6 力ある幽霊とは


「かけまくもかしこきせいりゅうにすまひしかみに……」


 巴の紡ぐ祓詞が静かに響き渡る。祓詞は基本的には除霊に使われるが、今回はお婆さんの幽霊の悪霊化をしばし留めるために行われている。こんな器用なまねが出来るのは巴くらいのものだろう。


『温かい祝詞ねぇ』


 ――そう、巴の祝詞は温かく感じる。特に闇を抱くモノにとっては

 来留芽は聞こえてきた声に頷く。それと同時に聞こえた声に違和感を持った。異形の者が話す、あの特徴的な聞こえ方だったからだ。


「え……?」


 いつの間にか幽霊が来留芽の隣に来ていた。


『目が見えるようになったよ。あのお姉さんは大したお人だね』


 眩しげに目を細める。その姿は悪霊一歩手前だったあの今にも崩れそうな、凄惨なものではなかった。


「お婆さん……」

『私も神職に関わっていたのさ。だから分かる。こうして悪霊一歩手前まで現世に残ってしまったのは情けない話だけどねぇ』


 今の彼女は普通のお婆さんに見える。……透けているが。

 これはつまり、巴の術が成功したということだろう。正直に言うとここまで劇的な変化が現れるとは思っていなかった。


「もしかして……実際に巫女としての仕事をしていた?」


 巴は難しい案件の際は神様の力を少しだけ借りて術を行使することがある。今回のお婆さんの幽霊は悪霊化一歩手前だったこともあって、巴の言う難しい案件に入っている。おそらく今回は祝詞に神様の力を混ぜ込んでいるはずだ。


 しかし、それだけの理由でここまでの変化をもたらしたとは思えなかった。悪霊化を止める術は以前にも使ったことがある。来留芽はそれを見ているが、このお婆さんほど明確な変化はなかったと記憶している。


 残る可能性は彼女が神職に関わっていたことをヒントにして考える。もしその関わり方というのが巫女としてだったら、彼女は神様の力を受け入れやすくなっていると思われる。元々神様の力が作用しやすい性質であったならば、効果が倍増していても不思議ではない。


『むかーし、昔のことだけれどね……』


 お婆さんは何かをはぐらかすようにそう言った。悲しげで、寂しげで、ほんの少しだけ後悔が滲んでいる。


「すみません。お婆さん、来留芽ちゃん。話の途中で悪いけど、相談室へ……私の方、第三相談室に行っておいてくれない?」


 巴の術によって幽霊は取り憑く先をあらかじめ用意していた形代に移した。

 この時点でもう取り憑かれていた三人は煩わされることはないだろう。


「皆様。幽霊はこの形代に移りました。もう恐ろしい姿を夢に見ることは無いでしょう」


 ――あとは、こちらの頑張り次第だ

 そう思って来留芽は小さく息を吸うと気持ちを切り替える。


「あ、ありがとうございます!」

「いえ、仕事ですから。ですが、ここから先は皆様が関わる必要はありません。第二相談室にいる京極の指示を聞いてください」


 それを聞いてホッと息をついたのが三人。しかし若い二人は抗議してきた。


「ちょっと待ってください。最後までいてはいけないのですか?」

「せっかくだから最後まで見届けたいです」


 小野寺先輩と夏目先輩の二人だ。一度関わっているからか変に度胸がついてしまっているように感じる。


「先輩方……」


 二対の目がグリンとこちらを向いたので、ビクッと体が跳ねた。


「ダメなのかい?」「だめなの?」


 来留芽個人としては二人が来ても構わないと思う。このお婆さんの性質は善だろうから危険なことにはならないはずだ。ただ、この件の采配は既に巴に委ねられている。

 来留芽は巴を窺い見た。


「あ、別に構わないよ。勝手なことをしないと約束してくれるなら」


 許可はあっさりと下りる。来留芽は眉をひそめて咎めるように視線を向けたが、巴が自分の言葉を撤回する様子はない。小野寺先輩と夏目先輩はすぐさま頷いたので二人の同行が決まってしまった。


「椿。あまり危険なことに首を突っ込まないで。止めてちょうだい……」


 しかし、そんな彼女達を幽霊の危険性を身を以て知った大人が引き止める。


「お母さん。今回はそこまで危険じゃないみたいだから大丈夫だよ。巴さんが同行を許してくれたってことはそういうことだからね」


 確かに、夜桜の時ほど先の見えない危険性は無いだろう。


ですって? もしかしてあなた、何度も関わっているの?」


 椿はしまった、と焦ったような顔をして一歩下がった。

 実は四月のことを話していなかったのだ。信じてもらえるとは思えなかったからでもあるが、話せば母親が心配するのが分かりきっていた。に関わらないようにと言われてしまったら、研究会の活動もままならなくなってしまう。それを恐れたのだ。


 しかし、今バレてしまった。仕方なく開き直ることにしたのか、真剣な表情をすると自分の母親と真っ向から対峙する。


「ここの会社と関わったのは今年の四月からだけど、彼等の力は知っているつもりだし、信頼もしているよ。危険だというのは極論、どんな行動であってもなくなることはないよね。もう一度言うけど、今回はそこまで危険だとは思わないんだ」


 それに、関わってしまった者として最後を見届けた方が良いと思っていた。それが本当に安心を得ることにつながるはずだ。“母が怯えなくて済むように”。椿はそれを念頭に置いて同行を申し出ていた。その本音は決して言うつもりはない。


「分かったわ……でも、深入りしてはだめよ? ここの人の指示にはしっかり従うこと」


 もちろん、その基本を外れるつもりはなかった。椿も専門家に従った方が安全だという意見には納得できるし自分でもそう思っている。

 一方で、夏目先輩の方も叔母夫婦の説得を終えていた。


「気を付けるんだよ。栞は意外と無鉄砲なところもあるから……」

「心配しないで」


 こちらも上手くまとまったようだ。

 先輩方を除く大人三人はこちらに一礼すると細のいる第二相談室に行く。三人が扉の向こうに消えるのを見てから来留芽達は巴の相談室へ向かう。


「そういえば、二人は別に幽霊が見えるとか、そういうことはないんだね?」

「はい。やっぱり見えないと理解できないとかあるのでしょうか?」

「うーん……話の流れを見失うかもしれないね」


 幽霊を見ること、彼等の声を聞くことが出来る来留芽達は、相手が幽霊であっても一人の人として扱い、普通に話す。だから見鬼の力を持たない人が居ても、通訳を忘れることが多い。


「一時的にそういうものを見ることは出来るよ。来留芽ちゃんの得意分野だ」

「おや、そうなのですか? 夜桜の時はここの社長さんが何かやってくれたようだけど」


 社長は万能型だから不思議はない。専門とは外れていても何とかして自分が扱える形に落とし込む天才だ。見鬼の力を付与する結界もおそらく開発してしまったのだろう。あまり多用することはないだろうが。本部に目を付けられてはかなわないからだ。


「私の場合は見鬼の呪符というものがあります。もちろん、見るだけではなく、声を聞くことも可能です」


 来留芽はその呪符を取り出した。勝手に効果が現れないように細長い紙の帯が巻かれている。こういった処理をしてあるのは期限を定めてあるものがほとんどだ。今日使うのは一日もしくは手放すまで効果が続く呪符だ。


「じゃあ、部屋に入ってから使いなさい。そこなら何が起こっても大抵のことは何とかしてあげられるからね」


 巴の部屋、つまり第二相談室は彼女の力が十二分に引き出される領域である。来留芽達は相談室に入って、ソファに座る。ちなみにこのソファとセットのテーブルだけはどの相談室にも共通の品だ。

 そして、いよいよお婆さんから話を聞くことになった。


「このお茶はあたしのお気に入りなんだ。香り高いから幽霊であっても楽しめるはずだよ」


 自慢げに淹れてくれたお茶は確かに良い香りがする。


『本当だ。これは美味しいねぇ』


 呪符の効果で見鬼の力を得た小野寺先輩と夏目先輩は少し肩を跳ね上げる。幽霊の声は不思議な聞こえ方をするものだから驚いたのだろう。


「細のところのじゃ物足りなかっただろうね。いいものには慣れていても選ぶのは下手なんだから。あたし達の周りにいる男って皆こんな感じで無頓着なんだよね」


 そう言われてこの場にいないオールドアの面々を思い浮かべた。確かに味にうるさい人はいない。


「さて、一息ついたところで、いろいろと聞いてもいいかい? お婆さん」

『ええ。かまいませんよ。実は私自身も動機が少し迷子になっていてねぇ。質問してくれれば私の方も整理できそうだよ』


 魂魄のままで居られる限界を超える勢いで今までいたのだ。それも仕方ないだろう。闇に飲み込まれかけて記憶があやふやな状態なのだろうと思う。


「では、まずあなたの名前を教えてもらえるかな?」

『清水うめ、ですよ。ここの人なら家のことは知っているのではないかねぇ。私の心残りは……そうだ、透のことだったと思う』


 来留芽は清水家と聞いてもすぐにそうと思考がつながることはなかった。しかし、分かった人もいたようで、隣で巴がヒュッと息を飲んだのが聞こえた。


「清水家の方でしたか。先程までの態度は無礼でしたね。申し訳ありません。……一色巴といいます。清水透さんとは知り合いです」


 普段なら他人がいる前で素を出すことはしない巴だが、儀式後の疲労でメッキが剥がれていた。しかし、お婆さんが名乗った“清水”の姓に驚いてか、姿勢を正し丁寧語になる。


『あらあら、透のお友達だったの。ああ、私が清水の者だからってかしこまることはないわ。今の私はうっかり成仏し損ねた間抜けなおばあさんだもの』

「そう、でしょうか……」


 巴の顔は暗い。お婆さんのことを言葉通りに受け取ってはいないと良く分かる。言葉通りの人ではないと分かっているのにそれを言うことが出来ないというような様子だ。複雑な感情が渦巻いているのだろう。

 ところで、巴は清水家とどんな関係があるのか。


「あの……すみません。清水家ってそちらの世界では何か特別な家なのですか? あと、透という人との関係も聞きたいです」


 来留芽の疑問は夏目先輩に先を越された。小さく肩をすくめて来留芽も視線を巴に向ける。


「ああ、あなた達は知らないだろうね。……来留芽ちゃんも? そっか。確かにオールドアではあまり身の上話をしなかったね」


 来留芽の事情はなぜか皆知っている。おそらくは社長が教えたのだろう。オールドアの中で一番危険なのは何かと聞いたらそれは来留芽だろうから。しかし、他のメンバーの来歴を来留芽は知らなかった。唯一細だけは来留芽が小さいときにぽつりと「大切な存在を目の前で鬼に殺されてしまったんだ」と話してくれた。教育に悪いからと言って、それ以上を教えてもらうことはなかったが。薫は社長の「拾った」の一言で済ませられてしまったし、樹や巴については全く聞いた覚えがなかった。


『私の家のことながらそう詳しくはないのよね。引きこもっていたから。どうせなら、ついでに透との話も聞きたいね』


 語り手は巴に決まった。ここまで期待されては話すしかない、と巴は苦笑する。


 ――それじゃあ、話そうか


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る