2 姉兄の来訪
夕方四時頃、社長が帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り~、社長。来留芽を一人で残すなんて珍しいね?」
少しだけ黒いオーラを纏い樹が社長を迎える。対する社長は……もちろん話題の来留芽もその様子に頓着しない。樹が分かりやすく黒いオーラを纏うのはそこまで本気ではないと知っているからだ。
とはいえ、過保護な兄の一角である樹は全く怒っていないわけではない。多少は宥めたり怒りを発散させたりする必要があった。
「悪いな。最近は来留芽も落ち着いているし、どこかからつつかれることもないだろうと思って一人にした。もう子供ではないのだから過保護も程々にしておけ。だが……来留芽、大丈夫だったか?」
「何ともないのは見ればわかると思うけど。そうだ、皆の留守中に巴姉のお客さんが来てた」
「巴の客? 誰だ?」
予定にない客、それでいて社員である巴の関係者だと言われてもすぐに浮かばなかったからか、首を捻る社長。
「清水茜さんと一色暁、夕凪さん。ちょっと厄介な状況になっているみたい。紫波に追われているって。巴姉がいなかったからもう一度来るらしい」
来留芽がそう言うと社長と樹は同時に天を仰いだ。
「あの家出娘と家出息子ども……今度は何の助けを求めてきたんだか。染さんとすみれさんに頼まれているからあまりな内容でない限り断れないんだが……」
今は亡きその二人に守は昔彼等のことを頼まれていた。妖界へ行ったりこちらに戻ってきたりと小さい頃から忙しなく動いていたやんちゃな三人をそれとなく気にしてきたのだ。
「巴姉が話を聞いてから判断することになると思うよ」
「そうだな。で、何時だ?」
「夕方六時頃。追われているみたいだし、前後するかもしれないって」
「こちらが動ける内容だといいがな……」
巴次第の面もある。
そして夕方五時半頃、巴が帰ってきた。
「おかえり、巴姉」
「ただいま、来留芽ちゃん。あたしにお客だって?」
「そう。清水茜さんと一色暁さん、夕凪さん。当主継承がどうのこうのって呟いていたけれど、私に聞かせるつもりの話じゃなさそうだったから詳しくは聞いていない」
来留芽がそう言うと巴は腕組みして少し考え込むと表情を緩めて頭を撫でてきた。
「まぁ、それだけ分かれば何となく内容を察することが出来るから。もしかしたら透を呼び出しておいた方が良いかもしれないね。とりあえず、義姉様と兄様達はあたしの相談室に通して」
巴は透に連絡したが、時間の関係でオールドアに来ることは出来ないようだった。その代わり式神を使って意識を繋いだ。見た目は鴉のようだ。
『巴、姉様達が来たみたいだ』
「え、ほんと? というか、式神の体を借りているのに鋭いね、透」
六時を越えて待つこと十分ほど。透の意識が繋がっている式神がピクリと反応して呟いた。仮の感覚が宿る式神なのにずいぶんと反応が良いようだ。何か特別なものを使ったのだろうか。
『それは僕も不思議に思っていたけど……式神をこうやって使うのは初めてだからなぁ。京極さん、何かした?』
「したと言えばしたな。実は……」
ピンポーン
細が透の質問に答えようとしたら玄関の呼び鈴が鳴った。透が正しければ茜、暁、夕凪の三人がやって来たのだろう。来留芽は立ち上がって玄関に向かう。同時に巴も相談室に移動を始めた。
「はい、オールドアです」
「こんばんは。巴はいる?」
「はい。彼女の相談室にいます。そこまで案内しますので、ついてきてください」
個人の相談室は二階にある。彼等の問題についてはまだ暫定だが、巴が担当することになるだろう。もっとも、巴の判断次第で来留芽達も参戦するが。
「ここです」
「ありがとね。……ともちゃん、久しぶり」
三人が部屋に入っていくのを見送って来留芽は階下の社員用ラウンジに戻った。
***
一方、巴は数年ぶりに再会する兄達と茜を迎えた。三人とも外見はそう変わっていない。だが、よく見れば夕凪が少しばかり疲れた様子を見せている気がする。暁は腹黒だからそう心配していないが、夕凪はこの三人のうちストッパー的な役割になる。そして暁ほど腹黒くないので二人の暴走に心労しているのだろう。
「久しぶり、茜姉様、兄様方。どうぞ、座って」
三人は入ってすぐのところで頬を緩めて、目元も幾分か和らげてこちらを見ていた。再会の喜びや互いに無事だった事への安堵が浮かぶ彼等の表情に、どうしても裏側を身を潜めて歩かなくてはならなかった厳しい日々を過ごしてきたのだと理解して巴の心の中に一瞬陰が落ちる。それでも微笑みを浮かべて巴はテーブルの反対側のソファを彼等に勧める。
「六年ぶりかしら? ふふ……もう大人の表情ね」
そう、三人と最後に会ってからもうそれだけの時間が経っていた。六年前は巴の成人式があったのだ。その際に一族の者が総出で祝ったときに少しだけ会話したきりだ。その時もいつの間にか行方を眩ましていたものだから驚いた。
大人の表情になったと言ってくれる茜に、自分はもう彼等に守られるだけの子どもではなくなり、認められた気がして嬉しく思う。一色の当主は――清水の当主も同じだったが――子育てに関することは一切やって来なかった。巴と透は互いの祖父母と兄姉に育てられたようなものだ。
「ありがとうございます、茜姉様」
「元気だったかい? 巴」
「どちらの当主にも手出しされていないな?」
「……うん。多少嫌味らしきものを言われる程度だね。父様とは会っても無視しているから何も起こりようが無いけど」
「「嫌味、ね……」」
一つの単語に反応し兄二人は酷薄な表情に変わる。それは報復を考えている顔だった。
「大丈夫だよ、兄様。あたしはそんなものに傷付けられるような柔な精神はしていないから。それに、透だって助けてくれるから気にしていないし」
会話しなかった事によるすれ違いに懲りたのか最近、透は用事が無くても巴の元にやって来るし、変わりないかと聞いてくるようになった。大型犬に懐かれたみたいで少し楽しくなっていることは本人には秘密にしている。本音を言ったら拗ねられそうだ。
だが、茜は実の弟に対して遠慮がない。
「そうね。もし透が巴を助けないようだったらアタシ直々に鉄槌を下してやるわ。……さて、懐かしいのんきな会話はここまでにしましょう。早速だけど、アタシ達はね、ある物を探しているの。それがあれば新しい家を興せるから」
裏の世界において、新しく家を興すということは、今まで属していた勢力……巴や暁・夕凪であれば一色家、茜や透であれば清水家といった“家”、ひいてはその有する土地およびご祭神を切り捨てる覚悟があるということだ。一色、清水のような神職の家系においてそれはとても厳しい決意だと言える。
「正気!? 失礼かもしれないけど、誰かに唆されたんじゃないよね?」
巴は眉をひそめて問いただしにかかろうとする。それだけ茜が言ったことが信じられなかったのだ。
「失礼だよ、巴。僕等は正気だ」
「茜、一度腹を割って最初から話した方が良いんじゃないか」
暁は巴を宥めにかかる。夕凪は茜の顔を覗き込んで全て最初から話すべきだと主張する。判断を迫られた茜は一つ溜息をつく。
「そうね。でも、全て話すと……強引にでもこちら側についてもらわないと。巴と透の両方にね」
「茜姉様。あたし達がそう簡単に姉様や兄様方と敵対できるとでも思っているのですか?」
幼い頃から母親以上に温もりを教えてくれて、父親以上に物事を教えてくれた彼等と簡単に敵対できるものではない。
「だろうね。だから、アタシは……」
「姉様。話してください。そこまで躊躇うのなら、かなりの厄介事でしょう? 今透も呼ぶから」
にこり、と透き通った笑顔を向けられて、茜・暁・夕凪の三人は思う。……これは、相当怒っているなぁ、と。勝手に家出して、フラッと戻ってきたり去ったりしては勝手に重大なことを決めてそれに巻き込もうとする。その身勝手さにだろうか。巴はとにかく怒っている。
「巴、透を呼ぶって言ってもここからじゃ遠いだろう? どうするつもりかな」
「心配しないでください、暁兄様。こういうこともあろうかと思って既にオールドアで待機してもらっています」
窓を開けて何らかの合図を出すと一羽の鴉が入ってきた。そのまま巴の腕にとまる。
「……おもしろい術ね。透、久しぶり」
『久しぶりだな、茜姉』
「おいおい、浮世ではもうこんな術が開発されたのか」
夕凪が驚いた様子でマジマジと鴉を見る。“浮世では”という部分に「あんたはあやかしか」と突っ込みそうになったが、よく考えてみればこの三人はかなりの長期間妖界へ出向いていると聞いた覚えがある。隠棲人のような台詞が飛び出てきてもおかしくはないのかもしれない。
「まだうちの細しか使えないはずだよ。協会の増強のためには絶対に使わせないから。細だって協会嫌いだし」
巴がそう言いながら鴉の体を撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細めていた。感覚も通っているのだろうか。使いどころを間違えると空恐ろしい結果になりそうでもある。
「とりあえず、話そうか」
――まず、アタシ達は家出する先で現行の協会に対抗する勢力を作っているの。本当ならもう少し時間を掛けて規模を大きくするつもりだったのだけど、現世で何やら動きがあるという話が出てきて、協会に潜んでいる協力者に確認したのね。
「そっちはやけに騒がしいけど、どうしたのよ?」
「お前達、知らないのか? 清水と一色が妙な動きを見せているんだ。あと、紫波も怪しいが……あそこはいつものことだな」
そうしたら、アタシ達の生家が動き出していると分かったのよ。具体的には清水家当主のおばさんが行方不明になって、清水にライバル心を抱いている一色の小父さんが今のうちに力を付けようと悪巧みをし始めたという報告だったわ。
ところで、昔は清水家と一色家の当主が引き継ぐ物の中に半月紋というものがあったのを知っているかしら。清水家は清流を描いたもので、一色家は一つの筆が描かれていたと思うわ。あれらを合わせた図柄は元々清水家と一色家に分かれる前の無色家の家紋……“清流筆紋”になるの。その無色の家紋は霊力を大幅に増幅する効果があると言われているわ。
一色の小父さんはそれを求めたのよ。
でも、清流筆紋を知り、欲しいと思ったのは一色の小父さんだけではなかった。どうやって知ったのか分からないけれど、紫波家の現当主、紫波柚姫もそれを狙っていたのよ。そこで一色家と紫波家は手を結ぶことにしたらしいわ。清流筆紋は神事の際に一色家が紫波家に貸し出すという契約をしたという情報があるの。
ただ、困ったことに肝心の半月紋は両家とも紛失していたのよ。一色家の方はアンタの祖父……赤染のお爺様が持っていた記憶はあるの。けれど、今は当主も行方を知らないでしょう? 清水の方はもっと良く分からないの。すみれお祖母様が隠してしまったのかもしれない。アタシも実はそう思っていたわ。
そのことに一色の小父さんが気付いているのかどうか分からないけれど、あの人はアタシ達を探し出した。紫波家と協力して物騒な追っ手を仕向けてきたの。捕まったらたぶん情報を持っていようといまいと殺されるわ。紫波家の方からは殺意が透けて見えたからね。
でも、紫波家がそうしてまで探すということは、清流筆紋は存在していてその力もお墨付きだと言えるわ。これは使えるのではないかと思ってアタシ達も探すことにしたの。まぁ、今のところほとんど手がかりがないのだけど。
『……とすると、茜姉達が興したい家というのは無色家なのか?』
「そうね。今の協会の幹部は分かる?」
「籠上氏、三笠氏、紫波氏、畑中氏、出雲氏、一色、清水氏の七氏だよね?」
一応正式にはそうなっている。もっとも、能ある鷹のように実力を見せていない者もいるだろうから、純粋に最強七氏と言えるわけではない。例えばそう……社長が良い例かもしれない。あの人は協会幹部に一目おかれている。恐れられていると言い換えてもいい。
「そう……その内、腐りきっているのが籠上、三笠、紫波、畑中の三氏。それと、清水、一色もかしら。まぁ、血筋的に傍系の子の中にはまともな人もいるけれど、当主に近いほど迷惑な性質を持っているのよね」
少しばかり遠い目をしながら茜がそう言う。否定する言葉を巴は持たなかった。本当に霊能者達のトップたる地位にいながら、悪行の限りを尽くしているような存在が今挙げた家の当主なのだ。
「アタシ達はね、巴、それと透。……今の協会幹部を刷新してしまいたいのよ」
茜は透(鴉)の羽を撫でながら愁いを帯びた顔で衝撃的かつ大胆な本音を漏らしてくれた。
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