SIDE STOREY 薫

 

 俺には物心ついたときから付きまとう悪夢がある。始まりは必ず平安の都だった。



 ***



 とある高官の娘は求婚者が後を絶たないほどの美貌を備え、高い教養をうかがわせる話し上手だった。彼女の噂は野を越え山を越え国中に響いた。世に住まう誰もがその噂を聞くこととなった。

 ――そう、人ならざる者達さえも

 彼等は……いや、彼等もと言うべきだろうか。噂の美貌の姫を一目見たいと都に集まった。当時の都では事態を重く見た陰陽術師が西へ東へと走り回り忙しない様相を示していたそうだ。

 人間は疲労するものである。だから連日走り回り妖魔から都を守っていた陰陽術師達にも限界という物があった。その隙を鬼に突かれた。ここで言う鬼はあやかしとしての鬼……角を持ち怪力で人を圧倒するあの鬼だ。


「姫様ぁ!」

秋津あきつ! いやぁっ! 離して!」

『うるっせぇなぁ。人間って奴ぁ……いてっ、コラ暴れんな』


 美貌の姫は陰陽術師達の守りの隙を突いてさらわれてしまった。姫を軽々と抱え上げて走り去った鬼はそのまま北へと逃げ、とある山の上に作られた里まで彼女を連れてきた。


『……東火とうびさ本気でさらってきただか?』

『あのなぁ……おめぇらが言ったことだろうがよ』

『まさか本気に取るたぁ思わん』

『『んだんだ』』

『じゃあどうしろと……』


 鬼の里に着いたと思ったら他の鬼達は本気で姫を欲していたわけではないようだった。その思いが言葉の端々に表れている。姫はここでも姫自身を求められることはないと悟って早々に諦めてしまっていた。どうせ運良く都に戻れたとしても美姫としての評判は地に落ちているだろう。自分を欲しがる人はいまい。せっかく自身を手入れし教養を高めてきたというのにこの仕打ち。もう人生終わったも同然であった(そう思っていた)。

 都にいたときから既に人生ままならぬものと諦めてはいたが、聞き齧ったところによるとそもそも自分はさらわれる必要は無かったらしい。精一杯勇気を振り絞って朝晩の食事を用意してもらいここまで生き存えてきた。その上でまだ苦しい場面に放り出されるというのだろうか。……もう我慢も限界であった。


「そこの鬼達。わたくしの声は通じていまして?」

『おお……都の言葉じゃ』

『美しいのぉ』


 姫の言葉に答えずにうっとりするだけの鬼達にピキリとこめかみが引き攣る。


「つ・う・じ・て・い・ま・し・て?」

『……ふぅ。聞こえているぜ』


 姫と同じようにうっとりする鬼たちを呆れて見ていた、東火と呼ばれる鬼が答えてくれた。


「お前は話せそうですわね。わたくしを連れてきたのだから責任持ってわたくしの世話をなさい」

『誰がやるか、んなもん』

「ならば、都へ帰しなさい」

『無理だな。面倒くさい』

「……元々はわたくしをどうするつもりでしたの?」

『さてな。美しい娘がいるというから興味本位でさらってみただけだ』


 鬼はしゃがんで無遠慮に姫を見る。姫は勝手な言い分をほざくこの鬼どもに切れても許されると思った。


「興味本位でわたくしをさらい、都へは戻れない。わたくしに死ねとおっしゃっていますの? それとも、鬼と言うからにはわたくしを喰らうのでしょうか? いずれにせよ、抵抗はさせてもらいますわ」

『おうおう、好きにしろや。気の強い女は嫌いじゃない。せいぜいあがけ』


 姫の言い方が目の前の鬼……東火と呼ばれていた鬼の琴線に引っかかったのか、彼はにやりと笑って舌なめずりをすると立ち上がり、背を向けた。


「ちょ、ちょっと待ちなさい。わたくしをここに置いていくつもりですの。屋根のあるところへ連れて行きなさい」

『ああん? ああ、そうか。姫さん、宿無しか。仕方ねぇ。俺のところに泊めてやるよ。食事は勝手にとれ』


 いちいち言い方が癪に障る。宿無しも何も自分をさらってきたのはお前ではないかという怒りが浮かぶ。それでも逃亡生活のうちにこの鬼が意外と真面目であることを知ったので少しは信頼していたのだ。見知らぬ他の鬼の元では安心できそうもなかった。

 そうして鬼達と一人の少女の奇妙な共同生活が始まった。姫は姫と呼ばれるだけあってこれまでは家事全般に縁が無かった。しかし、この里で生きるためにはそういったことができなくてはならない。東火の家で過ごすうちに着々とその腕は磨かれていった。

 山の上の鬼の里付近にはまれに人が現れる。そうしたら鬼達は里まで来ないように彼等を追い立ててしまう。姫はその間家を出させてはもらえない。彼女の安否を託せる人は結局のところ誰一人として存在しなかった。

 そのまま鬼の里で生活し始めて三年の月日が経った。姫は完全に彼等に馴染み、都での生活を思い出せないほどになった。安全だと思ってはいけないと自分をいましめていたというのに、里は存外居心地が良く、姫の気が緩むことも増えてきていた。

 変化の兆しに最初に気付いたのは当然姫の一番近くにいた鬼……東火だった。


『姫さん? 珍しいな、俺の接近をここまで許すとはなぁ』


 作業が一段落して東火は自分の家に戻った。すると寝具の一つに無防備に眠る姫の姿があったのだ。鬼が近付いても眠り続けるのはここ三年で初めてのことだと言える。


『病気ってわけではないよなぁ……なんだ、とうとう警戒しなくなったってことか』


 姫は里で仕事をして、その対価に食べ物をもらって過ごしていた。仕事内容は洗濯掃除皿洗いと無数にあったから困りはしなかったが、苦労を知らない手はとうに消え、かつてよりかさついた手になっていた。また、艶やかな黒髪もなくなり、手で梳くと少し引っかかる。少しだけで済んでいるのは姫に未だに美しくあろうという意識があるからだろう。

 そこがいい、と東火は思う。何の苦労も知らない姫は東火にはいらない。だが、苦労を知ってなお美しくあろうとする姫は……東火にはたまらなく愛おしく感じる。三年前に姫が里で暮らすようになってから身も心もこの手に堕ちてくるのを待った。そろそろ頃合いだということだろう。


『なぁ、姫さん。最初の一回以外は俺に都に連れ戻すように言わなかったのは気付いていたからだよなぁ。俺だけは本気で姫さんに見惚れてさらいに行ったことを』

「……ええ。気付いていましてよ」


 姫はそう呟くと悩まし気に眉を寄せて目を瞑った後、まっすぐに鬼を見た。


『起こしちまったか』

「問題ありませんわ。わたくしも少しうかつだったと思いますが。覚悟はしております。……それで、鬼の頭、東火はわたくしにどんな言葉をくださるのかしら」

『……敵わねぇな。一度だけだ。……鬼頭が東火、貴女の在り方に、その心の強さに、貴女の全てに愛を捧げよう。貴女の名を呼び、一生を共に生きる権利を俺にくれないか』

宵子よいこと呼んでくださいませ。一生を貴方と共に。わたくしも東火の全てを愛しています」


 鬼にさらわれた姫は鬼と相思相愛になり、幸せを手にしたとさ。

 ……どこが悪夢かって? なぜかは分からねぇけどこの物語は基本的には姫視点で進むんだ。男の俺には意味不明で辛いんだよ。俺が男鬼からの告白を受けて嬉しく思うはずがないだろうが。それに、本当の意味での悪夢はまだこれからなんだぜ。



 ***



 どこかの山奥の屋敷にて。十数人の男女が会合を開いていた。彼等は知る人ぞ知る異能集団……紅鴉と呼ばれる集団である。あやかしの撃退、凶悪犯罪者の始末など、あまり表に出せない仕事を請け負っている。町民は彼等のことを鴉さんと呼び、親しんでいる。町奉行も彼等が治安維持の一端を担っていることは知っているので粗雑な扱いはしない。しかし、両者とも彼等を自分達と同じだという意識を持ってはいなかった。彼等の多くは紅鴉の怒りを買うのはまずいと思って丁寧に接している……言わば腫れ物に触るような態度を取っているのであった。


「皆の衆。我々は長らく鬼子やら忌子やら言われてきた。町民には我らのことが同じ人には見えていないようだな」

「ハッ、何を今更。我々が普通の人と違うのは自明なこと。我らは……鬼の血を色濃く受け継いでいるのだからな。『我が左腕よ、変化せよ』」


 バリバリバリッと音を立てて発言者の腕が肥大化し、袖が破れた。変化後に彼の腕を見れば、それはまさしく鬼の腕だった。


「……無闇矢鱈に変化するな。服代も馬鹿にならん」

「ああっ? 破こうが何しようが直せるだろうが」

「限度を知れ。すぐに使えなくなるぞ。子供じみた自己顕示欲を見せるのもいい加減にしろ」

「何だと? そのすました顔、見れなくしてやろうか? ああ?」

「……じゃれ合いもそこまでにしておけ。本題に入ろう。先日、とある武家から依頼があった。鬼子を引き取ってくれというものだ」

「……それくらいなら何度かあったじゃない。問題でもあるの?」

「ああ。その鬼子というのが……本物の鬼の子だった」


 頭領と呼ばれた男がそういうと会合に集まっていた者達が驚きに立ち上がった。


「本物の鬼!? それじゃあ……」

「ああ。町が危ないな」


 鬼は情が深い。特に同じ種族の子どもに対しては全員が愛情を注ぐ。たとえ人とのハーフであっても溢れるばかりの愛情を注いでくれる。ただ、本物の鬼の子と、人と混じった紅鴉の面々のような子では守り方が違う。本物の鬼の子は人間に狙われやすいから鬼の里から出すことはしないのだ。それが今回は人の町にいるという。鬼達は子をさらったのは町の誰かだと判断して町全体に攻撃を仕掛けかねない。それを知っているため、会合にやって来ていた者達は焦り、頭領に詰め寄る。


「早急に引き取って謝罪の用意を!」

「頭領、何のんびり会合開いてんですか!? さっさと引き取ってきてください!」

「大丈夫だ。桜に迎えに行かせている。この場では町の守りについてもらう者とこの屋敷で鬼子を守る者とを決めたいと思う」

「「「屋敷で!」」」


 鬼子がかわいいのは人混じりの彼等も同じだった。全員が一目でも鬼子を見られる屋敷警護に立候補した。


「じゃあ、くじ引きな」

「結局いつも通りかよ」

「あら、それなら貴方はの警護に行ってくれるんだ」

「そんなことは一言も言っていねぇぞ」

「だって貴方……一度も勝って屋敷警護になったことがないじゃない」

「うぐ……でも、くじ引きなら……」


 今回は特に勝者と敗者のテンションの差が激しかった。

 町の守りに入って、男は自分の運のなさを嘆いていた。


「くそ、また負けた。あいつら、ずるしてんじゃねぇの」

「お前の運のなさはいつものことだろう。それよりも……来たようだぞ。このあたりは戦闘可能な鴉はお前だけだ。頑張れよ」

「はぁ、貧乏くじはいつも俺かよ……『部分変化、両手両足』」


 町の郊外で激しい戦闘が始まった。突撃してくる鬼に対して両手両足を変化させた男が待ち構え、組み合うと鬼を転がす。


『おめぇは群青ぐんじょうか!? 何故わし等の妨害をする!』

『よもや、人に飼われておるのではあるまいな!?』

「ちげぇよ! じいさん達の勘違いを正しに来てんだ、よ」


 鬼は生涯その怪力を誇る。今回の事件で真っ先に反応し襲ってきたのは里の老人衆のようだった。これは説得するのに骨が折れるなと(どちらの意味でも)、群青と呼ばれた男は遠い目をする。鬼のじいさん達は最盛期ほどの怪力は出せないが、その分を補って余るほど経験がある。


『人がまたわし等の子をさらったのじゃぞ!』

『報復せねばならぬ! そこをどけぃ!』

「だ~か~ら~! さらった奴は人の法でそれなりにひどい目に遭うの! 報復の必要は無いんだよ!」

『『……そうか?』』

「そうそう! それに、子どもは俺達の屋敷の方にいるはずだぜ」

『『それを早く言えい!』』


 そうして鬼の襲撃は終了した。群青と呼ばれた男の骨は辛うじて無事だった。どいつもこいつも怒ると力の加減が分からなくなるから鬼ってやつぁ……と嘆息する。


「お疲れ」

「本当にな……じいさんの相手は疲れるぜ。あれ、じいさん達はどこへ行った?」

「あの砂煙じゃないか? ……屋敷とは正反対の方向になるな」

「やばくね。はやぶさに回収に行かせろよ」

「話は聞かせてもらったよ-。『変化せよ』じゃあ、行ってくるねー」

「毎回思うんだが、変化の際に言わなくてはならないアレ、どうにかならないのか? 面倒くさい」

無闇矢鱈むやみやたらに力を振るわないように制限する意味もあるからね。人との間に生まれた子にとって鬼の力は肉体的に見て過分なんだから」

「無闇矢鱈に変化している奴いるけどな」


 この夢のおかげで俺は自分の力の扱い方を知った。悪夢じゃないだろうって? 今話したのはほんの一部だから分からないか?

 あのな、時代を考えてみろよ。夢の中の時代は『我が左腕よ、変化せよ』『部分変化、両手両足』とか言っても理由を聞けば普通に受け入れられる時代だったんだよ、たぶん。……現代でさっきの台詞を言ってみろ。精神科へ直行させられるだろうが。それ以前に夢の中のそういう台詞を聞くたびに恥ずかしくなるんだよ。

 一晩中今で言う“若気の至り”を連発されてみろ。死にたくなるだろ? 俺は現実でも力を使うときはそれを言わなくちゃならないんだよ。最近は気合いで何とかなることも増えているけど……。悪夢以外の何でもないだろ。



          薫の夢話Fin.

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