姉兄会話
1 やって来たのは
「逃がすなっ! 追えっ!」
「紫波を舐められたままで良いと思っているのか!?」
追っ手の声を聞きながら、必死に走り、逃げてきた。
「はぁ……はぁ、あそこへ行って良いのですね? ……様」
『ええ。私がともにいれば、入るのは容易いですから』
「現当主はおそらく向こうにつくでしょう」
『尻尾を振ることばかり上手くなってしまったのですね。情けないこと』
それでも彼等が逃げる先は決まっている。追っ手が迂闊に入り込めない領域だ。つまりは、紫波家以外の強い霊能者の支配地。そこに行ければ少しだけ余裕ができる。目的とする場所はかつて慣れ親しんだところなのだから。
「次代はまだましだと聞いています」
『ならば、呼び寄せましょう、あの場所へ。そして、紫波の思惑を挫くのです。そうすれば、貴方を縛る鎖もなくなって自由になれるでしょう』
「……様、私は、貴女のために在るのです」
『知っています。それでも、縛られていることは間違いないのですよ。私はそれが我慢ならないのです』
白魚のような指が男の角張った頬に伸び、さらりと首元まで降りてきたかと思うと、首裏から中空へ何かを撫でるように動いていった。
『力が満ちたら、まず最初に貴方をこの鎖から解放します』
***
その来客は突然のことだった。いや、オールドアへの来客はいつも突然のことではあるけれども。
ピンポーン
午前九時頃。会社には似つかわしくない、一般の家で響くような呼び鈴の音が聞こえた。この日は土曜日で学校は休みだった。来留芽は勉強道具から目を上げて階下の様子を探る。すると、驚いたことに社長までいないようだった。日高親子は今日は休みだ。巴と薫はいつものように本部の仕事をしに向かっている。細は教師としての仕事があるらしい。樹はどこかの寺の人から依頼されていることがあるそうで、朝方引きずられていった。社長は……いると思っていたのだが何か急な用事が入ってしまったのかもしれない。
「いけない。急ぎの客だったら困る」
慌てて部屋着から外の人に見せてもいい服に着替える。気を抜いていた来留芽はパジャマのまま勉強していたのである。流石にその格好のまま外に出ることはできない。だから慌てて着替える。
ピンポーン
また鳴った。客人はすぐに諦めるような人ではなかったらしい。しかし、おかげで間に合ったとも言える。
「はい。オールドアです」
「ああ、良かった。ちゃんと人がいたみたいね」
ホッとした顔を見せた客に来留芽は頭を下げる。社員がいないことに気付かなかったために出遅れたのはこちらの手落ちだ。
「お待たせして申し訳ありません。初めまして、私は古戸来留芽といいます。ご用件を伺ってよろしいでしょうか」
「あら、よく見ればずいぶんと若い子ね。アタシは
清水茜に一色暁、夕凪……苗字を聞いてピンときた。巴の義姉(予定)に双子の兄だ。茜という女性は豊満な体で派手な印象を持つ。サングラスをかけて、まるでどこかの有名人のようだ。上から目線で反論は許さないとその態度が告げている。
反対に暁、夕凪の二人は茜の印象が強すぎて地味に見える。しかし、顔立ちは整っているので茜の効果が無ければ女の人(肉食系)が殺到することだろう。
ただ、そう、見るからに刃物ですと言っているかのようなものを握っているのはなぜだろうか。この二人の方がずっと危険人物のようだ。
「残念ながら今は私以外いません。しかし、伝言は承ります。一先ず、中へどうぞ」
来留芽は巴がいないと素直に話す。それでも話は聞いておかなくてはならないので、オールドアの中に入ってもらう。巴の関係者ならば来留芽の使う相談室に来てもらえばいいだろう。
「うーん……そうねぇ。出来れば面と向かって話したいのよね。どうする? 暁、夕凪」
「出直せば?」
「呼び出したらどうだ」
茜はちょっと困った風に呟くと振り向いて従者よろしく大人しくしていた二人に意見を求めていた。その二人は特に考える様子を見せずにさらっと言う。
「そうねぇ。でも、呼び出したら私達の潜伏場所がバレそうよね。ウチの母のことを考えると少しマズいかしら?」
「流石の小母さんも僕等がいる場所を把握しているかは分からないよ?」
「何かトラブルがあったみたいで行方不明だろう、今」
三人がひそひそとそんな相談をしているところで、来留芽の相談室に着いた。ドアを開けて入ってもらう。歩きながらも茜と呼ばれた女性は考え込んでいた。
「そうなのよね……。だからこの機にある程度話を進めてしてしまいたいんだけど……。ねぇ、アンタ」
「はい」
来留芽はソファを三人に勧めた。三人が着席し、来留芽も座ったところで茜が真剣な顔を向けてきた。
「いくつか聞きたいんだけど、まず……ともちゃん……巴はいつ帰ってくる?」
「今日は本部から直帰の予定です。オールドアに立ち寄ってもらうことは可能ですが、夕方六時頃になります」
間髪入れずに来留芽が答える。社員の予定は一応ラウンジに書かれてあった。毎朝それを確認しているのですぐに返答することができる。
「そうよねぇ。仕事をしているんならそれくらいになるか。アタシ達がここに来たことは連絡しないで欲しいのよ」
「では、どうされますか?」
この三人の思惑が良く分からないが、本部にいる間は、巴に三人の来訪を連絡しないで欲しいと言うことは本部に彼等がいる場所を知られたくないというのだろう。敵対行動でもとっているのだろうか。
「夕方六時頃もう一度ここに来るわ。もう分かってしまっているかもしれないけどアタシ達は出来る限り本部の、ひいては協会の者に居場所を知られたくないのよ。アンタもアタシ達のことは黙っていて欲しい」
「分かりました」
そういうことなら、と来留芽は特定の形の式神を巴に送ることにした。オールドアに寄ってくれというメッセージになる。
「それはそうと、もう少し雑談していっていいかしら。この会社の結界は誰が作ったの?」
もう帰るのかと思ったらまだ時間に余裕があるようだった。こちらのことをお構いなしに聞いてくる。もっとも、時間は確かに大丈夫なのだが。
「結界は父が。敵意を持った者が入ってこられないように設定してあるそうです」
「へぇ……よく見ればどんな邪気も入らないようになっているから僕等を追跡している術もこの中には入ってこられないみたいだ」
最初に玄関で見かけたときよりも幾分柔らかい顔でそう言う。彼等はどうも追われていたようだ。体よく避難場所にされたようで癪に障るが、巴の兄姉なので身内と思っていればそこまで苛立ちはしない。
「そうなの? 暁。術は入ってこられそうだと思ったのだけど」
「暁の言うとおりだぞ、茜。僕達を追いかけているのは紫波の禁術だから、この結界の排除対象だろう」
「紫波……?」
何となく気になった言葉を呟く来留芽の様子に何かを感じたのか双子が構えた。茜も鋭い視線を向けてくる。名前を呟いただけでこの反応。彼等はいったい何をやらかしたのか。
「君は紫波家について何か知っていることでもあるのかな?」
同時に妙な圧力をかけられる。鋭利な刃物を突き付けられているような……否、これは間違いなく突き付けられているのだろう。特に茜からの警戒が強い。
「……ええと、鬼を目の敵にしている協会幹部の一家。確か、現当主は
来留芽は立て板に水のごとくそう話した。協会幹部の家は普通の霊能者にとっていろいろな意味で危険なので表に出ている情報くらいは持っているものだ。おそらく彼等が聞き出したいのはそのような表面的な情報ではないだろうが……。
「うん。よく知っているな。それだけか?」
「紫波の血を引いている生徒が学園の先輩にいる。……あ、手は出さないで欲しい。紫波を嫌っているという話だから」
「へぇ。それは、なぜかな?」
あまり彼の事情を他人様に話したくないのだが……ここで言葉を濁したままにしてはきっと納得してもらえないだろう。
「……鬼の血を引いているから」
「「なるほど」」
そう言うと突き付けていたモノを引いてくれた。どうやら来留芽の疑いは晴れたらしい。そもそも誰が紫波家に荷担するものか。協会幹部におべっかを使わずともオールドアはやっていける。
「暁と夕凪がごめんね。怖かったでしょ」
「いや、一番洒落にならない殺気をぶつけてきた人に言われても……」
本当に。実は茜が最も過激で危険なのではないだろうか。
一旦落ち着くために来留芽は紅茶を淹れに行くことにした。そこそこの紅茶でいいだろう。リラックスしすぎては対応を間違えそうだ。
「お待たせしました。紅茶です」
「あら、ありがと。良い香りね。アタシ、これ好きだわ」
「はい。これは巴ね……巴が好んで買っているものです」
「「へぇ、巴が……」」
妹が好き好んでいると知って兄達は興味を持ったらしい。茜以上に喜んでいる。様子を見る限り口に合わないということはなかったようだ。
「ところで、私からも質問していいですか?」
「内容によるけど」
「言えないのでしたら言えないと一言おっしゃっていただければ。ええと、まず、あなた方はどうして紫波に追いかけられているのでしょうか?」
一瞬三人の間に視線が飛び交った。言ってもいいかどうか相談したのだろう。
「……簡単に言えば、力をつけすぎたのよ、アタシ達。家出中に妖界を旅したのだけど、不憫な鬼の里や影達の里を助けたの。人間……つまりはこちらの霊能者に不当に搾取されているという話だったから。調べてみれば確かに紫波家が従属を強要していたわ。大した対価もなしに。それで、助けた後はお礼がしたいというものだから鍛えてもらったの」
「それが僕等に合っていたらしく、身体能力が大幅に上昇し、術の力加減も調節することが出来るようになったんだ」
「追いかけられても全力で逃げれば術を引き離すことが出来るようになった。昔に掛けられた呪いも無効化できたし、本当に助かったな」
夕凪の言葉に来留芽は思わず立ち上がった。
「呪いを無効化!?」
「ああ。深層心理で対峙しなくてはならなかったが、素の自分の力が上昇していたから消せたのだと思う……何でまたそこに反応するんだ?」
それは来留芽が最も苦しんでいるのが自身の抱える呪・呪詛だからだ。しかし、このことはあまり知られていないのだろうか。いや、そうでもなかったはずだ。
「夕凪。彼女は古戸家を名乗っていたでしょ」
「ああ……古戸の呪法ってまさか……」
「なかなか恐ろしいよね」
この三人は察するものがあったらしい。まず茜が、その後すぐに夕凪と暁が同情するような視線を向けてきた。
「まぁ、今はもう慣れたので。でも、少しでも呪詛を消せるならとはいつも思ってる」
「でしょうね。アタシ達から言えるのはやはり自分自身の力や耐性を上げることよ」
つまり、修行あるのみ。
「ま、頑張りなさい。修行場に困っているなら清水の土地を貸してあげるわ。当主になる透に言っておけば快く貸してくれるでしょ」
「一色の土地でもいいよ。巴に案内してもらえばいい」
その厚意はありがたく受けておく。渡世家が有する霊山以外に行きたくなったら両者を頼るとしよう。
「そろそろここを出るわ。迷惑を掛けてもいけないし」
「一応追っ手も諦めたみたいだしね」
「じゃあな、古戸のお嬢さん。六時頃また来るが……場合によっては前後するかもしれない」
こちらに配慮して追っ手を撒いてから来るつもりだからだろうか。もっとも、紫波家の手の者なら迂闊にオールドアに手出しするとは思えないが。
「分かりました。お待ちしています」
***
午後になってまず樹が帰還した。来留芽はちょうどこの時社員用ラウンジに勉強する場所を移していた。
「ただいま~」
「おかえり、樹兄。依頼は何だったの?」
教材に目を戻し、雑談気分でそう聞いた。このくらいアバウトな質問だったら相手側で答えられるレベルに落とすことが出来るので、互いの仕事状況を把握するのにちょうどいいのだ。万が一ヘルプに向かう必要が出てきた場合、軽くでも状況を把握していた方がやりやすい。
「あそこは人形供養で有名なお寺なんだけど、ちょっと厄介な呪を持った子を持ち込まれちゃったみたいでね~。他の普通の人形も暴れるようになっていたみたい。依頼はその問題の人形の引き取りと暴れていた子を宥めることだった」
「……ある意味私向けだったんじゃない?」
呪を持っていたから厄介だったのなら呪を抜いてしまえば良かった。来留芽なら自分の中に取り込むだけなのですぐ終わったことだろう。
「そうかもね~。でも、もし彼がその依頼を来留芽に持って行っていたら僕はあの寺を潰していたかもね? 来留芽……自分の身は大切に、だよ」
「分かってる」
来留芽が行っていれば簡単に終わったかもしれない。けれど、呪を抜くと言うことは呪を来留芽の抱える『毒』に加えるということだ。将来倍以上の力になって来留芽を壊しに来る恐れがあった。それに、呪を加えてからしばらくの間は来留芽自身の霊力も安定しないし、制御出来ずに周りも危険になる。
「無理はしないから」
自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
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