12『君を、未来へ』


 そして、運命の日がやって来た。今日はSTINAが復帰後初めて全国版の音楽番組に出演する。だから、あの曲が最も神無さんに届く可能性が高い。

 控え室でもおれ達はずっとそわそわしていた。


「ノブ。植木鉢の奥を覗いたって何もないだろ」

「あ、ああ。そうだな……」

「悠里、食べ過ぎると響くぞ」

「分かってる……でも緊張が」


 特にノブと悠里はいつもとは違った行動が目立っていた。おれはそれに一々ツッコミを入れる。


「まぁ、あの曲ならきっと何とかなるだろうし、届くよ。ううん、届けるよ。ボク達が」


 だが、秀はそこまで挙動不審ではなかった。彼は静かに決意していたのだ。


「そうだな」


 おれはそれに同意した。託された者としてそのメッセージは届けなくてはならない。

 皆、光久さんから任された大役に緊張しないなんてことはなかった。


「よし、行こう!」


 本番前におれは早鐘を打つ心臓の上に右手を当ててその鼓動を感じていた。

 おれが……おれ達が出来るのは歌うことだけだ。光久さんの願いを伝えるために……神無さんを探すのはおれだけの力じゃ出来ない。けれど、おれ達の歌として光久さんのメッセージを届けることは出来る。何せ、おれはSTINAの一人だ。おれ達は、おれ達の歌は全国に伝わる!


「ルイくん。この曲はあの『SECRET MESSAGE』の作詞者からの頂き物だそうだね」

「ええ。恋人に向けた曲だと聞きました。もし良ければ歌ってくれないかと言われていまして……」


 始まった。全国版の番組だから神無さんが見てくれている可能性が高い。そうでなくても、伝わるまで歌おう。光久さんのこの強い思いをこの歌で伝えたいから。


「じゃあ、曲に込められたメッセージなんかも知っているのかな?」


 トークが進んで行く。

 この曲が伝えるメッセージか……。


「もともとこの曲はただ一人のために作られたらしいんですよ」

「へぇ。誰にあてたものかは聞いているのかい?」

「そりゃあ、彼の恋人でしょう! ズッキーさん」

「あっははは。そりゃそうだ。愚問だったね。偉い偉い、シュウ

「もう、ズッキーさんまでボクを子ども扱いするんですか-!」


 この曲は光久さんが亡くなってからできた……というか、死後に完成させたものだ。おれは幽霊となった彼と一緒に作ったというのが本当のところだが、言っても信じてもらえないだろうな。

 この曲のメッセージはただ一人のためにある。しかし、これを言うのは余計なことだろう。


「ただ、七割ほどしか完成していませんでした。ですが、彼が伝えたいことは良く分かりました。先へ進めと背中を押すような……でも、聞いていると泣きたくなるような感じになります」

「では……最後のメッセージという面が強いのかな?」

「そうですね。特にラストは加筆したんですが、よりそれが強くなっていると思います」

「その加筆はルイくんが?」

「はい。右往左往しながら何とか」

「今回のことで作詞の才能も開花したかな?」

「自分では分かりませんよ。ぜひ、おれ達の歌を聴いて確認してみてください」

「それもそうだ! それではSTINAの新曲で『君を、未来へ』です」



 ステージに立ち、物悲しい青のライトのみが照らす中で静かに歌い出す。


 ――涙流す空の下 君の姿は遠く哀しくて

   手を伸ばしても心の壁が

   君を隠し触れられない

   もう誰も信じられないの?

   僕の言葉は君に届かない……

   無力さに唇を噛み うつむいた

   君が遠すぎて――


 光久さんが事故に遭った日は雨が降っていたらしい。事故の連絡がいき、親しくしていたおばさん達と霊安室に来た彼女はその場で崩れ落ちてしまった。

 彼女の虚弱体質を知る光久さんは自分の死が悪影響を与えはしないかとハラハラしながらそうだ。

 そのときの彼女はもう他の人を自分の心から閉め出しているように見えたと言っていたな。慰めたくてもそのときには既に幽霊状態だったから手を触れることも出来なかったという。


 ――独りぽっちで嘆くより

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる

   僕がいつも願うのは

   いつだって君との未来――


 光久さんは、もう生身のまま神無さんのそばに居ることは出来ない。だから、彼としては神無さんが生きている人に目を向けて、心配してくれている人に気付いて欲しいのだ。

 それでも前を向けないというなら自分との思い出を生きる糧にして欲しい。

 そう言っていた。


 ――何度でも君に言うよ やさしさはそばにある

   手を伸ばして待ってる

   君がこの手に気付くのを

   さあ顔を上げてみてごらん

   差し伸べられたその手に

   君の手を重ねて そっと

   雨を止ませよう


   独りぽっちで嘆くより

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる

   僕がいつも願うのは

   いつだって君との未来――


 光久さんから教えてもらったのはここまでだった。タイムリミットで彼もこれ以上は思い出せなくなってしまったのだ。だから、彼の代弁者と言うのはおこがましいけれど、彼の気持ちを知って、神無さんに伝えるべきだと思った心がある。だから、ここからはおれの独断で加えた三番目だ。


 ――いつか君に捧げると 約束したあの冬に

   君を想って書き上げた

   僕の最後のプレゼント

   僕自身で誓いたかった

   君とずっと共にいることを

   手を伸ばしても 届かない

   僕の姿はもうないけど――


 届いてくれ、と願う。光久さんの最後の言葉なんだ、届いてくれ。そう祈りを込めて歌う。


 ――独りぽっちで嘆くより

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる――


 ここに続けて“僕が願うのは君との未来”と歌うことは出来なかった。この三番目の歌詞は“今”の光久さんを思って書いたからだ。

 彼は神無さんにこれからも生きていて欲しいと願っている。人生を終えてしまった彼はもう彼女と共に未来へ進むことは出来なくなってしまった。


 だから、『君を、未来へ』と――送り出す。


 照明が一気に明るさを増した。

 オレはその光の中、未来を見据えるかのように真っ直ぐに見て歌い上げる。


 ――独りぽっちで嘆かずに

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる

   君の幸せを僕は願うよ

   はるか未来で語り合おう――


 独りぼっちにしてしまったことを光久さんは本当に悔やんでいた。彼女が塞ぎ込んでいることを知ってどうにかして慰めたいと、そう言っていた。自分がそれほどまで愛されていたことは嬉しいけれど、自分に捕らわれて彼女が人生を謳歌おうかできなくなることが恐ろしいと話していた。

 死というものがあって、最愛の人を残して逝かなくてはならないのはつらい。同様に、残されるのもつらいはずだ。でも、両者とも先に進まなくてはならない。


 だから、届けるんだ。


「いつか語り合える人生を、あなたに」


 会場がシン……と静まる。司会のズッキーさんすらも仕事を忘れたかのように無言だった。

 そのとき、突然『SECRET MESSAGE』のイントロが流れ出した。おれは思わず上を向く。照明も『君を、未来へ』の静かな青色調からカラフルなものに変わっていた。

 予定になかったので驚いたけど、それでもよく知る曲だ。おれの手は『SECRET MESSAGE』を奏で始める。横目で確認すればノブ達はまったく驚いていないように見える。おれに対するサプライズでもあるのだろうか。


 ――Secret Message

   君が気付くか分からないけど

   僕の気持ちを込めておくよ

   毎日のなかにガンバレのメッセージ

   どんなときもそばにいるよ 最愛の君へ――


 無事に歌い終えた。もうおかわりはないだろうな?


「……STINAの皆さんでした! 大きな拍手をお願いします!」


 光久さんの想いは届いただろうか。届いているといい。


「「「「ありがとうございました!」」」」


 二曲合わせても十分に満たない時間だったと思う。でも、その短時間に数年分の光久さんの想いを込められるだけ込めた。

 普段のおれ達は不特定多数の大勢に向けて歌っている。けれど、今日だけは神無さんのために歌わせてもらった。受ける印象はいつもと違うかもしれない。それで良いんだ。だって今日は静谷さんと神無さんのためのステージなんだから。もっとも、明日以降は普段の調子に戻る予定だけど。


「お疲れ様でした~」

「お疲れ様です」

「あ、ルイくん達! ちょっと時間ある?」

「ズッキーさん。まぁ、少しは大丈夫です」


 放送終了後、楽屋に戻る途中で司会をしていたズッキーさんが話しかけてきた。


「ねぇ、ルイくん達は『SECRET MESSAGE』まで流れることを知っていたのかい?」

「「まさか!」」


 悠里と秀が即座に否定し、互いに顔を見合わせた。


「あれ、悠里も知らなかったの?」

「秀も?」

「俺も知らなかった」

「おれもだ」


 驚いたことに、こちらの全員が知らなかったらしい。


「皆知らなかったんだね。突然予定にない曲が流れてきてこちらも焦ったんだけど、君達が平然として歌ってくれたから立て直せた。助かったよ」


 生放送だったから下手に流れを止めても困ることになると思い、大人しく歌ったのだけど、それが功を奏したようで良かった。


「あそこで止めると中途半端になると思って歌ってしまいましたが、こちらこそ、ズッキーさんのフォローは助かりました」


 それに、『SECRET MESSAGE』はテレビ用のショートバージョンだったから、安心した。でも、予定外の一分ほどを加えて番組が時間内に収まるように調整するのは大変だったと思う。


「そういうトラブルを含めて何とかやりくりするのが司会だからね。いやー、それにしても、妙なトラブルだったね。『SECRET MESSAGE』がどこから流れたのかさっぱり分からなかったんだよ。音源を確認しても見つからなかった。不思議なこともあるものだね」


 確かに不思議だ。しかし、おれ達は世の中には本当に不思議なことが存在していると納得できるものをこの目で見ていた。今回もそちら方面での何かが起こったのではないだろうか。光久さんが起こした奇跡か、単なる偶然か……


「奇跡が起こっていたと思う方が楽しいな」


 二人はこのスッキリと晴れた空を見ているだろうか。



 ***



 神無が入院している病院では、一つの奇跡が起こった。

 昨日、神無を訪ねて一人の少女がやって来た。彼女は一つの封筒を差し出し、妙な頼みも付け加えて去っていった。


 ――この手紙を神無さんに。時が来るまで決して開かないようにしてください。きっと、これで彼女はもう一度前を向けるはずだから。……奇跡を起こすために、お願いします


「どういうことかしら……神無さんが正気に戻ったら見せるように、それまでは病室のテーブルかどこかに置いておいてくれというのは……」


 この怪しい願いに従う謂れはない。

 しかし、神無の担当の看護師はなぜかあの少女の言う通りにした方がいいと思った。だから彼女はそれを見舞品の隙間に置いておいた。


「神無さん、どうやらSTINAが復帰するらしいですよ。好きだったでしょう?」

「……」


 焦点を結ばない目は未だに彼女が心の奥に閉じ籠っていることを意味する。見ているのに、見ていない。聞いているのに、聞いていない。それでも、声をかけ続ける。人はどんな辛いことでも乗り越えることができるのだから。


<……それではSTINAの新曲で『君を、未来へ』です>

「神無さん、一緒に聴きましょうね」


 神無は彼等の歌が好きだった。それは、恋人の作った歌詞を歌っているからでもあるが、彼等自身の曲にも励まされてきたと話していた。静谷の次くらいに神無の心を占めているのがSTINAだろう。


<~♪>


 ゆっくりとしたテンポの曲のようだ。彼等を照らすライトはほとんどが青色で悲しみを表しているように感じる。


<――独りぽっちで嘆くより

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる

   僕がいつも願うのは

   いつだって君との未来――>


 サビの部分だろうか。強く訴えかけるように音が流れてくる。


「……神無さん……?」


 あれほどまで感情を閉じていた彼女の目から涙が溢れていた。STINAのこの曲が彼女の心を揺さぶったのだろう。これほどまで彼女を揺り動かせるしたら、それは……。看護師はある予感を胸に、呆然としてテレビを見る。


「まさか、この曲は……静谷光久さんの?」


<――いつか君に捧げると 約束したあの冬に

   君を想って書き上げた

   僕の最後のプレゼント

   僕自身で誓いたかった

   君とずっと共にいることを

   手を伸ばしても 届かない

   僕の姿はもうないけど


   独りぽっちで嘆くより

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる――>


 ああ……これは何という奇跡なんだろう、そんな思いが浮かんでくる。


<――独りぽっちで嘆かずに

   その心の扉 開けてごらんよ

   きっと 君を待つ人がそこにいる

   君の幸せを僕は願うよ

   はるか未来で語り合おう――>


 曲が終わってしまった。神無は涙を流しているが、まだ心は閉じたままだった。


「あと、一押し……お願い、歌を……」


 その願いが届いたのだろうか。『SECRET MESSAGE』が流れてきた。


<~♪>

「……みっちゃん……」


 神無が言葉を発した。目の焦点が定まっている。一月ぶりに正気に戻ったのだ。


「神無さん、今の曲は聴いていたのね?」

「……うん。両方ともみっちゃんの歌詞だった……どうして?」

「分からないわ。でも、静谷さんはあなたに元気でいてほしいと思っているのかもね。ああ、そうだった。あなた宛てに封筒があるのよ。高校生くらいの少女が持ってきてくれたの」

「誰だろ。そんな知り合いいなかったと思うけど……」


 中には二枚の便箋と御札のようなものが入っていた。


「神無さん、落ち着いているようだから先生を呼んでくるわね。手紙はその間に読めば良いわ」

「そうします」


 彼女は訝しげな表情を浮かべて封筒を開く。まず読んだ手紙にはSTINAのメンバーからの励ましの言葉と、懐かしい筆跡の文があった。


『神無は強い。だから諦めずに、くじけずに生きてください』

「これ……これ、みっちゃんの文字だ……。どうして?」


 疑問を抱えつつ二枚目の便箋を読む。そこにはたった数行だけ……


『護符の封を解いて静谷さんと最後のお別れをしてください。

 どうか、疑わないで――私達は奇跡のなかに生きている』


 まさか……。そう思いながらも震える手で封を解いた。なぜか疑問は浮かばない。

 そして病室を見回して、見つけた。


「みっちゃん……」

『神無』

「みっちゃん……わたし、わたしっ……!」


 こらえきれない涙で視界がぼやける。

 光久の突然の死に心が耐えきれなかった。そのまま心を閉じてもどうにもならなかった。既に起こったことを覆すことは出来ない。分かっていたけれど無情な現実を認めたくなかった。


『うん……一人残すことになってごめん』

「一人置いていかれるのは嫌なのっ!」

『神無。それでも僕は君に生きていてほしい。僕の気持ちはあの歌に込めたんだ。三番目は僕にとってもサプライズだったけど、一番僕の心がこもっていたな』


 神無なら分かるよね、という言葉に頷く。静谷の願いは神無が生きることにあると伝わってきた。


『それにね、君は一人じゃない。看護師さんもずっと君を心配していたよ。ご両親だって……何度もお見舞いに来ていた』


 周りに心配をかけている。そのことは閉じこもった神無も気が付いていた。けれど、光久を失った現実を生きていく自信がなかったのだ。


『僕の分まで生きて。神無。遙か未来で精一杯生きた神無の話を聞きたいよ』


 生きろ、と言われる。

 それにずるい、と思った。そこまで言われたら死ぬなんて言えないではないか。


「ずるいよ! あんな歌を遺して……」

『神無のための歌だ。約束しただろう』

「ずるい! みっちゃんのいない世界は嫌なのに……!」


 手を伸ばす。しかし、その手が愛しい彼の体に届くことはない。神無は力なくその伸ばした手を落としてうつむいた。


「でも……分かった、生きるから。みっちゃんが悔しがるくらいの幸せを掴んでやるからっ」


 キッと顔を上げて奇跡を目に入れようとする。

 こうして姿を見られるのは本当にこれが最後だということに気が付いていた。だから、その姿をよく見たいのに止まらない涙が彼の姿をぼやかす。


『その意気だ、神無。僕の心は君のものだよ。……忘れても良いけど、忘れないで』


 神無の頭を光久は撫でた。

 感触は無いけれど、心には暖かい気持ちが湧き上がる。神無を励ましてくれるこの手が好きだった。一生忘れはしない。

 彼の心が神無の中にあることも、一生忘れはしない。


『未来でまた会おう』


 そうして、彼は光に溶けるように消えてしまった。


「うぅっ……みっちゃん……」


 交わした未来の約束。それを果たすために生きると誓った。



          愛綴之章Fin.


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