6 月白の捕獲、鬼の情


留芽姉るめねぇ恵美姉えみねぇ、どうして道が分かるのだ!?』


 月白は来留芽と恵美里の名前を言いにくいと言って、来留芽の「留芽」、恵美里の「恵美」に「姉」をつけて呼んでいる。月白にとってはそちらの方が言いやすいようだ。誰を指しているのか分かれば別に良い。


「狭間の歩き方は白皇はくおうに聞きなさい。ハクが聞いても自重できるなら教えてくれるはず」


 月白を見つけて無事に保護したはいいが、立ち直った彼は来留芽と恵美里の二人が迷わず歩いて行くのを見て目を輝かせて理由を聞いてくる。恵美里はうっかり言いそうになっていたが、慌てて止めた。この小鬼に教えるとろくなことにならない気がしたからだ。ここは保護者に任せるべきだろう。


『ちちうえは我に多くを教えてはくれないのだ』

「それは自分から学ぶことを期待しているのだと思うけど。誰かに教えてもらうだけが全てじゃないの。こら、道を逸れるんじゃない」


 うろちょろと藪に入ろうとしたり林へ突撃しようとしたりするものだからとうとう来留芽は月白の手を繋いで捕獲しておくことにした。反対の手は恵美里が繋ぐ。だというのに彼はむしろ上機嫌になり、鼻歌まで歌っている。


『ちちうえとははうえが昔こういう風に手をつないでくれたのだ』

「そう」


 月白の母親は少し前から寝込んだままだと聞いた。社長がたまに様子を見に行っているのだ。しかし、あの社長でも今は病の進行を遅らせるのが精一杯らしい。一体どんな病なのか、そこまでは聞いていなかった。


「ところで……私と来留芽ちゃんでは、どっちがお父さんでお母さんのポジションなのかな……?」


 ふと、恵美里がぽつりと呟いた。月白は二人の顔を見比べると元気に答えた。


『留芽姉がちちうえで恵美姉がははうえだなっ!』

「ちなみに理由は?」

『恵美姉は、ははうえのようにはかなげだ。けど、留芽姉はちちうえのようにしぶとそうだから!』


 子どもの言うことだから怒りはしないが、遠慮なしにそう言われるとダメージがある。恵美里が儚げだというのは、見た目だけではなく、能力者として未熟な点も含めてのことだろう。爺様が恵美里を雛っ子と呼んでいたように、多少の訓練を積んでもあやかしから見れば彼女はまだ赤子のようなものなのだ。

 何となく来留芽は月白の額を指で弾いた。


『いてっ……何するんだ、留芽姉』


 そう良いながらも月白は抗議するかのようにつないだ手をぶんぶんと振る。

 そんな風にじゃれながら歩いてようやく爺様の桃の木が見えてきた。


『あっ、桃爺ももじいの木だ!』

「ここまで来ればもう迷わないでしょ。今日は私達が白皇のとこに行く予定はないから、桃爺に送ってもらいなさい」

『……留芽姉達はもうあそべないのか?』

「私も恵美里も現世での生活があるの。別に今生の別れではないのだから、泣きべそかかない。今度遊びに行ってあげるから」


 また溢れてきた涙をぬぐってやる。


『うん……でも、里はははうえのために人が入れないようになっているから我がオールドアに行くぞ!』

「先触れは忘れずにね」


 本来ならばあやかしが現世に来てしまうような約束はしない方がいいのだが、勝手に来られるよりはましだ。それに、オールドアから出さなければ大丈夫だろう。


『月白よ、狭間はなかなか恐ろしかろう? これに懲りたらもう爺を振り切るでないぞ』


 桃爺は月白を抱き上げて諭すようにそう言っていた。


『分かった! でも、留芽姉も恵美姉も迷わず歩いていてかっこよかったぞ!』

『ふぉっふぉっふぉ。それは良かったのぅ』


 ふと桃爺の樹の下を見ると、分かれた二人が休憩していた。細達も爺様のところに辿り着いていたようだ。


「細兄、麓郷先輩」

「お疲れ、来留芽。子鬼って月白のことだったんだな。泣いていたのか?」


 彼の目はまだ少し赤かった。細はそれを見たのだろう。


「少しだけ」

「悪ガキだけど、可愛いところもあるからな。これに懲りて悪戯しなくなればいいが」

「まだしばらくは無理だと思う。少なくともハクのお母さんが治らないと」


 月白の悪戯を唯一止められるのが彼の母親だった。しかし、彼女は今伏せっている。


「ああ、社長が担当しているあれか。珍しく苦戦しているよな」

「時期がどうとか話していた気がする」

「ああ、確か秋の御方だからどうのこうのって言っていたな」


 そのまま雑談を続けようとしてふと思った。……そういえば、こんなにのんびりしていて良かったのだろうか。


『そういえばお主等、戻らなくていいのか? 少なくとも白皇のところに行く余裕はないのじゃろ?』


 来留芽は細と顔を見合わせる。


「「忘れてた!!」」


 なぜか狭間においては時間という概念があやふやになることがある。ふとした瞬間に時間を忘れてしまうのだ。それに、狭間を出てみたら予想以上に時間が経っていたということもざらだ。まぁ、その逆もあるが。


「悪い、麓郷、日高。昼休みが終わっているかもしれない。急いで帰るぞ!」

「えっ……」


 来留芽はぼうっとしている恵美里の手を取って走り出す。


『気を付けるのじゃぞ』


 のんきに手を振って見送る桃爺が少し憎い。しかし、文句を言う余裕などない。今は少しでも早く戻らなくては。

 そして、来留芽達は狭間を飛び出した。


「ハァッ……ハァッ……今、何時だ!?」

「……一時三十分……です。四時間目が……始まって……ます」


 恵美里がいち早く時計を確認し、時刻を教えてくれた。

 ザッと全員の血の気が引く。狭間にいた時間は感覚的にはそう長くなかったのに、優に一時間はいたことになる。まぁ、今問題なのは時間ではない。時間もある意味では問題ではあるが……


「悪いけど、とりあえず来留芽と恵美里には学園長室へ行ってもらう。教師にあるまじき言葉かもしれないが、二人は欠席しても大丈夫だろう。麓郷は、戻った方がいいかもしれないが」


 来留芽も正直に言うと時間なんかはどうでも良かった。授業の一回くらい欠席しても取り戻せる。


「先生。流石にこんなやばそうな状況で放り出せません」

「悪いな、お前は受験生なのに」

「センターまで大分あるから大丈夫です」

「それなら、麓郷には俺のサポートを頼む。本当はばらばらに分かれた方が早いが……危険だからな」


 全員の視線が一所に集まる。来留芽達が狭間から飛び出して目にしたの無残に破られている細の呪符だった。それは、何者かが狭間側から現世へ行ってしまったことを意味する。十中八九あやかしだろう。それも、呪符をここまで破壊できるのは相当高位の存在だ。

 麓郷の言った“やばそうな状況”とは、このことを指す。


「とりあえず、私達は学園長室へ行くよ。ついでに戦闘の音がしても生徒が気にしないように呪を使っておけばいい?」

「頼む。勘が鋭い人にはバレてしまうかもしれないが……呪の方が手軽だな。日高は危険だから校内にいて来留芽の呪を安定させておいてくれ」


 場を安定させることにおいて、巫女系統の術者は強かったりする。恵美里はこれでも簡単な指導は受けているので少しは使えるのだ。


「分かり……ました!」


 来留芽と恵美里が走って校舎に向かう。それをのんびり見送ることはせず、細は鋭い視線で辺りを見回した。


「妖気が薄いな……」


 妖界から現世に来たあやかしは大なり小なり妖気をまとう。今回はそれが薄いのだ。


「そういえば、そうですね。余程高位のあやかしでしょうか」


 高位のあやかしの中でも特に化け狐や狸はそういった小細工に長けている。


「それか、人里に来ることに慣れた奴らだな。今回はそちらだろう。高位であり、人里に慣れたあやかし……」

「そんなあやかしがいるんですか?」

「ああ、いるぞ。狭間でその子どもを見ただろう」


 狭間で見たといえば――鬼


 鬼は情に厚い。大方、月白が狭間に入り込んだのを知って現世に行ってしまったと思ったのだろう。そして、ちょうど出入り口になったであろう扉に陰陽師の呪符があったのを見て自分達の愛する小鬼がその陰陽師にさらわれたと考えた。きっと怒りで血が上ったところでそのまま呪符を破壊し、扉からこの旧校舎へ飛び出したに違いない。


「怒りに我を忘れても妖気を薄くすることはきっちりやるんですか」

「それがあの種族の不思議なところだな。狩猟本能がなせる技ではないかという説がある」

「なるほど……先生、すみません、一つに絞れなくなりました」


 麓郷は妖気を辿ることが出来た。この場所までは。

 二人がいるのは旧校舎二階の渡り廊下との交差点だ。かすかにあった妖気はそのまま北の校舎に続いているものと三階に続いているものとがある。奇妙なことに、渡り廊下から三階へのルート(もしくはその逆)を何度も通っているようで、一際濃い。


 それを告げると細は顔を引き攣らせた。


「よりによって“無限回路”にいるのか……」

「何ですか、その無限回路というのは」

「こちらで勝手につけた名称ではあるんだが、簡単に言えば一歩でも入ってしまえば力尽きるまで出られない、“気”が通りやすい道のことだな。ここを歩いている鬼は俺達がここにいることを察知できない。妖気が通っているこの道以外を見ることができていないはずだ」

「それは……何というか……エグい仕組みですね」

「意図的に作れるものじゃない。たまたま道になりやすいときに誰か……何かが踏み込んだときにこうなる」


 太陽の光の角度、時間、その他諸々の要素が全て整って最後に“気”を持つモノが踏み込んで完成する。だからこんな現象が起こることは滅多にない。


「じゃあ、先生。鬼が力尽きるまで待てば楽ですよね」

「それがそうもいかない。鬼は一応妖界に適応したあやかしだ。このまま妖気として妖力を消費し続けたら危ないな。流石に妖力なしでは現世にいられないだろう」


 妖気がなくなるということは、そのあやかしの死を意味する。

 ちなみにこれは霊能者も同じことを言える。霊力が底をつき、それでもなお力を使おうとした場合、生命力が霊力に変換されるからだ。


「じゃあ、危険を承知で俺達も回路に入らなくてはならないってことですか。回路から抜け出す方法はあるんですか?」

「ある。流れを切ってしまえばいいだけだ。それは俺がやるから心配しなくていい。……さて、入るとしようか。可能な限り“気”が漏れないようにしておけ」


 そして、二人は“道”に入っていった。



 ***



 一方で来留芽と恵美里は校舎の周囲を走っていた。


「恵美里!」

「終わった……よ。とりあえず……うさぎからさるまで!」


 とりあえず誤魔化さなくてはならないのは校舎から体育館の範囲だ。来留芽は干支と対応するように呪符を設置し、護りの効果を高めた。その方が維持するのが楽だからだ。


「あらかた対応できたし、学園長のとこ行こうか」


 学園長への説明よりもまず呪符の設置を優先させたのは来留芽達もこちら側に来たであろうあやかしが大層厄介な存在であることに気付いていたからである。


 コンコン


「どうぞ」


 学園長室は職員室から教室二つ分離れた場所にある。人目を忍ばなくてはならない客がやって来たときは便利だ。今回も無駄に騒ぎを大きくしないで済むだろう。


「失礼します。古戸です」

「同じく、日高です」


 生徒が入ってきて怪訝な顔だった学園長は来留芽達の名乗りを聞いてピシリと固まった。そして手からペンがぽろりと落ちる。


「お、おーるどあ、と言ったかね……」

「はい。今現在、高位のあやかしが旧校舎周辺にいる可能性があります。こちらの校舎にまでは辿り着いていないようなので急遽護りの呪符を使いました」

「……それは助かる。生徒がその……あやかしが来たと察知することは……」

「おそらく、ありません。あ……三年の麓郷巌さんは心得があるようだったのでそのまま手伝ってもらっています」

「麓郷? 生徒会の子だね。分かった。こちらの生徒に危険が無いならそのままあやかしを退治するなりしてくれるかね?」

「もちろんです。恵美里はここの護りを維持するためにこちらの校舎に居させます」

「分かった。それなら君はここにいるといい。京極先生が言っていたが、この部屋はそういった術を使うのに最適な位置にあるそうだからね」

「ありがとうございます」


 学園長は一般の人にしてはずいぶんと話の通じる人だと思う。こういう人は滅多にいないから新鮮だった。


「じゃあ、私は京極先生の支援に向かいます」

「気を付けてね、来留芽ちゃん」

「本当に、気を付けなさい。君もこの学園の大切な生徒であるのだからね。生徒が傷付くのは見たくない」

「善処します」


 一礼して来留芽は旧校舎へと戻る。あの二人を信用していないわけではないが、開かずの扉を見ていられる人がいないのは問題かもしれない。また新しくあやかしが出てきてしまう可能性もあるのだから。


「あまりひどいことになっていなければいいけれど」


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