9 星の下で公開告白
「さて、皆。生徒会の通常の仕事は、今日はここまでにしよう。明日の準備を進めるよ」
「りょーかい」
放課後、日がかなり傾いた頃に明日の星夜祭に向けた最後の準備・確認をするために生徒会長は皆の注意を引き、仕事を止めさせた。皆それぞれ作業は途中でも急いで最後を終わらせるかすっぱり諦めて書類の山へ戻している。
「とりあえず、各学年のロッカーを担当している三人は飾りを比翼館に持って行こう。量が多ければ今のうちに手伝いを引き抜いていって」
星夜祭前日の生徒会は忙しい。会長の指示に合わせて皆星夜祭の下準備にかかる。
「よし、それじゃあ、二宮は俺と一緒に一年の分を手伝ってくれ」
「はい!」
まず麓郷がそう言って資料室に向かう。その後を二年担当の副会長が斉藤と一緒に続いた。
「斉藤さん、手伝ってもらえるかしら」
「もちろんです、副会長」
「生徒会長、手が空くなら三年の分を手伝ってくださいよー」
「はいはい。どうせ僕も向かうから手伝うよ」
三年担当の鮎沢は子分的な存在の
「巌、これ比翼館の鍵だから。開けておいて。一年の分はそれで全部?」
「ああ、比翼館の鍵は会長が持っていたのか。一年の分はこれで全部だな。全クラスある」
そのとき、生徒会長と麓郷の会話を聞いて小さく呟いた者がいた。
「……え?」
「どうしたの? 斉藤さん。あー! 四組の袋破れているじゃない。気を付けて持ってて」
「あ、はい」
彼女は飾りを入れた箱を持って資料室を出て行く麓郷の姿を険しい顔で見ていた。
「どうして……」
***
いよいよ七夕の日になった。来留芽達……オールドアの面々は昨晩まで徹夜する勢いで現世にやって来たあやかしを探しては騒ぎを起こさないように釘を刺し、人にいたずらする奴は即刻妖界へ送り返していた。とても睡眠が足りない状態だった。
それでも普通に明日というものはやって来る。幸い星夜祭は夕方から始まるため、眠気は飛んでいた。来留芽はオールドアで恵美里と合流し、一緒に学園に来ている。まだあまり人が集まっていないから聞かれたくない話をしても大丈夫な時間帯だ。それでも一応話しながら人が来ない位置まで移動した。
「来留芽ちゃん……大丈夫、かな……?」
恵美里が少し不安そうに聞いてくる。
「恵美里はここまで力を温存してきたでしょ。大丈夫。私達が騒ぎを起こしそうなあやかし達に釘を刺してきたから。大挙して襲ってくることはない。安心して」
彼女には今から霊力の膜……霊膜を張ってもらう。あやかしが人間に余計なことをしないように牽制の意を込めて。
「もう一度確認しておくけど、霊膜はあやかしが力を使ったことと、その場所を知るためのもので、一度張れば恵美里の力なら一晩は余裕」
「うん……妖力の反応があったら……私の場合は鏡を使うんだよね」
「そう。それが一番確実で簡単だから。鏡は忘れてないよね?」
「ちゃんと持ってるよ」
鏡音神社に伝わっていた鏡は実は二つあった。それぞれ『映の鏡』、『音の鏡』と呼ばれている。どちらも同じような力を持っているが、映の鏡はあやかしの捕獲を、音の鏡は呪を扱いやすくなるらしい。恵美里にとっては映の鏡の方が使いやすいということで、今日持っているのは映の鏡の方だ。
「じゃあ、やってみて。急かすようで悪いけど、そろそろ他の人も来ちゃうかもしれないから」
「う、うん……」
恵美里は少し自信なさげだが、二月ほどで実用レベルまで力の制御が出来るようになったのだ。そこは誇っていいだろう。確かに実践の面では経験が足りないかもしれないが、それを補うために来留芽や細がいる。ここは心配せずにやってほしいものだ。
そして、恵美里の呼吸に合わせて霊膜が広がっていく。あらかじめ決められていた範囲を覆ったところでそれが止まる。完璧だ。
来留芽は口元に笑みを浮かべつつ少し上を向いて確認する。
「オーケー。ちゃんと漏れなく覆ってる」
来留芽がそう言うと安心したように息を吐いていた恵美里は少し肩の荷が下りた様子だった。
「良かった……」
「巴姉の指導を受けてここまでしっかり訓練を積んできたんだからこれくらいは余裕。少しは自信持てた?」
「うんっ!」
そのとき、にわかに校庭の方が騒がしくなってきた。来留芽はそちらを向いて呟く。蔓のカーテンで来留芽達の姿は見えないだろうが、こちらからは校庭に人の気配が加わったことが分かる。恐らく生徒会が笹の設置に動き出したのだろう。
「そろそろ皆来る頃か。私達も行こう、恵美里」
怪しまれないうちに合流しておかないとならない。
「あ! 来留芽、恵美里~!」
こちらに気付いた八重が駆けてくる。その向こうには千代と花丘達が苦笑して立っていた。
「もう、遅いよ二人とも!」
「そう? まだあまり来ていないように見えるけど」
「そもそもね……私達は早く来過ぎちゃったの……だから……少し散歩していたの」
「遅いのはこっちだったんだ。まぁ、いいや。どうせクラスごと並ぶんだろうし、固まっていよ」
確かにこういったイベント時にはクラスで並んで座って人数確認をするのが定番だ。
そして、しばらく雑談していると人が集まってきた。そろそろ生徒会が音頭を取るだろうか。
〈皆さん、こんばんは〉
突然響いたマイク音声に来留芽達ならずその場にいた生徒が注目する。生徒会長が台に上って話し始めていた。
〈本日は七月七日、七夕の日です。皆さんもご存じの通り、鳥居越学園ではこの日、天気が良ければ任意参加のイベントが行われます。今日まで笹に飾る飾りを作ったり持ち寄ったりしてきたことと思います〉
来留芽のクラスは折り紙で飾りを作ってきたが、そういった手作りの飾りにすることを選択したクラスばかりではない。中には市販の飾りを持ち寄ることを選んだところもあるそうだ。
〈今回は飾り付けのスピードを競い、その完成度を評価し合うことも考えています。皆で、世界で一つの笹を作り上げましょう〉
「「わぁぁぁあああ!」」
〈それでは鳥居越学園星夜祭を開催いたします〉
一年一組の笹があるのは一番端の方である。何か騒ぎが起こってもあまり注目されにくい。もっとも、生徒会長のスタートの合図で皆すごい勢いで飾りを取っては笹に取り付けていて他のクラスなど目を向ける余裕はなさそうではあるが。
だから、周りに人が居るこの状況でも内緒話はできるだろう。
「恵美里。反応はどう?」
「……まだ引っかかっていないみたい」
「そう。ちゃんと自重してくれているのかな」
今回、オールドアはいつも以上に人手が足りなくなることが分かっていたのでまだ慣れていない翡翠と恵美里以外の面々は本気で騒ぎそうなあやかしをあぶり出して極太の釘を刺してきた。大天狗やヤマタノオロチも手伝ってくれたので現世に来ても大人しくしているあやかしが多くなっただろう。
「来留芽ちゃん……飾りに行こう」
「そうだね」
時間いっぱいかけて笹を飾った。白黒の飾りが揺れる光景は少し不思議な感じになった。
「……何か、地味だな。誰だよ、モノクロなんて案を出したのは」
「こらっ! 青山くん! そんなこと言わないの」
青山ががっかりしたように声を上げる。しかし、すぐに隣の滝に窘められていた。来留芽はまた自分達の笹に目を戻す。確かに、これは一見すれば地味に見える。
「でも……ここにカラフルな短冊を加えるから……」
「短冊が目立つね」
恵美里の言葉を継ぐように言う。目立てば目立つほど願い事が天に届きやすく感じる。もっとも、織姫と彦星が神の世界にいたとしても、人の願いを叶えるほど強い存在では無いと思うが。……それは言わなくても良いことか。
「あ! そっか、そうだよね……ほら、青山くん! 今飾った笹が地味でも一番重要な願い事は届きやすいじゃない!」
「滝……お前、地味だと認めてんぞ……」
「あ」
ある意味青山よりもひどい学級委員長の自爆にそれまで二人のやりとりを聞いていた人が皆爆笑することになった。
「おー、このクラスは楽しそうだな。笑われてんのは滝か? 珍しいな」
「あ、鮎沢先輩!」
滝は弓道部の所属だ。鮎沢と呼ばれた二年生の男子生徒はその部の先輩なのだろう。親しげな様子に見えた。
「飾り付けは終わったから短冊を書きに行けよ」
その言葉に恵美里が慌てだした。
「あ……ごめん、忘れてた。用意するね」
慌ただしく用意された短冊にそれぞれ願い事を書いていく。来留芽も書こうと筆を取ったが……何を書くこともせず筆を置いた。奥歯を噛み締め、うつむく。
「……どうせ私の願いは神霊が叶えられるものじゃないし」
「来留芽ちゃん……」
恵美里は来留芽の事情を少しだけ聞いていた。来留芽が身の内に抱える呪は人によるものから神霊によるものまで網羅しているらしい、と。その全てを無に返すことなど神ですら不可能だと考えられることも。
「恵美里は、好きに書いてて」
「……来留芽ちゃんは何も書かないまま飾るの?」
「白紙を見て戸惑えばいい……というのは冗談としても、まぁ、一応付けなきゃ格好が付かないから」
来留芽は軽く書ける願いなど持たない。来留芽が最も願うことは簡単に叶えられるものではないし、神霊に願うというのは違うと思うのだ。
飾りを付けた笹に、さらに色とりどりの短冊が増えていく。願いを書く人も、その願いが頭の上を揺れているのを眺める人も皆楽しそうだ。
短冊を飾るのはどのクラスのものでも良いらしい。しかし、来留芽達の笹は短冊があった方がよりきれいになるので出来るだけ自分のクラスに飾るようにしていた。
「来留芽、恵美里、他のクラスを見に行こうよ」
八重の誘いに乗って来留芽達は他のクラスの笹も見に行くことにした。あるクラスは来留芽達が選択しなかったハートを使っていたり、キャラクターものの飾りをこれでもかというほど飾っていたりとそれぞれ個性があって意外と面白かった。
「あ、エミ! 笹巡り中か」
「あ、爽くん」
東がやって来たのだが、来留芽達も笹を見て回っていることが分かったからか少し残念そうな顔になった。それを見て八重が何かを思い付いたように顔を明るくすると笑って二人に提案していた。
「じゃあさ、私達もまだ半分くらいだから残りは二人で自由に見て回ったらどう?」
二人の仲を応援するのもやぶさかではない。というか、この二人はどう見ても両思いなのに互いに気持ちを確かめ合っていないからか付き合うまでに行っていない。もうじれったくてはっ倒したくなるとは八重の言葉だったか。
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えて、エミを借りるな」
「あ……ちょっと待って……爽くん!」
二人の後ろ姿を見て千代がぽつりと呟いた。
「恵美里さんの手を引く東君、ものすごく嬉しそうですね……」
来留芽と八重、千代は温かい目で眺めていた。
小さな騒動は来留芽達が再び自分達のクラスの笹のある場所に戻ってきたときに起こった。
「あなた! 日高恵美里ね!」
「そう……だけど……ええと、名前を聞いてもいい?」
「斉藤涼子。ねぇ、日高さんちょっと一緒に向こうに来てくれない?」
斉藤が指したのは先程来留芽と恵美里が潜んでいた繁みがある方向だった。ちらとそちらを見てから恵美里は理由を聞く。
「……どうして? わざわざ暗がりへ行かなくても……ここで話せないこと?」
その言葉を聞いて斉藤の顔が強ばった。まさか、そんな短絡な事をするつもりではないだろうと思っていたのだが……。
「うっ……でも、少し向こうで話しましょう」
「……分かった」
「おい、エミ……」
「爽くんは……来ちゃダメだから」
「えっ……」
無意識に伸ばした手を力なく下ろす東。思わず慰めるようにその肩を叩いてしまった。
「恵美里があそこまで言うのなら、大丈夫だと思うよ」
「心配しなくても、最近の恵美里は強くなったからね」
そう言いながらちらっとこちらを見ないでもらいたい。邪推されても困るのだ。
「そっか……俺、もうエミに必要ないのかな……」
「何を弱気なことを言っているのですか。どうせ恵美里さんには別の意味であなたが必要になりますよ」
呆れたように千代が言う。本当に、何をアホなことを言っているのか。東は長い間しぶとく恵美里を想っていただろうに、今へたれてどうする。
「へ? 別の意味って……」
そのとき、東の言葉を遮るように鋭く空気を割る声が響いた。ハッとした様子で周囲の生徒達も声の先を見る。
「……だからっ! あなたなんか要らないっ! ずっと曖昧な態度で東くんを困らせて! 幼なじみという立場に甘えていつまで東君の重荷になるつもり!?」
それが聞こえたようで、「重荷……?」と呟くと東の顔が険しくなる。そのまま駆け出そうとしたときに恵美里の声も響いてきた。
「何であなたが……爽くんのことを決めつけるの? 爽くんが……私のことを重荷だって話したの?」
「見ていれば分かるわよ! 幼なじみだということに甘えて東くんを見もしないことくらい! 彼を好きじゃないなら近付かないでよ!」
「……私が爽くんのことを好きじゃないって……どうして決めつけるの?」
「え……?」
恵美里の返答に斉藤は予想もつかなかったことを言われたかのように唖然とする。それではまるで、恵美里が東を好きだと言っているようなものではないか。駆け出そうとした姿のまま東も固まった。
「私は爽くんのことが好きだよ。……もちろん、一人の男の子として」
「なっ……」
彼女達のやりとりに注目していたうちの数人がワッと沸いた。その中を恵美里は東に向かって駆けていく。斉藤とこれ以上話すことはないと判断してのことだろう。そうはさせないと引き留めようとするかのように手を伸ばしていたが、恵美里は立ち止まらない。
「……爽くん……! その、好きです。今まではっきり言わなくてごめんなさい」
彼女はこれ以上無いほどはっきりと告白した。本当に精神的にも強くなったものだと思う。対する東はと言えば、恵美里の思い切りの良さに自分が情けなくなったのか左手で顔を覆っていた。隙間から覗く肌や耳が真っ赤になっていた。それでも恵美里の告白に返事を返す。
「エミ……俺もエミのことが好きだ」
再び観衆がワッと沸く。公開告白の果てに一組のカップルが誕生した。
「そんな……ことって……」
思いもかけず火付け役になってしまった斉藤は先程の勢いは消え去り、燃え尽きたように膝をついていた。少し可哀想だとは思うが、星夜祭前に彼女が行ったことを考えれば同情しきれない。
「ちょっとあっちも何とかしないとね……」
彼女に纏わり付いていたもやが少し危険な様子を見せていた。来留芽は斉藤に近付いてしゃがむ。
「斉藤さん。諦めろとは言わないけどあまり思い詰めないように」
どさくさに紛れて退魔の呪符を渡す。これで彼女がもやに取り込まれて取り返しの付かないことをやらかすのは防げるだろう。
それにしても、と来留芽は人だかりになった一画を振り返る。星に願いを込めて祈るこの日は人の心も剥き出しになるのかもしれないと思った。
――それなら、私が秘めている心は?
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