5 狭間の桃


 そのまま歩くこと暫し。先輩が立ち止まった。


「うーん……この辺りはほとんど同じ存在感です。本物もこの辺にありそうですが……」


 同じ様な存在感だから、あとは当てずっぽうになってしまうという。


「ここまで絞り込めただけでも助かった。後はもう手探りでも見つけられるんじゃないか」


 それはそれで面倒くさそうで気が進まないところではあるが、それ以外に方法は浮かばなさそうだ。来留芽は溜息を吐くと下を見下ろした。


「あ……ちょっと待ってください……あれ? これが、これを映してて……これは……これ、だよね? こっちに来ちゃうと偽物だから……そうなると、あった! 先生、麓郷先輩、来留芽ちゃん、本物はこれですね!」


 気が進まないながらも本物の袋の捜索にかかろうとしたら恵美里がそれを止めて何かを確認するように鏡を見比べる。そして、ある一つの袋を持ち上げた。彼女によるとそれが本物だという。


「確かに、そうみたいだな。よくやった、日高」


 実際、恵美里が袋を持ち上げたら鏡に映ったものは全て消えてしまった。呪符の効果によって鏡に映らなくなったのだ。


「恵美里、すごいね」

「ありがとう。何か……鏡が騙そうとしているように感じて……本物はそんな思考を持たないでしょ? 偽物は偽物に見えるようになったの。これも……巴さんの訓練のおかげ……かな?」


 おそらくはそうだろう。この場所は狭間という、霊能者的には本領が発揮しやすい空間と言える。恵美里もきっと霊能者としての勘が鋭くなり、本物が分かったのだろう。

 一応、来留芽や細も真贋を見極める能力を伸ばす訓練は積んでいるが、実際に効果を発揮できるかというとそうでもない。得意分野であればともかく、二人とももとからこういったことは苦手としているのだ。鍛錬不足ではないとだけ主張しておく。霊能者としての恵美里は細かい違いを目敏く見つけ出す能力が高いのだろう。鏡音の巫女として霊鏡を扱うことに慣れているということも今回の活躍の理由かもしれない。


「よし。それじゃあ後は俺達が開かずの扉に着く前に入り込んでしまった子がいないか確認に向かうか」


 細が来留芽達を順繰りに見てそう言った。実は、もとの道に戻ったときに先を確認すると道が分かれていたのだ。袋は見つかったが、奥の方まで入り込んでいる生徒がいないとは限らない。念のためそちらの方も見ておいた方がいいだろうということになった。


「日高と麓郷は狭間に慣れていないだろうから俺か来留芽のどちらかと組む方が良さそうだな。となると……」


 組み合わせは来留芽と恵美里、細と麓郷先輩になった。


「妖界へ入らない程度の場所まで確認すればいい。妖界に入れるのは一定の力を持つ霊能者くらいだからな。生徒が入り込んでいる可能性は少ない」


 細は全員が理解したことを確認すると来留芽に向き直った。


「来留芽。これもある意味では日高にちょうどいい場所だ。可能な限り教えておいてくれ」

「分かった」


 開かずの扉……つまり狭間にはどんなときでも共通する特徴モノがあった。それは狭間で迷ってもにはたどり着くために必要になる。しかしそのことは教えてもらっていないと分からない。


「迷惑かける……かもしれないけど……お願い、来留芽ちゃん」

「別に迷惑とかじゃないから。いつかはやらなきゃならないことだし。行こう、恵美里」


 裏を生きる人は早いうちに師匠や先輩といった存在に教わっておくものだ。恵美里の場合は今から来留芽が教えることになる。



 ***



 来留芽と恵美里を見送って、細ももう一方の道へと歩みを進める。どうもこちらの道は霧がかかりやすいようで、視界はあまり良くない。


「……俺達も行くぞ。心配しなくても、ちゃんとお前にも狭間の歩き方を教えてやる」

「え……」

「お前は寺の息子だと話していたが、狭間に関わったことはあまりないんだろ。歩き方に迷いがある」

「よく分かりましたね……。しかし、俺に教えていいものなんですか? 師弟でもないのに」


 この言葉から、彼は伝統的な一派に所属している……もしくはしていたと分かる。彼等は秘密主義で外部に教えるなんてとんでもない! という考え方だからだ。


「それを言うなら来留芽と日高も師弟では無い。あの二人は専門が違いすぎるからな」

「はぁ……」

「だから俺がお前に教えたとしてもどうってことない。俺達が裏のどの派閥にも属していないからこそ出来ることだな。あ、確認するのを忘れていた。俺が狭間の歩き方を教えても問題ないか?」

「あ、はい。もちろん大丈夫です。俺の師匠はもう居ませんし」


 師が居ないということは未熟な者が一人で放り出されているということだ。


「そうなのか? 一人で裏も生きているのか? それは少し危険だと思うが」

「はい。あ、でも本部とは距離を取っていますから。爺さんにも本部だけは頼るなと厳命されていますし」

「まぁ、今の本部はな……腐っていない奴は軒並み閑職に回されていたり実力を発揮できていなかったりするから危なっかしくてしょうがない。その爺さんの言葉は実に適切だな」


 しかし、彼のような人は全国にぽつぽつと存在しているのだろう。そう助けても居られないのが心苦しいが。


「……さて、そろそろ終点だな。見えるか、あの木が」


 前方に急に現れたのは立派な木だった。


「はい、見えます。この香りは……桃ですか? 何か、妖界が黄泉国のように感じてしまいますね」

「まぁ、そうかもしれないな。この桃の木は狭間の終点……妖界との境にたいていある。一つの目印だ」


 そして、必ず実を付けている。細は桃の木に近付いて一礼するとその実をもいだ。


「麓郷。これを食べておけ。食べれば狭間の歩き方が分かるだろう」

「大丈夫ですか、本当に」

「大丈夫だ。黄泉戸喫よもつへぐいだとでも思っているのか? 黄泉の国のようと言うのを肯定しておいて何だが、これはそんなに力があるものじゃない」

『ふぉっふぉっふぉ。細よ、その言い様はじじに対して些か失礼ではないか?』


 細のそばにいつの間にかお爺さんが立っていた。しかし、細は動じずに挨拶する。


「これは爺様。お久しぶりです。しかし、この桃には狭間から出られなくなるような効果はないでしょう」

『それもそうであるがな。これでも相当な年月を経ているのだぞ。少しは畏まらんか』


 爺さんが唇をとがらせても可愛くない。しかし、へそを曲げられても大変なので乗ってやることにした。細はことさら丁寧に礼をしてみせる。


「いつも大変お世話になっております、爺様。どうかこれからも末永くお導きください。……で、どうでしょう?」

『よいよい。この桃を食べし者は爺の子も同然じゃ。しかと導こう』


 お爺さんは満足したように頷く。麓郷は流れについていけなかったのか桃を食べつつ目が瞬いていた。


「爺様。紹介しておきます。彼は麓郷巌と言って、まぁ、裏に関係している人物です」

『ふむ。オールドアの子ではないのじゃな。お主も大概お人好しじゃの。この者の師匠あたりがどうせこの爺のところへ連れてくるじゃろうに』

「いえ、どうやら師が居ないそうなのですよ」

『それは不運じゃったのう。どれ、もう一つ食べるが良い』

「あ、ありがとうございます」

「それで、麓郷。薄々察しているだろうが、この爺様は桃の木の化身だ」


 そして、彼の桃を食べたからには狭間で迷うことがなくなる。なぜなら、この桃の木は長い時を経て狭間の主になったからだ。とはいえ、狭間の景色が千変万化するのを操ることは出来ないらしいが。


「すごいですね。俺も道が分かります」

「今度からは俺の先導なしでも大丈夫だ。うっかりここに引き込まれても出口は見つかる。……ところで、爺様。来留芽と恵美里は見ませんでしたか?」

『おお、ひい様と雛っ子か。お主達が着く少し前に来ていたのぅ』


 少し視線を泳がしている。二人がここに来たのは確かだろうがこの爺様は何かやらかしたのだろうか。何かを誤魔化そうとするかのような彼に細は不信感を持った。


「爺様。また来留芽にちょっかい出しましたか。いい加減にしないと嫌われますよ」

『それは嫌じゃのぅ。爺はもっとひい様の笑顔を見たいんじゃ』


 この爺様はオールドアの面々(特に女性)をよくからかう。最初は喜怒哀楽を見せない来留芽を気にしての事だったらしいが、最近はエスカレートしている。巴にセクハラをかましたときなどは後からその婚約者……透にしばかれたらしい。反省する素振りも見せないので細は爺様が一番嫌がること……本体である桃の木の枝を折る振りをする。


『……あ、待て細! 枝を折るでないっ! 今日は悪戯しておらんからっ』

「では、どうして二人がここにいないのか聞いてもよろしいですか?」


 細の笑顔が黒い。麓郷は触らぬ神に祟りなしとして少し距離を取った。とばっちりはごめんである。しかし、爺様は飄々とした態度を崩さなかった。良くも悪くも慣れているのだ。


『まったく、お主はひい様に対して過保護過ぎじゃ。そういうのを浮世では何と言ったかのう……しすこん、だったか? ああっ! じゃから枝はダメじゃ! ……まったく、過保護に過ぎるのもひい様のためにならんぞ。今日は先程も言った通り、悪戯では無く、純粋に頼みがあって向かってもらったのじゃ』

「爺様が頼み、ですか」

『子鬼が一人妖界から狭間に逃げ込んでの。ひい様にはそれの捕獲に向かってもらったのじゃ。彼奴等はすばしっこくて敵わん』


 子鬼、と聞いて思い浮かぶのはまず文字通りの鬼の子だ。それと、妖界においては家鳴りも子鬼と呼ばれたりする。どちらを指しているのかは分からないが、すばしっこいのは共通している。いかに来留芽といえども捕まえるには時間がかかるかもしれない。


「なるほど。もうしばらくここで待たせてもらいましょう」



 ***



 少し時間は遡る。

 細達と分かれた来留芽達は相も変わらず方向感覚が狂いそうな鏡の林を歩いていた。


「こっちは……そんなに変わらないね?」

「でも、やぶが増えている。こういうところは人もそうだけど迷い込んだあやかしが居たりして気が抜けない」

「へぇ……そうなんだ。あやかしも迷い込むことがあるんだね」

「妖界から現世に来るにはどうしてもこの空間を通ることになるから。まだ子どものあやかしは興味本位に狭間へ遊びに来て帰れなくなるの。で、そういう子を狭間で見つけたらすぐに捕獲して妖界へ返すのもここを利用する霊能者の仕事。逆に何らかの要因でここまで来てしまった人を引き取って現世に戻すこともある。この場所はあちらとこちらをちょうど隔てている場所と言える。恵美里も覚えておいて」

「……来留芽ちゃんや細さんは道が分かるんだよね。どうして?」


 ちょうどいい話題になったので、この狭間の中で迷わない理由を教えておく。


「桃の、木……あ、そういえば少し甘いにおいがするね……?」

桃爺ももじいの木が近いね。もうすぐ終点だってこと」


 林を抜けた先にその大樹があった。その根元で柔和な表情を浮かべた爺様が手を振っていた。


「爺様、お久しぶりです。こっちの子は新しくオールドアに来た恵美里」

「あの……初めまして」

『久しいな、ひい様。そっちが新しい子か。うむうむ。また可愛らしい子がやってきたものじゃの。どれ、爺の桃を食べるがええ』

「えっと……いただきます」


 道中に爺様の桃の効果で迷わなくなると話していたので恵美里は素直に受け取った。


「桃爺って本当に女の子に甘いよね」

『それはそうじゃろう。男は可愛くないからの。その点、おなごは可愛らしい反応をしてくれる』

「巴姉に対するセクハラはほどほどにね。今度こそ透さんに滅されるよ」


 あの二人は最近とても仲が良くなったから下手にちょっかいを掛けると火傷するだろう。


『ふぉっふぉっふぉ。何じゃ、ようやくくっついたのかあの二人は。どれ、今度は透をからかおうかの』

「巴姉に嫌われるよ」

『それは困るのぅ。……おや、食べ終えていたようじゃな。もう一つどうじゃ、雛っ子よ』


 話しているうちに恵美里は最初にもらった桃を食べ終えていたらしい。会話に着いていけずにおろおろしている。


「ええと……雛っ子というのは、私ですか?」

『うむ。霊能者としてのお主はまだまだ雛であろう。ほれ、もう一つくらい食べていけ』

「ありがとうございます」


 素直に差し出された桃をもらう恵美里。爺様の桃は本当に美味しいからついつい受け取ってしまうのだ。

 ところで、彼がこうして自分から姿を現していることは滅多にない。こういうときは大抵何かしら頼み事が発生している。


「桃爺。私達に何か頼みたいことでもあるの?」

『うむ。ひい様は聡い子じゃのぅ。実は、子鬼がこちらへ逃げてしまっての。彼奴等はすばしっこくて捕まえられなんだ。ちっと捕獲をお願いしたいんじゃ』

「分かった。方向は?」

『ちょうどお主等が今来た方向じゃ。どうやら行き違ったように見えるがの』

「気を付けていたけど子鬼の気配はなかった気がする……まぁ、探してくるよ。あ、子鬼ってどっちの子鬼?」


 来留芽がそう言うと恵美里が驚いたように振り向いた。


「来留芽ちゃん。子鬼って種類がいるの……?」


 驚くポイントはそこだったか。来留芽にとっては当たり前の知識だったから気にしていなかった。


『雛っ子よ。妖界には子鬼と呼べるモノが二種類おるのじゃ。片方は本物の鬼の子どもで、もう片方は家鳴りという見た目が子鬼のあやかしじゃな』

「で、桃爺。逃げ込んだのはどっち?」

『ひい様はせっかちに育ったのぅ。奥まで逃げ込んだのは鬼の子の方じゃな。家鳴りの方は何とか爺が捕らえた』


 ほら、とぐるぐる巻きにされた家鳴りを見せてくれた。


「わぁ……」


 みのむしにされた家鳴りはキーキー大泣きしている。恵美里は爺様の容赦のなさに少し引く。


『悪い子はお仕置きされても文句は言えまい。ふぉっふぉっふぉ』

「……行こう、恵美里。子鬼を捕まえるのは難儀するから」

「そうなの?」

「それこそあの家鳴りくらいぐるぐるに巻くかしないと大人しくしないから」


 来留芽と恵美里は道を引き返す。すると、行きとは違った風景に見える。


「……これだと行きに分からなかったのも仕方が無いかもしれないね」

「あ、いた。見える? あの白い子」


 少し歩いた先の藪の中に座り込むようにして小さい男の子がいた。


「……あの子が子鬼?」

「そう。名前はげっぱくね。よく里を逃げ出している悪ガキ」

「ええっと……あまりそう言うことは言わない方が……」

「あの子を探すためにオールドア全員が駆り出されたことが八回くらいあったの。本当に逃げ足が速くて大変だった……」


 二人は月白が座り込んでいる藪に近付く。

 悪ガキだろうが子どもは子ども。やはり一人で狭間にいるのは心細いのだろう。近付くにつれて泣き声が聞こえてくる。


『うぅ……ぐすっ……ははうえ……』


 この様子なら逃げたりしないだろう。そう思って来留芽は声を掛ける。


「ハク。泣きべそかいてるの?」

『ぐすっ……ひっく……あ……留芽姉……うわぁぁん』


 月白は来留芽の姿を認めると藪から出てきて脚に抱き付いてきた。そのまま大きく泣き出したので来留芽は彼の頭をそっと撫でて泣き止むのを待つ。


「さぁ、ハク。帰ろう」

『うん』


 こう大人しいと悪ガキも可愛く思える。来留芽は月白の世話をしつつ苦笑した。


『留芽姉。こっちの人はだれ?』

「恵美里という子だよ。オールドアの新しいメンバー」

「よろしくね。ええと……月白、くん?」

『うむ。オールドアの者ならばハクとよぶことをゆるしてやろう』


 可愛らしい態度が消え去った。


「ありがとう……ございます……?」

『留芽姉のように我がはいかとしてはげむがいい』


 ――何を励めと?

 来留芽は呆れたように月白を見下ろした。これもどうせ白鬼の里の頭である父親か近くにいる誰かしらの真似だろう。小鬼の父親はここまで酷くはないがそれなりに尊大な態度がデフォルトの鬼だった。そのような者達を見て育ったと思えばこの小鬼の態度も納得できてしまう。しかし、オールドアの面々は母親の方から教育……躾を頼まれていたりする。

 来留芽は月白の正面に立つと彼の頬をにゅっと引っ張った。


「下僕じゃないって言っているでしょうが。放り出すよ」

『いやだぁあああ』


 何だかんだ言って月白に甘いのがオールドアの面々だ。来留芽もキツイ言葉は言っても実行まではしない。


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