唯一小編
人の想いが呪詛となる
自分を哀れだと、思ったことはなかった。
親父は夜の蝶の間を渡り歩き、たまに家に寄りついたかと思えば暴力を振るい俺と女を叩きのめすのが趣味のようなクズだった。だというのに、俺を産んだ女は男とおさらばする気はないようだった。女は男の女としてしか生きられないようにされていたからだろう。そんな女を見ても何とも思わなかった。あれは自分で選んだ末のこと。
そんな家庭が普通ではないことは知っていた。だが、それでも自分を哀れだとは思わなかった。
あれはいつのことだったか。何となく寄った学校でたまたま不幸自慢めいた会話があった。連んでいるグループはどいつも似たり寄ったりの境遇で父親か母親のどちらかに殺されかけた奴もいる。その点、俺は殺されそうになったわけではないし自由にできる金も男から掏り取っていた。だからそんなに悪い環境じゃない。そう思っていたわけだ。
そして、俺の体格が親父に近付き、追い越すかといったころ、俺はそろそろあの男を邪魔に思うようになってきた。だから、桜が散るその時期に、親父と呼ぶこともなかったあの男の命を散らしてやった。男の女は男の死を見ると静かに消え去った。
俺の元に、男が夜を渡り歩けた理由である資金元が移ってきた。もちろん、危ない金だ。俺は命を賭け金とする生活を送ることになる。
五年後、俺は猫を飼うことにした。夜の蝶が変じた艶やかな猫。夜に素肌に添わせるためだけの猫。シトラスの香水が強く香る夜はより激しく求め、俺の背中には猫の爪痕が残された。猫はきっとシトラスに混じった血臭に気付いていただろうに、何も言わなかった。だが、従順なだけではなく、たまに遊びを仕掛けてくる。そしてなぜか俺を哀れむ。そこが気に入っていた。
「ねぇ、私の哀れな人。子どもができたわ」
「そうか」
それから数年も経てば子猫ができた。俺は喜ぶというより戸惑う。欲しいと思っていたわけではなかったからだ。それでも、生まれてきた子猫は可愛く見えるというもので俺は俺なりに“父親”であろうとしていた。子猫の七五三も近くの神社で行った。俺の記憶にはない普通の生活を子猫には与えていたのだ。
「あなたは、悪いヒトだけど良い父親ね」
俺は、これが幸せというものなのだと知った。
だがそれは、すぐに奪われた。ありきたりな交通事故という形で――
「なぜ……!」
分かっていた。俺は敵を作りすぎたのだと。大金の匂いを嗅ぎつけすり寄ってくるハイエナ共。親父よりも上の代から続く確執。そして、抗争で打ち負かした暴力組織。たった一つの切っ掛けさえあれば俺を引きずり落とせる包囲網があった。たまたまそれが、猫と子猫をひき殺すというものになったというだけのこと。
「ごめんなさい、私の哀れな人。あなたを幸せにしてあげたかったの――」
俺は、初めて自分が哀れだと思った。
俺は幸せを再びこの手に戻ることを願う。同時に、どこまでも深く……自分自身も、あるかないかも分からない運命さえも呪った。
それが最後だった。
***
呪詛とは、人の想いから生まれるもの。同時に、想いに囚われてしまった願いでもあるのだ。
Fin.
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