じゃ。それに、儂とここまで対等に飲める者なぞ、人の子には滅多にいなかったからの』


 ――楽しそうで何より

 来留芽はゆっくりと器を傾ける。その様子を大天狗は機嫌良さげに見ていたが、来留芽の方は正直限界が近かった。体躯の違いは意外と大きいのだ。


「……限界」


 そのあと数杯空にし、とうとう来留芽にも限界がきた。


『ハッハッハ。ここまでようもったの。どれ、娘が言いたいことは何だったのじゃ』


 大きく笑ってまた器を空にする大天狗を呆れたように見て来留芽は溜息交じりに話す。


「祭りで羽目を外すのはいいけど、人に手を出すなってこと。あと、この宴会も人にばれかけているから気を付けるように注意するつもりだった」


 素面の人に見られたら誤魔化すなり記憶を消すなりするために奔走することになるのだ。ただでさえあやかし達が余計な騒動を起こさないように見張っていなくてはならないのに、そんな仕事までこなせるわけがないだろう。


『ほうほう、儂等に釘を指しに来たということかの。ここまで付き合ってくれた褒美に、娘がここで潰したあやかしと同種の者達には注意しておこうぞ。もっとも、自粛するかは分からんがな。ハッハッハ!』

「それでも、ありがとうございます」


 限界ぎりぎりまで飲んだかいがあった……と言えるかもしれない。大天狗がどう動くかについては懸念を感じずにはいられないが。


『また飲もうぞ、娘よ』

「機会があったら」


 潰れたあやかし達は大天狗が回収してくれるらしい。だから来留芽は一礼して山を下りた。

 あやかしの宴会場では炎が辺りをオレンジに染め、真昼のように明るかった。しかし、その光は山裾に届くことはない。


「どうも最初から仕組まれていた気がする」


 大天狗ほどの妖力があれば人に何かいるように思わせ、霊能者を呼び寄せて飲み比べという娯楽に仕立てあげることも楽に出来たことだろう。


「ハァ、年の功に勝てるものはないか……」



 ***



 その日の夜、オールドアでは各自が仕事の進捗を報告していた。

 ……いや、報告という形の愚痴大会のようになっていた。

 まずは細からだ。


「俺は鳥居越学園の開かずの扉を封じに行っていた。狭間を通ってこちらに来るあやかしもいないわけではないからな。あの扉、かなり擬態が上手くて本当に大変だった……」


 すべての開かずの扉を見つけてきたのだろうか。おそらく、一つ一つの扉を確認したのだと思う。ご苦労なことだ。


「それで、おそらく全てを封じることができたと思う。ただ、やはり封印もそう長くは持たない。七夕を過ぎれば解けてしまいそうだ」

「へぇ。普通の開かずの扉は一度封じれば大人しくなるよね? 鳥居越学園って、何かありそうだ」


 巴から見てもそうなるようだ。しかし、何かありそうだと思っても異変を起こしている原因というものは見つからないのが現状だった。


「もうちょっと調べないと分からない。俺と来留芽で粗方探し終えたんだけどな。あと、目についたあやかしには釘を刺しておいた。俺からはこんなものだ。樹はどうだった?」


 細が突っ伏している樹を見る。


「僕の方はオールドア担当地域の霊園とかお墓を見回ってきたんだけど~……やっぱりあやかしの溜まり場になってた。ちっちゃい奴が多かったから釘を刺そうにも話を聞かないし、どうしてくれようかと思ったよ……」

「小妖怪が多かったってことか?」


 薫が疑問の声を上げる。その疑問は来留芽も抱いていた。樹は見た目に似合わず容赦がない。小妖怪ごときに手間取るようなことをするだろうか。その思いは共通していたようで、全員の視線が樹に集まる。


「いや、小妖怪も混じっていたけど……基本的には子どものあやかしだったよ~。だから子守りさせられて疲れた……」


 子どものあやかしは好奇心のままにあちこち走り出すから子守りは本当に大変らしい。しかし、普通は現世に連れてこないものだが……。


「子どものあやかしはたいてい妖界から出さないじゃないか。どうしてまた現世に来ていたのか……」


 巴が眉間に皺を寄せて呟く。樹はまた突っ伏して頭を抱え、即座に原因を答えた。


「天の川のせいだよ~! 世話役の猫又の話だと、一人……一匹? が妖界の天の川に落ちて、遊びだと思った他の奴が飛び込んで、最終的に全員が天の川に流されたんだってさ」


 普通は世話役が掬い上げて回収するのだが、不運なことにその世話役が小妖怪の猫又しかいなかったから掬い上げることができなかったのだ。仕方がないからせめて一緒に流れて守ろうとしたのだとか。


「……滅多にない珍事だな。それで、そいつらは妖界に戻ったのか?」

「狭間をこじ開けて送り届けてきたよ~」


 狭間を? 果たしてそれは人間が開けられるものだっただろうか、と来留芽は考え込んだ。


「どうやって? ……どうやって狭間何かを開けられるの?」

「あ、聞きたい? たぶん後悔すると思うけど、聞く~?」


 このフリは少し危険なにおいがする。


「いい。聞かない」

「だよね~。あれも禁呪だから聞かない方がいいよ」


 ――やっぱり

 来留芽達は苦笑いで首を振った。


「お茶淹れたよ」


 少し席を外していた巴が人数分のお茶やコーヒーを持って戻ってきた。この愚痴大会が長引く予感がする。


「あ、ありがと、巴。まぁ、禁呪はおいといてさ~、薫は何かあった?」


 薫は今日、翡翠の補佐として本部に行っていたはずだ。来留芽達は聞きながら各自飲み物を口に含む。


「今日はいつも通り本部の老害どもからの刺客をぶっ飛ばすことから始まった」

「「ブフッ」」


 巴と樹が吹いた。


「ケホッ……ゴフォ……な、何故棒読み?」

「何となく。それで、今日は意外と妨害がしつこかったんだよ。俺はそれに対応するのに手一杯で肝心の翡翠の訓練が進まなくてな。藤野さんが激怒した」


 激おこ以上の怒りを以て刺客を転がして転がして転がしまくったらしい。可哀想に刺客のほとんどは心を折られたそうだ。


「俺の所で起こったのはこれくらいだ。あ、そういえば藤野さんのところに天狗が来ていたっけ。珍しいなと思ってやりとりを聞いていたんだが、大天狗のことで相談に来ていたらしい」

「グフッ……ゴホッ、ゴホッ」


 “大天狗”のところで思わずむせてしまった。


「大丈夫か? お嬢」

「大丈夫。ちょうど関わりのある話題が出たし、次は私が話す」


 来留芽は大天狗がいた山の上の宴会のことを話した。もちろん、大天狗との飲み比べについても。大天狗が好んで飲んでいたのが『天狗殺し』だという話を聞いて皆「うわぁ」という表情になっていた。


「確か、天狗は大天狗の呼び掛ける宴会を断れないんだよね~。で、当然宴会ではその『天狗殺し』を飲まされるんだろうし……楽しむまもなく潰れちゃうはず」

「そりゃ、たとえ人間相手でもどうにからならないか相談したくなるな……」


 大天狗に逆らえない天狗。実に哀れな存在である。


「で、大天狗様を潰せなかったんだ」


 巴が確認するように聞いてくる。それに来留芽は首肯する。


「残念ながら。流石に飲兵衛の天狗の親玉なだけあってワクだった。『天狗殺し』で勝負していたんだけど……」

「そりゃあ恐ろしい大天狗様もいたものだね。でも、多分大丈夫だよ」


 なぜ大丈夫なのだろうか。首を傾げていると巴が話してくれた。


「あたしは水妖達に釘を刺しに行ってきた。今日は大蛇どもを締めて回ったんだけど……その親玉が現れたんだ」

「大蛇の親玉というと……」

「ヤマタノオロチだね。あれも飲兵衛(のんべえ)で、飲み比べに勝ったら頼みを聞いてやると言ってきたから勝負を受けたんだ」


 大天狗と同じパターンだった。


「もちろん、勝ったよ。妖酒じゃなくて普通の酒だったけど、一つ一つの頭を酔い潰してやった」


 ここにもワクがいた。巴はとっくに成人しているから普通の酒を飲んでも問題はないのだが、ヤマタノオロチを酔い潰すほど飲むというのは流石に危険だったと思う。


「そういう飲み方は透さんが怒らない?」


 あの人はまだ常識を投げ捨てていないから巴の無茶を止めるはずだ。ヤマタノオロチを酔い潰すためとはいえ、そんな飲み方をしては普通なら怒るだろう。


「あー、大丈夫。一色の女は酒豪が多いから、ヤマタノオロチを潰す程度なら普通だっていう常識が刷り込まれてる」


 何ということだ、巴ブレーキが機能しないようだ。


「アルコール中毒には気を付けてね」

「言われなくても気を付けるって。それに、普通の酒をあんな無茶な飲み方をすることはあまりないから。あたしはいつも妖酒を飲んでいるからね」


 妖酒なら中毒になることはないから大丈夫だろう。

 そこに、社長がやって来た。


「何だ、今日は勢揃いだな。日高親子はいないが」

「翡翠と恵美里は夜のシフトを入れていないっすから」

「そうだな。流石にまだ早いか。聞いた話だとだいぶ忙しいようだしな。さて、今日も見回りを頼む。夜衆の話では繁華街にも冒険しにいくアホなあやかしがいるらしい。各自注意しておけ」

「「「「了解です(っす)」」」」


 七夕当日は来留芽と恵美里、細が戦力にならないから何もしないままだと社長を含めた他の五人の仕事が大幅に増えることになる。それは困るので今のうちにこちらに来るあやかし達に釘を刺しておくのだ。


 今夜も人知れず騒動の種を摘みに来留芽達は奔走するのであった。



 ***



 来留芽に勝った大天狗はそのまま親友のヤマタノオロチの住処にやって来た。手土産は妖酒『八塩折酒(やしおり)』。古に存在していたものより数枚落ちるが、十分強い酒である。


『オロチよ、在宅か?』

『何だ、大天狗』


 ヤマタノオロチの八つの頭は地面に伸びていた。


『……ずいぶんと酔っておるのぅ。一体何があったのじゃ?』

『人間の娘とちと飲み比べをしてな。完敗だったわ』


 完敗だと言っても悔しげな様子は見せない。どことなく満足げである。それもそのはず、およそ百年ぶりに対等に飲める相手が新しくできたからだ。ヤマタノオロチと飲み比べできる存在はこれまで大天狗しかいなかった。だから最近はどうもうまい酒にならない気がしていたのだが、新たに酒勝負を挑める者が現れたので少しは退屈な時間も減るだろうと期待していた。


『おお、オロチも人間と飲み比べしたのか』

『というと、もしや大天狗も?』

『うむ。成人したばかりくらいの女子(おなご)じゃったな。何とか勝ったが、危うく潰されるところであったわ』

『ううむ……それは若いのによう飲む女子だな。吾が相手したのも若かったが多少とうが立っていたな』


 巴が聞いたら般若になってしばき倒すであろう台詞だ。

 大天狗やヤマタノオロチの言う成人は十四歳前後のことを指す。明治二十九年頃まではそれくらいが成人とされていたのだ。百年ちょっとで形成された新たな認識はこの年寄り達にとってはまだ馴染めるものではなかったらしい。


『褒美に七夕で騒ごうとするあやかしを大人しくさせることを約束してやった』

『おお、それは吾も同じだ。余計な騒動を起こさない、起こさせないことをあの娘と約束したぞ。そういえば、大天狗にも釘を刺してくれと言われていたな。吾に免じて大人しくしてくれ』

『ハッハッハ。もとよりそのつもりであったぞ』


 カラカラと笑って酒をヤマタノオロチに注いでやる。新顔と飲むのもいいが、旧友と飲むのもまた楽しい。


 ――ああ、酒は旨し。今度は我らに挑んできた娘達も交えて心ゆくまで飲みたいものだ。


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