10 穂坂ルイの依頼


 穂坂と花丘が持ってきたトラブルは来留芽が対応することにした。というか、おそらく原因が来留芽だからどうせこちらに投げられる。

 その時に感じた、酷く安堵した気持ちに心が冷えた。きっと、自分にもまだできることがあると分かったから安心したのだ。別にそれは悪いことではない。しかし、自分がここにいて良いものか、無性に心配になる。


「さて、まず用件を聞くよ」


 来留芽はふとした拍子に引き込まれてしまいそうな暗い気持ちに蓋をして顔を上げる。そして、相談室のテーブルに人数分のお茶を置くと話を促した。そこに座って内装を見ていた穂坂が目を見開き来留芽を凝視する。


「へっ!? 古戸さん、ここで働いてるの!? マジで!」

「……花丘くん? 説明してなかったの」

「ルイを驚かせようと思っていたんです」

「驚いたよ! えーと、幽霊に関する相談とか……」

「うん、大丈夫」


 来留芽のその言葉を聞いて穂坂はふぅーと息を吐いて力を抜くと話し始めた。

 内容はだいたい来留芽の予想通りだった。

 まず、穂坂は声が出なくなってしまったのだという。その治療ということでSTINAは休止。それで、その原因は亡くなった光久という人が取り憑いて夢に入り込んだからだそうだ。本人がそう分析していたという。


「まぁ、光久さん自身も確信を持っている感じじゃなかったけど」

「とはいえ、的を射た意見ではあると思う」


 来留芽から見ても今の穂坂の状況は取り憑いている幽霊が引き起こしたことだと考えることが出来た。余分な力が乗っているのか、それとも取られてしまっているのかは分からないが、幽霊に取り憑かれると何らかの不調という形で現れやすいのは確かだ。

 話を戻すが、夢の中で穂坂は幽霊から依頼された。彼が生前に親しくしていた女性を元気付けてほしい、と。

 ありがちなパターンである。

 ただ、問題となるのが元気付ける方法だった。


「光久さんの歌詞をおれが歌うこと。これを頼まれたんだ」

「……歌えるの?」

「無理。光久さんが取り憑いているからおれは歌えなくなっているらしい。けど、歌えなきゃ……」

「その女の人を元気付けることが出来ない」


 したがって、成仏させることも出来ない。穂坂にとって厄介な状態だろう。しかし、解決策はある。幽霊が穂坂に取り憑いたからこそ出来ることが。

 先の清水うめと同じようにすればいいのだ。取り憑く先を紙の形代にすれば穂坂は歌えるようになる。もっとも、光久という人は一般人だったようだから、そう簡単に依代を変えることを受け入れるとは思えないところがネックとなるだろう。


「なぁ、古戸さん。解決策はあるのか?」

「あると言えばある。けど、静谷さんが納得しないとどうにもならない」

「……おれ、光久さんの名字が静谷だって話したっけ」


 気付きたくないことに気付いてしまったという様子で穂坂が呟いた。それを聞いて来留芽は曖昧に笑った。ちなみに、花丘は穂坂の隣でニヤニヤ笑っている。悪い友達だ。


「うん……先に話した方が良かったかもしれない。静谷光久さんの幽霊は本当に穂坂君に取り憑いているから私の目には見えるの」


 ちゃんと、背後にいることが。


「え……」


 穂坂はおそるおそる振り向いた。だが、今の彼には見えないのだろう。少しだけずれている。

 来留芽は静谷に取り憑く先を変えて、大人しく穂坂に歌を歌ってもらうかどうか聞くことにする。


「静谷さん。今私達が話していたとおり、穂坂くんが歌を歌うためにはあなたがそうやって取り憑くのを止めてもらわないとならない」

『そうですね。そうしないと僕は彼に危害を加えてしまう可能性がある?』


 ――分かっていたのか

 来留芽は片方の眉を上げた。

 静谷はうめと同じ時に亡くなったのだろう。そうすると、もう危ないどころではない。耐性があったと考えられる彼女でさえあのように身を崩していたのだ。もっとも、彼女の場合は幽霊になっても力を使っていたからということもあるはずだが。それでも、一般人である静谷が平気でいられるはずがない。


「そう。未練によってこの世に留まっている幽霊はとても危険。この世に留まっていると、四十九日に近付くにつれてまず体が崩れてくる。そして記憶があやふやになる」


 そのまま突き進めば人に危害を加えるだけの悪霊となる。悪霊になってしまったら普通の成仏は出来ない。来留芽達としても消霊、最後の手段を検討しなくてはならなくなる。流石にそれは術者の負担が大きいから避けたいところだった。


『やっぱりそうですか……。実は、もうすでに記憶のほころびが始まっているみたいなんです』

「それは……」


 やはり、と思う。静谷が未だに生前の姿を保っているのはその執念故だろうか。それでも時間が経ちすぎているのか、少しつついてバランスを崩せば完全に悪霊へと堕ちてしまうかもしれない危うさがあった。


『もう、僕が子どもだったころの記憶はありません。今の僕を形成しているのは全て神無との思い出です。けれど、それすらも薄れていくとなると……恐ろしい。自分が消えていくのが分かるから、恐ろしい……』

「だったら、早急に解決しないと。とりあえず、静谷さんは形代に移れそう?」


 穂坂と花丘は幽霊の声が聞こえていないからどんな話になっているか分からず、不安げだ。いろいろと聞きたいだろうが、今は少し待っているように指示する。そして、静谷の返事を待つが……。


『まだ、だめです』


 心苦しいといった表情を浮かべながらも、彼はきっぱりと拒否した。


「それは、なぜ?」

『神無の意識を現実に向けさせる歌は中途半端に消えかかっている僕では作れません。形代というと紙でしょう? これは僕の勘でしかありませんが、単なる形代に憑いただけではたぶん、人の心に響く歌を作れません。それどころか、根本的な所が完全に抜け落ちてしまう、そんな気がするんです』


 来留芽は額に手を当てる。“表現者”というものはこれだから面倒なのだ。その作品が人の心に響くのは彼等の今までの経験があってのことだ。しかし、静谷は幼少の頃の記憶がなくなってきている。それだけでもう満足のいく歌詞を作れないのだという。確かに、今の静谷が歌詞を作ったとして、それに込められる気持ちは神無に対する愛しかない。心に響く物になるかというと……どうなのだろうか。


「もしかして、人に取り憑いていた方が感情を込められる?」

「……なるほど、そういうことか」


 静谷が返事を返す前に穂坂がハッとして何かに納得した声を上げた。


「何で光久さんがおれのところへ来たのか不思議だったけど……何か、分かった。人の心に響く歌を歌う。それはおれがいつも考えていることなんだ。……だからこそ光久さんを引き寄せたんじゃないか? おれは……光久さんの力になれるからこうして取り憑かれたんじゃないか?」

『ルイ君……』


 穂坂なら静谷の心が分かるのかもしれない。確かに来留芽は静谷をけしかけたが、取り憑けたのは穂坂が静谷の求める心を持っていたからなのだろう。


「じゃあ、穂坂くんは静谷さんの未練を晴らすために動ける? こちらとしても今までに無いタイプの案件だから成功するかどうかは分からない。それに、タイムリミットも近いけど」

「やるしかない……やりたい、と思う」


 それならば、来留芽は穂坂の身が危険にならないように配慮しながら最大限の支援をするだけだ。


「分かった。とりあえず静谷さんの悪霊化が進まないようにしないと。これは明日うちの社員の一人……巴に頼む。今日はもう別の案件で激しく消耗していて流石に無理させられないから、後回しにするようで悪いけど。あ、穂坂くんは明日余裕ある?」

「大丈夫。STINAは休止状態だし」


 そう言えばそうだった。ならば問題は無いだろう。


「静谷さんは今まで通り穂坂くんの夢に入って歌詞を伝授すれば良い。満足のいくレベルではなくてもそこは穂坂くんが頑張るところでしょ」

「無茶言うなぁ……ま、それも含めて静谷さんに教えてもらう。……静谷さんはそっちの知識は大丈夫?」

『問題ありません』


 彼が頷くのを見て、来留芽も穂坂に向けて頷いた。


「大丈夫だって。ああ、普段から見たり聞いたり出来た方が良いよね?」

「時間が押しているのだったらその方がいいな」

「だったら見鬼の呪符を渡しておく。この封を破れば発動するから。効果は一日」

「ありがとう」


 おそるおそる受け取った穂坂に来留芽は何てことないように言う。


「人目のあるところでは注意して。この見鬼の呪符は静谷さん以外の幽霊も見えるから。危険を感じたら逃げること」


 そう言うと思い切り引き攣った顔をされた。しかし、本当に危険なのだ。幽霊もあやかしも自分のことが見えている存在にはすぐに近寄ってくるのだから。どちらも救いを求めているのだ。それをもたらせるのは彼等を見て話を聞くことができる存在に限られる。しかし、下手に付き合っていると願いを叶えられなかったときに困ったことになるのだ。



 ***



 翌日になって穂坂がオールドアを訪ねてきた。来留芽と巴が出迎える。


「ええと……巴さん、よろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

「はい。どうやら妙な状況にあるようですが、ちゃんと向かい合ってくださるということはこちらとしても大変助かります。今回はあくまでも悪霊化の進行を止めるだけと聞いております。相違ありませんね?」

「は、はい」


 巴の仕事用の態度だ。丁寧語になってはっきりと話すから穂坂が萎縮してしまっている。人との付き合いは多そうなのに意外と慣れていないように見えた。

 そして移動した儀式場で巴の祝詞が紡がれる。これが除霊ではなく、悪霊化を止める効果になるのだから何とも不思議なものである。


『ああ……温かい……』


 静谷の姿が安定したように見える。少なくとも今すぐ消えそうな儚さはなくなった。そして、穂坂も巴の祝詞を温かく感じているようだった。


 ――まさか、感覚が共有されつつあった?


 来留芽は顎に手を当てつつ二人の様子をじっと見つめた。

 取り憑くのを越えて乗っ取られるところだったのかもしれない。静谷の方にそんな考えはなくても、やはり無意識に生きていればという思いは持つのだろう。


『心なしか記憶も少し戻ってきた気がします』

「それは良かった。でも、なくなっていったように思える記憶は本当に消えたわけじゃなくて、その人自身の魂に今も蓄えられているんだ。不安に思わなくていい」


 巴の保証に喜んだのは静谷だった。


『ありがとうございます。ルイ! 時間が無いので詰め込みますからね』

「マジっすか、光久さん……」


 巴の祝詞で余計に元気になってしまったかもしれない。穂坂には復帰のためにぜひとも頑張ってほしい。


「っ、古戸さん! 手伝ってもらうから! 他人事許さないからっ!」


 その言葉に苦笑いを返す。

 ――負い目があるから拒否できないことがバレていたりして


「私が行ってもいいなら」


 スキャンダル的に大丈夫なら差し入れに向かう程度のことはしてもいいだろう。


「今日はたぶんおれだけだし、大丈夫だと思う。念のため、他の奴がいた場合に連絡を取れるようにメアドかRISEアプリの登録頼みたいんだけど?」

「いいよ。RISEの方で」


 RISEはメッセンジャーアプリの一つである。メールよりも手軽だと人気になっている。


「じゃあ、先に様子を見てくる」


 穂坂が出て行く。その間に来留芽は万が一の時に備えて護符や呪符を用意した。巴の祝詞によって静谷の悪霊化は止まっているが、依然として暴走する危険はあるからだ。

 RISEで今日は誰も使っていなかったという連絡が来たので来留芽も向かうことになった。


「古戸さん、こっちこっち」

「おじゃまします」


 穂坂が案内してくれたのは彼の所属している事務所だった。


「あら、ルイくん。友人って女の子だったのね。何をするのか知らないけど、面白いことだったらお姉さん協力しちゃうよ。とりあえずこれ、第三小会議室の鍵ね」

「ありがとうございます。リーカさん」

「じゃ、私は仕事があるから」

「はい。頑張ってください」


 その女性は軽く手を振って去って行った。リーカという人は背が高く、美人だった。モデルでもしているのだろうか。


「穂坂くん。あの人は?」

「リーカさんはおれ達の先輩だ。モデルもしてるけど、一応本業(?)は歌手だよ」

「へぇ。きれいな人だった」

「そうそう。インパクトあるっしょ。そういうのが大切なんだ」


 第三小会議室は本当に小さい会議室だったが、ここに居るのは来留芽と穂坂、そして普通の人には見えない幽霊である静谷だ。十分な広さだと言える。


『僕の作業部屋もこれくらいの広さでした。かなり散らかっていましたが……』

「そっか。光久さんでも片付けは苦手なんだ?」

『それはもう。よく大倉に怒られましたから』

「ああ、確かにあの人はそんな感じする。大倉さんに限らずマネさんってだいたいそういった傾向あるよ」


 ここには雑談しに来たのではないだろうに、二人は楽しそうに話している。


「穂坂くん。呪符は問題なく使えている?」

「ああ。大丈夫みたい。でも、本当に光久さん以外も見えるんだ。うっかり挨拶しそうになったよ」


 そのうっかりで取り憑かれる可能性があるのだからもっと注意してもらいたいものだ。


「本当に取り扱いは気を付けて。教えた見分け方をちゃんと実践すること。あと、静谷さんは警告できるよね? 穂坂くんに早く歌を歌って欲しいのなら静谷さんにもしっかりしてもらわないと」


 ちなみに幽霊の見分け方はオーソドックスに足があるかないかである。ただ、それに当てはまらない場合もままあるのでそこは周りの人を見たり静谷に判断してもらったりするようにと指示していた。


「古戸さんってマネージャーの素質あるよ……」

「……いい加減、始めようね?」


 切れた来留芽の笑顔に穂坂と静谷の二人は即座に白旗を揚げた。

 静谷の時間はそう長くない。果たして、この調子で無事に曲を作れるのだろうか。


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