6 唯一人で、抗う


 ***



 帰らねばならない。

 帰ってはならない。

 相反する気持ちに迷い、自分の体も頼りなくゆらゆら揺れるのが分かる。何故こんな状態になっているのだろうか。


『俺様を解放したからさ』


 ……解放した? どこから……いえ、一体から?



 ***



 常世商会。そこが私の職場だ。基本的には倉庫の整理をしていた。歴史ある商会だからその在庫も膨大で、データにまとめにくい。倉庫内の在庫の全てをデータにまとめたら仕事がなくなるのかというとそうでもない。常世商会の倉庫は第一~第何倉庫かあるため、むしろ終わらせられるか分からない。


「第五倉庫の整理が終了しました」

「あっそ。じゃあファイルはこっちに送っておいて」


 私は嫌われているのだろう。上司の森係長は報告に来た私の方を見もしない。

 夫を亡くして気持ちを切り替えようと仕事を変え、幸運なことに常世商会に雇ってもらえた。常世商会といえば特に人気の職場である。給与も良く、労働環境も良いという触れ込みだった。しかし、現実は無情。末端の方はそうでもないと悟った。むしろブラックである。


「では、第六倉庫の整理に移ります」

「うん。いつものように期限はないけどちゃんと漏れなくまとめてよ」


 すべて自分が楽するためのくせに……。


「……」

「なぁに? 黙って……。生意気ね、あなた。そうだ、今晩裏一番倉庫の整理をやっておいてもらえる? 古いものばかりだけど危険はないから。ほら、これが目録。この通りにあるか確認しておいてちょうだい」

「……分かりました」


 こんな職場辞めてやると言いたいところだけど、上司があの人だと再就職できないように妨害してきそうだ。だからうかつに辞めますとは言えない。

 それにしても、また遅くまでここにいることになってしまう。恵美里は大丈夫だろうか。女手一つで育ててきた愛しい子。昔から早く帰ることができなくて寂しい思いをさせてしまっている。無理をしてでも再婚するべきかとも思ったが、恵美里も受け入れてくれるという人とはなかなか出会えなかった。


「……もしもし、恵美里? お母さんよ。今日はまた遅くなりそう。先に夕飯を済ませておきなさい。……ええ、誕生日はね。心配しないで」


 明後日は恵美里と二人で誕生日パーティーをする予定だ。だから絶対に定時で上がらないと。そのためには、言い渡された仕事は片付けておかなくてはならない。


「おや……どちらへ?」

「裏一番倉庫です。森係長よりそこの整理を言いつけられたので向かおうと思ったのですが、場所を知らないことに気付きまして……」

「ああ、あそこは慣れない人には分かりにくいですよね。ちょうど僕もそこに用事があるので一緒に行きましょう」


 たまたま遭遇したこの方は常世商会でも幹部と言われるほど上に立つ人だ。全国を飛び回りつつ商会の発展に貢献しているらしい。そんな人がどうして倉庫に用事があるのか疑問に思ったが、平である私が聞くわけにもいかないため、疑問を抱いたままついて行くことになった。


「ここが裏一番倉庫ですよ。少しばかり扱いにくいものもありますが、あなたなら大丈夫でしょう」

「そうですか?」

「ええ。だからあなたの上司……森もあなたに任せたに違いありません」


 本当にそうだろうか。あの上司がまともに評価しているとは思えなかった。今回も無理難題をふっかけているとしか思えない。どうせこれに失敗したら盛大に嫌味を言ってくるのだろう。


「では、この掛軸を持っていきますね」

「あ、はい。鬼の掛軸ですね」

「六十五番というのも忘れずに。では、君も大変でしょうが、頑張ってください。それと、時々は外に出るようになさい」


 ろくじゅうごばん? 慌てて目録を見ると確かに鬼の掛軸なんちゃら番というのが連なっている。この分だと他も重複しているというか、番号を振って管理しているものが多そうだ。


「これ、ちゃんと終わるのでしょうか……」


 まず、鬼の掛軸シリーズのありかが分かったのでそれを確認しておく。そのあとはこの倉庫の中がどうなっているかを把握するために一旦奥まで歩いてみようと考えた。


「外から見るより大きい気がするのですが……気のせいかしら。それにしても、乱雑ですね。積み上げる以外に何かできることもあるでしょうに。私では持ち上げられないほど大きい物もあるようですね。これは一人ではキツいかもしれません。とは言っても助力を頼めるような人もいませんし……今回のことで咎められたら潔く辞任しましょうか……」


『クスクスクス……人間だよ……』

『無知でありながら……生きているのね……奇跡だわ』

『うまそうだなぁ……喰いたいなぁ』

『この忌々しい封印さえ無けりゃなぁ』


 奥に向かうにつれて幻聴が聞こえるようになってしまった。それだけ疲れているのだろうか。もうずいぶん歩いたと思うが、未だ倉庫の奥にはたどり着いていない。


「流石におかしいでしょう。気が狂いそうです」


 この倉庫に入ると誰でもこんな状態に陥るのだろうか。時々は外に出るようにと言われたことを思い出した。あの方はこのことを見越して言ってくれたのかもしれない。


「一旦外へ出ましょう。やはり何かおかしいです」

『……こよ……ぬ』

『……こよ……い』

「っ! なんで……」


 外へ向かおうとした足が止まってしまった。そして、あろうことか奥に向かって進んでいく。体のコントロールがきかなくなってしまっている。謎の声が聞こえてからだ。一体ここはどういう場所なのだろう。あまりにも異様な……。


『……巫女よ……』

「み……こ……?」


 最終的に私の足が止まったのは最奥にあった少し大きめの箱の前だった。声はここから聞こえていると何故か分かった。感覚的なものだったのでうまく説明できるかは分からないが、簡単に言うとこの箱だけが私に対して柔らかい態度でいてくれているような……遠い記憶に残っているかのような、そんな感じがしたからだ。他の物はどことなく冷たい気がする。それはきっと知らないからだ。

 そこまで考えて私は自分の額を押さえた。

 ……精神科へ行った方が良いかもしれない。この幻聴具合はまずいだろう。感傷に浸れるような状況でもないはずなのに。


『巫女、巫女よ。聞いているか』

「はいはい、何でしょうか」


 どうやら逃げることができないようだった。仕方が無いのでこの幻聴に付き合うことにした。この時点で考えることを止めてしまったのだ。後から思えばこの時点ではねつけておけば大事にはならなかっただろう。


『封……を解いてくれ』

「このおふだみたいなのですか?」

『ああ。そうしたら中に入っている箱を同じように札を取ってから開けてくれ』


 頭に霞がかかったように思考できない。幻聴の言うままに私は目の前の箱を開ける。どのみちこの倉庫に来た……来てしまった時点で私の手で開けなくてはならなかったのだ……。

 箱の中にあったのは古めかしい鏡だった。私は鏡面に手を触れる。こうすれば鏡が閉じ込めた呪を取り出せると知っていたからだ。誰かに教えられた知識ではないが、何故か知っている。そんな感じだった。

 けれど……


『助かったぜぇ、鏡音の巫女。おかげで俺様は自由の身だ』

「……くっ!?」

『おお? 何かしたか? したよな。お前やっぱり変態系の鏡音か』


 変態系って何だろうか。自分の先祖に絶望しそうな情報をもたらさないで欲しい。怒りでちょっと正気に返れた気がする。

 しかし、どうして咄嗟に自分の身を抱えるようにしてしゃがみ込んだのかは私自身も分からない。でも、この幻聴を話しているモノに力を持たしてはいけないことくらいは感覚的に分かる。

 そのまま自分のなかにいる“ナニカ”を縛り付けるイメージでギュッと腕に力を込めた。


『ん? お前、やっぱり鏡音だなぁ……俺様を自由にしないためだったのか』


 そう。何か悪いモノが私の中に入り込んできた感覚があった。だから、外へ影響しないようにしたのだ。


 ――だって、コレを自由にしてはいけない。絶対に


 それでも全く幻聴の主の影響を受けないというわけにはいかなかった。倉庫から出ようにも足下は覚束ないし、視界には変なモノが映り込む。それでも、そのままどうやってか誰にも会うことなく会社を出ることができた。


『お前の家に連れて行ってくれるのか?』


 家……あそこなら変なことは起こらないかもしれない。でも、こんな危険な状態で帰って恵美里に何かあったら……。


『へぇ。お前の大切なモノは恵美里って言うのか。良いことを聞いた』


 なけなしの警戒心が全力で警鐘を鳴らした。

 こいつは……私が考えていることを読み取れるのか。まずい、恵美里が狙われる。あの子のことを考えないようにしないと。帰らねばならない気持ちと帰ってはならないという気持ちがせめぎ合う。



 ***



 完全に思考力が低下し、ふらふらと道を歩きながら私は家に向かった。これでもおそらく一日は幻聴の主の誘惑を耐えたのだ。そして大樹の公園に差し掛かったとき、急に体が楽になった。


「えっ? 一体何が」


 慌てて周りを見回し、視線が正面に戻ると目の前に風をまとった少女が浮かんでいた。


『鏡音の巫女よ……急ぎそなたの家に帰り、そなたが受け継いだかんざしを身につけて参れ』

「あなたは……」


 ここまでおかしなことが続くともう幻覚などとは思えなくなってきた。そう、目の前に浮かぶこの少女も本物なのかもしれない。彼女は困ったように笑っている。


『巫女よ、全てはじきに分かるであろう。今はわらわの言うとおりにせよ。アレは少しの間だけわらわが押さえておく。だが、今はアレの方が強いからそう長くはもたぬ。そなたの簪はそなたがアレに飲み込まれないようにする力を持っておる。だから……』


 浮かんだ疑問を飲み込み、少女の言葉に従って簪を取りに家に帰る。簪は母から子へと受け継がれてきたのか、非常に古いものだ。これだけはずっと私の手元にあった。しかし、古びたそれにそんな力があるとは思えないが、何か変なことに巻き込まれている自覚がある私にとっては心強い。


「あ……恵美里……」


 もう深夜だった。最愛の娘は既に深く寝入っていた。その周囲に柔らかい風が吹いているのを感じて、あの少女が恵美里を守ってくれていると理解し感謝を捧げる。


「ごめんね、恵美里……お母さん、もう戻ってこれないかもしれません。でも……絶対にあんなのには取り込まれませんからね」


 いつもは頭を撫でていたが今日はそれをしなかった。アレが私を通して恵美里に移っては困るからだ。

 簪を探し出し、公園に向かう。階段を上り、公園の様子が見えるようになると私は息をのんだ。

 風が轟々と吹き荒れ、竜巻となっていたのだ。そしてその中心にはぼろぼろの少女と彼女の首元をつかみ持ち上げる黒い影の姿があった。


「やめてーっ!」


 その声に反応してか影がこちらを向いた。口の部分が笑みを浮かべるように開き、歪な赤い月を描く。私は知らず知らずのうちに体が震えているのに気付いた。感じるのは圧倒的な恐怖。しかし、それをねじ伏せる。


『逃げなかったのは賢明だなぁ。もし逃げていたらお前を助けたコレをボコボコにして首を切り離して見せつけてやろうと思っていたんだ』

『ハッ。首を切り離されようともわらわが死ぬことはないぞ』

『ふん……だが、恩人をぼろ切れにされた人間は付け込みやすくなるからなぁ』

『なんじゃ、それが目的か。人間に寄生するしかまともに動けないなり損ない、がっ……』


 少女が“なり損ない”と言うと影が少女を蹴り飛ばした。そして倒れ込んだ少女にのしかかり、その首に手をかける。


『黙れよ、ババア。俺以下の力でよくもそんなに偉そうにできるものだなぁ』

『うぐっ……翡翠に手を出させはせぬぞ!』

『ふん……やってみろよ』

「ああ……お願い、止めて……」


 私はもう恐怖で動けなかった。それどころか、膝から力が抜けて跪いてしまう。簪のおかげか黒い影が私に近付くことはしなかったから正気でいられたが、今度は少女が危機に陥っている。

 自分の身も危険だが、それ以上に自分を助けてくれた少女のために天に祈る。


 ――お願い、だれか、助けて……!!


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