7 青嵐と翡翠と

 

 夜の闇を突っ切り来留芽と藤野は式神に乗って急ぐ。いつもは明るく輝いている月も今は雲がかかって隠れてしまっていた。


「行き先は分かっているね?」

「恵美里の家?」

「そう。私が先導するからしっかりついてくるんだよ」


 飛びながら藤野は日高翡翠のことを話してくれた。遠い日を思い出すような瞳は過去へと羽ばたく。



 ***



 翡翠は昔から異形や私達のように裏に生きる者達に好かれる質だった。私の初めての護衛仕事は学生時代の彼女の警護だった。私は小さい頃から夜衆と言ってあやかしと対峙する組織に所属していたんだ。仕事はそこから回ってきた。


「おい、青嵐。俺達の初の護衛仕事が決まったぞ。鏡音翡翠って子の警護だってさ」

「鏡音? ああ、隣のクラスの」

「ああ。どうやら異形に好かれやすいらしい。神サマとかならまだマシだろうが、鬼とかあやかしはなぁ」

「そんなに好かれやすいってことは特別な血筋じゃないのかい? 力の制御の一つくらい身に着けさせるはずだろうに」


 なぜわざわざ護衛をする必要があるのか、限られた情報しか持たなかった私は不思議に思った。


「ほほう。青嵐は護衛依頼を受けたくないと」

「誰もそんなこと言っていない!」


 中学生になってそろそろ人を守る仕事を受けさせてもいいと親が判断したようで、私と相棒の佳樹よしきは彼女を守るようになった。本当は自分の能力の自覚を促し、発露した力を制御する訓練を受けた方が良いのだけど、当時は私のような人が密かに守ることに決まったんだ。

 彼女の事情を聞いてそれも仕方ないことだと知ったよ。鏡音の子孫は彼女しか生き残りがおらず、彼女も孤児でこちらがうかつに引き込めない場所にいた。彼女がいた孤児院は神社や寺、教会が理想的な位置で囲んでおり、下手な異形は近付けないほど強力な結界になっていたんだ。だからそこから離れるときだけ護衛して霊能力者としてのカンミングアウトはしないでおくことに決まった。その当時に彼女を導けるほどの術者がいなかったことも理由の一つではある。


「うっわぁ……この子、呪詛まで引き寄せてやんの」

「しかも相当強いようだね。私の呪符じゃ引きはがせない」

「そこで俺の出番ですよ。呪詛よこーい! 俺の力にしてやるわっ」


 佳樹の能力は呪詛などを自分の霊力に変換するというものだった。あの時は彼女に寄ってくる様々なものを片っ端から自分の霊力にしていたな。ただ、何のリスクも無く霊力変換ができるわけではない。何らかの犠牲が必要だった。


「おい、馬鹿佳樹……いくらお前が頑丈でも危険だっ」

「あがががが……ぅおおおおっ! こんなもん、屁でもないわぁっ!」

「……変換できたの? マジで?」

「おうっ。完璧だぜっ……でも、限界……きゅぅ……」

「えっ、おい、佳樹……まさか私一人で後始末……」


 中学を卒業し、高校、大学と私と佳樹は彼女を陰から守り続けた。高校の時には私達も彼女と接触せざるを得なくなったりもしたけれど、裏のことをばらしはしなかったし、ばれることもなかった。


「なぁ、青嵐。俺達はいつまで翡翠を守れるのかなぁ」

「急にどうしたんだい。守るのがつらくなった?」

「いんや、もはやライフワークじみてきているからつらいとかはない。だけど、さ。中学からずっと翡翠と同じ進路を取っているんだぜ。大学もさ、翡翠と同じところを受けようとこうして勉強しているわけだけど……おかしいと思われねぇかな」


 予兆は確かにあったと思う。佳樹がこれからの自分達に疑問を持ったことが最初の分岐点だったのだろうね。だが、私は何年も続けていたことをあっさり変えられるはずがないと思い込んでいた。それでも、佳樹と決別する時がやって来た。やって来てしまった……。


「青嵐。悪い、俺……夜衆抜けるわ」

「どういうことだい?」

「翡翠に告白した。結婚も考えている」

「それはっ」


 護衛対象とそういう関係になるというのは裏のことがばれる可能性が高いこともあって禁止されていた。特に翡翠とはそういう関係になってはいけなかった。万が一裏のことがばれ、彼女が自分の力を自覚してしまうとその能力が制御できないままに力を増してしまう可能性があったからだ。


「万が一の時の責任は俺が取る。翡翠に裏のことは知らせずに、これからは俺が守っていく。だから……夜衆にこの件から手を引くように言ってくれないか、青嵐」

「お前一人じゃ負担が大きいだろうがっ。死んだら元も子もないんだぞ」

「その通りだ。だが俺は死ぬつもりはないぞ? 翡翠を一人にはしない。……ごめん」


 佳樹の決意は固かった。あいつは重い物を背負うことになったが笑っていた。それだけ翡翠を守る覚悟を決めていたのだろうし、堂々と守れる立場になって心が軽くなったのだろう。あいつは幸せを知ったんだ。

 けれど……心の中には素直に喜べない自分がいた。あいつが翡翠の彼氏とか、夫として守るようになって夜衆は手を引き、時々監視に向かう程度になった。私も監視の名目で見に行ったが、仲睦まじくしている二人を見て何故か胸が痛んだ。

 そのときにようやく私は……私も翡翠に惹かれていたのだと気付いた。とうてい姿を現せない状態になって初めて彼女が好きだと自覚したんだ。恐らく私の気持ちは佳樹には筒抜けだったのだろうね。最後の「ごめん」は私に対するごめんだったんだ。


「翡翠さん」

「あら……藤野くん。お久しぶりですね。大学以来かしら」

「ええ。見覚えのある姿を見かけたので追いかけてきてしまったんだ。あいつ……佳樹は?」

「それが……一昨日大怪我をして帰ってきまして。今は病院です。残念ながら意識がまだ戻っていなくて……」

「それは……見舞いもできそうにないな」

「ええ。面会謝絶中です」

「では、あいつの代わりに家まで念のため送るよ。ここで翡翠さんを放り出したと知られたら殴られてしまう」

「そうかしら」


 いつもは佳樹の守りが翡翠の周りを覆っていたのにあの時は何もなかったので慌ててそばに行った。彼女が語ったあいつの大怪我は間違いなく裏関係だと思った。何しろ、あいつの異能は犠牲を伴う。私と組んでいたときは私が力を込めた呪符を犠牲にしておけば良かったが、独りで相対する場合、犠牲の対象は自分しかなかっただろう。連絡をくれれば助けに行ったというのに……あいつの意地だったのだろう。

 それでも私は今だけは、と心の中で佳樹に謝りつつ彼女に影を寄り添わせた。


「……」

「……」


 沈黙が支配する道で何か慰めになることでも言えたらと思ったが、彼女の前では弁の立つ自分になることができなかった。へたれと言えば良い。私は、結局はぽつりぽつりと彼女が話してくれるのを聞くだけだった。

 一度口を開いてしまうといらないことをしゃべってしまいそうで、黙っているしかなかった。

 困らせてしまうのが嫌だった。佳樹が伏せっているときでもあったから。それに、身を引く恋だってあるだろう、これきりにしよう、と自分を納得させたんだ。


「それでは、ここで……荷物を持ってくださりありがとうございました」

「はい……あ、翡翠さん。これ、私の連絡先なんだ。あいつは連絡しろと言ってもしないから、代わりに翡翠さんが何かあったら連絡して」

「ありがとうございます。何かあったら……」

「あの……」


 オギャアオギャア

 どこからか、小さく赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。


「あら……うちの子かも。ごめんなさい、藤野さん。先に行きます」

「あ、はい」


 彼女を見送ってからぽつりと呟いた。


「……子どももいるのか。ハハッ……当然だな。あれから五年も経っているのだから……」


 そのときに私の気持ちはもう翡翠に告げてはいけないと悟ったよ。私の恋は届かないと、届いてはいけない物と思って閉じ込めてしまった。


「……もしもし。ああ、翡翠さん……え? 佳樹が……分かった、今そちらに向かうよ」


 けれど、少しの時を経て……終わりが近付いていた。


「翡翠さん!」

「藤野くん……佳樹が……青白い顔で帰ってきたと思ったら倒れてしまって……!」

「落ち着いて。……しかし、これは……」


 彼女から「佳樹が倒れて動かなくなった」という連絡が来て私は急いで彼女のいる場所へ向かった。とりあえず救急を呼んで、裏関係の病院に運んでもらう。佳樹は霊障で傷付いている状態だった。急ぎ回復しないと命に関わる。私はいまだ動転している翡翠に家で待って落ち着くように言うと救急車に乗り込みあいつの傷がこれ以上広がらないように処置をした。しかし、助かるかどうかは未知数。そんな状態だった。


 そして病院に運ばれて三日目のこと。ようやく佳樹が目を覚ました。


「佳樹!」

「あなた!」

「翡翠……に、青嵐? うぅ……」

「ああ。無理するんじゃない。お前は今……」

「分かっ……ている。危ない……どころじゃ……ないのはな」


 それを聞いて翡翠が泣きながら佳樹の手を握る。逝かせないと願うように。強く、強く。


「翡翠……ごめん……俺もうダメみたいだ……もっと長……生きして……恵美里の親ばかやりたかった……けど……ごめん、ごめんな……」

「あなた……」

「……青嵐も、ごめんな……気持ち、気付いてた。じゃあな……翡翠、最後に……笑ってよ……翡翠の笑顔を持って……いきたいんだ……」

「っ、あなた……」

「翡翠、愛してる……元気でな……恵美里を……よろしくな……」


 最後の力を振り絞って震える手を伸ばして翡翠の頭を優しく撫でた。それが最後だった。あいつの目から一筋涙がこぼれ落ちると、それきり動くことはなかった。翡翠の慟哭どうこくを聞きながら、私は自分の中にぽっかりと穴が空いたのを感じた。長年、兄弟のように……兄弟以上に共に過ごしてきたやつを失ってしまったんだ。喪失感は大きかった。

 あいつに何があって霊障を負うことになったのかは分からない。けれど、あいつがあんなに簡単に死んでしまったのは翡翠と恵美里に全力で守りを張っていたからだったのだろう。あいつの守りはあいつが死んでもなお翡翠達を守っていた。

 それで、しばらくの間翡翠は抜け殻のようだった。夜衆の者は同情しつつも手を出すことはしなかったけど、私は翡翠のために動いた。私の気持ちを知っていたと告げて今際いまわきわにかすかに困ったように笑ったあいつは翡翠達を頼むと言えなかったのだろうと勝手に思っているよ。


「翡翠さん。辛いのは分かる。だが、娘さんもいるだろう。いつまで腑抜けているつもりだ。あいつも浮かばれない」

「藤野くん……あの人、どうしてあんなに怪我ばかりしていたのでしょうか。私と結婚してから……ですよね」


 私はそれを聞いてもやはり、としか思えなかった。やはり、たった一人で彼女を狙うモノ達と渡り合っていたのだろう。中には当然一人で相手取るのも厳しい存在だっていたはずだ。怪我はきっとそれによるものに違いない。

 だが、そのことを私が翡翠に言う訳にはいかなかった。


「あいつは昔から怪我ばっかりだったよ。鈍くて……馬鹿なんだ」

「それに……意地っ張りでした。おっちょこちょいでした」

「それでも一生懸命守ろうとした結果だと思うよ。あいつは今だって翡翠さんを守っている」

「それなら……立ち上がらなくてはなりませんね。恵美里も頼まれたもの」


 そう言って立ち上がる翡翠に私は彼女の強さを感じ取り、眩しく思うと共に守りたいという気持ちも強く感じた。だが、それも浮かぶ度に沈めていた。


「翡翠さん。引っ越しはしないよな?」

「ええ。あの人とやっと定めた場所ですから」

「頑張れるか」

「頑張ります。恵美里のお母さんだもの。情けないところは見せません」


 本当に、彼女は強かった。時折様子を見に行ったが元気に振る舞っていたし、依然として佳樹の守りもあった。

 少しして私は霊的事件関係総合本部の支部長に就任した。異様に忙しくなって彼女の様子を見る回数もずいぶん減ってしまったよ。回数を減らしても私はそこまで心配してはいなかった。佳樹が住居を構えたあの場所は土地神様が守るまほろばだったからだ。そして、翡翠はそのまほろばの主に気に入られていた。


 だから、安全だと油断していた。



 ***



「目を離した隙にということ?」

「そうだね。もう少ししっかり確認していればと後悔したよ」

「あれ以上だとストーカーにしか思えないけど」

「うぐ……まぁ、それは置いておいて、私達が今追っている呪詛はそのまほろばを狙うだろう」

「……藤野さん。まほろばの主はどんな形を取っているか分かる?」

「大樹だよ。君達が立ち寄った公園の大樹だ」


 だとするとあのとき感じた風は……恵美里も土地神様に気に入られているということだろうか。もしそうだとすると恵美里も危ないかもしれない。これは本当に急いで解決しなくてはならない。


「嫌な風が吹いてる」

「……もう少し、急ごうか」


 藤野は来留芽の様子を見て予想以上に大変な事態となっているのかもしれないと思ったのか、ただでさえ限界ぎりぎりのスピードを出している鳥に自分の力を注ぎ、急がせる。来留芽も同じようにして急ぐ。

 どうか間に合えと祈りながら。


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