5 取り憑いていたのは


 あれから三日経った。今日は小野寺先輩の母親と夏目先輩の叔父、叔母がオールドアに来ることになっている。


「ねぇ、細兄。もし護符が効いていなかったらどうする?」

「どうするか。一応彼女達に渡したのは本気で力込めたやつだから、あれで効いてないとなったら自信をなくすな。もうお手上げだろう」


 実は、そういう案件は早いうちに本部に回すように言われている。そして、本部はそれらを勘案して自分達で収めるか実力者に割り振る作業をする。しかし、最近は本部の方が無理して引き受けてさらに悪化させた上で投げてくるため、たいていそういった難件を回される上位ランク組織の本部嫌いが進行しているのだ。

 そんな中で来留芽達は本部上層の世代交代に期待している。五月から三笠という男――ちなみに本部所属だ――が、オールドアに息抜きに来るようになったのだが、彼は潰されないように実力を隠していると話してくれた。そして、今は本部を改革する機会を窺っているという。


 だいぶ関係の無い話に飛んだが、ともかく、オールドアでどうにも出来ない場合は本部の手を借りることになるのだ。ただ、今の本部の幹部は性格が歪んだ老害がほとんどを占めているため本音では頼りたくないという話だ。


 ピンポーン


「来たみたい」

「第二相談室で待っているからな」

「うん」


 オールドアの相談室は五つあり、それらの部屋に隣接する形で二つの部屋がある。その部屋は社員の個室としている。

 各部屋は以下のように使われている。

 まず、第一相談室は基本的に来留芽と薫が使用する。二つの部屋のうち一つを来留芽が使い、もう片方は薫が自室として使っている。ただ、来留芽に割り当てられている方はほとんど資料室と化しているため、そう頻繁に立ち寄ることはない。

 第二相談室は細が使用する。二つの部屋の片方は陰陽関係の研究資料が溢れている。もう一方は最低限の家具は置かれているがほとんど使われていない。新しく人を雇った場合、その部屋を割り当てられることになるかもしれない。

 第三相談室は巴が使用している。ただ、隣接している二部屋に何があるのかは知らない。たまにその部屋に閉じ籠っているときがあるが、何をしているのか教えてもらえたためしはない。

 第四相談室は樹が使用している。まれに来留芽の祖父、守屋が出没するので細と薫は滅多に出入りしない。隣接する部屋は二つとも趣味部屋になっている。部屋を囲むように設置されているカメラ群に遠見の術式……あそこに行くと妙な気分になる。監視されているようで居心地は良くないのだ。

 そして、第五相談室は普段は使わないが、密談するときや打ち上げの際に使うことがある。

 個人で受けた依頼の場合は各相談室が使われる。これは表の業務に関わる一般の人と裏の話をするために来た人とがかち合わないようにするためだ。ちなみに一般の人は小会議室や応接室に通される。


「おはよう、来留芽ちゃん」

「おはようございます、夏目先輩、小野寺先輩。後ろの方々が……」

「家の母だ」

「おはようございます」


 見た目はやわらかい雰囲気の女性だ。しかし、今はどこか固い空気もまとっている。おそらくはまだ幽霊などを信じられていないのだろう。


「こっちが私の叔母と叔父よ」

「おはようございます。おふだは助かったよ。たぶんね」


 叔母さんの方はどこにでもいそうな恰幅のいい人だった。どちらも穏やかな雰囲気だ。


「それはよかったです。では、案内します」


 この様子だと細の護符の効果は確かにあったようだ。しかし、それだけで全てが解決したわけではない。


『ワタシノ……ヲ……。方法ヲ……』


 案内しつつ来留芽は背後を窺う。先輩達ではなく……そのさらに背後を。

 全てが解決したわけではないというのはがまだいるからだった。血まみれで、目が空洞のようになったお婆さんの姿を来留芽の目は捉えていた。

 元々は悪いモノではなかったようだが……恐らく時間が経ちすぎたのだろう。そこにいるだけで生きている人々に悪影響を与える悪霊になりかけている。ただ、このお婆さんの場合、伝えたいことが伝わったと分かれば素直に成仏してくれそうだから難易度は低い方だろう。


「第二相談室……この部屋で話をさせていただきます」

「あれ、聞く方じゃないのかい?」

「もちろん、話を聞くこともしますよ、小野寺先輩」


 しかし、まずは注意事項やこれからどうするかを話さなくてはならない。幽霊が護符の効果でいなくなっていれば裏の話に触れることもしなかっただろうが、まだいるのだから仕方がない。


「初めまして。京極細です。護符を作らせていただきました」


 細の完璧な外面が発揮された。流れるような所作で全員に椅子をすすめている。


「これはご丁寧にどうも」


 夏目先輩の叔母さんが使い物にならなくなったのを見てか、ここまで沈黙していた叔父さんの方が細に頭を下げる。


「京極細さん……? あの、鳥居越学園にも勤めていらっしゃる?」


 小野寺先輩の母親は気付くものがあったようだ。それは学校のお知らせを載せている『NEWS 鳥居越』を見ていれば分かることだ。四月号はいつも職員紹介が写真つきで載るので見覚えはあるだろう。


「こちらが本業ですが、話をいただいたので教師としても仕事をしています」

「本業……」

「はい。早速ですが、本題に入らせていただきたいと思います」


 そのタイミングで来留芽はお茶を出した。テーブルの上にのカップを置く。それを見て三人の顔が青くなった。小野寺先輩と夏目先輩は一瞬固まったが、他の三人に比べれば平然としている。


「そ、その……もう一人誰かいらっしゃるのでしょうか」


 この質問はおそらくは“もう一人誰かが来るのか”という意味でされたものだったのだろうが、細はそれをあえて別の形に受け取った。


「もう一人、いるのです」


 そこに……と明言されずに付け足された言葉があった。細の視線は一般には見えない存在に向けられている。もちろん、来留芽にも見えている。このお婆さんの幽霊は比較的強い部類に入るのだが、一般に見えるレベルではないようだ。視線が微妙にずれている。


「もう一人いるってどういうことだい」

「皆様は既にお気づきかと思います」

「ゆ、幽霊がいるのですね? あのお婆さんが……」

「……はい」


 細が頷くと三人の瞳に恐怖の色が浮かぶ。小野寺先輩と夏目先輩は変わらず。しかし、少し飲むペースが早くなっている。

 ……せっかくつながりそうな縁も、相手に拒絶されてしまってはつながらない。普通の人が幽霊やあやかしを恐れるのは尤もだが、恐れすぎないで欲しいとも思ってしまう。


「私の護符で彼女が夢枕に立つことはなくなったでしょうが、あなた方に取り憑いているのは間違いないようですね。先日この二人から話を聞きましたが、その時点で幽霊が関係しているとの判断は出来なかったので本日はここまで来ていただきました」

「あの、追い払ったりとかは……」

「追い払うというよりは成仏させる、の方が正しいですが……可能ですよ。我々を信頼していただけるようであれば、引き受けましょう」


 本当はすぐにでも行動に移した方がいいのだが、オールドアは会社であって慈善団体ではない。世知辛いが、それが現実である。


「叔母さん、叔父さん、頼んだ方がいいと思うわ」

「だけど、栞……」

「私の問題も解決してくれたもの」


 夏目先輩の言う問題とは、彼女の先祖の妹、桜宮姫の幽霊のことである。自殺を考えていた夏目先輩を引き留めた彼女だ。あの霊が先輩に危害を加えていたという訳ではないが、先輩の悩みを軽くするには彼女の言葉が必要だったのは確かだろう。

 叔父・叔母の説得をする先輩は来留芽に向けてパチリとウィンクして見せた。


「最近は明るくなったと話していたけど、そういうことがあったのか。お願いしてもいいかもしれないな」

「まぁ、栞が言うならね……」


 どうやらこちらはオールドアに依頼してくれるようだ。


「お母さん。護符の効果は知っているでしょ」

「ええ……あれは、この方からいただいたのよね」

「そうだよ。私もお世話になった。四月に夢見が悪いって言ったよね」

「いつの間にか解決していたあれね。護符をいただいていたの? ……効果は確かのようだし、そうね……お願いしてもいいですか?」


 全員の視線が細に集まる。細はゆっくりと一人ずつを見てから頷いた。


「もちろんです」


 オールドアの社員にはそれぞれ専門といったものが存在する。例えば細は基本的にはオールラウンダーだが、あえて言うなら呪符や封印が得意だ。樹は消霊だろうか。彼もまたいろいろと出来るタイプなので特にこれと定めることはできない。薫はあやかし退治だろう。巴は鎮魂とお祓い。そして来留芽は呪符だ。

 全員が全員ある程度自由がきくから浄霊の依頼でも細が解決することも出来るが、やはり専門と比べると効率が落ちる。


 何が言いたいのかというと


「初めまして。一色いっしきともえと申します」


 今回は幽霊のスペシャリスト、巴に丸投げすることにしたのだ。


「浄霊と言っても一口に言える物ではないのですが、私や来留芽は強引な形の浄霊になるためわだかまりが残ってしまう可能性があるのです。しかし、彼女なら霊との対話から正しい浄霊を行ってくれるので安心安全です」

「「は、はぁ……」」


 ただ、一般の人にとっては巴なら安心安全と言われても普通は分からない。


「細兄。もう少し詳しい話をした方が良いと思う」


 来留芽の言葉に全員が頷く。


「私達としてももう少し詳しい話が欲しいところだ」

「あら、のことについてほとんど話していないのですね? それは失礼しました。差し支えなければ私が今から話をしたいと思いますが、よろしいでしょうか」

「お願いします」

「はい。では――」


 巴はここに来て見て取った彼女の状態について話す。


「この方は一月ほど前に起こった事故で亡くなったと聞きました。普通ならば死んだ人は少しの間その場にとどまってから成仏していくのですが、たまに近くに居た人に取り憑いたり未練のある場所・人の元へ飛んだりする方が現れます」


 所謂浮遊霊である。


「そのような場合は未練を晴らすことで成仏します。ただ、浮遊霊はそう長いこと現世に留まれるわけではありません。タイムリミットがあります。それを越えてしまうとたいていは悪霊となって災いを振りまく存在になります」


 このお婆さんの幽霊はタイムリミットが近いから焦り、力を奮って夢枕に立っていたのだと思う。外形の崩れはそれを意味している。


「幽霊の方もそれが分かっているのでより強く働きかけるようになるのです。これが皆様の夢枕に彼女が立った理由だと思ってください」

「理由は分かったよ。じゃあ、どうやって成仏させるんだい?」

「今からお話しします。

 彼女はどうやら明確な未練があるようです。それをできる限り実行して、見届けてもらうことでおそらく成仏してくれるでしょう。細や来留芽がこの件を私に任せてくれたのは私が彼女としっかり話すことが出来るからです」


 普通の幽霊は時間が経つと霊能者でも聞き取れないほど声が小さくなってしまう。しかし、巴はとても耳が良いので聞き取れるのだ。細や来留芽だとこうはいかず、無理矢理霊を成仏させる消霊に近い形になってしまう。

 神霊との対話は巴の得意とすることだ。きっとこの幽霊の未練を的確に聞き取ってくれるだろう。そして、解決する手腕もある。


「時間が経ちすぎると幽霊は自らの未練を語るだけの力を無くしてしまいます。それでも四十九日内であれば私は聞き取ることが可能です。彼女のことは私に任せてください」


 その自信が彼女の姿には現れていた。


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