11 STINA復帰に向けて
あれから数日、静谷の指導は思った以上に厳しかったらしい。来留芽が差し入れに行くとかなりの確率で穂坂が撃沈していた。初日のほのぼのはどこへいったのか。
「お疲れ様」
「おー、古戸さん。今日はカップケーキか。……うん、おいしい」
『では、エネルギーも補給できたところで、再開しますか』
「ハードっ!! 何、光久さん、食べれない腹いせ?」
『ええ、そうですが何か?』
幽霊の“食べる”は人の食べるとは違うから仕方がない。来留芽は幽霊になったことなどないからよく知らないが、どうやら味は感じられても食感はないらしい。霞を食べているという言葉がよく分かるそうだ。
今を生きる人間には決して分からない感覚だろう。
「光久さん~、この一番って何で雨っぽい表現?」
『神無は心の中で泣いています。その涙は雨のように降り注いでいるだろうと思ったからですね』
――自分の死がそうさせた
それを思うと居ても立っても居られなくなる。
『神無は僕が死んで悲しんでいるんです。すべての感情を閉ざしてしまうほど』
見ていられないほど痛々しい様子だった彼女の心はきっと雨模様のままだ。そして一人寂しくその中に佇んでいる。少し雨に濡れるだけでも体調を崩してしまう彼女は静谷と出会って生きることに執着を見せるようになった。それなのに静谷が死んでしまったものだから、このまま死んでしまおうと考えてもおかしくない。
「っはー、もしかしなくても神無さんも結構ヤバイ?」
『自殺くらいは考えているでしょうね』
実行しないのはまだ静谷との思い出に縋っているからだろう。
「光久さん、この曲は二番まで?」
『ええ。三番は共に生きようと誓う内容だったと思いますが、思い出せなくなってしまいました』
もう死んでいる自分ではそれを伝える意味がないからかもしれない。棘のようにちくりと心を刺す空虚なものが体の内に広がって行く。
「ふーん……」
穂坂は考え込んでいる。静谷から教えてもらい、共に作ったこの歌詞だけで本当に神無を救えるのか。幽霊の静谷では持てなくなってしまった心を吹き込まなくてはいけない気がしていた。
『ルイ君。僕から教えられるのはこのくらいです。あとはSTINAの方で曲にしてください』
悪霊化はしないだろうが、記憶の方は急激に無くなっていた。もう自分には時間がない。
「分かった。明日ノブ達を召集して作業に入る」
「穂坂くん。それなら歌えるようになっておかないとまずいよね?」
「ああ、そうだな……古戸さん、どうにか出来る?」
「大丈夫。取り憑く先を変えればいいだけだから。静谷さん、今度こそ穂坂くんから離れられる?」
『はい。教えられることは教えましたし……』
静谷はここまで穂坂と過ごしてきた時間を思い返す。
自分の思考、歌詞作りの技術、歌詞への向き合い方……全て教えた。もともと穂坂達には教えていたことがあった。だから飲み込みも早く、自分のやり方だが、彼等の助けになればいいと思う。
『……伝えたいことも託しました』
ただ願う。
静谷の歌詞を使った彼等の歌なら神無の心にも届くはず。彼等なら届けてくれる。この想いを、神無を先に導いてくれる光を。
『あとは見届けるだけです。それならば、ルイ君に取り憑く必要はありません』
もう、彼を苦しませなくてもいい。そう思えば、安堵のような気持ちが広がる。
「光久さん、おれ達が歌うまで……神無さんに届くまで……消えないよな?」
『消えませんよ。僕の未練はまだ晴れていませんから』
「そっか、そうだよな……何か、今にも消えそうだと思ってさ」
その認識も間違っていない。静谷は穂坂達の歌が神無に届くことを疑っていない。だから、彼の未練のほとんどが意味をなしていないのだ。
『神無が感情を取り戻すのを見届けなくては消えることができません』
しかし、それでも静谷はそう言って微笑んだ。
そして、来留芽達はオールドアに向かう。ここ数日にこの話が出るだろうと思って巴にはオールドアで仕事をしてもらっていた。
「巴姉。お願い」
「分かった。では、静谷さんと穂坂さんは少しこちらに来てもらえますか? 来留芽ちゃんは場所の準備をしていて」
巴も今回の概要を知っているから、形代も普通とは違うものにするつもりなのかもしれない。
「お待たせ、来留芽ちゃん。早速始めましょう」
形代は封筒に入った手紙のようになっている。人形ではないあたり、幽霊が取り憑くのは大変だと思うが、巴なら成功させてしまうだろうことがある意味恐ろしい。
「……よし、これで静谷さんはこっちに移った」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「静谷さん、穂坂くん達が歌を完成させるのを見たいよね?」
『そうですね』
「それじゃあ、もう少しこれ持っていて」
静谷が取り憑いた封筒が穂坂に手渡される。ライブの前日くらいに来留芽が神無のもとへ届ける予定だ。
「分かった。あ、そうだ。ノブ達にも見鬼の呪符使わせてもいい? 説明のしようがないからさ」
「穂坂くんのバンドのメンバーだけなら」
それ以上だと情報が拡散してしまう恐れがある。それは来留芽達の望むことではなかった。
「助かるよ」
***
穂坂はバンドのメンバーを呼び出した。理由は声が戻ったからとしておいた。静谷さんのことはやはり口頭で伝えた方がいいだろうと考えたからだ。どうせ信じてもらえないしな。
「ノブ、秀、悠里、心配かけたな」
「歌えるようになったのか? 原因は何だったんだ?」
ノブがまだ心配している顔で聞いてきた。それも仕方ないだろう。自分でも自覚しているが、おれはやせ我慢しやすい質だ。声が戻ったからと言われても簡単に信じはしないのは当然だ。
「歌えるようになったのは本当だ」
あの日、オールドアを出てから実際に歌ってみた。ちゃんと歌えた。たぶん、本番でも歌えると思う。
「で、わざわざ呼び出したのは何で?」
「復帰にあたって歌いたい曲があるんだよ。歌詞はこれ」
そうしておれは歌詞を皆に見せる。
「ふーん……いいんじゃない? ってか、何か光久さんを思い出すね、この感じ」
「秀もそう思うか。俺もそんな感じした。ルイ、これはどうやって手に入れた? お前が作ったのか?」
話すのはこのタイミングだろう。
そう思っておれは深呼吸した。
「光久さんが関わっているのは確かだ。……これは、おれと光久さんが作ったものなんだ」
「ルイ、そんなに光久さんと会っていたっけ?」
「いや、会ってない。これは……光久さんの幽霊に教えてもらって作ったんだよ。信じられないかもそれないけど」
「「「信じられない」」」
予想通り、三人はこれっぽっちも信じる素振りを見せない。それどころか……
「ルイ、お前さ、疲れているんだよ」
「精神的に参っているんじゃないの?」
「俺達はもう少し待てるからな」
三人が三人とも憐憫の情を込めた目を向けてくる。
その反応、予想してた。だからおれは見鬼の呪符を使っていいか聞いたんだ。
「光久さんは今もそこにいる。これを使えば三人とも見れる」
封を解いていない呪符を三つ取り出す。三人はおれが指差した方を見てごくりと唾を飲んでいた。
「……これを開ければいいの?」
「俺達が何も見えなくてもがっかりしないでくれよ」
その反応も、予想できていた。しかし、こうもあからさまに頭がおかしくなっている扱いを受けると覚悟していてもへこむ。
「おいっ! どうなってんだコレ!?」
「み、光久さん!?」
「おいおい、マジかよ……」
三人とも光久さんの幽霊を見て腰が引けている。正しい反応だろう。
「どうだ、分かったか」
「いや、ドッキリっていう可能性も……」
「こんな幽霊ドッキリ出来ないからっ! もういい加減認めろよ」
ほら、光久さんが爆笑しているじゃないか。
「……ええと、光久さん?」
『ええ、私ですよ。秀君』
「光久さん! 僕、僕のことは覚えていますか!」
『悠里君だね。覚えていますよ。ノブ君は何か聞きたいことでもありますか?』
「ええと……本人か確認したいです。うーん……社長も怖がる?」
『大倉。あ、本人には言わないでくださいね』
真顔で即答する光久さん。確かに怒った大倉さんは怖いけど……
「「「……本物かっ!!」」」
その確認方法はどうかと思う。しかし、納得してくれたようで何よりだ。
「おーい、三人とも。これからのこと話したいんだけど」
そうして三人を大人しくさせてからここまでの出来事を話した。おれの声の件も光久さんが関係していたと聞いて納得していた。もう歌えるという話にも。そして、肝心の作曲のことを話すと全員賛成してくれたからほっとした。
「おう、とりあえず曲を作らないとな」
「今日音合わせられる?」
「自分のギター持ってきてないけど」
「備品でなかったっけ」
静谷さんの時間もそんなに残ってないことを知って三人ともいつもよりずっときびきびと動いていた。するとリカさんが不思議に思ったらしく顔を出してくれた。
「おおーい、ノブくーん」
「あ、リーカさん。お疲れ様です」
「うん、結構疲れたよー。って、それを話しに来たんじゃなくて……皆さ、今日どうしたの? 何かばたばたしてるみたいだけど」
「実はですねー……」
おれはノブに合図する。光久さんのことは話してはダメだと。それは分かっていたようで小さく頷いて光久さんのことだけぼかした返答を返していた。
「実は、ルイの声が戻ったんですよ。普通に歌えるって分かったので復帰に向けて新曲を作成しようかなーと。今余裕あるんで」
「へぇ! いいね。あ、社長には話したの?」
「あ、まだです。というか、俺達も今聞いたところなので」
「そっかー。じゃあ、私が話してきてあげる。ルイくん! もう大丈夫なんだね?」
「はい、大丈夫です! ご心配おかけしました」
おれ達は連日夜遅くまであーだこーだと音の構成、どうやって見せるかなどを議論していた。そのうちに他のスタッフさんも参加するようになり、一バンドの復帰の曲にしては大がかりな物になってしまった。作曲に関してのアドバイスを求めて走り回ったから噂が広まっていたのだろう。まぁ、社長が何も言わないから大丈夫だったはずだ。通常の仕事に影響が出たとは聞かないからたぶん問題なかったのだと思う。そうじゃなかったら申し訳なさ過ぎる。
「うわぁ……ねみぃ……」
「おい、学校行かないと」
「ノブはよく学校なんてものを思い出せるねぇ……」
現実に引き戻されて秀が机に突っ伏す。おれも同感だ。
「僕、思い出したくなかった」
「いや、悠里。今日は英語のテストだろうが。行くぞ」
ノブとユーリは同じ学校の同じクラスだ。鳥居越学園ではなく、普通の公立学校に通っている。奇跡的にSTINAの一員であるとバレていないらしい。一体どんな魔法を使っているんだか。
「うへぇ……」
ノブと引きずられていく悠里を見送る。英語のテストで良い点を取っておかないと成績がやばいらしい。
「ルイは大丈夫なの?」
「まぁ、何とか。授業で寝落ちしても古戸さんが助けてくれてさ」
おれがそう言うと秀はがばと身を起こす。
「何々!? 女の子?」
「そうだが、恋愛的な関係じゃないから」
「ちぇっ、残念。いいスキャンダルになると思ったのに」
「おい、秀。身内を売るつもりかっ!」
「冗談だって。悠里に教えれば面白いことになっただろうにね」
悠里に恋愛相談をしてはいけない。これは彼を知っている人の総意だ。あいつに恋愛相談すると引っかき回せるだけ引っかき回すからだ。それでいて無事にくっつく。結果は必ず良い物になるが、そこまでの課程でひどく疲れる。
「じゃ、ボクも行ってくる。平日は学業優先だし」
「おれもそろそろ向かうか。数学の時間とか、また寝そうだ」
「どーせ女の子に起こしてもらうんでしょ。このリア充めー」
「そんなんじゃないから」
簡単に恋愛できる立場じゃない。それを分かっていて話題にするんだから……と頭を抱える。
光久さんはいつまで消えずにいられるだろうか。あと少し……あと少しだけで全国メディアに出ることが出来る。それまでもって欲しい。
曲が大体出来上がったのを見て、静谷は神無さんのもとに行くことに決めたらしい。だからもうおれの所には彼が取り憑いた手紙はない。おれ達にとっての最後の別れは全員で泣き笑いしながら楽しく話した。何も言い残せずに消えるよりもよほど良い最後だろう。
ああやって最後に言葉を遺すのは自分を見送る人に対して気に病まないで欲しいという気持ちがあるからだろうか。
静谷はきっと愛する人のために自分と同じ道に引きずり込もうとするその指をそっと離すだろう。
ああ、そうだ……どことなく物足りなさを感じたのは彼女の未来を祈る心、それがなかったからだ。
きっとそれは幽霊となった光久さんが失ってしまった心だ。
追加、しようか――
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