8 心・砕・罠


 茜チームと双子チームが合流して地下に落とされた頃、来留芽達は謎の人影に追い立てられていた。


「あれ、何っ!?」

「巴が知らないのに俺達が知っているわけないだろうが!」

「とにかく走って。呪が効いてないみたいだから」


 最初に遭遇した時、あの影は拳を振り上げて叩き潰そうとしてきた。出会い頭に、だ。もちろん来留芽達は応戦しようとしたのだが、困ったことに来留芽の呪も巴の祝詞も効果が無かったのだ。唯一効果があった……というか影の攻撃を受け止めたのが薫だった。鬼の力は通用するのかもしれない。

 だが、それが分かったところでどうしようもない。薫一人で相対できるものでもなさそうだからだ。


「何かっ、人魂が、いるっ!」


 先頭を走っていた巴が息を切らしながらそう言った。見れば、緑の人魂がふよふよと浮いていた。そののんきな動きと来留芽達の切羽詰まった状況を対比してイラッとする。


「たぶんあれは鬼火。でも何だろう……ものすごく握り潰したくなってきた」


 尻尾を掴んで振り回したい。何故かそう思ってしまった。たぶん、来留芽もどこかキレていたのだろう。

 イラッとする挙動を見せる人魂に向けて霊能力をまとわせた手を伸ばす。そして通り様に掴み、連れ去った。鬼火は来留芽に捕まれて上下に揺れる。子どもが引っ張って遊ぶ風船のように。


『――』


 突然、その場に小さな歌のようなものが響く。何事か、と疑問に思ったが今は立ち止まっていられる状況ではなかった。


「あ! 思い出した! あたし達を追いかけてるアレ、掛軸の鬼だよ!」


 これもまた唐突に巴が背後をチラッと確認するとそう叫んだ。掛軸の鬼と言われてもこの屋敷のことを知らない来留芽は反応のしようがない。


「どこかの、掛軸から出てきたってこと?」

「そ。だからアレが描かれていた掛軸まで行って中へ叩き込まないと。あたしが覚えている限りではあんなに見境なく襲ってくるモノじゃなかったんだけどね」


 巴は昔、あの鬼と遊んだことがあった。彼を連れてきたのは清水のおばあちゃん……すみれだった。彼女は少しだけ幼少期を思い出す。


『透、巴ちゃん。この掛軸はしばらく私が預かることになったものなのよ。紹介するわね』


 すみれはそう言って掛軸に手招きした。その動作を見てこの掛軸があやかし関係のものだと悟った。そして、視線が集中すると、ぬっと鬼が姿を現した。


『覇鬼というのよ。魔を払ってくれる優しい鬼。気が向けばあなた達と遊んでくれるわ』


 もっとも、その遊びというのは修行の一貫だったのだが、新しい遊び相手というものに巴は喜んだ。透が若干拗ねていたような気もしないではないが、あまり問題にならなかった。

 なぜなら、その鬼の掛軸がすぐに捌けてしまったからだ。それでも、彼と遊んだ日々を巴は忘れていない。いつこの屋敷に戻ってきたのか、そしてどうしてこんなにも気性が激しくなってしまったのか知りたいと思った。


「掛軸があるのは……ちょうど進行方向みたいだね」

「何故分かるんだ?」

「彼の足元を見るんだ。影を作ってやるとあたし達の進行方向を向いているだろう」


 ――掛軸と繋がっているからだ。

 巴はそう続けた。


「あの部屋は入り口の落とし穴に気を付ければたぶん他の罠はないから! 行くよ!」


 そして、少し走ったところの部屋に飛び込んだ。


「よっと……」

「うおわぁ!?」

「入り口の落とし穴に気を付けろって言ったよね? ホント、しっかりしてよ、薫」

「ああ、悪ぃ」


 薫が危うく落とし穴に落ちそうになったが、巴が咄嗟に補助して何とか無事に部屋に入れた。そんな来留芽達の後をあっさりとついてくる鬼。

 そのとき、薫の頭の上に一羽の鳩が降り立った。


「なんだこいつ?」

『キケン! キケン!』


 薫のツンツンした頭に止まり、そう叫んだ鳩に良い予感はしなかった。


「細兄の式神かな?」

『デンジャー! デンジャー!』


 鳩はバタバタと羽を動かしてなおも騒ぐ。そこへ機敏な動きで鬼が近付いた。咄嗟に来留芽と薫は逃げたが、鳩だけは無謀にも立ち向かっていった。


『Emergency! Emergency!』


 やけにいい発音のそれが最後の言葉になった。鬼の手に捕らえられた鳩は少しバタバタと羽を動かすと、ポンッと爆ぜてしまったからだ。

 驚きによってか鬼が固まった中、巴が真っ白な掛軸を手に取って掲げる。


「この掛軸が目に入らんか! 叩き戻してやるわ!」

「「『……』」」


 そこまで威勢良く言うことだろうか。来留芽と薫は鬼と仲良く沈黙した。


「と、とりあえず! 覇鬼さん、戻って!」


 無言の空気に耐えかねて動いた巴はすばらしく早かった。鬼も全く反応できないほどに。

 鬼を叩き戻すとは、鬼に掛軸を叩きつけることらしい。


「何て言うか……巴姉……容赦ないね」

「覇鬼さんに本気出されたら勝ち目ないからね」

「あの鬼、そんなに強いんだ」

「覇鬼さんは強いよ。まだ子どもだったとはいえ、あたしと透の二人掛かりでも負けたからね」


 それは強い……かもしれない。子どもの頃の巴の実力が良く分からないから想像しにくいが、子どもであっても霊能者としてそれなりの実力があったのだと思う。だから、覇鬼と呼ばれている掛軸の鬼も相当な強さなのだろう。実際、来留芽の呪も効かなかったことだし……あれはひょっとして自前の耐性か。


「まぁ、鬼は何とかなったからいいとして……巴姉、この鬼火はどうしようか」

「うーん、そうだねぇ。というか、これは本当に鬼火なのかな?」


 巴は今更ながら首を捻った。

 来留芽の手の中で抵抗している緑色の火の玉。形だけなら鬼火で通じる。しかし、色を見てしまうと途端に疑問を感じる。果たして、緑色の鬼火など普通に存在するだろうか。もちろん、自然に存在する火は、手を加えることで別の色に出来る。赤、黄色、紫……もちろん、緑も。しかし、鬼火の場合は……どうなのだろう。


「とりあえず、これから音がしたんだよな?」


 薫が確認してきた。それに来留芽は頷く。これをたなびかせながら走っていたとき、確かに音がした。


「どうしたらまた音が出るんだろう」


 音とは言ったが、あれは歌のようだった。


「状況的に見て……また走ってみるとか?」

「この部屋で?」


 巴の記憶ではこの部屋は安全らしいのだが、ここまでの道を考えると確定はできないだろう。


「いや、振り回すだけでいいんじゃねぇの」


 それが一番楽か。来留芽は頭の上でぐるんぐるんと回してみた。

 予想通り、歌が流れてくる。


『じょうのうちよりいざ行かん

 鍵をくぼみにおしあてて

 壁のむこうの階段へ

 鬼火の光がてらしだす

 無色の呪詞を詠みあげよ

 われらが歴史のさき行けば

 清流筆紋そこにあり』


 歌詞はそれだけのようだった。あとは繰り返し同じものが流れるだけだ。


「清流筆紋って……」


 眉間にシワを寄せて巴が呟いた。清流筆紋は清水家の清流紋と一色家の一筆紋が合わさったものだ。


「清水家と一色家に半月紋として分けられたという話だったけど、この先に完成された形であるの?」

「……どうなんだろうね。先に進まなきゃ分からないよ」


 それぞれそう言った来留芽と巴に薫の声が割り込む。


「それより、どこから階段とやらに行けるんだ? 巴は知っているのか?」

「うーん……たぶん、鍵を押し当てるくぼみっていうのはあれだね」


 そう言って巴が指差したのは掛軸をひっぺがしたあとに見えている壁であった。そこに小さいくぼみがある。巴は来留芽から鬼火を受け取ってそのくぼみに押し当てた。


「うわっ!」「うぉっ!」「っ!」


 同時に、鬼火は強く燃え上がり、壁の向こうへ消えてしまった。このときの来留芽達が知ることではなかったが、それは茜チームと双子チームが見たものと同一の現象だった。ただ、彼等はその後の行動が違っていた。三人ともが壁のすぐそばに集まったのだ。


「「何で消えたの、あれ」」


 異口同音に来留芽と巴が呟き、顔を見合わせた。


「この奥に何か空間があるからだろ?」


 薫はそう言って壁に手をついた。すると、ゴトッと音を立てて壁が奥へ沈む。


「げ……ぅおっ!」


 薫がバランスを崩した拍子に体重が乗ったのだろう。壁はくるりと回って薫はその向こうへ消えた。ドシーンと受け身をとったとしてもダメージがありそうなほど盛大に倒れる音がして、その向こうにはそれなりの空間があると分かる。音の反響とかそういうもので。

 それにしても、ずいぶんと痛そうな音だった。来留芽は音がした瞬間に思わず首をすくめていたほどだ。


「大丈夫かな?」

「大丈夫でしょ。あの子、鬼子だもん」


 鬼子の特徴はその身体能力と物理的な頑丈さにある。薫の場合、トラックにはねられても打撲で済む程度には固いらしい。


「巴姉」

「うん、あたし達も行こうか」


 そう言って、ふと背後を見た。すると、畳の床だと思っていた場所が、一面穴になっていた。


「っ!!」

「どしたの? ……って、これは……決して、安全じゃなかったみたいだね」


 巴もそれを見て、引き攣った笑いを浮かべた。この屋敷は本当に精神的に来るものがある。


 ――Emergency! Emergency!

 十中八九空耳だろうが、どこからかあの鳩の流暢りゅうちょうな英語が聞こえた気がした。まさか……まさか、だろう。細がいるチームがこの下に落ちたなどという想像は。


「……うん、たぶん大丈夫」


 どのみち、来留芽に助ける手段はない。どれだけ深いかも分からない穴に向かうのは後回しにしよう。

 二人は頷くと底の見えぬ穴に背を向けて壁の向こうへ消えていくのであった。



 ***



 蛍のような淡い光がその場所には満ちていた。窓のないその地下空間の光源なのだろう。

 そこに、二つの影があった。柔らかな曲線を持つ女性もの、少し角ばったような形を持つ男性のものだ。女性の方が斜め上に手を差し出しふわりと降りてくる光を受け止め、胸の前辺りへ持ってくる。そして、手のひらの上でじゃれているような動きをするそれを眺めながら言った。


『彼等との契約も……もう少しで終わりになるでしょうか』

「忍葉様の待ち人が来たあかつきには」


 それに応えたのは低い男性の声だった。少しだけ沈んだ様子だった。


『そうですね。そういえば、この屋敷に侵入したのは大きく分けて四組になるようね。まず一つ目のグループは紫波家のモノ達……論外ね』


 早々に鬼に負けて屋敷から叩き出されてしまっている。中には屋敷にすら辿り着けずに脱落した者もいるようだ。忍葉と呼ばれた美しい女性の口元が冷たく弧を描いた。


「無色家の血を一切引いていませんからね」

『その他の三組には最低一人は無色の血を引く子が混ざっていたわ……賢明ね』


 笑みの質が変わった。母親が良くできました、と微笑むようなものになっている。


依怙贔屓えこひいきですよ、忍葉様」

『あら。私の兄の子孫ですよ? 贔屓ひいきしたって何も悪くないでしょう。……合流した子達もあと少しでした』

「しかし……樹のことをどうお考えですか、忍葉様。あいつは少なくとも紫波の隠された領域へ入り込んだことがある」

『ただの好奇心旺盛な猫のようなものです。私にとっては気にする必要もないでしょうね』


 彼等の目の前で遊んでいる光は屋敷の様子を映していた。


「それにしても、この屋敷は些か悪意に満ち過ぎていませんか」

『あら、悪戯心に満ちていると言ってあげなさいな。おそらく、見ている方が楽しめるように心を砕いていたのでしょう』

「挑戦者の心が砕けるような罠の数々が、ですか」

『ふふ。流石は私の兄の子孫です。性質はそっくりそのまま受け継いだようですね』


 忍葉は昔に生きていた無色家の末裔まつえいだった。けれど、子どもを残すことは出来なかった。その代わり、と言うのは違うかもしれないが、彼女の兄は子沢山だった。甥や姪がよく顔を見せに来てくれた。あの子達の系譜の者が今やって来る。

 例えそれが自分の終わりになろうとも、これほど心踊ることはない。


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