9 もう、逃がさない


 そこは日本にほん霊能者れいのうしゃ協会きょうかいの一室だった。

 この“日本霊能者協会”というのは日本全国の霊能者の総合支援を仕事としている組織のことだ。ちなみに裏関係総合本部はこの協会の一組織になる。清水家や一色家など、古くから続く格式のある家は協会の建物に部屋をもらっている。


 華美ではないが、高価な調度品が置かれたその部屋には一人の女がいた。三十代ほどだろうか。目を瞑り、背筋をピンと張って座っている。どこか気品を感じられる姿だ。しかし、分かる者は分かるだろうが、彼女を取り巻く力は小さかった。


 ――だからずっと不作の世代と言われ続けていた


 それは屈辱だった。自分はあの清水家の当主だ。当主にもなれなかった無能どもとは違う。

 馬鹿にしてきた奴は再起不能にした。清水家で自分を上回りそうな奴は自死に追い込んだ。そうして手に入れた。清水家の当主の座を。


 他者を蹴落として這い上がって何が悪い。例え自分よりも大きい力を持つ者であろうとも、少し圧力を加えただけで容易く死ぬ。そんな奴が持つ異能に何の価値がある。追い込めばすぐに死を選ぶ、そんな奴にどうして力が宿るのか。有効活用も出来ないくせに。


 だが、いかに自分よりも力を持っていようとも、我が子だけは叩きのめす気にはならなかった。なぜならば彼等の力が強いのは自分の行いのおかげだと正当化できたからだ。自分の血を継いだからこそ、ここまで強い力を得ることが出来たんだ。あの子達も感謝こそすれ、敵対することはない。そう思っていた。


 それなのに……それなのに末の息子が弓引いた!

 ここまで生きて来れたのは誰のお陰だ?

 お前の血は誰から継いだものだ?

 あの恩知らずめっ!!

 よりによって叔母を清水家の山に連れてくるとは! あの婆、死んだと思っていたのに、生きていたのか。……まぁ、今度こそ死んだのだろう。あれは霊体だった。


 彼女の口元に冷笑が浮かんだ。だが、それはすぐに消える。


 しかし、何故透は婆の遺体を山に連れて帰った? 何か理由があるのだろうか。もしや、口伝でしか伝えられていない当主の証のヒントを持っていたのか?


 最初はそう思って鴉に後をつけさせた。しかし、ほどなくしてあの子は強力な結界を張って鴉を閉め出した。このときに何かあると確信した。

 どんなに強力な結界だろうとも何度も力をぶつければ次第に消耗していく。ならば、鴉たちをぶつければいい。どうせあれらは既に自分の意識を持たない、生きた屍だ。適度に力を通せるから消耗品としては最適だろう。


 そのまま結界を壊せるだろうというとき、それは突然起こった。鴉と繋いでいた道が絶たれたのだ。


 ――鴉達との繋がりが絶たれた!?


 驚きに目を開き、片膝を立てる。鴉の視界を共有していたが、そんな予兆はなかった。真横、もしくは真後ろからやられたということだろう。


『よくこんな胸くそ悪い術を使うよね~。清水が聞いてあきれるよ』


 突然、頭の中に声が響いた。間違いなくどこかの術者によるものだろう。


「なっ! 誰っ!?」

『鴉を解放した者さ。彼等の怒りを知るといいよ』


 鴉。ということは、この声の主は透をつけさせた鴉との繋がりを絶った術者か。声が届いたということは何らかの手段でこちらを認識しているのだろう。だが、使ったであろう力の残滓ざんしは感じられない。つまり、追跡が出来ないということである。


「おのれ……!」


 同時に、霊体となった鴉達が彼女を襲った。肉体を持たぬ彼等にとって物理的な距離は問題にならない。

 が見れば、それは異様な光景に映ったことだろう。鴉達は半透明だというのに、数が多いからか、まるで彼女の回りを真っ黒い霧が取り囲んでいるようだ。

 少しして鴉達は消えていった。あとに残されたのは瀕死の様相の老女だけだった。


「あぁ……あぁああああ!」


 震える自らの手を見て叫ぶ。肌はしわくちゃで……体が重く感じたのも老婆になってしまったからだろう。鴉達は彼女の生命力を奪っていたのだ。


「おのれ……おのれぇぇぇえ!! あの男も! 透もっ! 許すものか! ……我が子であろうとも私から奪っていくのであれば容赦はしない!」


 凄絶せいぜつな表情を浮かべて最後にそう叫ぶと彼女の姿は闇に消えた。それは人を止めた瞬間だ。自分勝手な怒りは、恨みは、その身を闇へと堕とした。


すみ様……? どうかなさいましたか、澄様?」


 妙な気配に気付き様子を見に来た使用人が呼び掛けたが、それに対する返答はなかった。



 ***



 来留芽達は鴉達を埋葬し、巴を待っていた。そろそろ戻ってくる頃だろう。山の空気が変わったのだ。おそらく無事に継承が済んだのだろう。


「う~ん。そろそろ来るんじゃないかな」


 樹がのんびりと呟いた。これは小野寺先輩と夏目先輩に向けて言ったものだろう。見鬼の呪符では分からない感覚で来留芽と樹は何か変わった雰囲気をまとう存在が近付いていることを感じていた。そして、予想通り人影が現れた。


「おや、君達は……」

「巴姉!」


 彼は巴を背負っていた。両者ともどこかくたびれている。


「あなたは巴姉の婚約者の清水透さんで間違いない?」

「ああ。君達はともの同僚かな?」


 互いに何となく分かる。巴からの情報があったし、向こうも巴経由でこちらを知っていたのだろう。


「あ~、その、君は樹くんかな? 一つお願いがあるんだけど」


 透は頬を掻きつつ樹と向き合った。


「引き受ける、受けないは内容によるね~」

「うん。巴を連れていってもらいたい。僕はもう少しここで力の調整をした方が良さそうだから……」


 その言葉に樹と来留芽は疑いの目を向けた。自分達の感覚では目の前の男性は十分に力を制御できていると認識している。調整する必要はないはずなのだ。


「ええと……何のための調整か聞いてもいいかな~?」

「うっ……」


 分りやすく言葉に詰まっていた。何か後ろ暗いことでもあるのだろうか? 非常に怪しい。


「巴姉に対して誠実じゃない行動でもするつもりなら許さない」

「う……分かった、正直に言うとちょっとともに怒られそうな状況になっていてね……」

「両方に力の気配があることと関係している?」

「ああ。どうやら僕一人では当主の証を引き継ぐのは厳しかったらしい。そこで、ばあさまはともにも背負わせた。ともは多分怒る……」


 いずれ夫婦になるのだから問題ないのではないだろうか。巴が怒るとは思えない。

 来留芽と樹は互いに顔を見合わせて首をかしげた。むしろ一人で無理をして全て背負ってしまう方が怒るだろう。二人の知る巴はそんな女傑だった。


「夫婦になるのだから巴姉が半分請け負ったとしてもそう問題はないと思うけど」

「いや、実は僕達の婚約は突然だったんだ。僕はともを愛しているけど……ともはどうなんだろうな。あんな強引な約束をして、気持ちが僕にあるとは思っていない。だけど、当主の証を背負ってしまったからには僕と結婚する未来をもう変えられない。この状況を怒られる気がする」


 つまり、何だ。心の中で半眼になりつつ来留芽は思う。この男は巴が己を好いていないと断じていて、夫婦にならざるを得ない状況にしてしまったことを巴に怒られると思っているのか。


 もしかして、互いに気持ちを確かめていないのだろうか?


 そうだとしたらものすごく馬鹿馬鹿しい状況ではないだろうか。二人ともいい大人なのだから逃げずに話し合いで解決して欲しい。透も清水家の当主になるのだろうに、そんな弱腰でどうする。

 本気でばかばかしくなった来留芽は溜息を吐きつつ肩をすくめた。横を見れば樹も同様に溜息を吐いている。


「生憎だけど、そ~いうことなら引き受けられないな~」

「いや、頼むから……」

「いい大人なんだから話し合いで頑張れよ」


 樹の本音が漏れる。しかしそれには来留芽も同感だった。小野寺先輩と夏目先輩は巴の方の気持ちを知っているため、このすれ違いを楽しむつもりらしく口元がにやけている。


「むぅ……」


 そうしている内に巴が起き出す。


「……透? あれ、おばあ様は?」

「とっ、とも。うめばあは無事に逝った。……ありがとうな」

「んー、それはまぁ、いいけどさぁ……何か隠してる? あたしに付加されている力の説明、してもらえるんだよね?」


 彼女はさっと降りると笑顔で透に詰め寄っていた。自分のことだから妙な力が付与されていれば説明を求めるだろう。


「ええとな……うめばあが最後にやらかしたんだ」

「うん。何を?」

「当主の証の半分をともに背負わせたらしい」


 透は諦めた様子で爆弾を放った。流石の巴も驚きに固まっている。


「すまないっ、とも。これで僕は君を手放せなくなった」

「……それは謝ること? 透にはあたしを手放す予定でもあったわけ?」


 一瞬で不機嫌になる巴。しかし、透はその理由が分からないからさらに墓穴を掘る。


「そんなことはない。もし(巴が)他の人を好きになってしまったらと思って……」


 来留芽はこの言葉を聞いてマズいと思った。肝心の主語が抜けていたからだ。これでは誰だって勘違いしてしまう。おそるおそる巴の方を向くと、彼女はもう泣きそうになっていた。本当に珍しい姿だ。それだけこの透という人のことが特別なのだろう。


 この男、意外と鈍感なのだろうか。さっさと気付いてやって欲しい。

 その祈りは残念ながら届かなかったようだ。墓穴を掘ってそのままにしている透に対して巴はぽろぽろと涙を流していた。


「他の人を好きになる? 透はあたしのことを何とも思っていなかったんだ。小さいときからずっと一緒に居て……あたしには透しかいないのに。透は違ったんだ」

「ちょ、ちょっと待て、とも……」

「透のばか! もう知らないっ! 鬼道でも出雲でも行っちゃえ!」


 巴も意外と感情的になっていた。ひょっとしたら、付与された力に慣れていなくて感情の制御が効かなくなっているのかもしれない。例えそうだとしても透の言葉選択は最悪だった。


「……鬼道って? 出雲って?」

「僕の母が持ってきた縁談の相手だっ! 全部断ったってのに……ともはどこで知ったんだ」

「そりゃあ、たぶん本部だろうね~。それより、さっさと追いかけた方が良いよ。今の巴じゃ神霊に適切な対応が出来ないから、最悪は……」


 巴は本部からの仕事も引き受けていた。だから聞きたくなくてもそういった噂は聞こえてくるものなのだろう。いや、ひょっとしたら清水家の当主……否、元当主が意図的に流したのかもしれない。


「分かってる。もし何かが結界に攻撃を加えるようなことがあれば相手が誰であれ殲滅していいからな。しばし、ここを頼むっ」


 そう言って駆け出す。


 ――あの巴の姿を見てしまえばもう躊躇う必要はないと分かった。だから、もう逃がさない

 今度こそ想いを伝えよう。そこからしか始まらないのだから。

 透は手を伸ばし、彼女を捕まえて抱き締める。


「ともっ!」



 ***



 相思相愛でありながら長年すれ違っていたらしいカップルは仲良く戻ってきた。これならば清水家の当主の証が二分されているという問題も近く解決するだろう。話し合いは大切だ。


「それで、透さんを一人残して良かったの? 巴姉」

「まぁ、残ると言う理由も当主の証は関係なかったから大丈夫でしょ」

「ご機嫌だね~、巴」

「だって、こうなればもう本当にどちらの家にも横槍を入れられることはないから」


 そういえば、清水家と一色家の間にはその問題があった。しかし、巴も相当な実力がある。噂通りの当主ならば危惧することはなさそうだが……。


「あれらは狡猾で執念深いからね。そう簡単に気を抜けはしないんだ」


 来留芽の疑問に答えるかのように話してくれた。巴の御家騒動も近い内に解決してくれるといい。もっとも、それまでの過程に来留芽はちっとも関わりたいとは思わないが。


 清水家の山を後にして、来留芽達は巴の運転する車に乗って帰って来た。小野寺先輩と夏目先輩はおばあさんの幽霊の件は解決したと言うことで家に送り届けている。

 そしてオールドアに着くというところで妙な影を見付けた。男二人に幽霊が一人……どうやら片方に取り憑いているらしい。


「あれっ。古戸さん……」

「どうしたの、穂坂くん、花丘くん」


 どうしたの、とは聞いたが、用件は分かってしまった。穂坂の方に取り憑いている幽霊はいつかオールドアの前で黄昏ていたあの幽霊だったからだ。


「とりあえず、相談事があるようだから聞くよ」

「ありがとう。見て分かるのかもしれないけど、ルイが困ったことになっているらしいんです」

「だろうね……」


 これも来留芽が蒔いた種だろう。そう思い、苦く笑いながらそのトラブルを招き入れることにした。


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